「眼球運動」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
2行目: 2行目:


== 特徴 ==
== 特徴 ==
[[ファイル:Saito eye movement Fig1.png|サムネイル|図1. 眼球をそれぞれの回転軸を中心に回転させたときの回旋眼位<br>文献<ref name=鈴木康夫1997 /><ref name=鈴木康夫2017 />2,3を参考に作成。]]
[[ファイル:Saito eye movement Fig1.png|サムネイル|'''図1. 眼球をそれぞれの回転軸を中心に回転させたときの回旋眼位'''<br>文献<ref name=鈴木康夫1997 /><ref name=鈴木康夫2017 />を参考に作成。]]
 眼球の位置(眼位)は慣例的に、正面を向いて視覚対象が中心窩に投影される位置に眼を向けているときを第一眼位(primary position)、視線が第一眼位から水平または垂直のみに向けられるときを第二眼位(secondary position)、それ以外の方向へ向けられたときを第三眼位(tertiary position)と定義される(<ref name=Carpenter1988>Carpenter RHS. Movements of eyes (2nd edn): Pion Press, London; 1988.</ref> )。眼球運動は、互いに直交する3つの回転軸(水平、垂直、回旋)を中心に生じる回転運動であるため、第三眼位(つまり、斜め方向へ)へ眼を向ける際に、回転する順序によって視線移動後の回旋眼位は異なると考えられる。つまり、第三眼位への視線移動の際、例えば、水平軸を中心に回転した後、垂直軸を中心に回転する場合(Helmholtzの座標系と呼ばれる)と垂直軸を中心に回転した後、水平軸を中心に回転した場合(Fickの座標系と呼ばれる)では回旋眼位が異なる('''図1''')。しかし、実際には、第三眼位への視線移動はどの順序で行われたかに関係なく眼球は眼窩内で一定の位置を向いているため、第三眼位は第一眼位から1回の回転で到達する眼位とみなすことができる。
 眼球の位置(眼位)は慣例的に、正面を向いて視覚対象が中心窩に投影される位置に眼を向けているときを第一眼位(primary position)、視線が第一眼位から水平または垂直のみに向けられるときを第二眼位(secondary position)、それ以外の方向へ向けられたときを第三眼位(tertiary position)と定義される(<ref name=Carpenter1988>'''Carpenter R.H.S. (1988).'''<br>Movements of eyes (2nd edn): Pion Press, London.</ref> )。眼球運動は、互いに直交する3つの回転軸(水平、垂直、回旋)を中心に生じる回転運動であるため、第三眼位(つまり、斜め方向へ)へ眼を向ける際に、回転する順序によって視線移動後の回旋眼位は異なると考えられる。つまり、第三眼位への視線移動の際、例えば、水平軸を中心に回転した後、垂直軸を中心に回転する場合(Helmholtzの座標系と呼ばれる)と垂直軸を中心に回転した後、水平軸を中心に回転した場合(Fickの座標系と呼ばれる)では回旋眼位が異なる('''図1''')。しかし、実際には、第三眼位への視線移動はどの順序で行われたかに関係なく眼球は眼窩内で一定の位置を向いているため、第三眼位は第一眼位から1回の回転で到達する眼位とみなすことができる。


 これはオランダの眼科医であるDondersが提唱し(Dondersの法則)、ドイツの数学者であるListingが数学的に定義した(<ref name=鈴木康夫1997>鈴木康夫. なぜ今 Listingの法則なのか?. Equilibrium Research. 1997;56(5):401-12.</ref><ref name=鈴木康夫2017>鈴木康夫. 回転として眼球運動を考えよう! Listingの法則とは?. 神経眼科. 2017;34(2):139-47.</ref> )。特に、Listingが述べた内容は「Listingの法則」と呼ばれ、視線移動は第一眼位の方向に直交する平面(Listingの平面)内にある軸を中心に1回転することで全ての眼位に到達すると考えられている(図1)。そのため、三次元の眼球運動は水平成分と垂直成分のみで表現できる(別の言い方をすれば、「振幅」と「方向」で表すことができる)(<ref name=フィンドレイ2006>フィンドレイ JM, ギルクリスト, I.D., 本田仁視(監訳),. アクティブ・ビジョン 眼球運動の心理・神経科学: 北大路書房; 2006.</ref> )。
 これはオランダの眼科医であるDondersが提唱し(Dondersの法則)、ドイツの数学者であるListingが数学的に定義した(<ref name=鈴木康夫1997>鈴木康夫. なぜ今 Listingの法則なのか?. Equilibrium Research. 1997;56(5):401-12.</ref><ref name=鈴木康夫2017>鈴木康夫. 回転として眼球運動を考えよう! Listingの法則とは?. 神経眼科. 2017;34(2):139-47.</ref> )。特に、Listingが述べた内容は「Listingの法則」と呼ばれ、視線移動は第一眼位の方向に直交する平面(Listingの平面)内にある軸を中心に1回転することで全ての眼位に到達すると考えられている(図1)。そのため、三次元の眼球運動は水平成分と垂直成分のみで表現できる(別の言い方をすれば、「振幅」と「方向」で表すことができる)(<ref name=フィンドレイ2006>'''フィンドレイ JM, ギルクリスト, I.D., 本田仁視(監訳)(2006).'''<br>アクティブ・ビジョン 眼球運動の心理・神経科学: 北大路書房.</ref> )。


== 役割 ==
== 役割 ==
14行目: 14行目:
#'''前庭動眼反射(前庭眼反射)vestibulo-ocular reflex (VOR)(図2-1)'''<br>頭部が動いたときにこの動きと反対方向に眼球を動かすことで網膜に映る外界の像のブレを防ぐ反射(詳細は脳科学辞典「前庭動眼反射」の項を参照)。
#'''前庭動眼反射(前庭眼反射)vestibulo-ocular reflex (VOR)(図2-1)'''<br>頭部が動いたときにこの動きと反対方向に眼球を動かすことで網膜に映る外界の像のブレを防ぐ反射(詳細は脳科学辞典「前庭動眼反射」の項を参照)。
#'''視運動性反応(視機性眼球反応)optokinetic response (OKR)(図2-2)'''<br>まわりの視野がゆっくり動く時に、網膜に映る外界の像がブレないように周りと同じ方向に眼が動く反射(詳細は脳科学辞典「視運動性眼振」の項を参照)。
#'''視運動性反応(視機性眼球反応)optokinetic response (OKR)(図2-2)'''<br>まわりの視野がゆっくり動く時に、網膜に映る外界の像がブレないように周りと同じ方向に眼が動く反射(詳細は脳科学辞典「視運動性眼振」の項を参照)。
#'''衝動性眼球運動(サッケード)saccade(図2-3)''' <br>中心窩視を得るために生じるすばやい眼球運動で、眼球速度は最大1000°/s-1 にまで達する。VORやOKRによる目の動きをリセットするすばやい目の動き(急速相)から生じたとされている(<ref name=Carpenter1988> </ref><ref name=Leigh2015>Leigh RJ, Zee, D.S. The Neurology of Eye Movements (5th edn): Oxford University Press; 2015 </ref> )。
#'''衝動性眼球運動(サッケード)saccade(図2-3)''' <br>中心窩視を得るために生じるすばやい眼球運動で、眼球速度は最大1000°/s-1 にまで達する。VORやOKRによる目の動きをリセットするすばやい目の動き(急速相)から生じたとされている(<ref name=Carpenter1988> </ref><ref name=Leigh2015>'''Leigh RJ, Zee, D.S. (2015).'''<br>The Neurology of Eye Movements (5th ed): Oxford University Press.</ref> )。
#'''追跡眼球運動(滑動性追跡眼球運動) pursuit eye movement (smooth pursuit)(図2-4)''' <br>ゆっくり動く視覚対象物の網膜像を網膜中心窩付近に維持し、その動きに合わせて視線を滑らかに動かす眼球運動(詳細は脳科学辞典「追跡眼球運動」の項を参照)。
#'''追跡眼球運動(滑動性追跡眼球運動) pursuit eye movement (smooth pursuit)(図2-4)''' <br>ゆっくり動く視覚対象物の網膜像を網膜中心窩付近に維持し、その動きに合わせて視線を滑らかに動かす眼球運動(詳細は脳科学辞典「追跡眼球運動」の項を参照)。
#'''輻輳・開散運動 vergence (convergence・divergence)(図2-5)'''<br>観察者から異なる距離(奥行き)にある対象物に視線を移動させた時に起こる両眼が違う方向に動く眼球運動。輻輳は視覚対象が遠位から近づくとき、開散は近位から遠ざかるときの眼球運動をいう。(詳細は脳科学辞典「輻輳開散運動」の項を参照)。
#'''輻輳・開散運動 vergence (convergence・divergence)(図2-5)'''<br>観察者から異なる距離(奥行き)にある対象物に視線を移動させた時に起こる両眼が違う方向に動く眼球運動。輻輳は視覚対象が遠位から近づくとき、開散は近位から遠ざかるときの眼球運動をいう。(詳細は脳科学辞典「輻輳開散運動」の項を参照)。
30行目: 30行目:
[[ファイル:Saito eye movement Fig4.png|サムネイル|'''図3. 眼球の動きに関与する脳幹の神経核'''<br>カンデル神経科学第2版 図35-3((株)メディカル・サイエンス・インターナショナルからの転載許可を得て掲載)。]]
[[ファイル:Saito eye movement Fig4.png|サムネイル|'''図3. 眼球の動きに関与する脳幹の神経核'''<br>カンデル神経科学第2版 図35-3((株)メディカル・サイエンス・インターナショナルからの転載許可を得て掲載)。]]


 眼球に付着する6本の外眼筋('''図3''')(<ref name=Kandel2022>Kandel ER, Koester J, Mack S, Siegelbaum S, 宮下 保, 岡野 栄, et al. カンデル神経科学. 第2版 ed: メディカル・サイエンス・インターナショナル; 2022. xlviii, 1653p p.</ref> )は脳幹の動眼神経核、滑車神経核、外転神経核を起始核とする第Ⅲ脳神経(動眼神経)、第Ⅳ脳神経(滑車神経)、第Ⅵ脳神経(外転神経)によって神経支配を受ける[外直筋は外転神経、上斜筋は滑車神経、その他の筋(内直筋、上直筋、下直筋、下斜筋)は動眼神経によって支配される(詳細は脳科学辞典「脳神経」の項を参照)]。3つの脳幹神経核へは前庭神経核や脳幹の眼球運動関連領域からの運動指令が送られている。脳幹眼球運動関連領域のうち、内側橋延髄網様体では水平方向の眼球運動に関与する運動指令が、中脳網様体では垂直・回旋方向の眼球運動や輻輳・開散運動に関与する運動指令が生成される('''図4''')(<ref name=Kandel2022> </ref> )。5つの眼球運動や固視微動は、末梢器官や特定の脳領域からの出力信号に基づき前庭神経核や脳幹眼球運動関連領域において運動指令が生成され、その指令が脳神経を介して外眼筋へ伝えられることで生じる。
 眼球に付着する6本の外眼筋('''図3''')(<ref name=Kandel2022>'''Kandel E.R., Koester J., Mack S., Siegelbaum S., 宮下 保, 岡野 栄, et al. (2022).'''<br>カンデル神経科学. 第2版 ed: メディカル・サイエンス・インターナショナル xlviii, 1653p p.</ref> )は脳幹の動眼神経核、滑車神経核、外転神経核を起始核とする第Ⅲ脳神経(動眼神経)、第Ⅳ脳神経(滑車神経)、第Ⅵ脳神経(外転神経)によって神経支配を受ける[外直筋は外転神経、上斜筋は滑車神経、その他の筋(内直筋、上直筋、下直筋、下斜筋)は動眼神経によって支配される(詳細は脳科学辞典「脳神経」の項を参照)]。3つの脳幹神経核へは前庭神経核や脳幹の眼球運動関連領域からの運動指令が送られている。脳幹眼球運動関連領域のうち、内側橋延髄網様体では水平方向の眼球運動に関与する運動指令が、中脳網様体では垂直・回旋方向の眼球運動や輻輳・開散運動に関与する運動指令が生成される('''図4''')(<ref name=Kandel2022> </ref> )。5つの眼球運動や固視微動は、末梢器官や特定の脳領域からの出力信号に基づき前庭神経核や脳幹眼球運動関連領域において運動指令が生成され、その指令が脳神経を介して外眼筋へ伝えられることで生じる。


== 計測技術 ==
== 計測技術 ==
 眼球運動を測定するために、古くは直接眼球を観察することも試みられたが、視覚の時間解像度より速い眼球運動を正確に測定することは困難である(<ref name=Wade2005>Wade NJ, Tatler, B.W. The Moving Tablet of the Eye. New York: Oxford University Press; 2005.</ref> )。これまでヒトや実験動物の眼球運動を計測するための様々な方法が開発され、眼球運動の詳細を解析できるようになった。研究や臨床検査などで現在使用されている主な計測方法は電気的測定法と光学的測定法に分けられる(<ref name=野城真理2011>野城真理. 3章 生体計測と神経心理学 2011. Available from: https://www.ieice-hbkb.org/files/ad_base/view_pdf.html?p=/files/S3/S3gun_10hen_03.pdf. </ref>  <ref name=Hashimura2015>Hashimura M, Iizuka H, Lee J. Special Issues No.3 : Measurement Technique for Ergonomics, Section 4 : Measurements and Analyses of Bioelectric Phenomena and Others (2). The Japanese journal of ergonomics. 2015;51(6):406-10. doi: 10.5100/jje.51.406.</ref> )。
 眼球運動を測定するために、古くは直接眼球を観察することも試みられたが、視覚の時間解像度より速い眼球運動を正確に測定することは困難である(<ref name=Wade2005>'''Wade N.J., Tatler, B.W. (2005).'''<br>The Moving Tablet of the Eye. New York: Oxford University Press.</ref> )。これまでヒトや実験動物の眼球運動を計測するための様々な方法が開発され、眼球運動の詳細を解析できるようになった。研究や臨床検査などで現在使用されている主な計測方法は電気的測定法と光学的測定法に分けられる(<ref name=野城真理2011>野城真理. 3章 生体計測と神経心理学 2011. Available from: https://www.ieice-hbkb.org/files/ad_base/view_pdf.html?p=/files/S3/S3gun_10hen_03.pdf. </ref>  <ref name=Hashimura2015>Hashimura M, Iizuka H, Lee J. Special Issues No.3 : Measurement Technique for Ergonomics, Section 4 : Measurements and Analyses of Bioelectric Phenomena and Others (2). The Japanese journal of ergonomics. 2015;51(6):406-10. doi: 10.5100/jje.51.406.</ref> )。


=== 電気的測定法 ===
=== 電気的測定法 ===