「重症筋無力症」の版間の差分

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 神経筋接合部は血液神経関門がないという解剖学的特徴から、病原性自己抗体の標的になりやすい。重症筋無力症はは神経筋接合部疾患の中で最も頻度が高く、シナプス後膜の標的抗原に対する自己抗体の作用によって神経筋伝達が障害される自己免疫疾患である。
 神経筋接合部は血液神経関門がないという解剖学的特徴から、病原性自己抗体の標的になりやすい。重症筋無力症はは神経筋接合部疾患の中で最も頻度が高く、シナプス後膜の標的抗原に対する自己抗体の作用によって神経筋伝達が障害される自己免疫疾患である。


 このようなMGの疾患概念が確立するには、1672 年の最初の症例報告から約300年の年月を要している(表1)<ref name=Vincent2002><pubmed>12360217</pubmed></ref> 。1960 年代にMGが運動終板の蛋白を標的とする抗体によって引き起こされることが判明した後、1970年代になって最初に明らかにされた自己抗体はシナプス後膜のアセチルコリン受容体(acetylcholine receptor: AChR)を標的抗原とする抗 AChR 抗体である。2001 年には筋特異的受容体型チロシンキナーゼ(muscle-specific receptor tyrosine kinase: MuSK)に対する抗体(MuSK 抗体)<ref name=Hoch2001><pubmed>11231638</pubmed></ref> が, 2011年にはLDL受容体関連タンパク質4(low-density lipoprotein receptor-related protein 4に対する抗体(抗Lrp4抗体)<ref name=Higuchi2011><pubmed>21387385</pubmed></ref> が報告された。
 このようなMGの疾患概念が確立するには、1672 年の最初の症例報告から約300年の年月を要している('''表1''')<ref name=Vincent2002><pubmed>12360217</pubmed></ref> 。1960 年代にMGが運動終板の蛋白を標的とする抗体によって引き起こされることが判明した後、1970年代になって最初に明らかにされた自己抗体はシナプス後膜のアセチルコリン受容体(acetylcholine receptor: AChR)を標的抗原とする抗 AChR 抗体である。2001 年には筋特異的受容体型チロシンキナーゼ(muscle-specific receptor tyrosine kinase: MuSK)に対する抗体(MuSK 抗体)<ref name=Hoch2001><pubmed>11231638</pubmed></ref> が, 2011年にはLDL受容体関連タンパク質4(low-density lipoprotein receptor-related protein 4に対する抗体(抗Lrp4抗体)<ref name=Higuchi2011><pubmed>21387385</pubmed></ref> が報告された。


重症筋無力症 治療の歴史は,1913 年の Sauerbruch et alの胸腺摘除術に始まる。1934年にWalkerが重症筋無力症に対する抗コリンエステラーゼ薬の有効性を報告し、1970年前半まではこの2つが重症筋無力症治療の主体であった。重症筋無力症が自己免疫疾患であることが明らかになると、1970 年代の後半頃からステロイド薬が投与されるようになった。1980年代になると高用量のステロイド薬を長期に使用する方法が行われるようになり、経口ステロイドの高用量漸増漸減投与法が定着した。重症筋無力症クリーゼ(急性増悪のため呼吸不全に陥り気管内挿管や人工呼吸管理を必要とする状態)などの時には血液浄化療法が併用され,重症筋無力症の死亡率は著明に低下したが、経口ステロイド薬の長期連用による有害事象が問題となってきた。
 重症筋無力症の治療の歴史は,1913 年の Sauerbruch et alの胸腺摘除術に始まる。1934年にWalkerが重症筋無力症に対する抗コリンエステラーゼ薬の有効性を報告し、1970年前半まではこの2つが治療の主体であった。重症筋無力症が自己免疫疾患であることが明らかになると、1970 年代の後半頃からステロイド薬が投与されるようになった。1980年代になると高用量のステロイド薬を長期に使用する方法が行われるようになり、経口ステロイドの高用量漸増漸減投与法が定着した。重症筋無力症クリーゼ(急性増悪のため呼吸不全に陥り気管内挿管や人工呼吸管理を必要とする状態)などの時には血液浄化療法が併用され,重症筋無力症の死亡率は著明に低下したが、経口ステロイド薬の長期連用による有害事象が問題となってきた。


現在、わが国の重症筋無力症診療ガイドラインでは、経口ステロイドを少量におさえ、他の免疫抑制剤や免疫グロブリンや血液浄化療法を早期から併用することによって、できるだけ早く治療目標に到達することを試みる方針が推奨されている<ref name=日本神経学会2014>日本神経学会(監修),「重症筋無力症診療ガイドライン」作成委員会(編集).重症筋無力症診療ガイドライン2014,南江堂,2014.</ref> 。しかしながら、依然として治療目標に到達できない症例が一定数以上存在するため、分子標的薬を中心とした新薬の開発が進んでいる。
 現在、わが国の重症筋無力症診療ガイドラインでは、経口ステロイドを少量におさえ、他の免疫抑制剤や免疫グロブリンや血液浄化療法を早期から併用することによって、できるだけ早く治療目標に到達することを試みる方針が推奨されている<ref name=日本神経学会2014>'''日本神経学会(監修)(2014)'''<br>「重症筋無力症診療ガイドライン」作成委員会(編集).重症筋無力症診療ガイドライン2014,南江堂</ref> 。しかしながら、依然として治療目標に到達できない症例が一定数以上存在するため、分子標的薬を中心とした新薬の開発が進んでいる。
 
{| class="wikitable"
|+ 表1.重症筋無力症の歴史
!西暦||できごと
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| 1672年||Willis が最初の症例報告
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| 1895年||Jollyがmyasthenia gravisと命名,反復刺激で漸減現象が出ることを証明
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| 1913年||Sauerbruchが胸腺摘除の有効性を報告
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| 1934年||Walkerが抗コリンエステラーゼ剤の有効性を報告
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| 1936年||神経筋接合部におけるアセチルコリンの重要性
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| 1940年代||胸腺摘除
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| 1952年||微小終板電位の発見
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| 1950年代||呼吸管理の発展
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| 1960年||MG は運動終板の蛋白に対する抗体でおきる
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| 1962年||&alpha;-ブンガロトキシン が神経筋接合部に結合する
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| 1964年||MG では微小終板電位が減少する
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| 1971年||&alpha;-ブンガロトキシン がシビレエイの AChRに結合
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| 1973年||MG では&alpha;-ブンガロトキシン 結合部位が減少
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| 1973年||AChR で免疫することで実験的 MG の作製に成功
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| 1975年||患者 IgG により passive transfer 成功
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| 1970年代||免疫抑制剤、血漿交換
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| 1980年頃||ステロイド大量療法がおこなわれはじめる
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| 1980年代||IVIg
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| 2000年||タクロリムスが保険適応となる(胸腺摘除術後・ ステロイド抵抗性の MG)
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| 2001年||MG の新しい抗体:抗MuSK 抗体の発見
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| 2006年 ||シクロスポリンが保険適応となる(胸腺摘除術後・ステロイド抵抗性の MG)
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| 2009年||タクロリムスの適応拡大(重症筋無力症すべてに適応)
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| 2011年||MG の新しい抗体:抗Lrp4 抗体の発見
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| 2011年||免疫グロブリンが保険適応となる
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| 2017年||全身型MGに対してエクリズマブ保険適応取得。
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== 病因・病態生理 ==
== 病因・病態生理 ==