「クオリア」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
59行目: 59行目:


===「難しい問題(Hard problem)」とクオリア===
===「難しい問題(Hard problem)」とクオリア===
 哲学者[[wj:ディビット・チャルマーズ|ディビット・チャルマーズ]]によって提唱された意識の「難しい問題」とは、クオリアと脳内で起こる物理化学現象の間にある大きなギャップのことを指す<ref> Chalmers, D. J. <br>'''The conscious mind''' <br>Oxford University Press. New York, 1996<br>林一<br>意識する心―脳と精神の根本理論を求めて<br>白楊社</ref>。「難しい問題」の議論には、色々な問題が含まれる。
 哲学者[[wj:ディビット・チャルマーズ|ディビット・チャルマーズ]]によって提唱された意識の「難しい問題」とは、クオリアと脳内で起こる物理化学現象の間にある大きなギャップのことを指す<ref> Chalmers, D. J. <br>'''The conscious mind''' <br>Oxford University Press. New York, 1996<br>林一<br>'''意識する心―脳と精神の根本理論を求めて'''<br>白楊社</ref>。「難しい問題」の議論には、色々な問題が含まれる。


 たとえば、狭い意味での赤いクオリアを引き起こすような神経活動が、なぜ、青いクオリアを引き起こさないのか、という問題がある。これは「難しい問題」の一例である。哲学者の中には、もし突然、自分が経験するすべての赤と青のクオリアが入れ替わってしまったとしてもそれには自分が全く気づけないはずだ、という「逆転クオリア」の思考実験を行い、どのように神経科学が進んだとしてもこのような問題は解き明かすことができない類の問題である、と論じているものもいる<ref name=stanford2 >http://plato.stanford.edu/entries/qualia-inverted/</ref>。はたして、脳科学が根源的にクオリアの謎を解き明かすことはできないのか、実際に研究の手立てがないのかについては、後の項を参照。
 たとえば、狭い意味での赤いクオリアを引き起こすような神経活動が、なぜ、青いクオリアを引き起こさないのか、という問題がある。これは「難しい問題」の一例である。哲学者の中には、もし突然、自分が経験するすべての赤と青のクオリアが入れ替わってしまったとしてもそれには自分が全く気づけないはずだ、という「逆転クオリア」の思考実験を行い、どのように神経科学が進んだとしてもこのような問題は解き明かすことができない類の問題である、と論じているものもいる<ref name=stanford2 >http://plato.stanford.edu/entries/qualia-inverted/</ref>。はたして、脳科学が根源的にクオリアの謎を解き明かすことはできないのか、実際に研究の手立てがないのかについては、後の項を参照。
67行目: 67行目:
   
   
===心理学研究における錯視を使ったクオリアの特徴づけ===
===心理学研究における錯視を使ったクオリアの特徴づけ===
 伝統的な心理学研究の手法の中でも、[[錯覚]] {{refn|「錯視」や「錯覚」というと、外界に正確な「答え」があり、それを脳が「間違えて」プロセスしてしまうために起こる、「おかしな」主観的な感覚という響きがある。しかし、このような考え方の根底には、暗示的に我々の主観の外に世界の実体があり、その実体をできるかぎり正確に再構成するのが、意識・クオリアに期待されている機能である、ということが仮定されている。一方で、幻覚・夢などを含め、意識にのぼるクオリアそれだけが我々が経験できる実体であり、世界の姿こそが、過去何百年もの科学実験を通して「間接的に」推測されるものであり、どこまでいってもより確からしい推測しかできない、と考えることもできる。後者の考えでは、錯視・錯覚・幻覚・夢の方がむしろ本質で、通常の意識経験もそれの一部と考えることができる(Llinas & Pare 1991)。|group=註}}を使った研究は、クオリア問題に最も直接的にアプローチしていると言って良い<ref name=下條信輔>下條信輔<br>「意識」とは何だろうか 脳の来歴、知覚の錯誤<br>講談社現代新書, 1999</ref>。錯覚を生み出す刺激は、ほぼ全ての感覚モダリティで見つかっているが、最も劇的なのは、視覚におけるもので、特に[[錯視]]と呼ばれる。たとえば、色の波長としては全く同じ黄色い四角形が、茶色やオレンジ見える錯視や、円筒の影になっている部分とそうでない部分のタイルが全く違う濃さの灰色のタイルに見えるが、光の波長としては二つの四角形は全く同じである、という錯視がある(図3)。このような錯視を元に、心理物理学者は、クオリアの性質を様々な観点から特徴づけてきた。
 伝統的な心理学研究の手法の中でも、[[錯覚]] {{refn|「錯視」や「錯覚」というと、外界に正確な「答え」があり、それを脳が「間違えて」プロセスしてしまうために起こる、「おかしな」主観的な感覚という響きがある。しかし、このような考え方の根底には、暗示的に我々の主観の外に世界の実体があり、その実体をできるかぎり正確に再構成するのが、意識・クオリアに期待されている機能である、ということが仮定されている。一方で、幻覚・夢などを含め、意識にのぼるクオリアそれだけが我々が経験できる実体であり、世界の姿こそが、過去何百年もの科学実験を通して「間接的に」推測されるものであり、どこまでいってもより確からしい推測しかできない、と考えることもできる。後者の考えでは、錯視・錯覚・幻覚・夢の方がむしろ本質で、通常の意識経験もそれの一部と考えることができる(Llinas & Pare 1991)。|group=註}}を使った研究は、クオリア問題に最も直接的にアプローチしていると言って良い<ref name=下條信輔>下條信輔<br>'''「意識」とは何だろうか 脳の来歴、知覚の錯誤'''<br>講談社現代新書, 1999</ref>。錯覚を生み出す刺激は、ほぼ全ての感覚モダリティで見つかっているが、最も劇的なのは、視覚におけるもので、特に[[錯視]]と呼ばれる。たとえば、色の波長としては全く同じ黄色い四角形が、茶色やオレンジ見える錯視や、円筒の影になっている部分とそうでない部分のタイルが全く違う濃さの灰色のタイルに見えるが、光の波長としては二つの四角形は全く同じである、という錯視がある(図3)。このような錯視を元に、心理物理学者は、クオリアの性質を様々な観点から特徴づけてきた。
   
   
[[image:Tuchiya Qualia3.png|thumb|300px| '''図3. 視覚クオリアの特徴を捉える錯視'''<ref name=Lamme2015> Lamme, V. A. F. <br>'''The Crack of Dawn. Perceptual Functions and Neural Mechanisms that Mark the Transition from Unconscious Processing to Conscious Vision'''<br>Barbara Wengeler Stiftung, 2015</ref><br>左:矢印で示された左のオレンジのタイルと上の茶色のタイルは同じ波長の光だが、周囲の色との関係性で違う色として経験される。周りのタイルを全て隠すとそれが確認できる。右:同じく、上の暗い灰色と下の明るい灰色も、同じ波長の同じ強さの光であるが、異なる強さの灰色として感じられる。]]
[[image:Tuchiya Qualia3.png|thumb|300px| '''図3. 視覚クオリアの特徴を捉える錯視'''<ref name=Lamme2015> Lamme, V. A. F. <br>'''The Crack of Dawn. Perceptual Functions and Neural Mechanisms that Mark the Transition from Unconscious Processing to Conscious Vision'''<br>Barbara Wengeler Stiftung, 2015</ref><br>左:矢印で示された左のオレンジのタイルと上の茶色のタイルは同じ波長の光だが、周囲の色との関係性で違う色として経験される。周りのタイルを全て隠すとそれが確認できる。右:同じく、上の暗い灰色と下の明るい灰色も、同じ波長の同じ強さの光であるが、異なる強さの灰色として感じられる。]]