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==概念とこれを修飾する因子== | ==概念とこれを修飾する因子== | ||
「恐れ(恐怖)」は、身体に対して、或いは、社会的な自己の存在に対して危害を加えるもの、あるいは危害を加えると判断したものに対して生じる。このとき、中枢神経系と末梢臓器に様々な反応が誘発される。これに対し、不安は対象の無い漠然とした未分化な恐れと言われている。 | 「恐れ(恐怖)」は、身体に対して、或いは、社会的な自己の存在に対して危害を加えるもの、あるいは危害を加えると判断したものに対して生じる。このとき、中枢神経系と末梢臓器に様々な反応が誘発される。これに対し、不安は対象の無い漠然とした未分化な恐れと言われている。 | ||
恐れの主観的な経験(感じfeeling)を重視し「恐れの感情」とよび、恐れに対する客観的にとらえられる反応(脳を含めた身体的変化)に着目し「恐れの情動」と区別することがある<ref name=ref3>'''今田純雄・北口勝也 編'''<br>動機づけと情動<br>''培風館'' 2015</ref>。後者は動物実験で研究可能となる。 | |||
恐怖刺激は、恐れの感情feelingをもたらすとともに後述するような様々な末梢臓器の情動反応をもたらす<ref name=ref2 />。恐れの情動反応は必ずしも恐れを意識した結果生じるものではない。多くの恐れの情動反応は無意識的に生じうる<ref name=ref4>'''LeDoux J.'''<br>Anxious: using the brain to understand and treat fear and anxiety.<br>''Viking'' 2015</ref>。恐怖刺激により惹起された末梢臓器の情動反応の情報は、中枢神経系にフィードバックされ、恐れを修飾する。例えば、ドキドキという心臓の鼓動により恐れの感情・情動が影響を受ける。しかし、末梢臓器の反応の知覚が必ずしも個別の感情そのものを引き起こすわけではない。心臓の鼓動の知覚が、すなわち恐れというわけではない。 | 恐怖刺激は、恐れの感情feelingをもたらすとともに後述するような様々な末梢臓器の情動反応をもたらす<ref name=ref2 />。恐れの情動反応は必ずしも恐れを意識した結果生じるものではない。多くの恐れの情動反応は無意識的に生じうる<ref name=ref4>'''LeDoux J.'''<br>Anxious: using the brain to understand and treat fear and anxiety.<br>''Viking'' 2015</ref>。恐怖刺激により惹起された末梢臓器の情動反応の情報は、中枢神経系にフィードバックされ、恐れを修飾する。例えば、ドキドキという心臓の鼓動により恐れの感情・情動が影響を受ける。しかし、末梢臓器の反応の知覚が必ずしも個別の感情そのものを引き起こすわけではない。心臓の鼓動の知覚が、すなわち恐れというわけではない。 | ||
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行動系に反応が誘発されるだけでなく、恐怖刺激により、自律神経系(交感神経系亢進、発汗、脱糞、排尿)、神経内分泌系(視床下部-下垂体前葉-副腎皮質系の賦活化(ACTH放出、副腎皮質ホルモン放出)、副腎髄質系の賦活化(アドレナリン放出)、プロラクチン放出、オキシトシン放出<ref name=ref12><pubmed>22353547</pubmed></ref>)に恐怖反応が誘発され、鎮痛も観察される。 | 行動系に反応が誘発されるだけでなく、恐怖刺激により、自律神経系(交感神経系亢進、発汗、脱糞、排尿)、神経内分泌系(視床下部-下垂体前葉-副腎皮質系の賦活化(ACTH放出、副腎皮質ホルモン放出)、副腎髄質系の賦活化(アドレナリン放出)、プロラクチン放出、オキシトシン放出<ref name=ref12><pubmed>22353547</pubmed></ref>)に恐怖反応が誘発され、鎮痛も観察される。 | ||
このように恐れに対する反応は、闘争逃走に備えるための身体反応で覚醒レベルの上昇を反映し、恐れに選択的というよりは非選択的なものが多い。一方、、恐れに特有の身体反応があるという主張もある。文化、人種によらずヒトは、恐れのとき、眉毛を中央に寄せて上げ、上眼瞼をひき上げ下瞼を緊張させ眼を大きく見開き、唇を水平方向に引き延ばすという共通した恐怖表情を示す<ref name=ref13>'''Ekman P.'''<br>Emotions revealed: understanding faces and feelings.<br>''Phoenix'' (an Imprint of The Orion Publishing Group Ltd), 2004<br>'''ポール・エクマン(菅 靖彦 訳)'''<br>顔は口ほどに嘘をつく<br>''河出書房新社''、2006</ref>。また、この表情を見て、その表情をしているヒトが恐れていることを理解できる。自律神経系に、交感神経系の亢進の症状(心拍数増加、皮膚蒼白、立毛、散瞳)とともに、末梢血管抵抗の低下<ref name=ref14><pubmed>20371374</pubmed></ref>、顔面蒼白、冷や汗<ref name=ref15''' | このように恐れに対する反応は、闘争逃走に備えるための身体反応で覚醒レベルの上昇を反映し、恐れに選択的というよりは非選択的なものが多い。一方、、恐れに特有の身体反応があるという主張もある。文化、人種によらずヒトは、恐れのとき、眉毛を中央に寄せて上げ、上眼瞼をひき上げ下瞼を緊張させ眼を大きく見開き、唇を水平方向に引き延ばすという共通した恐怖表情を示す<ref name=ref13>'''Ekman P.'''<br>Emotions revealed: understanding faces and feelings.<br>''Phoenix'' (an Imprint of The Orion Publishing Group Ltd), 2004<br>'''ポール・エクマン(菅 靖彦 訳)'''<br>顔は口ほどに嘘をつく<br>''河出書房新社''、2006</ref>。また、この表情を見て、その表情をしているヒトが恐れていることを理解できる。自律神経系に、交感神経系の亢進の症状(心拍数増加、皮膚蒼白、立毛、散瞳)とともに、末梢血管抵抗の低下<ref name=ref14><pubmed>20371374</pubmed></ref>、顔面蒼白、冷や汗<ref name=ref15>'''Kreibig SD.'''<br>The Autonomic Nervous System and Emotion.<br>''Emotion Review''; 2014; 6(2):100-112.</ref>といった恐れに特異的なパターンがあると報告されている。恐れを含め基本情動に対応した特異的な身体感覚マップがあるという報告もある<ref name=ref16><pubmed>24379370</pubmed></ref>。 | ||
他の情動と同様、恐れの感情は、認知、記憶に影響を与える。恐れを惹起する刺激があると、注意がその刺激に集中し(注意集中効果)、その周辺に対する注意が向かなくなる(注意制限効果)。また、恐れの感情があると、未来に対する予測がより悲観的になり<ref name=ref17><pubmed>11474720</pubmed></ref>、 仲間との友好的な関係を形成維持したいという親和動機が強まり仲間と一緒にいることを選択するという<ref name=ref3 />。 | 他の情動と同様、恐れの感情は、認知、記憶に影響を与える。恐れを惹起する刺激があると、注意がその刺激に集中し(注意集中効果)、その周辺に対する注意が向かなくなる(注意制限効果)。また、恐れの感情があると、未来に対する予測がより悲観的になり<ref name=ref17><pubmed>11474720</pubmed></ref>、 仲間との友好的な関係を形成維持したいという親和動機が強まり仲間と一緒にいることを選択するという<ref name=ref3 />。 | ||
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==恐怖反応の神経機構== | ==恐怖反応の神経機構== | ||
恐れの神経機構については、恐怖反応を担う機構の解明が条件恐怖学習を使用した研究により進んでいる<ref name=ref18>'''Davis M.'''<br>The role of the amygdala in conditioned and unconditioned fear and anxiety.<br>pp213-288 In The Amygdala (ed Aggleton JP) 2000, Oxford.</ref> <ref name=ref19><pubmed>19693004</pubmed></ref> <ref name=ref20><pubmed>24501122</pubmed></ref> <ref name=ref21>'''LeDoux JE.'''<br>The emotional brain: the mysterious underpinnings of emotional life. Brockman, Inc, 1996.<br>''' | 恐れの神経機構については、恐怖反応を担う機構の解明が条件恐怖学習を使用した研究により進んでいる<ref name=ref18>'''Davis M.'''<br>The role of the amygdala in conditioned and unconditioned fear and anxiety.<br>pp213-288 In The Amygdala (ed Aggleton JP) 2000, Oxford.</ref> <ref name=ref19><pubmed>19693004</pubmed></ref> <ref name=ref20><pubmed>24501122</pubmed></ref> <ref name=ref21>'''LeDoux JE.'''<br>The emotional brain: the mysterious underpinnings of emotional life. Brockman, Inc, 1996.<br>'''ジョゼフ・ルドゥー'''<br>エモーショナル・ブレイン 情動の脳科学<br>''東京大学出版会'' 2003</ref> <ref name=ref22><pubmed>26552417</pubmed></ref> <ref name=ref23><pubmed>25991441</pubmed></ref> <ref name=ref24><pubmed>25908496</pubmed></ref> <ref name=ref25><pubmed>25592533</pubmed></ref>。その結果、条件恐怖反応の獲得、保持、表出における扁桃体の重要性が示されている。とくに、外側扁桃体、基底扁桃体、扁桃体中心核が考えられている。様々な感覚情報は扁桃体に入力しており、外側扁桃体と扁桃体中心核においてシナプスの可塑的変化が生じることが示されている。条件恐怖反応の表出には扁桃体中心核からの投射が重要であることが示唆されている。条件恐怖刺激に対するすくみ行動と鎮痛は扁桃体中心核から腹外側中心灰白質への投射が担い、血圧上昇反応は扁桃体中心核から外側視床下部への投射が伝達し、驚愕反応の亢進は扁桃体中心核から橋網様体(pontine reticular formationのnucleus reticular pontis caudalis)への投射の関与が示唆されている。一方、神経内分泌系の反応には、内側扁桃体-延髄弧束路核ノルアドレナリン/PrRP産生ニューロン-視床下部経路の重要性が示唆されている<ref name=ref26><pubmed>24877622</pubmed></ref>。危険を能動的に回避する行動の場合、扁桃体中心核からの投射は必須ではなく基底扁桃体から側坐核への投射が重要であることが示唆されている<ref name=ref27><pubmed>25716846</pubmed></ref>。 | ||
条件刺激を環境(実験箱)とした場合には、その環境を記憶するために空間情報の記憶の座である海馬が扁桃体と共に必須であることが示されている。 | 条件刺激を環境(実験箱)とした場合には、その環境を記憶するために空間情報の記憶の座である海馬が扁桃体と共に必須であることが示されている。 |