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Akihiromuramatsu (トーク | 投稿記録) 細編集の要約なし |
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<font size="+1">[http://researchmap.jp/bakakyoudai 松村 晃寛]、[http://researchmap.jp/phoca 川又 純]、[http://researchmap.jp/read0012356 下濱 俊]</font><br> | |||
''札幌医科大学 医学部 神経内科学講座''<br> | |||
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年2月5日 原稿完成日:2016年月日<br> | |||
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0141446 漆谷 真](京都大学 大学院医学研究科)<br> | |||
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英:mild cognitive impairment, minor neurocognitive disorder、英略語:MCI<br> | 英:mild cognitive impairment, minor neurocognitive disorder、英略語:MCI<br> | ||
独:Mild cognitive impairment 仏:La déficience cognitive légère | 独:Mild cognitive impairment 仏:La déficience cognitive légère | ||
{{box|text= 軽度認知障害(Mild cognitive impairment:MCI)は正常ではないが認知症ともいえないほど軽度の認知機能障害を呈し、日常生活も保たれている状態を示す概念である。2013年の調査では本邦において400万人ほどの症例が存在することが明らかになっている<ref name=ref1>'''朝田 | {{box|text= 軽度認知障害(Mild cognitive impairment:MCI)は正常ではないが認知症ともいえないほど軽度の認知機能障害を呈し、日常生活も保たれている状態を示す概念である。2013年の調査では本邦において400万人ほどの症例が存在することが明らかになっている<ref name=ref1>'''朝田 隆、 泰羅 雅、石合 純、清原 裕、池田 学、et al.'''<br>都市部における認知症有病率と認知症の生活機能障害への対応.<br>''平成23年度-平成24年度総合研究報告書 : 厚生労働科学研究費補助金認知症対策総合研究事業'': 2013</ref>。MCIは認知症の前駆状態であるとする考えがある一方、健常加齢の経過においてもみられる状態であるとする考え方も存在する。実際、MCIから認知症へのコンバート率は年間約10%とする一方、正常状態に戻るリバート率も14〜44%と報告されている。検査法については簡易スクリーニング法として近年、Montreal Cognitive Assessment日本語版(MoCA-J)が作成され、他にもMRI、SPECTといった画像検査や、脳脊髄液中のAβ42、リン酸化タウといったバイオマーカーが試みられている。治療法はまだ確立したものは無いがアルツハイマー病に対する治療やレビー小体型認知症に対する治療が試みられている。またライフスタイルの改善が重要とする考えもある。}} | ||
== 軽度認知障害とは == | == 軽度認知障害とは == | ||
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==== 歴史的推移 ==== | ==== 歴史的推移 ==== | ||
類似概念としては、まず1962年にKralが提唱した「進行速度が緩徐な正常老化としての『良性[[健忘]]』と急速に進行する病的な『悪性健忘』」が挙げられる。その後、1986年に米国の国立精神保健研究所のCrookらにより「年齢50歳以上で日常生活上の記憶障害の訴えがあり、記憶検査で成人平均値より1SD以下の低下を認めるが認知症ではない」という定義でAge-associated memory impairment(AAMI)という概念が提唱される。これは健常高齢者における記憶障害という位置づけでとらえられている。また1994年には国際老年精神医学会のLevyによりAge-associated cognitive decline(AACD)という概念が提唱される。これはAAMIとは異なり「記憶・学習以外にも注意・集中、思考、[[言語]]、視空間認知のいずれかが健常高齢者平均から1SD以上低下しているもの」とされる。ここには健常加齢と認知症前駆状態の両方が含まれうる。概してヨーロッパでは健常加齢の果てに認知機能の低下が起こるという考え方(Normality model)が受け入れられており、現在でもAAMIやAACDがしばしば引用されている。その後1995年にはカナダの認知症研究に基づいてEblyらによりCognitive impaired not demented(CIND)という概念が提唱されたが、[[せん妄]]やうつ状態、[[精神疾患]]、アルコールや薬物によるものも含まれるため必ずしも認知症の前駆状態とはいえない。また、他にも[[ICD-10]]におけるMild cognitive disorder(MCD)や[[DSM-Ⅳ]]におけるAge related cognitive decline(ARCD)、Mild neurocognitive decline(MNCD)などが提唱されてきた。 | 類似概念としては、まず1962年にKralが提唱した「進行速度が緩徐な正常老化としての『良性[[健忘]]』と急速に進行する病的な『悪性健忘』」が挙げられる。その後、1986年に米国の国立精神保健研究所のCrookらにより「年齢50歳以上で日常生活上の記憶障害の訴えがあり、記憶検査で成人平均値より1SD以下の低下を認めるが認知症ではない」という定義でAge-associated memory impairment(AAMI)という概念が提唱される。これは健常高齢者における記憶障害という位置づけでとらえられている。また1994年には国際老年精神医学会のLevyによりAge-associated cognitive decline(AACD)という概念が提唱される。これはAAMIとは異なり「記憶・学習以外にも注意・集中、思考、[[言語]]、視空間認知のいずれかが健常高齢者平均から1SD以上低下しているもの」とされる。ここには健常加齢と認知症前駆状態の両方が含まれうる。概してヨーロッパでは健常加齢の果てに認知機能の低下が起こるという考え方(Normality model)が受け入れられており、現在でもAAMIやAACDがしばしば引用されている。その後1995年にはカナダの認知症研究に基づいてEblyらによりCognitive impaired not demented(CIND)という概念が提唱されたが、[[せん妄]]やうつ状態、[[精神疾患]]、アルコールや薬物によるものも含まれるため必ずしも認知症の前駆状態とはいえない。また、他にも[[ICD-10]]におけるMild cognitive disorder(MCD)や[[DSM-Ⅳ]]におけるAge related cognitive decline(ARCD)、Mild neurocognitive decline(MNCD)などが提唱されてきた。 | ||
一方、米国においては病的状態を背景とした認知症前駆状態としてのMCIという概念(Pathology model)が提唱されるようになる。具体的には、1988年にReisbergらが、自らが提唱したGlobal deterioration scale for assessment of primary degenerative dementia(GDS)におけるstage 3をMCIと表現したのが始まりとされる。1991年にはZaudigらが神経心理学的測定による検証を行い、新たなMCIの定義を提唱してGDS 2および3、CDR 0.5に相当するとしている。米国Mayo ClinicのPetersenらは1995年からMCIという用語を使用しているが、1999年には記憶障害に重きを置いた診断基準を提唱している(後述)<ref name=ref2><pubmed> 10190820 </pubmed></ref>。しかし、同年にシカゴで開催されたMCIコンセンサス会議においてはMCIを1つのclinical | |||
一方、米国においては病的状態を背景とした認知症前駆状態としてのMCIという概念(Pathology model)が提唱されるようになる。具体的には、1988年にReisbergらが、自らが提唱したGlobal deterioration scale for assessment of primary degenerative dementia(GDS)におけるstage 3をMCIと表現したのが始まりとされる。1991年にはZaudigらが神経心理学的測定による検証を行い、新たなMCIの定義を提唱してGDS 2および3、CDR 0.5に相当するとしている。米国Mayo ClinicのPetersenらは1995年からMCIという用語を使用しているが、1999年には記憶障害に重きを置いた診断基準を提唱している(後述)<ref name=ref2><pubmed> 10190820 </pubmed></ref>。しかし、同年にシカゴで開催されたMCIコンセンサス会議においてはMCIを1つのclinical entityとして表現することは困難として、 | |||
#健忘型(Amnestic type) | |||
#複数の高次機能領域にまたがってごく軽度の障害を呈するタイプ(Multiple cognitive domains slightly impaired type | |||
#記銘力以外の高次機能領域で単一の障害を呈するタイプ(Single non-memory domain impaired type) | |||
の3つのsubtypeに分類することが提唱されている。そして2003年にスウェーデンのWinbladらが開催したMCI Key symposiumにおいて現在の診断基準が提唱された<ref name=ref3><pubmed> 15324367 </pubmed></ref>。最近では記憶とその他の認知機能障害の有無によってAmnestic MCIかNon-amnestic MCIかに分け、さらにそれぞれを単一領域の障害か複数の障害かによって | |||
#Amnestic MCI Single Domain | |||
#Amnestic MCI Multiple Domain | |||
#Non-amnestic MCI Single Domain | |||
#Non-amnestic MCI Multiple Domain | |||
の4つのサブタイプに分類することが提唱されている。このように、MCIという概念は様々な変遷を経ながら予防医学的観点から認知症高リスク群として注目され、受け入れられるようになっていった。 | |||
== 診断 == | == 診断 == | ||
==== 診断基準 ==== | ==== 診断基準 ==== | ||
MCIの診断基準としては1999年にPetersonらが提唱した記憶障害に重きを置いた診断基準<ref name=ref2 />の他、2003年のMCI Key symposiumで提唱された診断基準<ref name=ref3 />、および2013年5月に公開された[[DSM-5]]の診断基準などが挙げられる。 | MCIの診断基準としては1999年にPetersonらが提唱した記憶障害に重きを置いた診断基準<ref name=ref2 />の他、2003年のMCI Key symposiumで提唱された診断基準<ref name=ref3 />、および2013年5月に公開された[[DSM-5]]の診断基準などが挙げられる。 | ||
1999年 Petersonらの診断基準<ref name=ref2 /> | |||
一方、2003年のMCI Key symposiumにおけるMCI診断基準<ref name=ref3 /> | 1999年 Petersonらの診断基準<ref name=ref2 />ではMCIを | ||
他方、DSM- | #記憶障害の愁訴がある | ||
#日常生活活動は正常 | |||
#全般的な認知機能は正常 | |||
#年齢に比して記憶力が低下 | |||
#認知症は認めない | |||
ものと定義している。 | |||
一方、2003年のMCI Key symposiumにおけるMCI診断基準<ref name=ref3 />では | |||
#認知機能は正常ではないが認知症でもない(DSM-Ⅳ、ICD-10による認知症の診断基準を満たさない) | |||
#認知機能低下-①本人および/または第三者からの申告および客観的認知検査の障害、-②客観的認知検査上の経時的減衰の証拠 | |||
#基本的な日常生活は保たれており、複雑な日常生活機能の障害は軽度にとどまる | |||
ものとしている。 | |||
他方、DSM-5では | |||
#複雑性注意、[[遂行機能]]、学習および記憶、言語、[[知覚]]-運動、社会的認知の6項目のうち1項目以上でわずかな低下が-①本人の訴え、よく知る介護者やかかりつけ医等からの情報、-②標準化された認知[[テスト]]の成績に基づいて明らか | |||
#認知障害は日常生活の独立性を妨げるものではない | |||
#せん妄によるものではない | |||
#うつ病や統合失調症等の精神疾患ではうまく説明できない | |||
ことをMild neurocognitive disorder(ND)としている。本邦老年精神医学会病名検討委員会において、Mild NDは内容的にmild cognitive impairment(MCI)とみなすのが妥当であることから「軽度認知障害」とすることが決まり、日本精神神経学会 精神科用語検討委員会 精神科病名検討連絡会に提案して承認されている。 | |||
==== 鑑別診断 ==== | ==== 鑑別診断 ==== | ||
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== 治療 == | == 治療 == | ||
現状、MCIに対する認知症薬の保険適応は無い。上記の通りMCIにおいて認知機能低下は軽微で基本的な日常生活は保たれるため、将来的には認知症への進展(コンバート)の予防を目標とした治療法が検討される可能性はある。 | 現状、MCIに対する認知症薬の保険適応は無い。上記の通りMCIにおいて認知機能低下は軽微で基本的な日常生活は保たれるため、将来的には認知症への進展(コンバート)の予防を目標とした治療法が検討される可能性はある。 | ||
臨床研究レベルで、薬物治療としてドネペジル、ガランタミン、リバスチグミンなどのアルツハイマー病治療薬(cholinesterase(ChE)阻害薬)の有効性を検討した研究がいくつかあるが、MCIから認知症への転換を抑制する効果について明らかなエビデンスは無いのが現状である。しかし、[[APOE|ApoE]]遺伝子ε4多型保因者の検討においてドネペジル治療により36ヶ月後のAD発症率が有意に低下していたとする報告も存在する。レビー小体型認知症のMCIでは記憶障害や遂行機能障害は呈さずにリアルな幻視やREM[[睡眠]]行動障害等が出現することがあり、この場合はレビー小体型認知症としての抑肝散やドネペジル等による薬物療法が有効な場合があるとされる。 | 臨床研究レベルで、薬物治療としてドネペジル、ガランタミン、リバスチグミンなどのアルツハイマー病治療薬(cholinesterase(ChE)阻害薬)の有効性を検討した研究がいくつかあるが、MCIから認知症への転換を抑制する効果について明らかなエビデンスは無いのが現状である。しかし、[[APOE|ApoE]]遺伝子ε4多型保因者の検討においてドネペジル治療により36ヶ月後のAD発症率が有意に低下していたとする報告も存在する。レビー小体型認知症のMCIでは記憶障害や遂行機能障害は呈さずにリアルな幻視やREM[[睡眠]]行動障害等が出現することがあり、この場合はレビー小体型認知症としての抑肝散やドネペジル等による薬物療法が有効な場合があるとされる。 | ||
薬物以外のアプローチでは、認知症予防のライフスタイル、具体的には運動や食生活・睡眠の改善、血圧や血糖、脂質異常の改善、視覚・聴覚の維持などがMCIから認知症への進行を防ぐためには重要という考え方も存在する。 | 薬物以外のアプローチでは、認知症予防のライフスタイル、具体的には運動や食生活・睡眠の改善、血圧や血糖、脂質異常の改善、視覚・聴覚の維持などがMCIから認知症への進行を防ぐためには重要という考え方も存在する。 | ||
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== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
<references/> | <references/> | ||