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== 代謝 ==
== 代謝 ==
 種々のD体アミノ酸は哺乳類の腸内細菌で産生されることが知られているが、<small>D</small>-セリンは、無菌ラットまたはマウスの脳や腎臓<ref name=Hashimoto1993 /><ref name=Nagata1992><pubmed>1346751</pubmed></ref> [5, 8]においても組織中濃度は変化が見られないことから、生合成される内在性アミノ酸と考えられる(図2)。
 種々の<small>D</small>体アミノ酸は哺乳類の腸内細菌で産生されることが知られているが、<small>D</small>-セリンは、無菌ラットまたはマウスの脳や腎臓<ref name=Hashimoto1993 /><ref name=Nagata1992><pubmed>1346751</pubmed></ref> [5, 8]においても組織中濃度は変化が見られないことから、生合成される内在性アミノ酸と考えられる(図2)。
=== 生合成 ===
=== 生合成 ===
 <small>L</small>-セリンを<small>D</small>-セリンに変換するセリンラセマーゼが同定され<ref name=Wolosker1999a><pubmed>9892700</pubmed></ref><ref name=Wolosker1999b><pubmed>10557334</pubmed></ref> [9,10]、本酵素遺伝子の欠損マウスの脳組織では<small>D</small>-セリン濃度が9〜22%に減少するため<ref name=Basu2009><pubmed>19065142</pubmed></ref><ref name=Horio2011><pubmed>21906644</pubmed></ref><ref name=Labrie2009><pubmed>19483194</pubmed></ref><ref name=Miyoshi2012><pubmed>22990841</pubmed></ref> [11,12,13,14]、セリンラセマーゼが<small>D</small>-セリンの主要な生合成酵素と考えられている。L-セリンの合成酵素であるPhgdhの遺伝子をアストログリア特異的に欠損するマウスでは、セリンラセマーゼ欠損マウスと同程度の<small>D</small>-セリン濃度の減少が認められることより<ref name=Yang2010><pubmed>20966073</pubmed></ref> [15]、セリンラセマーゼはアストログリアから供給されるL-セリンから<small>D</small>-セリンを合成している可能性が高い。
 <small>L</small>-セリンを<small>D</small>-セリンに変換するセリンラセマーゼが同定された<ref name=Wolosker1999a><pubmed>9892700</pubmed></ref><ref name=Wolosker1999b><pubmed>10557334</pubmed></ref> [9,10]。本酵素遺伝子の欠損マウスの脳組織では<small>D</small>-セリン濃度が9〜22%に減少するため<ref name=Basu2009><pubmed>19065142</pubmed></ref><ref name=Horio2011><pubmed>21906644</pubmed></ref><ref name=Labrie2009><pubmed>19483194</pubmed></ref><ref name=Miyoshi2012><pubmed>22990841</pubmed></ref> [11,12,13,14]、セリンラセマーゼが<small>D</small>-セリンの主要な生合成酵素と考えられている。<small>L</small>-セリンの合成酵素であるホスホグリセリン酸デヒドロゲナーゼ(phosphoglycerate dehydrogenase,Phgdh)の遺伝子をアストログリア特異的に欠損するマウスでは、セリンラセマーゼ欠損マウスと同程度の<small>D</small>-セリン濃度の減少が認められることより<ref name=Yang2010><pubmed>20966073</pubmed></ref> [15]、セリンラセマーゼはアストログリアから供給される<small>L</small>-セリンから<small>D</small>-セリンを合成している可能性が高い。


 セリンラセマーゼは、免疫組織化学的にニューロンに局在することが示され<ref name=Miya2008><pubmed>18698599</pubmed></ref> [16]、ニューロン選択的に本酵素遺伝子を欠損するマウスにおいては<small>D</small>-セリン濃度が低下し、アストログリア選択的に欠損させる遺伝子操作では<small>D</small>-セリン濃度に変化がないことから<ref name=Benneyworth2008><pubmed>22362148</pubmed></ref> [17]、主にニューロンに発現していることが支持されている。
 セリンラセマーゼは、免疫組織化学的にニューロンに局在することが示され<ref name=Miya2008><pubmed>18698599</pubmed></ref> [16]、ニューロン選択的に本酵素遺伝子を欠損するマウスにおいては<small>D</small>-セリン濃度が低下し、アストログリア選択的に欠損させる遺伝子操作では<small>D</small>-セリン濃度に変化がないことから<ref name=Benneyworth2008><pubmed>22362148</pubmed></ref> [17]、主にニューロンに発現していることが支持されている。
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=== 細胞外遊離 ===
=== 細胞外遊離 ===
<small>D</small>-セリンは、in vivo脳内微小透析法(microdialysis)で自由運動下の齧歯類の脳組織から回収した透析液中に検出され<ref name=Hashimoto1995b><pubmed>7644027</pubmed></ref> [20]、細胞外に放出されていると考えられている。前頭前野および線条体における細胞外液中濃度は6〜7µM程度で、神経伝達物質のドーパミンと比較すると、前者では約20,000倍、後者では約500倍程度高い。成熟した齧歯類の脳における細胞外液中濃度の部位差は、組織中濃度と相関し前脳部で高く小脳で低い<ref name=Hashimoto1995b /> [20]。
 <small>D</small>-セリンは、in vivo脳内微小透析法(microdialysis)で自由運動下の齧歯類の脳組織から回収した透析液中に検出され<ref name=Hashimoto1995b><pubmed>7644027</pubmed></ref> [20]、細胞外に放出されていると考えられている。前頭前野および線条体における細胞外液中濃度は6〜7 µM程度で、神経伝達物質のドーパミンと比較すると、前者では約20,000倍、後者では約500倍程度高い。成熟した齧歯類の脳における細胞外液中濃度の部位差は、組織中濃度と相関し前脳部で高く小脳で低い<ref name=Hashimoto1995b /> [20]。


 細胞外<small>D</small>-セリンの放出の分子細胞機構については結論が得られていないが、神経活動に応じたシナプス小胞の開口によって放出される神経伝達物質とは異なると推測されている。すなわち、in vivoの実験系では、細胞外液中<small>D</small>-セリン濃度は、脱分極刺激により低下し、神経伝導遮断や細胞外カルシウムの除去を行っても減少しない<ref name=Hashimoto1995b /> [20]。さらに、in vitroの条件下では<small>D</small>-セリンのシナプス小胞に含まれる物質の放出阻害薬の影響を受けない<ref name=Kartvelishvily2006 /> [19]。これらに対して、グリアの活動を抑制する薬剤で減少する<ref name=Kanematsu2006><pubmed>16736231</pubmed></ref><ref name=Henneberger2010><pubmed>20075918</pubmed></ref> [21,22]。これらの所見は、細胞外の<small>D</small>-セリンの放出にはニューロンおよびグリアの双方の活動が影響することを示唆しているが、放出細胞は未同定である。細胞外液中の<small>D</small>-セリン濃度の調節については、AMPA型グルタミン酸受容体<ref name=Ishiwata2008><pubmed>23298512</pubmed></ref> [23]、P2X7プリン受容体―pannexin複合体<ref name=Pan2015><pubmed>25630251</pubmed></ref> [24]、GABAA受容体<ref name=Umino2017><pubmed>28824371</pubmed></ref> [25]等の関与が報告されている。
 細胞外<small>D</small>-セリンの放出の分子細胞機構については結論が得られていないが、神経活動に応じたシナプス小胞の開口によって放出される神経伝達物質とは異なると推測されている。すなわち、in vivoの実験系では、細胞外液中<small>D</small>-セリン濃度は、脱分極刺激により低下し、神経伝導遮断や細胞外カルシウムの除去を行っても減少しない<ref name=Hashimoto1995b /> [20]。さらに、in vitroの条件下では<small>D</small>-セリンのシナプス小胞に含まれる物質の放出阻害薬の影響を受けない<ref name=Kartvelishvily2006 /> [19]。これらに対して、グリアの活動を抑制する薬剤で減少する<ref name=Kanematsu2006><pubmed>16736231</pubmed></ref><ref name=Henneberger2010><pubmed>20075918</pubmed></ref> [21,22]。これらの所見は、細胞外の<small>D</small>-セリンの放出にはニューロンおよびグリアの双方の活動が影響することを示唆しているが、放出細胞は未同定である。細胞外液中の<small>D</small>-セリン濃度の調節については、AMPA型グルタミン酸受容体<ref name=Ishiwata2008><pubmed>23298512</pubmed></ref> [23]、P2X7プリン受容体―pannexin複合体<ref name=Pan2015><pubmed>25630251</pubmed></ref> [24]、GABA<sub>A</sub>受容体<ref name=Umino2017><pubmed>28824371</pubmed></ref> [25]等の関与が報告されている。


=== 受容体結合 ===
=== 受容体結合 ===
 グルタミン酸受容体のうち、NMDA受容体(GluN1/GluN2型(図2)およびGluN1/GluN3型)に結合する<ref name=Danysz1998><pubmed>9860805</pubmed></ref><ref name=Matsui1995><pubmed>7790891</pubmed></ref><ref name=Chatterton2002><pubmed>11823786</pubmed></ref> [26,27,28]、またδ受容体Glu D1およびGlu D2にも結合する<ref name=Naur2007><pubmed>17715062</pubmed></ref> [29](生理機能参照)。
 グルタミン酸受容体のうち、NMDA受容体(GluN1/GluN2型('''図2''')およびGluN1/GluN3型)に結合する<ref name=Danysz1998><pubmed>9860805</pubmed></ref><ref name=Matsui1995><pubmed>7790891</pubmed></ref><ref name=Chatterton2002><pubmed>11823786</pubmed></ref> [26,27,28]、またδ受容体GluD1およびGluD2にも結合する<ref name=Naur2007><pubmed>17715062</pubmed></ref> [29](生理機能参照)。
=== 取り込み ===
=== 取り込み ===
 <small>D</small>-セリンに特異的な輸送体は同定されていない。ナトリウム非依存性中性アミノ酸輸送体のAsc-1(Na+-independent alanine-serine-cysteine transporter 1)<ref name=Fukasawa2000><pubmed>10734121</pubmed></ref>
 <small>D</small>-セリンに特異的な輸送体は同定されていない。ナトリウム非依存性中性アミノ酸輸送体のAsc-1(Na+-independent alanine-serine-cysteine transporter 1)<ref name=Fukasawa2000><pubmed>10734121</pubmed></ref>
<ref name=Ishiwata2013><pubmed>23417484</pubmed></ref> [30, 31]、ナトリウム依存性中性アミノ酸輸送体(Na+-dependent broad-spectrum neutral amino acid transporter)のASCT1<ref name=Kaplan2018><pubmed>30185558</pubmed></ref> [32]およびASCT2<ref name=Foster2016><pubmed>27272177</pubmed></ref> [33]などが、<small>D</small>-セリンの生理的な取り込みや遊離に関与することが示唆されているが、<small>D</small>-セリンに対する親和性はAsc-1が最も高い。
<ref name=Ishiwata2013><pubmed>23417484</pubmed></ref> [30, 31]、ナトリウム依存性中性アミノ酸輸送体(Na+-dependent broad-spectrum neutral amino acid transporter)のASCT1<ref name=Kaplan2018><pubmed>30185558</pubmed></ref> [32]およびASCT2<ref name=Foster2016><pubmed>27272177</pubmed></ref>[33]などが、<small>D</small>-セリンの生理的な取り込みや遊離に関与することが示唆されているが、<small>D</small>-セリンに対する親和性はAsc-1が最も高い。
=== 分解 ===
=== 分解 ===
 内在性<small>D</small>-セリンの分解には<small>D</small>-アミノ酸酸化酵素が関与すると考えられている<ref name=Koga2017><pubmed>29255714</pubmed></ref> [34]。本酵素はKrebsらによって1935年に発見され、酵母から哺乳類まで生物界に広く存在し、<small>D</small>体中性アミノ酸を基質とするがL体には作用しないことが知られてきた<ref name=Koga2017 /> [34]。外来性の不要な<small>D</small>体アミノ酸を除去することが生理的機能と推測されていたが、内在性<small>D</small>-セリンが証明された後、その生理的分解酵素として注目されている<ref name=Koga2017 /> [34]。哺乳類では、脳、腎臓、肝臓に分布し、本酵素活性を欠損するマウスやラットでは、これらの部位で<small>D</small>-セリンの組織中濃度が増大する<ref name=Miyoshi2012 /> [14, 35] <ref name=Hashimoto2008><pubmed>8100053</pubmed></ref>。齧歯類の脳では生後7日頃から発現し、成熟期には<small>D</small>-セリンと逆相関を示すことから、<small>D</small>-セリンの濃度勾配の構築に寄与している可能性がある<ref name=Koga2017 /><ref name=Wang2003><pubmed>14531937</pubmed></ref> [34,36]。
 内在性<small>D</small>-セリンの分解には<small>D</small>-アミノ酸酸化酵素が関与すると考えられている<ref name=Koga2017><pubmed>29255714</pubmed></ref> [34]。本酵素はKrebsらによって1935年に発見され、酵母から哺乳類まで生物界に広く存在し、<small>D</small>体中性アミノ酸を基質とするが<small>L</small>体には作用しないことが知られてきた<ref name=Koga2017 /> [34]。外来性の不要な<small>D</small>体アミノ酸を除去することが生理的機能と推測されていたが、内在性<small>D</small>-セリンが証明された後、その生理的分解酵素として注目されている<ref name=Koga2017 /> [34]。哺乳類では、脳、腎臓、肝臓に分布し、本酵素活性を欠損するマウスやラットでは、これらの部位で<small>D</small>-セリンの組織中濃度が増大する<ref name=Miyoshi2012 /> [14, 35] <ref name=Hashimoto2008><pubmed>8100053</pubmed></ref>。齧歯類の脳では生後7日頃から発現し、成熟期には<small>D</small>-セリンと逆相関を示すことから、<small>D</small>-セリンの濃度勾配の構築に寄与している可能性がある<ref name=Koga2017 /><ref name=Wang2003><pubmed>14531937</pubmed></ref> [34,36]。


 セリンラセマーゼにはD体およびL体のセリンをピルビン酸とアンモニアに分解する、デヒドラターゼ活性が見出されているが<ref name=Foltyn2008><pubmed>15536068</pubmed></ref> [37]、本酵素の欠損マウスでは<small>D</small>-セリンが著明に減少し、<small>D</small>-セリンの生理的な分解における役割は未解明である。
 セリンラセマーゼには<small>D</small>体および<small>L</small>体のセリンをピルビン酸とアンモニアに分解する、デヒドラターゼ活性が見出されているが<ref name=Foltyn2008><pubmed>15536068</pubmed></ref> [37]、本酵素の欠損マウスでは<small>D</small>-セリンが著明に減少し、<small>D</small>-セリンの生理的な分解における役割は未解明である。


== 生理的機能 ==
== 生理的機能 ==