「摂食制御の神経回路」の版間の差分

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 摂食行動は[[視床下部]]を中心として、[[大脳皮質]]から[[脊髄]]までの神経ネットワークによって制御されている。神経ネットワークの中核には[[ニューロペプチドY]](NPY)産生細胞に代表される摂食行動を促進する神経細胞と、[[POMC]]産生細胞に代表される摂食行動を抑制する神経細胞が存在している。[[wikipedia:ja:グルコース|グルコース]]の他、[[グレリン]]、[[コレシストキニン]]、[[レプチン]]など個体の栄養状態を反映するホルモンは、この神経ネットワークを介して、摂食行動の開始と終止、1日の摂食量、短期的または長期的な体重変動を制御している。
 摂食行動は[[視床下部]]を中心として、[[大脳皮質]]から[[脊髄]]までの神経ネットワークによって制御されている。神経ネットワークの中核には[[ニューロペプチドY]](NPY)産生細胞に代表される摂食行動を促進する神経細胞と、[[POMC]]産生細胞に代表される摂食行動を抑制する神経細胞が存在している。[[wikipedia:ja:グルコース|グルコース]]、[[コレシストキニン]]、[[レプチン]]など個体の栄養状態を反映する分子が、この神経ネットワークを介して、摂食行動の開始と終止、1日の摂食量、短期的または長期的な体重変動を制御している。
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== 歴史  ==
== 歴史  ==


 [[wikipedia:ja:ネコ|ネコ]]を用いた破壊実験から、[[視床下部]][[視床下部#.E8.85.B9.E5.86.85.E5.81.B4.E6.A0.B8|腹内側核]]に[[満腹中枢]]があり、[[視床下部#.E5.A4.96.E5.81.B4.E9.87.8E|外側野]]に[[空腹中枢]]があると考えられてきた。しかし、過去の[[破壊実験]]の多くは近傍の[[神経線維]]の破壊を伴うため、単純には解釈できない。例えば、外側野の破壊時には[[内側前脳束]]も損傷するが、内側前脳束には摂食行動や報酬行動に重要な[[ドーパミン神経]]線維が豊富に存在する。腹内側核を破壊すると、[[視床下部#.E5.BC.93.E7.8A.B6.E6.A0.B8|弓状核]]からの腹内側核や[[視床下部#.E5.AE.A4.E5.82.8D.E6.A0.B8|室傍核]]への投射線維も破壊されるため、観察される摂食行動変化の原因が腹内側核と弓状核のどちらにあるかを決めることができない。しかし、[[Cre-loxPシステム]]を利用した遺伝子改変[[マウス]]の開発により、特定の神経細胞集団での遺伝子発現変化が摂食行動や体重制御に与える影響を検討することが可能となり、この10年で摂食制御の神経ネットワークについての理解が大きく進展した。
 [[wikipedia:ja:ラット|ラット]]や[[wikipedia:ja:ネコ|ネコ]]を用いた破壊実験から、[[視床下部]][[視床下部#.E8.85.B9.E5.86.85.E5.81.B4.E6.A0.B8|腹内側核]]に[[満腹中枢]]があり、[[視床下部#.E5.A4.96.E5.81.B4.E9.87.8E|外側野]]に[[空腹中枢]]があると考えられてきた。しかし、過去の[[破壊実験]]の多くは近傍の[[神経線維]]の破壊を伴うため、単純には解釈できない。例えば、外側野の破壊時には[[内側前脳束]]も損傷するが、内側前脳束には摂食行動や報酬行動に重要な[[ドーパミン神経]]線維が豊富に存在する。[[Cre-loxPシステム]]を利用した遺伝子改変[[マウス]]の開発により、特定の神経細胞集団での遺伝子発現変化が摂食行動や体重制御に与える影響を検討することが可能となり、摂食制御の神経ネットワークについての理解が進展した。さらに、光遺伝学の開発により、チャネルロドプシンを用いた機能的神経回路マッピングが摂食制御の神経回路同定に成果を挙げている。


== 摂食制御に関わる神経核  ==
== 摂食制御に関わる神経核  ==
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==== 弓状核  ====
==== 弓状核  ====


 弓状核は摂食行動制御の中心に位置すると考えられている。弓状核への主な入力は室傍核、[[内側視索前野]]、[[背内側核]]、外側野、[[前乳頭核]]、[[分界条床核]]、[[扁桃体内側核]]、[[中隔核]]であり、出力は室傍核、内側視索前野、背内側核に多い。弓状核には、摂食行動を促進するニューロペプチドY (Neuropeptide Y: NPY)および[[アグーチ関連ペプチド]](Agrouti-related peptide: AgRP)を産生する神経細胞と、摂食行動を抑制する[[α-メラノサイト刺激ホルモン]](α-melanocyte stimulating hormone: α-MSH)を産生する細胞が存在する。NPY産生神経細胞とAgRP産生神経細胞はほぼ同一の細胞集団であることからNPY/AgRP神経細胞と記載されることもある。α-MSH は、[[プロオピオメラノコルチン]](proopiomelanocortin: POMC)神経細胞が産生する前駆体タンパク質POMCが酵素によってプロセスされて生成される。POMC神経は[[コカイン・アンフェタミン調節転写産物]](cocaine- and amphetamine-regulated transcript: CART)も産生することからPOMC/CART神経と記載されることもある。NPY、AgRP、α-MSHに加えて、摂食行動抑制作用を示す[[ガラニン様ペプチド]](galanin-like peptide: GALP)は視床下部では弓状核のみに発現している。また、弓状核は[[レプチン受容体]]や[[グレリン受容体]]が最も強く発現している部位である。レプチン受容体シグナルが活性化すると[[STAT3|Stat3]]が[[リン酸化]]されることからリン酸化Stat3はレプチンによる活性化の指標となっており、レプチン投与後弓状核でのリン酸化Stat3陽性細胞数が著増する。
 弓状核は摂食行動制御の中心に位置すると考えられている。弓状核への主な入力は室傍核、[[内側視索前野]]、[[背内側核]]、外側野、[[前乳頭核]]、[[分界条床核]]、[[扁桃体内側核]]、[[中隔核]]であり、出力は室傍核、内側視索前野、背内側核に多い。弓状核には、摂食行動を促進するニューロペプチドY (Neuropeptide Y: NPY)および[[アグーチ関連ペプチド]](Agrouti-related peptide: AgRP)を産生する神経細胞と、摂食行動を抑制する[[α-メラノサイト刺激ホルモン]](α-melanocyte stimulating hormone: α-MSH)を産生する細胞が存在する。NPY産生神経細胞とAgRP産生神経細胞はほぼ同一の細胞集団であることからNPY/AgRP神経細胞と記載されることもある。α-MSH は、[[プロオピオメラノコルチン]](proopiomelanocortin: POMC)神経細胞が産生する前駆体タンパク質POMCが酵素によってプロセスされて生成される。POMC神経は[[コカイン・アンフェタミン調節転写産物]](cocaine- and amphetamine-regulated transcript: CART)も産生することからPOMC/CART神経と記載されることもある。NPY、AgRP、α-MSHに加えて、摂食行動抑制作用を示す[[ガラニン様ペプチド]](galanin-like peptide: GALP)は視床下部では弓状核のみに発現している。また、弓状核は[[レプチン受容体]]が最も強く発現している部位であり、レプチン投与後にレプチン受容体シグナル活性化のマーカーであるリン酸化Stat3陽性細胞数が著増する。


==== NPY/AgRP神経  ====
==== NPY/AgRP神経  ====
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[[Image:Med Hypo Network.png|thumb|right|400px|<b>図2.NPY/AgRP神経とPOMC神経を中心とした視床下部内の神経回路</b>]]  
[[Image:Med Hypo Network.png|thumb|right|400px|<b>図2.NPY/AgRP神経とPOMC神経を中心とした視床下部内の神経回路</b>]]  


 弓状核のNPY/AgRP神経は摂食行動を促進する。[[wikipedia:ja:ジフテリア毒素|ジフテリア毒素]]受容体をNPY/AgRP神経細胞のみに発現させたマウスにジフテリア毒素を投与すると、NPY/AgRP神経が数日で脱落する。この脱落に伴って、マウスの摂食量や体重が低下する<ref><pubmed> 16158063 </pubmed></ref>。NPY/AgRP神経細胞はGABA作動性であり、POMC神経細胞に投射してPOMC神経細胞を抑制するほか、室傍核、孤束核、結合腕傍核へ抑制性の投射をしている。NPY/AgRP神経から室傍核への投射はAgRPによる[[メラノコルチン4型受容体]]への逆作動薬としての活性が重要でありNPY・AgRP神経から孤束核、結合腕傍核への[[GABA]]作動性投射により嘔気、嘔吐を抑制し、摂食行動を促進する。NPY/AgRP神経細胞はレプチン、グレリン、[[オレキシン]]、[[インスリン]]、[[セロトニン]]などの受容体を発現しており、レプチンにより抑制性に、グレリンにより興奮性に制御される。
 弓状核のNPY/AgRP神経は摂食行動を促進する。[[wikipedia:ja:ジフテリア毒素|ジフテリア毒素]]受容体をNPY/AgRP神経細胞のみに発現させたマウスにジフテリア毒素を投与すると、NPY/AgRP神経が数日で脱落する。この脱落に伴って、マウスの摂食量や体重が低下する<ref><pubmed> 16158063 </pubmed></ref>。NPY/AgRP神経細胞が分泌するNPY、AgRP、GABAのうち、どれが摂食を制御するか明らかにするために、NPY, Vgat, MC4Rの機能を欠損させた上で、NPY/AgRP神経を活性化させたところ、NPY, Vgat, MC4Rの機能をすべて落とした場合だけ、摂食行動促進が見られなかった。3種のうち1つでも機能するとNPY/AgRP神経の活性化により摂食行動が促進された(Krashes 2013)。このことからも、摂食制御する機構の冗長性がわかる。NPY/AgRP神経はGABAやNPYを介してPOMC神経細胞を抑制する(Atasoy 2012)。NPY/AgRP神経から室傍核への投射が、摂食行動の実行に重要であり、NPY/AgRP神経はメラノコルチン4受容体、GABAA受容体、Y1受容体を介して室傍核のSim1陽性[[メラコルチン4受容体]]陽性神経細胞を抑制し、この結果、摂食行動が促進される(Atasoy 2012; Krashes 2014)。NPY/AgRP神経細胞はレプチン、グレリン、[[インスリン]]などの受容体を発現しており、レプチンやインスリンにより抑制性に、グレリンにより興奮性に制御される。


==== POMC神経  ====
==== POMC神経  ====