ドーパミン仮説(統合失調症)
統合失調症の病態に関する仮説の一つで、精神疾患の病態に関する仮説としては最も多くの検討がなされ、支持する証拠も提出され続けられている仮説の一つである。提唱当初は統合失調症の病態はドーパミン神経機能の過活動とされ、続いて前頭葉のドーパミン神経機能の低下を伴う皮質下のドーパミン神経機能の過活動と修正された。その後多くの病因が引き起こす共通病態としてドーパミン仮説が捉え直され、今日に至っている。
=歴史=
=統合失調症の古典的ドーパミン仮説の登場=
1951年にchlorpromazineがCharpentierやCourvoisierらにより合成され[1]、1952年にDelayとDenikerにより躁病と精神病の患者に投与した結果が報告された。一方、その有効用量がパーキンソン様症状など神経学的副作用を起こすことも知られ、chlorpromazineは神経遮断作用がある、とされた。CarlssonとLindqvitはchlorpromazineやその後開発された抗精神病薬haloperidolを動物に投与した時にドーパミン代謝が増加することを発見した。これとは別にインドで使われていた植物からの成分のアルカロイドの主成分であるレセルピンも精神病の治療として導入され、ドーパミンや他のモノアミンを枯渇させることが発見された。また、すでに使用による精神病が記載されていたアンフェタミンの神経刺激薬としての作用は中枢のドーパミン系によるものであることが示された。これに加えて、ドーパミン受容体作動薬が統合失調症の精神症状を悪化させることなどの根拠によりJ. van Rossumはドーパミンの過剰産生・放出あるいはドーパミン受容体の過剰刺激、感受性の異常などによるドーパミン系の変調が統合失調症の病因に関与していることを示唆した[2]。これにより統合失調症には脳の神経化学的変化が関係していることが初めて示された。
70年代に入り、ドーパミン受容体の同定や神経遮断薬が中脳辺縁ドーパミン系や黒質線条体ドーパミン系に作用することの発見、抗精神病薬の臨床効果がドーパミン受容体の結合能に強く相関することが発見され、ドーパミン仮説はより明確なものとなった[3][4]。
この時点でのドーパミン仮説は、統合失調症はドーパミン受容体の過剰なシグナル伝達であり、精神病の治療はドーパミン受容体を遮断することであった。これにより新たな研究の方向性、すなわち、統合失調症患者におけるドーパミンバイオマーカーの変化という直接的な証拠を求める研究の方向性が示された。
=統合失調症のドーパミン仮説の証拠を求めて=
1980年代から90年代はドーパミン仮説を支持する生化学的マーカーによる直接的な証拠を得るために髄液、血液、尿、線維芽細胞、死後脳におけるドーパミンやその前駆体、代謝産物が測定された。しかし、明確な、研究間で一致するような変化は見られなかった。
修正ドーパミン仮説:ドーパミン系の領域特異的失調説
1980年代に統合失調症の症状は陽性症状、陰性症状などに分類して考えられるようになり、抗精神病薬に反応しない一群の患者や陽性症状を緩和する薬物は陰性症状にはあまり効果がなかったり逆に悪化させたりという抗精神病薬による症状別の効果の違いが注目されるようになった。また、D2アンタゴニストとしての効力の弱いクロザピンは統合失調症のドーパミン仮説に対する疑問を呈する薬理学的証拠ともなり、統合失調症を単純にドーパミン機能過剰状態とすることは不十分であることは明らかとなってきた。
抗精神病薬はドーパミン神経系に選択的に効果を及ぼし、定型抗精神病薬はA9, A10細胞に影響を与え、非定型抗精神病薬はA10細胞にのみ影響することが実験的に示されていた[5]。統合失調症患者では前頭葉の血流、糖代謝が低下しており、中脳皮質ドーパミン系を活性化すると前頭前野の糖代謝は上昇し、前頭葉の糖代謝の低下はドーパミンアゴニストで回復することも知られていた。1991年に統合失調症の修正ドーパミン仮説の論文が発表された[6]。この仮説は統合失調症では脳の部位によりドーパミン系の低活動と過活動とが混在しており、中脳皮質ドーパミン系の低活動が認知障害や陰性症状に関わっており、皮質下ドーパミン系の過活動が陽性症状に関連しているとするものであった。統合失調症の脳部位別機能不全は統合失調症の前頭葉低活性 (hypofrontality) に関する画像研究のメタ解析でも支持され[7]、また、非定型抗精神病薬は陰性症状をもつ患者の前頭前野の活動性を上げるなどの証拠が示されている。
修正ドーパミン仮説の問題点としては、本当に統合失調症では脳の活動性のパターンの部位別の違いが本当にドーパミン系のサブシステムの活動性によるものかが示されていない点にある。前頭前野の機能不全は前頭前野におけるドーパミン活動性の低下が一次的なものであり、線条体のドーパミン濃度やD2受容体密度の上昇などは二次的なものと考えられている[8] [9]が、動物実験では線条体での過剰なドーパミン放出による二次的なものの可能性も示されており[10]、未解決である。
=ドーパミン仮説を裏付ける証拠=
=シナプス前ドーパミン合成=
ヒトにおいてシナプスのドーパミンを直接測定することはできないが、間接的に推測する方法が開発され、研究されてきた。線条体のシナプス前ドーパミン機能はL-dopaなどを用いて計測され、多くの研究において急性期の患者の線条体ではドーパミン合成が亢進していると推測された[11][12]。この所見は統合失調症における脳のドーパミン機能の異常に関して最も追認されることの多い所見である。
=ドーパミン放出=
ドーパミン放出をブロックする割合をPETやSPECTで測定する間接的な測定法であるが、ほぼすべての研究において統合失調症においてドーパミンの放出が増加していた[13]。また、統合失調症ではドーパミンに占拠されているドーパミン受容体の割合が高いという所見が得られている[14]。
=ドーパミン受容体=
メタ解析によれば、線条体のドーパミンD2, D3受容体密度は統合失調症患者で若干上昇している[15]が、線条体以外では上昇していない。また、D1受容体は上昇していない。ドーパミンD2受容体には2つのアイソフォームがあるがそれと統合失調症の関係ははっきりしない。
前頭前野ではドーパミン神経伝達は主にD1受容体を介しており、D1受容体の機能不全は統合失調症の認知障害、陰性症状と関係している[16]。統合失調症患者におけるD1受容体密度の研究は数少なく、トレーサーの問題もあり一致した結果となっていない。統合失調症における認知機能不全との関係も一致した結論は得られていない。
=抗精神病薬治療とドーパミン受容体=
現在使用されているすべての抗精神病薬は臨床用量でドーパミン受容体をブロックする。線条体のD2受容体のブロックは抗精神病効果に必要であるものの、それだけでは十分ではない。抗精神病反応は早期の線条体でのD2受容体の占拠率に関係しており[17]、早期の抗精神病効果はその後の治療効果の予測に役立つことが知られ、また、画像解析もドーパミン受容体が治療反応性の主役であることを支持している。
=ドーパミン仮説と病因=
ドーパミン仮説は統合失調症の病態としてドーパミン系の変調が関わっているとしているがその病因については踏み込んでいない。しかし、統合失調症の病因、リスク因子がドーパミン系の変調に関わっている証拠は得られつつあり、病因病態の共通経路としてドーパミン仮説は捉え直されている。
=遺伝学的研究=
候補遺伝子解析ではドーパミン受容体、ドーパミン輸送体、小胞モノアミン輸送体などとの関連が報告されているが、関連している多型は個々ではその影響力は小さい。遺伝学的研究はまだ発展途上であり、今後はより影響力の強い稀な変異が発見されていくと予想されるが、統合失調症のリスクや症状、治療に関わるゲノムの変異がどのパスウエイに集約され、ドーパミン機能にどのように関わっているかは今後の研究を待たなければならない。
統合失調症患者の第一度親族では線条体のドーパミン合成が亢進していることが報告されている[18]。
=統合失調症のリスクとなる環境要因=
社会的孤立など統合失調症のリスクとして知られている環境要因は動物実験によりドーパミン機能過活動を引き起こすことが知られている。また、動物実験により妊娠、出産時の合併症、胎児期、新生児期の細菌性内毒素、感染も中脳線条体ドーパミン系の過活動を引き起こすことが知られている。周産期、新生児期のストレスもドーパミン代謝や放出を増やす。
神経刺激薬やカナビス使用などの統合失調症リスクを高める薬物はドーパミン放出を亢進させる。NMDA受容体遮断薬であるケタミンはドーパミン放出を高める。
=統合失調症に関連する精神疾患/状態の所見=
線条体のドーパミン合成の亢進は統合失調症の前駆症状を示している人[19]や統合失調型障害の人で見られている。
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