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Akiyoshi Kitaoka (トーク | 投稿記録) 細 (錯覚とは、ある対象についての知覚がその対象の真の性質と認識されるものと異なる場合の知覚である。) |
Akiyoshi Kitaoka (トーク | 投稿記録) 細編集の要約なし |
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錯覚に類似した概念に、幻覚(hallucination)がある。幻覚は「対象のない知覚」である。幻覚は外部に対象が存在しない状態で起こる病的な知覚であり、錯覚は外部の対象を刺激として引き起こされる健常な知覚である。ただし、「対象のない知覚」ではあるが、幻覚ではなく錯覚とされる現象もある。一例として、主観的輪郭(subjective contour)<ref>Kanizsa, G. (1976). Subjective Contours. Scientific American, 234(4), 48-53.</ref>がある。それらを引き起こす文脈刺激が周囲に存在することと、現象は誰にでも起きることから、一般的にはこれらを幻覚には分類しない。その逆に、「対象はあるのに知覚されない」錯覚という現象もある。たとえば、トロクスラー効果(Troxler effect)<ref>Clarke, F.J.J. (1960). A Study of Troxler's Effect, Optica Acta: International Journal of Optics, 7(3), 219-236,</ref>などの消失錯視群(extinction illusions)(図1)である。それらも、現象は病的ではないことから、幻覚の仲間に入れない。 | 錯覚に類似した概念に、幻覚(hallucination)がある。幻覚は「対象のない知覚」である。幻覚は外部に対象が存在しない状態で起こる病的な知覚であり、錯覚は外部の対象を刺激として引き起こされる健常な知覚である。ただし、「対象のない知覚」ではあるが、幻覚ではなく錯覚とされる現象もある。一例として、主観的輪郭(subjective contour)<ref>Kanizsa, G. (1976). Subjective Contours. Scientific American, 234(4), 48-53.</ref>がある。それらを引き起こす文脈刺激が周囲に存在することと、現象は誰にでも起きることから、一般的にはこれらを幻覚には分類しない。その逆に、「対象はあるのに知覚されない」錯覚という現象もある。たとえば、トロクスラー効果(Troxler effect)<ref>Clarke, F.J.J. (1960). A Study of Troxler's Effect, Optica Acta: International Journal of Optics, 7(3), 219-236,</ref>などの消失錯視群(extinction illusions)(図1)である。それらも、現象は病的ではないことから、幻覚の仲間に入れない。 | ||
もう一つ、錯覚に類似した概念に、妄想(delusion)がある。妄想は「誤った想像、信念あるいは思考」である。根拠のない主観的な想像・信念・思考であり、統合失調症などの病的原因によって起こり、事実の経験や他者からの論理的な説得によって容易に訂正されることがない。誇大妄想、被害妄想、関係妄想などがある。妄想は認知的錯覚に類似しているが、妄想は病的であって、訂正が容易ではない(非可逆的である)という点が、認知的錯覚とは異なる。 | |||
以上のように、錯覚、幻覚、妄想の三者は学問的には明確に区別できるものであるが、日常用語や一般の辞書類、あるいは科学的研究においても、それらの区別は必ずしも明確ではない。たとえば、研究社 新英和大辞典 第5版<ref>小稲義男(編) (1980). 研究社 新英和大辞典 第5版 研究社</ref>によれば、"illusion"は「1 幻覚、幻影、幻(cf. hallucination) 2 幻想、妄想、迷想、迷い、誤解(delusion) 3 〘心理〙錯覚:an optical~ 錯視」となっていて、錯覚、幻覚、妄想は混同されやすい概念であることがわかる。「てんかん症候学の一部としての幻覚・錯覚・妄想の現象論」というタイトルの論文<ref>Kasper, B.S., Kasper, E.M., Pauli, E., & Stefan, H. (2010). Phenomenology of hallucinations, illusions, and delusions as part of seizure semiology. Epilepsy & Behavior, 18, 13-23.</ref>では、錯覚とは既視感(déjà vu)や体外離脱体験(out-of-body | 以上のように、錯覚、幻覚、妄想の三者は学問的には明確に区別できるものであるが、日常用語や一般の辞書類、あるいは科学的研究においても、それらの区別は必ずしも明確ではない。たとえば、研究社 新英和大辞典 第5版<ref>小稲義男(編) (1980). 研究社 新英和大辞典 第5版 研究社</ref>によれば、"illusion"は「1 幻覚、幻影、幻(cf. hallucination) 2 幻想、妄想、迷想、迷い、誤解(delusion) 3 〘心理〙錯覚:an optical~ 錯視」となっていて、錯覚、幻覚、妄想は混同されやすい概念であることがわかる。「てんかん症候学の一部としての幻覚・錯覚・妄想の現象論」というタイトルの論文<ref>Kasper, B.S., Kasper, E.M., Pauli, E., & Stefan, H. (2010). Phenomenology of hallucinations, illusions, and delusions as part of seizure semiology. Epilepsy & Behavior, 18, 13-23.</ref>では、錯覚とは既視感(déjà vu)や体外離脱体験(out-of-body experience)のことであった。既視感は病的な認知的錯覚として理解できるので、これらの書籍や論文では錯覚は健常なものではないものも含まれている。[[ファイル:Rotsnakesstrong6b.jpg|thumb|300px|図2 静止画が動いて見える錯視の例。最適化型フレーザー・ウィルコックス錯視を用いた作品[https://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/ 「蛇の回転」]<ref>Kitaoka, A. (2017). The Fraser-Wilcox illusion and its extension. A. G. Shapiro and D. Todorović (Eds.), The Oxford Compendium of Visual Illusions, Oxford University Press, pp. 500-511.</ref>。円盤がひとりでに回転して見える。中心視で錯視は弱い。]] | ||
==錯覚における知識の役割== | |||
錯覚は、対象についての知識と一致しない知覚(あるいは認知)である。ということは、錯覚は、対象からの刺激によって脳内あるいは心に引き起こされた知覚というだけのものではない。その対象についての「客観的」な知識を事前あるいは事後に持っていて、その知識とその知覚を照合する過程が錯覚の成立に必須である<ref>北岡明佳 (2014). 常識を疑う―錯視は存在するのか? 立命館文學, 636, 24-31.</ref>。すなわち、同じ刺激で同じ知覚が得られたとしても、ある人にとっては錯覚であり、別の人には普通の知覚であることがある。たとえば、静止画が動いて見える錯視という現象がある(図2)。ある観察者が図1を見て円盤が回転して見えた時、この画像は静止画ではなく動画であると認識すれば、その観察者にとっては知覚された錯視的運動は錯視ではなく、本物である。この画像が「本当は静止画である」という知識と知覚の不一致を認識して初めて錯視なのである。この錯視的運動が知覚されない観察者にとっては、この図はただの静止画であって錯視画像ではないことは言うまでもないが、それは知覚と知識が一致しているからである。ちなみに、この錯視画像を観察中に運動視を司ると考えられる大脳皮質の領域(hMT+)が活性化される証拠がある<ref>Kuriki, I., Ashida, H., Murakami, I., & Kitaoka, A. (2008). Functional brain imaging of the Rotating Snakes illusion by fMRI. Journal of Vision, 8(10):16, 1-10.</ref>。[[ファイル:古典的な幾何学的錯視一覧.png|サムネイル|図3 古典的な幾何学的錯視の例。(a)ミュラー=リヤー錯視(Müller-Lyer illusion)。上下の水平線分は同じ長さであるが、下の方が長く見える。(b)エビングハウス錯視(Ebbinghaus illusion)。リングの中の円は左右同じ大きさであるが、大きい円のリングに囲まれた左の円よりも、小さい円のリングに囲まれた右の円の方が大きく見える。(c)ボンゾ錯視(Ponzo illusion)。Λや<の頂点に近い方に置かれた対象が大きく見える。具体的には、2本の水平線分は同じ長さだが、上の方が長く見える。2つの円は同じ大きさだが、左の方が大きく見える。(d)ポッゲンドルフ錯視(Poggendorff illusion)。2つの斜線は一直線上にあるが、右の斜線の方が上方に変位して見える。(e)ツェルナー錯視(Zöllner illusion)。垂直より反時計回りに45度傾いた黒い線は互いに平行だが、交互に傾いて見える。交差する短い線との交差角度の過大視の現象である。(f)へリング錯視(Hering illusion)。湾曲錯視ともいう。水平線分が曲がって見える。上の線分は上に凸、下の線分は下に凸に見える。(g)ミュンスターベルク錯視(Münsterberg illusion)。白と黒の正方形の列を図のように4分の1周期分ずらして配置し、列の境界に線分を描くと、図ではそれらは水平であるが、交互に傾いて見える。本図のように線が灰色の時は、カフェウォール錯視(Café Wall illusion)と呼ばれることが多い。(h)フレーザー錯視(Fraser illusion)。垂直より反時計回りに45度傾いた仮想線に沿って短い斜線の列が描かれているが、列の傾きは短い斜線の傾きの方向に変位して見える。ツェルナー錯視とは逆の錯視である。(i)フレーザー錯視の渦巻き錯視(spiral illusion)。フレーザー錯視では、傾いて見えるのは線分であるが、傾いて見える対象を円状に配置した時に観察できる錯視である。具体的には、同心円が渦巻きのように見える。]] | |||
錯覚は、対象についての知識と一致しない知覚(あるいは認知)である。ということは、錯覚は、対象からの刺激によって脳内あるいは心に引き起こされた知覚というだけのものではない。その対象についての「客観的」な知識を事前あるいは事後に持っていて、その知識とその知覚を照合する過程が錯覚の成立に必須である<ref>北岡明佳 (2014). 常識を疑う―錯視は存在するのか? 立命館文學, 636, 24-31.</ref>。すなわち、同じ刺激で同じ知覚が得られたとしても、ある人にとっては錯覚であり、別の人には普通の知覚であることがある。たとえば、静止画が動いて見える錯視という現象がある(図2)。ある観察者が図1を見て円盤が回転して見えた時、この画像は静止画ではなく動画であると認識すれば、その観察者にとっては知覚された錯視的運動は錯視ではなく、本物である。この画像が「本当は静止画である」という知識と知覚の不一致を認識して初めて錯視なのである。この錯視的運動が知覚されない観察者にとっては、この図はただの静止画であって錯視画像ではないことは言うまでもないが、それは知覚と知識が一致しているからである。ちなみに、この錯視画像を観察中に運動視を司ると考えられる大脳皮質の領域(hMT+)が活性化される証拠がある<ref>Kuriki, I., Ashida, H., Murakami, I., & Kitaoka, A. (2008). Functional brain imaging of the Rotating Snakes illusion by fMRI. Journal of Vision, 8(10):16, 1-10.</ref>。 | |||
ヒト以外の動物にも錯視が見えるという報告がある<ref>Agrillo, C., Parrish, A.E., & Beran, M.J. (2014). Do rhesus monkeys (''Macaca mulatta'') perceive the Zöllner illusion? Psychonomic Bullutin & Review, 21, 986–994.</ref><ref>Bååth, R., Seno, T., & Kitaoka, A. (2014). Cats and illusory motion. Psychology, 5, 1131-1134.</ref><ref>Fujita, K., Blough, D.S., & Blough, P.M. (1991). Pigeons see the Ponzo illusion. Animal Learning & Behavior, 19, 283–293.</ref><ref>Nakamura, N., Watanabe, S., & Fujita, K. (2008). Pigeons perceive the Ebbinghaus-Titchener circles as an assimilation illusion. Journal of Experimental Psychology: Animal Behavior Processes, 34(3), 375–387.</ref>。それによって、ヒトが錯視図形を見て知覚するような「知覚の歪み」が動物にもあるらしい、ということはわかる。しかし、それが動物にとって錯視であるかどうかについては、いくらか疑わしい。たとえばヒトは錯視をおもしろがるが、動物は特段錯視をおもしろがるようには見えない。もちろん、動物が錯視をおもしろがらないからと言って、それが動物が錯視を錯覚として認識していないことの証拠にはならない。しかしながら、「動物にも錯視は見えるか」という問いはヒトと動物の連続性があることを期待して発せられているので、ヒトが錯視をおもしろがるなら動物もおもしろがるはずであるのにそうでないことの説明は必要である<ref>繁桝算男・北岡明佳 (2018). 連載 人生の智慧のための心理学 第4回 錯覚から世界を考える? 書斎の窓(有斐閣), 655(2018年1月号), 44-48.</ref>。[[ファイル:Veincolorillusion04L.jpg|サムネイル|図4 静脈の錯視。静脈は青く(あるいは緑っぽく)見えるが、1点を見れば彩度の低い(灰色に近い)黄色から赤の色相の色である。]] | ヒト以外の動物にも錯視が見えるという報告がある<ref>Agrillo, C., Parrish, A.E., & Beran, M.J. (2014). Do rhesus monkeys (''Macaca mulatta'') perceive the Zöllner illusion? Psychonomic Bullutin & Review, 21, 986–994.</ref><ref>Bååth, R., Seno, T., & Kitaoka, A. (2014). Cats and illusory motion. Psychology, 5, 1131-1134.</ref><ref>Fujita, K., Blough, D.S., & Blough, P.M. (1991). Pigeons see the Ponzo illusion. Animal Learning & Behavior, 19, 283–293.</ref><ref>Nakamura, N., Watanabe, S., & Fujita, K. (2008). Pigeons perceive the Ebbinghaus-Titchener circles as an assimilation illusion. Journal of Experimental Psychology: Animal Behavior Processes, 34(3), 375–387.</ref>。それによって、ヒトが錯視図形を見て知覚するような「知覚の歪み」が動物にもあるらしい、ということはわかる。しかし、それが動物にとって錯視であるかどうかについては、いくらか疑わしい。たとえばヒトは錯視をおもしろがるが、動物は特段錯視をおもしろがるようには見えない。もちろん、動物が錯視をおもしろがらないからと言って、それが動物が錯視を錯覚として認識していないことの証拠にはならない。しかしながら、「動物にも錯視は見えるか」という問いはヒトと動物の連続性があることを期待して発せられているので、ヒトが錯視をおもしろがるなら動物もおもしろがるはずであるのにそうでないことの説明は必要である<ref>繁桝算男・北岡明佳 (2018). 連載 人生の智慧のための心理学 第4回 錯覚から世界を考える? 書斎の窓(有斐閣), 655(2018年1月号), 44-48.</ref>。[[ファイル:Veincolorillusion04L.jpg|サムネイル|図4 静脈の錯視。静脈は青く(あるいは緑っぽく)見えるが、1点を見れば彩度の低い(灰色に近い)黄色から赤の色相の色である。]] |
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