認知症
英:dementia, major neurocognitive disorder 独:Demenz 仏:démence
同義語:痴呆、呆け、耄け、老耄、耄碌
認知症(英: dementia, DSM-5ではmajor neurocognitive disorder)は、一度正常に達した認知機能が意識清明下で後天的に低下し日常生活や社会生活に支障をきたす状態を言う。原因疾患はアルツハイマー病などの神経変性疾患の他、血管性認知症、慢性硬膜下血腫、正常圧水頭症、脳腫瘍、感染症、各種内科疾患、薬物中毒など多彩である。本邦では「痴呆」という用語が定着していたが、その差別感・侮蔑感が指摘され2005年より「認知症」に変更することが定められた。国際的に広く用いられる診断基準としてICD-10やDSM-Ⅲ-R、DSM-Ⅳ-TRなどが挙げられ、Dementiaという用語が用いられていたが、2013年に改訂されたDSM-5においてはNeurocognitive Disordersという用語で記憶障害を必須としない定義に変更されている。高齢化の進展に伴い患者数は増加しており、また有効な根治療法が確立していないケースが多く経済的、社会的観点からも重大な課題となっている。
認知症とは
背景
認知症は概ね、意識正常下で認知機能が後天的に持続性に低下し、それにより日常生活・社会生活の障害をきたす疾患と捉えられている。近年、世界的な高齢化の進展に伴い増加している。その多くは病因未解明の神経変性疾患であるアルツハイマー病が占めており、有効な根治療法が確立していないケースが多い。認知症ケアに要する経済的コストは2010年時点で全世界において6000億ドル以上と試算され、2030年には1兆ドルにものぼると推計されている[1]。このように、高齢化が進む世界において認知症患者の増加は経済的、社会的観点からも重大な課題となっている。
歴史的推移
本邦において本概念は古来、「呆ける、惚ける、耄ける(ぼける、ほける、ほうける)」「老い痴らふ(おいしらふ)」などの一般語で表わされ、少なくとも平安時代以降の文学などにおいて記載が散見される。江戸時代には広義に「老化による衰え」というニュアンスを含む「耄碌(もうろく)」という一般語が使用されるようになる。一方、医学用語としては、江戸時代の医師である浅井貞庵の著書「方彙口訣」や本間棗軒の著書「内科秘録」の中に「健忘」の語が認められる。江戸時代末期から明治初期にかけて様々な西洋医学用語が日本語に訳されたが「Dementia」については1872年(明治5年)の「医語類聚」では「狂ノ一種」と訳され、以後も「痴狂」や「瘋癩」「痴呆」など様々に訳され一定しなかった。その後、1908年(明治41年)、東京帝国大学精神病学講座の呉秀三教授が「狂」の文字を避ける観点から「痴呆」の使用を提唱し、それが一般化した。しかし、徐々に「痴呆」という用語における差別感・侮蔑感・不適切感が指摘されるようになり、厚生労働省における議論や検討会を経て、2004年末に公的な用語としてはそれまでの「痴呆」を「認知症」と呼び変えることが決定した。一方、人間が外界の情報を内部に取り入れる知的機能・現象を表わす「認知」という言葉の後に「〜の状態」という意味の「症」を続けるのは日本語として意味が不明であり、不適切であると言う議論も出ている。
診断
診断基準
認知症の診断基準のうち、国際的に広く用いられているものとしては世界保健機関によるICD-10や、米国精神学会によるDSM-Ⅲ、DSM-Ⅳ-TRおよび2013年5月に公開されたDSM-5などが挙げられる。
ICD-10は1990年の第43回世界保健総会において採択された「疾病および関連保健問題の国際統計分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)」第10版であり、Dementiaを「脳疾患により慢性(6ヶ月以上)あるいは進行性に記憶、思考、見当識、理解、計算、学習能力、言語、判断を含む高次皮質機能障害を示す症候群で、意識は清明である」としている。ICD-10における認知症の具体的な診断基準の要約を表1に示す。2017年にはICD-11が制定・公表される予定である。
G1.以下の各項目を示す証拠が存在する。
1) 記憶力の低下 |
G2.周囲の環境に対する認識がG1の症状を明確に証明するのに十分な期間、保たれている(すなわち意識混濁は存在しない)。せん妄のエピソードが重なっている場合は認知症の診断は保留する。 |
G3.情動コントロールや意欲の低下、社会行動の変化など以下の1項目以上を認める。 1) 情動不安定 |
G4.診断確定にはG1症状が6ヶ月以上存在していることが必要。それより短い期間の場合は暫定診断とする。 |
DSM-Ⅲは1980年出版の「精神障害の診断統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)」第3版であり、1987年にはその改訂版であるDSM-Ⅲ-Rが出版されている。DSM-Ⅲ-Rにおける認知症の診断基準の要約を表2に示す。また1994年には第4版にあたるDSM-Ⅳが出版され、2000年にDSM-Ⅳ-TRとして改訂されている。DSM-Ⅳ-TRにおける認知症の診断基準の要約を表3に示す。
A.短期・長期記憶障害の明らかな証拠が存在する。 |
B.以下のうち少なくとも1項目以上を認める。 1) 抽象的思考の障害 |
C.上記A、Bにより仕事、社会生活、人間関係が損なわれる。 |
D.意識変容やせん妄が存在する場合には起こらない(除外項目)。 |
E.以下のどちらかの状況にある。 1) 病歴、身体所見、検査などの証拠から器質的疾患が病因であると判断される。 |
A.多彩な認知機能障害の発現として以下の2項目がある。 1) 記憶障害(新規情報の学習や、過去に学習した情報の想起の障害) 2) 以下の認知機能障害のうち1項目以上を認める。 |
B.上記A-1)、A-2)の認知機能障害各々が社会的もしくは職業的機能の著しい障害を引き起こし、病前の機能水準からの著しい低下を示す。 |
C.この障害はせん妄の経過中にのみ現れるものではない。 |
これらの診断基準を踏まえ、本邦の認知症疾患治療ガイドライン2010では認知症を「一度正常に達した認知機能が後天的な脳の障害によって持続性に低下し、日常生活や社会生活に支障をきたすようになった状態を言い、それが意識障害のないときに見られる。」と定義している。
他方、2013年に公表されたDSM-5ではDementiaという用語は消失し、代わりに「神経認知障害:Neurocognitive Disorders(ND)」と総称することを提唱している。Dementiaという用語が廃止されたのは語源的に「De (without) + mentia (mind)」と構成されており、「mad」「crazy」「insane」「lunatic」など「狂」を意味する語と類義で差別的・侮蔑的なためとされる。認知症に該当するMajor NDの診断基準を表4に示す。
A.1つ以上の認知領域(複雑性注意、遂行機能、学習と記憶、言語、知覚-運動、社会的認知)において過去の水準から明らかな認知の低下を来しているという以下に基づく証拠がある。 1) 本人、本人を良く知る情報提供者、もしくは臨床医による認知機能の明らかな低下があるという懸念。 |
B.毎日の活動において認知機能障害が自立性を阻害している(例:請求書の支払いや服薬管理など日常生活における複雑な操作的活動に援助を要する)。 |
C.認知機能障害はせん妄の経過中にのみ起こるものではない。 |
D.認知機能障害は他の精神疾患ではうまく説明されない(例:うつ病、統合失調症)。 |
DSM-5の変更点に対する本邦の対応は、Major NDが内容的に従来のDementiaと重なる部分が多いこと、またDementiaに対する用語が本邦ではすでに「痴呆」から「認知症」へと変更されており社会的にも受け入れられていることから、Major NDを「認知症」とすることが日本精神神経学会 精神科用語検討委員会 精神科病名検討連絡会にて承認されている。
鑑別診断
認知症と鑑別すべき疾患・病態としては、せん妄などの意識障害、抑うつ状態、統合失調症などが挙げられる。せん妄は症状に類似点も多く、各種診断基準においても除外項目に挙げられることが多いが、本質は意識障害であり急性発症である点、興奮や幻覚で発症することが多い点、日内変動が見られやすい点、数日から数週間で軽快することが多い点などが鑑別点として挙げられる。
また認知症を呈する疾患の鑑別診断には、アルツハイマー病、レビー小体型認知症、前頭側頭葉変性症、嗜銀顆粒性認知症、進行性核上性麻痺、大脳皮質基底核変性症、ハンチントン病などの神経変性疾患が挙げられる他、脳血管障害による血管性認知症、慢性硬膜下血腫、正常圧水頭症、硬膜動静脈瘻、脳腫瘍、外傷性脳損傷、慢性外傷性脳症、Creutzfeldt-Jakob病やその他の感染症としてHIV感染症、亜急性硬化性全脳炎、進行性多巣性白質脳症、神経梅毒、髄膜脳炎など多彩な脳・神経疾患が挙げられる。また上記以外にもパーキンソン病や多発性硬化症、筋萎縮性側索硬化症、あるいは神経ベーチェットやサルコイドーシスなど全身性疾患の中枢神経症状においても認知症を合併する場合がある。さらに、甲状腺機能低下症などの内分泌疾患、糖尿病、栄養異常(ビタミンB1やB12低下)などの代謝疾患、肝不全や腎不全などの臓器不全、アルコールや麻薬、その他薬物や金属、一酸化炭素による中毒など、各種身体疾患においても認知症は認められ、鑑別の範囲は非常に多岐に渡る。
検査
認知症であるか否か、あるいは認知症性疾患であるとしてどのような診断であるのか、以下のような検査が必要になる。
神経心理検査
認知症であるか否かのスクリーニング検査のうち、質問式の方法としては本邦では長谷川式認知症スケール(Hasegawa’s Dementia Scale-Revised:HDS-R)やMini-Mental State Examination(MMSE)が広く用いられる。HDS-Rは1974年に作成された長谷川式簡易知能スケールの改訂版(1991年)であり、2004年の認知症への改称に伴い2005年から現在の名称になっている。9つの設問からなり最高点は30点満点で21点以上を正常、20点以下を認知症の疑いとする。MMSEは国際的に最も広く使用されている方法で、11の設問からなる。最高点は30点満点で24点以上を正常、23点以下を認知症の疑いとしていたが、最近では27点以上を正常、22〜26点を軽度認知症の疑い、21点以下を認知症の疑いが強いとする基準も用いられる。他にも、より簡便なスクリーニング法として「10時10分もしくは8時20分を指す時計の文字盤を描かせる」Clock Drawing Test(CDT)や年齢、日付、生年月日などのみを質問する方法なども行われる。またHDS-RやMMSEでは評価が困難な前頭葉機能の評価法としてFrontal Assessment Battery(FAB)が挙げられる。これは6設問からなり最高点は18点満点でカットオフ値については諸説あり、11、12点を勧める報告[2]などが散見される。
血液検査
認知症が疑われた際に、認知症をきたす各種内科疾患とそれ以外の認知症疾患の鑑別に有用である。例えば、一般的な項目として血算、血沈、肝機能、腎機能、電解質、血糖、HbA1c、脂質、アンモニア、甲状腺ホルモン、ビタミンB1、B12、葉酸、梅毒血清反応、動脈血ガス分析などが挙げられる。また悪性腫瘍の鑑別に各種腫瘍マーカー、自己免疫疾患の鑑別に各種自己抗体、感染症の鑑別にはHIV抗体やJCウイルス、麻疹ウイルス、風疹ウイルス抗体がそれぞれ役立つ。さらに中毒を疑う例では各種薬剤、特に抗精神病薬や金属、有機化合物などの血中濃度測定が有用である。一方、神経変性疾患であるアルツハイマー病においては血漿アミロイドβ(Aβ)についての検証がなされている[3][4]。
脳脊髄液検査
脳脊髄液検査は髄膜脳炎やくも膜下出血、各種神経免疫疾患、腫瘍性疾患などの鑑別に有用である。亜急性硬化性全脳炎においては脳脊髄液麻疹抗体、進行性多巣性白質脳症ではJCウイルスDNA PCRが、Creutzfeldt-Jakob病では脳脊髄液14-3-3蛋白や総タウ蛋白の測定がそれぞれ有用とされる。またアルツハイマー病では脳脊髄液中のタウ蛋白やAβが検証され、近年注目されている。
画像検査
画像検査のうちCT、MRI、MRAは脳血管障害、慢性硬膜下血腫、正常圧水頭症、硬膜動静脈瘻、脳腫瘍、髄膜脳炎、多発性硬化症などの診断に有用である。MRIの拡散強調画像はCreutzfeldt-Jakob病の病変描出能に優れる。またMRIは神経変性疾患における脳の形態学的変化の描出にも優れ、近年ではvoxel-based morphometry(VBM)が発達している。これは各個人の脳の形態情報を標準化し、健常標準脳の形態と比較してvoxel単位で統計学的に脳の萎縮を評価する手法である。アルツハイマー病における海馬や海馬傍回の評価などに用いる。脳血流SPECTは主に123I-IMPや99mTc-ECDを核種として用い、特に神経変性疾患においては形態学的変化をきたす以前の異常を検出しうる検査法として重要視されている。かつては評価において客観性に欠けることが指摘されていたが、近年ではstatistical parametric mapping(SPM)、three-dimentional stereotactic surface projection(3D-SSP)、easy Z-score imaging system(e-ZIS)などの画像統計解析手法が発達し、課題が克服されている。保健適応外の臨床研究領域では、アルツハイマー病においてFDG-PETで側頭葉内側や頭頂-側頭連合野、帯状回後部などにおける糖代謝低下が指摘される。また近年、11C-PIBやFDDNP、BF-227などを核種としたアミロイドイメージングによりアルツハイマー病における老人斑の検出が非侵襲的に可能になり注目されている。
病態生理
認知症の原因疾患は非常に多岐にわたるため、個々の疾患の病態生理について本項目に記すことは困難である。認知症の診断基準・定義は先述の通り種々あるが、概ね意識清明下で後天的に認知機能が過去の水準より低下した状態を包含する。必ずしも認知機能障害イコール認知症ではないが、認知機能障害は認知症の構成要素であるとはいえる。認知機能は「情報を脳内に取り入れ、各種処理過程を経て表出するまでに関わる脳の全機能」と考えられ、各認知機能はそれぞれ大脳の特定の部位に局在し、脳の障害部位により特徴的な認知機能障害を呈する。また、脳疾患における認知機能障害は局在の他に疾患に特有のメカニズムが関与する場合もある。そこで、認知機能障害の病態生理について解剖学的見地と各種脳疾患ごとの見地から以下にそれぞれ記載する。
解剖学的見地から
前頭葉障害
失行、失語、性格変化、意欲・活動性低下、興奮、多幸感、無頓着、脱抑制、大食、注意力低下、記銘力障害、問題解決能力低下など
劣位半球頭頂葉障害
半側身体失認や半側空間無視、構成失行、着衣失行、病態失認、地誌的記憶障害など
優位半球頭頂葉障害
観念失行や観念運動失行
優位半球角回の障害
手指失認・左右識別障害・失算・失書を4徴とするGerstmann症候群
側頭葉障害
Wernicke失語や嗅覚障害、聴覚失認、皮質聾、複合幻聴、Kluver-Bucy症候群、側頭葉内側の障害により記憶障害
後頭葉障害
半盲、皮質盲、視幻覚、視覚保続、視覚失認、純粋失読、Anton症候群(視覚障害を否認)など
脳梁障害
左視野の失読や左手の失書・失行、道具の強迫使用、拮抗性失行(離断症候群)
大脳辺縁系(梁下回・帯状回・海馬傍回・鉤・扁桃体・海馬・歯状回・脳弓・中隔核)
Papez回路やYakovlev回路を含み、記憶や情動と関連する。両側海馬障害により近時記憶が、乳頭体病変では遠隔記憶が障害される。
視床
種々の感覚入力の中継点であり、視床核はPapez回路やYakovlev回路を構成するため、視床障害により記憶・情動障害が起こりえる。
各種脳疾患ごとの見地から
アルツハイマー病
早期から海馬を中心とする側頭葉内側部、側頭頭頂移行部の萎縮がみられる。記憶障害がほぼ必発である。前頭連合野は比較的保たれるため初期からの人格変化は稀で礼節は保たれる。
レビー小体型認知症
脳血流SPECTにおいて一次視覚野を含めた後頭葉から頭頂葉の血流低下を認め、幻視や視覚障害を呈するが初期の記銘力障害は目立たないことが多い。
前頭側頭葉変性症
多幸、脱抑制、異常行動、自発性の低下などが高頻度に認められる一方、妄想や幻視は少なく初期からの顕著な記憶障害、失語、視空間障害、失行・失認、構成障害は見られない。
嗜銀顆粒性認知症
側頭葉内側面の迂回回が嗜銀顆粒の好発部位であり、左右差を呈することが多く、物忘れを初発としつつ頑固さや易怒性、自発性低下など前頭側頭葉変性症に類似の症状を呈するが進行は緩徐である。
血管性認知症
病態、局在とも多様で不均一である。記憶力の割に人格や理解力などが保たれるまだら状認知症を呈し、階段状に進行する。
慢性硬膜下血腫
局所神経症状がなくとも認知機能障害を呈する場合があり、その機序として血腫による脳循環障害が考えられる。
正常圧水頭症
脳室拡大や正常範囲内での頭蓋内圧上昇をきたし、神経線維の直接圧迫や脳循環障害を介して種々の症状を呈する。タップテストにより早期から反応がみられることから脳循環障害の要素が強いと思われる。注意障害や思考・反応・作業速度の低下、語想起能力低下、遂行機能障害など前頭葉機能中心の認知機能障害を呈する。
硬膜動静脈瘻
動静脈間シャントにより動脈血流が静脈に流入し、脳静脈還流障害・浮腫などを呈し認知機能障害を発症する。大脳皮質のみならず、Galen大静脈へのシャントによる両側視床の局所血流障害でも発症する。
脳腫瘍
局在により多彩な症状を呈するが、認知症だけを呈する場合は前頭葉病変が多いとされる。前頭葉穹窿部が両側性に障害されると自発性の欠如が、前頭眼窩野が両側性に障害されると人格の変化がみられる。
外傷性脳損傷
頭部に対して物理的な衝撃が作用した結果起こる急性の脳損傷で、脳挫傷やびまん性軸索損傷を主体とし、これによる脳浮腫や脳循環障害などにより広範な脳機能障害が誘発される。
慢性外傷性脳症
頭部への外力を慢性的に受けることで脳の微小損傷が蓄積し、数年〜数十年後に様々な神経症状と認知機能障害を呈する。詳細な機序は不明だが病理学的にアルツハイマー病との類似性が指摘される。
Creutzfeldt-Jakob病
MRI拡散強調画像において大脳皮質、大脳基底核、視床に異常信号を認める。食欲不振、倦怠感、睡眠障害、頭痛、視覚障害から亜急性に認知症状が進行し、言語障害、性格変化や異常行動、小脳失調、錐体路・錐体外路徴候、ミオクローヌスを経て無動性無言状態に至る。
治療
認知症を呈する疾患のうち、まずは根治可能な疾患を鑑別し加療する。慢性硬膜下血腫や正常圧水頭症などは外科手術、内分泌・代謝疾患、感染症は内科的治療、薬剤誘発性のものは原因薬剤の中止を行う。他方、アルツハイマー病などの神経変性疾患、プリオン病、後遺障害の残存しやすい外傷性脳損傷や血管性認知症、ある種の脳腫瘍などは根治困難であり対症療法を検討する。認知症の症状は中核症状と周辺症状(Behavioral psychological symptoms of dementia:BPSD)に二分され、以下にそれぞれの特徴と治療・対処法について記載する。
中核症状
記憶障害、見当識障害、遂行機能障害、計算力低下など進行に伴い出現する普遍的症状を指す。
アルツハイマー病の中核症状に対する対症療法
認知症の50%を占めるアルツハイマー病に対し本邦で承認されているのはコリンエステラーゼ(cholinesterase:ChE)阻害薬とN-methyl-D-aspartate(NMDA)受容体拮抗薬である。ChE阻害薬は「アルツハイマー病においてMeynert核のアセチルコリン(acetylcholine:ACh)作動性神経細胞の脱落とACh合成系の活性低下が病態に関連する」というコリン仮説を基に開発され、シナプス間隙のACh量を増加させる。一方、NMDA受容体拮抗薬は「アルツハイマー病において、脳内グルタミン酸濃度の持続的上昇やNMDA受容体へのアミロイドβの結合によりCa2+が細胞内に過剰流入し、シナプス後膜電位変化が増大して(シナプティックノイズ)記憶・学習の形成を阻害したり、酸化ストレス増大や神経細胞死を招く」というグルタミン酸仮説に基づき開発されている。本剤は持続性の病的な低濃度グルタミン酸刺激に対してはNMDA受容体に結合して過剰Ca2+流入による神経毒性を防ぐが、生理的な神経興奮による一過性の高濃度グルタミン酸刺激に対しては電位依存性にNMDA受容体から解離するため、正常な神経伝達や記憶形成には影響しない。表5に各薬剤の特徴を示す。
一般名 | 作用機序 | 適応 | 副次的効果 | 剤型 | 用法(回/日) | 代謝・排泄 |
---|---|---|---|---|---|---|
ドネペジル | ChE阻害剤 | 軽〜重度AD | なし | 錠剤・散剤 口腔内崩壊錠 ゼリー剤等 |
1 | 肝 |
ガランタミン | 軽〜中等度AD | nACh受容体への アロステリック(APL)作用 |
錠剤 | 2 | ||
リバスチグミン | BuChE阻害作用 | 経皮吸収型製剤 | 1 | 腎 | ||
メマンチン | NMDA受容体拮抗薬 | 中等度〜重度AD | なし | 錠剤 | 1 |
nACh:ニコチン性アセチルコリン (nicotic acetylcholine), BuChE:ブチリルコリンエステラーゼ (butyrylcholinesterase),
VaD:血管性認知症 (vascular dementia), DLB:レビー小体型認知症 (dementia with Lewy bodies)
アルツハイマー病以外の認知症性疾患の中核症状に対する対症療法
血管性認知症ではドパミン放出促進作用とNMDA受容体拮抗作用を有するアマンタジンが「脳梗塞後遺症に伴う意欲・自発性低下」に対し保険承認されている他、保険適応外の臨床研究でChE阻害剤が有効とする報告もある。外傷性脳損傷についてはこれも保険適応外だが、注意障害に対しメチルフェニデートやChE阻害剤、アマンタジンなどが有効との報告がある。レビー小体型認知症ではChE阻害剤にて認知機能や妄想、幻覚など臨床症状全般が改善したという報告があり本邦では2014年9月よりアリセプトが承認されている。メマンチンも本邦未承認ではあるがランダム化比較試験で改善が報告されている。しかし前頭側頭葉変性症など他の神経変性疾患やプリオン病は現状では有効な治療薬はない。
BPSD
かつて認知症の問題行動や異常行動とよばれた概念で行動症状と心理症状に二分される。前者は不穏、多動、徘徊、攻撃性、興奮、拒絶、拒食・異食、不潔行為、つきまとい、概日リズム障害、社会的・性的逸脱行動が、後者は抑うつや不安、アパシー、幻覚、妄想などがあげられる。認知症患者の約60〜90%が少なくとも1つ以上のBPSD症状を呈し、特に無関心、興奮、易刺激性、抑うつなどの頻度が高いとされる。
ケアと環境整備による対応
BPSDに対しては原因、誘因、状態を把握し、会話の仕方の工夫(短く簡潔に、穏やかに)や失禁・空腹など身体的問題への対処、不安の原因の除去、首尾一貫した対応、道具の工夫などまずはケア・環境整備により対応する。これらの対応で難しい場合には次の薬物療法を試みる。
BPSDに対する薬物療法
ChE阻害剤など中核症状を改善する薬剤により周辺症状も軽減されることが多く、認知症疾患治療ガイドライン2010コンパクト版2012でも焦燥性興奮、攻撃性、脱抑制、体重減少、レビー小体型認知症における幻覚・妄想やREM睡眠期行動異常(RBD)などに記載が見られる。また抑肝散など漢方療法も示唆される(詳細は後述)。抗精神病薬では非定型抗精神病薬が使われやすいが、米国食品衛生局(FDA)より「認知症高齢者の臨床治験において非定型抗精神病薬投与群はプラセボ投与群に比べ死亡率が増加する」という警告が出ており要注意である。2013年7月には「かかりつけ医のためのBPSDに対する向精神薬使用ガイドライン」が厚生労働省により公表されている。その内容を表6にまとめた。
分類 | 作用機序など | 薬物名 | 想定される 認知症への使用 |
特徴・注意点 | 用量 |
---|---|---|---|---|---|
抗精神病薬 | SDA | リスペリドン | 焦燥、興奮、攻撃性 または精神病症状 |
・高血糖あるいは糖尿病を合併している場合は第1選択。 ・DLBではパーキンソン症状の悪化を示しやすいため注意。 |
0.5〜2.0mg |
ペロスピロン | ・抗不安薬、眠前薬として使用可。 ・高血糖/糖尿病合併例では慎重投与。 |
4〜12mg | |||
Loose binding | クエチアピン | ・パーキンソン症状がある場合とDLBでは第1選択、眠前薬として使用可。 ・高血糖/糖尿病合併例では禁忌。 |
25〜100mg | ||
MARTA | オランザピン | ・眠前薬としては用いない。 ・高血糖/糖尿病合併例では禁忌。 |
2.5〜10mg | ||
Dopamine partial agonist | アリピプラゾール | ・眠前薬としては用いない。 ・高血糖/糖尿病合併例では慎重投与。 |
3〜9mg | ||
抗うつ薬 | SSRI | フルボキサミン | うつ症状、FTDの脱抑制、 情動行動、食行動異常 |
・分3、食直後の服用 ・開始時悪心や嘔吐が出現することあり ・高齢者では慎重投与 |
25-75〜75-100mg |
パロキセチン | ・うつ病とうつ状態では用量は右記。原則1週ごとに10mg/日ずつ増量 ・高齢者では慎重投与(SIADH、出血のリスク増) ・分1、夕直後の服用 ・開始時悪心や嘔吐が出現することあり |
10〜40mg | |||
セルトラリン | ・分1 ・高齢者では慎重投与 |
25〜50mg | |||
エスシタロプラム | ・分1、夕食後 ・QT延長例は禁忌 ・肝機能障害、高齢者では10mgを上限が望ましい |
10mg | |||
SNRI | ミルナシプラン | うつ症状 | ・分3、MAO阻害薬との併用は禁忌 ・前立腺疾患等合併例では尿閉が起きることあり |
15〜60mg | |
デュロキセチン | うつ症状、舌などの痛み を訴える心気症状に 効果がある可能性あり |
・分Ⅰ、夕直後の服用 ・SSRI類似の消化器症状が出現することあり ・高度の肝・腎機能障害では禁忌 ・高齢者では慎重投与 |
20〜40mg | ||
NaSSA | ミルタザピン | うつ症状、抗不安作用、睡眠障害の改善、食欲改善効果 | ・分1、眠気が出やすい、眠前投与 ・高齢者では血中濃度上昇のリスクあり、慎重投与 |
7.5〜30mg | |
三環系 | アモキサピン | うつ症状 (SSRI無効時) |
・抗コリン作用、弱心毒性 | 25〜75mg | |
四環系 | ミアンセリン | せん妄、不眠 | ・弱抗コリン作用、鎮静効果 ・心毒性なし、分1で眠前投与も可 |
10〜30mg | |
異環系 | トラゾドン | 焦燥、不眠 | ・抗コリン作用、心毒性なし ・眠気のため就寝前に投与も可 ・1〜数回分服、高齢者では安全性未確立 |
25〜100mg | |
抗不安薬/ 睡眠導入薬 | |||||
ω1受容体 作動薬 |
ゾルピデム | 入眠障害 | 超短時間作用型 | 5mg | |
ゾピクロン | 7.5mg | ||||
エスゾピクロン | 1〜2mg | ||||
クアゼパム | 中途覚醒/早朝覚醒 | 長時間型、活性代謝物あり | 15mg | ||
メラトニン 受容体拮抗薬 |
ラメルテオン | 入眠障害 | フルボキサミンとの併用は禁忌 | 8mg |
厚生労働省 かかりつけ医のためのBPSDに対応する向精神薬使用ガイドラインより改変引用
SDA:セロトニン・ドパミン拮抗薬, DLB:レビー小体型認知症, MARTA:多受容体作用抗精神病薬
FTD:前頭側頭型認知症, SSRI:選択的セロトニン取り込み阻害薬, SNRI:セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬, NaSSA:ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬
その他の治療アプローチ
漢方療法
保険適応外ではあるが、最もエビデンスレベルが高いのはBPSDに対する抑肝散である。本邦の認知症疾患治療ガイドライン2010コンパクト版2012にも記載があり、実臨床でも頻用されている。抑肝散には甘草が多く含まれるので、偽アルドステロン症や低カリウム血症に注意を要する。また他にも保険適応外ながら釣藤散、抑肝散加陳皮半夏や柴胡加竜骨牡蠣湯、黄連解毒湯、加味温胆湯、加味帰脾湯、八味地黄丸、当帰芍薬散など複数の漢方薬の報告がある。
日常生活動作(Activities of daily living:ADL)障害への対応
認知症の初期には家事動作・服薬管理・買い物・電話・交通機関の利用など社会的活動に必要な、複雑で高度な手段的ADL(instrumental ADL:IADL)から障害される。その後、中等度以降に進行すると食事・排泄・入浴・更衣・整容・移動などの基本的ADL(basic ADL :BADL)が障害される。IADL障害に対しては記憶の代償手段の活用(メモや日毎の内服分包、タイマー使用など)で対応する。症状が進行してBADL障害も出現するようになったら、「できるADL」を評価しながら段階的に介護量を調整し、安全面や負担も考慮して「していくADL」を検討する。また環境設定を統一し、同じ動作・方法を繰り返して手続き記憶を活用して学習したり、目印や着衣の容易な服への変更など環境整備により自立度を高める。
非薬物療法
認知機能、BPSD、ADLの改善を目指して行う。米国精神医学会の治療ガイドラインによると、標的とされるのは「認知」「刺激」「行動」「感情」の4つで、「認知」に関しては、見当識について他者とコミュニケーションをとりながら繰り返し学習するリアリティオリエンテーション療法、「刺激」については音楽療法などの各種芸術療法、「行動」に関しては行動異常を観察・評価して介入法を導き出すアプローチが、「感情」については過去の思い出について聞き手が受容・共感的に傾聴する回想法などが試みられる。また他にも認知刺激療法、運動療法などが試みられる。
疫学
2014年の国際アルツハイマー病協会の報告によると、2013年時点での世界の認知症患者数は4400万人にものぼるとされ、疾患別内訳としてはアルツハイマー病が50-75%、血管性認知症が30-40%、前頭側頭葉変性症が5−10%、レビー小体型認知症が5%以下と記載されている。本邦においても厚生労働省研究班の調査により認知症患者数は2012年時点で460万人以上にのぼることが報告され、2025年には700万人にものぼると推計されている[5][6]。
- ↑ Prince M, Albanese E, Guerchet M, Prina M, Prince M, et al.
World Alzheimer Report 2014
Alzheimer's Disease International (London): 2014 - ↑ 前島 伸, 種村 純, 大沢 愛, 川原田 美, 関口 恵, et al.
高齢者に対するFrontal assessment battery(FAB)の臨床意義について.
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Kosaka, T., Imagawa, M., Seki, K., Arai, H., Sasaki, H., Tsuji, S., ..., & Iwatsubo, T. (1997).
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都市部における認知症有病率と認知症の生活機能障害への対応.
平成23年度-平成24年度総合研究報告書 : 厚生労働科学研究費補助金認知症対策総合研究事業: 2013 - ↑ 二宮 利, 清原 裕, 小原 知, 米本 孝
日本における認知症の高齢者人口の将来推計に関する研究.
平成26年度総括・分担研究報告書 : 厚生労働科学研究費補助金厚生労働科学特別研究事業: 2015
(執筆者:松村晃寛、川又 純、下濱 俊 担当編集委員:漆谷 真)