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 英語: Major Depressive Disorder
 英語: Major Depressive Disorder


{{box|tet= うつ病は、抑うつ気分、興味・喜びの喪失を主徴とする[[精神疾患]]であり、病気による長期休職の主要な要因となっているなど、精神疾患の中でも、最も社会的影響の大きな疾患の一つである。うつ病は一つの病気ではなく、さまざまな原因によって生じる抑うつ状態を含む症候群と言うべきものである。}}
{{box|text= うつ病は、抑うつ気分、興味・喜びの喪失を主徴とする[[精神疾患]]であり、病気による長期休職の主要な要因となっているなど、精神疾患の中でも、最も社会的影響の大きな疾患の一つである。うつ病は一つの病気ではなく、さまざまな原因によって生じる抑うつ状態を含む症候群と言うべきものである。}}


==うつ病とは==
==うつ病とは==
 抑うつ状態は、身体疾患、薬・物質、他の精神疾患など、さまざま原因で生じ得る。他の原因を特定出来ず、一定の診断基準を満たす場合をうつ病と呼ぶが、現在うつ病と診断されている患者の中にも、躁状態出現前の[[双極性障害]]の抑うつ状態、[[認知症]]の前駆症状としての抑うつ状態など、さまざまな状態が含まれている。
 [[抑うつ状態]]は、[[身体疾患]]、薬・物質、他の[[精神疾患]]など、さまざま原因で生じ得る。他の原因を特定出来ず、一定の診断基準を満たす場合をうつ病と呼ぶが、現在うつ病と診断されている患者の中にも、躁状態出現前の[[双極性障害]]の[[抑うつ状態]]、[[認知症]]の前駆症状としての抑うつ状態など、さまざまな状態が含まれている。


 診断基準としては、[[DSM-5]]<ref name=dsm5>'''日本精神神経学会(監修), 高橋三郎、大野裕、染矢俊幸、神庭重信、尾崎紀夫、三村將、村井俊哉 (訳)'''<br> DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル<br>''医学書院'', 2014</ref>が広く用いられている。
 診断基準としては、[[DSM-5]]<ref name=dsm5>'''日本精神神経学会(監修), 高橋三郎、大野裕、染矢俊幸、神庭重信、尾崎紀夫、三村將、村井俊哉 (訳)'''<br> DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル<br>''医学書院'', 2014</ref>が広く用いられている。
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== 治療 ==
== 治療 ==


 軽症(診断基準をぎりぎり満たす程度)の場合、基礎的治療(受容的精神療法と心理教育)のみ、または薬物療法の併用を行う。中等症以上の場合には、薬物療法などの身体的治療に精神療法を併用する(文献: 日本うつ病学会治療ガイドライン Ⅱ.うつ病(DSM-5)/ 大うつ病性障害 http://www.secretariat.ne.jp/jsmd/mood_disorder/)。
 軽症(診断基準をぎりぎり満たす程度)の場合、基礎的治療([[受容的精神療法]]と[[心理教育]])のみ、または薬物療法の併用を行う。中等症以上の場合には、薬物療法などの身体的治療に精神療法を併用する(<ref>[http://www.secretariat.ne.jp/jsmd/mood_disorder/ 日本うつ病学会治療ガイドライン Ⅱ. うつ病(DSM-5)/ 大うつ病性障害]</ref>)。
 薬物療法としては、選択的[[セロトニン]]取り込み阻害薬([[SSRI]])、セロトニン・[[ノルアドレナリン]]取り込み阻害薬([[SNRI]])、受容体阻害薬(プレ[[シナプス]]のα2受容体阻害などを介してセロトニン、ノル[[アドレナリン]]の神経伝達を促進する)などの新しい[[抗うつ薬]]が、単剤で、第一選択として用いられる。これらによって効果が得られない場合は、[[三環系抗うつ薬]]も用いられる。最大量、4~8週間で効果が見られない場合は抗うつ薬の種類を変更する。これらの治療でも効果が見られない場合には、[[リチウム]]、[[非定型抗精神病薬]]、甲状腺ホルモンなどによる増強療法が行われる。また、精神病症状があれば、[[抗精神病薬]]を併用する。また、精神療法としては、[[認知行動療法]]、対人関係療法が有効であり、多くの場合薬物療法と併用して用いられる。これらの治療が奏効しない場合、[[電気けいれん療法]]を施行する。
 
 薬物療法としては、[[選択的セロトニン取り込み阻害薬]][[SSRI]])、[[セロトニン・ノルアドレナリン取り込み阻害薬]][[SNRI]])、[[受容体阻害薬]]([[シナプス前部]]の[[α2受容体]]阻害などを介して[[セロトニン]]、[[ノルアドレナリン]]の[[神経伝達]]を促進する)などの新しい[[抗うつ薬]]が、単剤で、第一選択として用いられる。
 
 これらによって効果が得られない場合は、[[三環系抗うつ薬]]も用いられる。最大量、4~8週間で効果が見られない場合は抗うつ薬の種類を変更する。これらの治療でも効果が見られない場合には、[[リチウム]]、[[非定型抗精神病薬]]、[[甲状腺ホルモン]]などによる増強療法が行われる。
 
 また、精神病症状があれば、[[抗精神病薬]]を併用する。また、精神療法としては、[[認知行動療法]]、[[対人関係療法]]が有効であり、多くの場合薬物療法と併用して用いられる。これらの治療が奏効しない場合、[[電気けいれん療法]]を施行する。
 
 また、治療においては、[[自殺]]の危険を評価し、危険があれば、自殺予防対策を行う。
 また、治療においては、[[自殺]]の危険を評価し、危険があれば、自殺予防対策を行う。


== 病態生理 ==
== 病態生理 ==


 うつ病の危険因子としては、直近の生活上の出来事(ライフイベント)、早期養育における問題(虐待、早期の親との離別など)などがある。遺伝要因の関与は、[[統合失調症]]、双極性障害などと比較すると小さいが、遺伝環境相互作用が関与する(文献: 加藤忠史 うつ病の脳科学 幻冬舎新書 2009)。
 うつ病の危険因子としては、直近の生活上の出来事(ライフイベント)、早期養育における問題(虐待、早期の親との離別など)などがある。遺伝要因の関与は、[[統合失調症]]、双極性障害などと比較すると小さいが、遺伝環境相互作用が関与する(<ref>'''加藤忠史'''<br>うつ病の脳科学<br>''幻冬舎新書'' 2009</ref>)。
 
 現在用いられているほとんど全ての抗うつ薬がセロトニン、ノルアドレナリン、[[ドーパミン]]の神経伝達を促進することから、これらの[[モノアミン]]がその病態に関与していると考えられている。しかしながら、効果発現に1、2週間を要することから、これらのモノアミンが直接症状発現に繋がっているとは考えがたい。
 現在用いられているほとんど全ての抗うつ薬がセロトニン、ノルアドレナリン、[[ドーパミン]]の神経伝達を促進することから、これらの[[モノアミン]]がその病態に関与していると考えられている。しかしながら、効果発現に1、2週間を要することから、これらのモノアミンが直接症状発現に繋がっているとは考えがたい。


 抗うつ薬が共通して数週間後に脳内でBDNF(脳由来神経栄養因子)を増加させることと、[[ストレス]]が神経細胞の樹状突起および樹状突起スパインの形態を変化させることなどから、うつ病には神経細胞の形態可塑性が関係していると考えられている。
 抗うつ薬が共通して数週間後に脳内で[[脳由来神経栄養因子]]([[brain-derived neurotrophic factor]]; [[BDNF]])を増加させることと、[[ストレス]]が神経細胞の[[樹状突起]]および樹状突起[[スパイン]]の形態を変化させることなどから、うつ病には神経細胞の[[形態可塑性]]が関係していると考えられている。


 当初、ストレスにより[[海馬]]や前頭皮質で樹状突起やBDNFの減少に伴いスパインの減少が見られることが報告されたことから、ストレスは樹状突起の萎縮を引き起こすと考えられたが、その後、[[扁桃体]]や側坐核ではBDNFの増加やスパインの増加が見出されたことから、こうした変化はストレスによる樹状突起の再構築(リモデリング)であると考えられるようになっている。うつ病患者において、認知課題に対する[[前頭葉]]皮質の賦活低下<ref><pubmed>:    19566776</pubmed></ref>や、恐怖表情に対し扁桃体が過剰に賦活すること<ref><pubmed>: 11704071</pubmed></ref>が知られており、これらの知見と[[動物]]実験におけるストレスに対する神経細胞のリモデリングの知見とを合わせて考えると、うつ病は、ストレスフルな環境に対する神経細胞の形態可塑的変化が固定化してしまった状態と考えることもできる。
 当初、ストレスにより[[海馬]]や前頭皮質で樹状突起やBDNFの減少に伴いスパインの減少が見られることが報告されたことから、ストレスは樹状突起の萎縮を引き起こすと考えられたが、その後、[[扁桃体]][[側坐核]]ではBDNFの増加やスパインの増加が見出されたことから、こうした変化はストレスによる樹状突起の再構築(リモデリング)であると考えられるようになっている。
[[認知療法]]の治療対象となる、うつ病に特徴的な認知パターン(全てか無か、過剰な一般化)は、[[情動]]の特徴であり、認知療法は、こうした脳の変化に拮抗しようとする治療と考えられる。扁桃体の賦活を患者にフィードバックすることによるニューロフィードバック療法も試みられている<ref><pubmed>: 28407727</pubmed></ref>。


 近年、うつ病における炎症の関与が注目されており、ストレスが炎症反応を起こすことや、炎症により[[トリプトファン]]の代謝が変化し、セロトニン系よりもキヌレニン系への代謝が有意になることなどが報告されている<ref><pubmed>: 16952400</pubmed></ref>。
 うつ病患者において、認知課題に対する[[前頭葉]]皮質の賦活低下<ref><pubmed>19566776</pubmed></ref>や、恐怖表情に対し扁桃体が過剰に賦活すること<ref><pubmed>11704071</pubmed></ref>が知られており、これらの知見と[[動物]]実験におけるストレスに対する神経細胞のリモデリングの知見とを合わせて考えると、うつ病は、ストレスフルな環境に対する神経細胞の形態可塑的変化が固定化してしまった状態と考えることもできる。
 
 [[認知療法]]の治療対象となる、うつ病に特徴的な認知パターン(全てか無か、過剰な一般化)は、[[情動]]の特徴であり、認知療法は、こうした脳の変化に拮抗しようとする治療と考えられる。扁桃体の賦活を患者にフィードバックすることによる[[ニューロフィードバック療法]]も試みられている<ref><pubmed>28407727</pubmed></ref>。
 
 近年、うつ病における[[炎症]]の関与が注目されており、ストレスが炎症反応を起こすことや、炎症により[[トリプトファン]]の代謝が変化し、セロトニン系よりも[[キヌレニン]]系への代謝が有意になることなどが報告されている<ref><pubmed>16952400</pubmed></ref>。


== 経過、予後 ==
== 経過、予後 ==


うつ病エピソードの長さの中央値は20週(5~6カ月)<ref><pubmed>: 17920692, 9366656</pubmed></ref>と報告されている。うつ病患者の長期経過観察研究では、およそ半数で再発が見られ<ref><pubmed>:    3256373</pubmed></ref>、およそ2割では経過中に双極性障害に発展したという<ref><pubmed>: 21078709</pubmed></ref>。また、うつ病は、心血管障害や自殺による死亡率を増加させる<ref><pubmed>: 11231827, 10024062</pubmed></ref>。
 うつ病エピソードの長さの中央値は20週(5~6カ月)<ref><pubmed>17920692</pubmed></ref><ref><pubmed>9366656</pubmed></ref>と報告されている。うつ病患者の長期経過観察研究では、およそ半数で再発が見られ<ref><pubmed>3256373</pubmed></ref>、およそ2割では経過中に双極性障害に発展したという<ref><pubmed>21078709</pubmed></ref>。また、うつ病は、心血管障害や自殺による死亡率を増加させる<ref><pubmed>11231827</pubmed></ref><ref><pubmed>10024062</pubmed></ref>。


== うつ病モデル動物 ==
== うつ病モデル動物 ==


 動物にうつ病があるかどうかは議論があるが(文献: 加藤忠史 動物に「うつ」はあるのか PHP新書 2012年)、これまでに、うつ病に関連した研究に多く用いられていたモデル動物を、よく引用されている順に<ref><pubmed>: 26265551</pubmed></ref>、表2に示す。
 動物にうつ病があるかどうかは議論があるが(<ref><pubmed>'''加藤忠史'''<br>動物に「うつ」はあるのか<br>''PHP新書'' 2012年</pubmed></ref>)、これまでに、うつ病に関連した研究に多く用いられていたモデル動物を、よく引用されている順に<ref><pubmed>: 26265551</pubmed></ref>、表2に示す。
 
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|+表2 うつ病に関連した研究に用いられたモデル動物
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表2 うつ病に関連した研究に用いられたモデル動物


強制水泳試験<ref><pubmed>: 559941</pubmed></ref>
強制水泳試験<ref><pubmed>: 559941</pubmed></ref>
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[[嗅球]]摘除ラット<ref><pubmed>: 588843</pubmed></ref>
[[嗅球]]摘除ラット<ref><pubmed>: 588843</pubmed></ref>
新生仔期[[クロミプラミン]]投与(Mirmiran, M., Van De Poll, N., Corner, M. , et al. Lasting sequelae of chronic treatment with chlorimipramine during early postnatal development in the rat. Volume 8, Issue 4, 1980, Pages 200-202)
新生仔期[[クロミプラミン]]投与(Mirmiran, M., Van De Poll, N., Corner, M. , et al. Lasting sequelae of chronic treatment with chlorimipramine during early postnatal development in the rat. Volume 8, Issue 4, 1980, Pages 200-202)
 
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 しかし、いずれも確立したものではなく、特に、最もよく用いられる強制水泳試験、尾懸垂試験は、全くうつ病モデルとは言えず<ref><pubmed>: 20877280</pubmed></ref>、モノアミン神経伝達を増強する薬のスクリーニング法にすぎない。
 しかし、いずれも確立したものではなく、特に、最もよく用いられる強制水泳試験、尾懸垂試験は、全くうつ病モデルとは言えず<ref><pubmed>: 20877280</pubmed></ref>、モノアミン神経伝達を増強する薬のスクリーニング法にすぎない。