「エレベーター運動」の版間の差分

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 VZ中のエレベーター運動・INMには、上述の「軌跡の限界」に加えて、もう一点、神経上皮時代とは異なる特徴がある。 VZが存在する頃、すなわちニューロン産生が活発な頃、アピカル面で起きる分裂から生じる娘細胞の運命は、片方が未分化([[アピカルプロジェニター]] apical progenitor)、片方が分化(ニューロンまたは[[ベイサルプロジェニター]] basal progenitor)、という2方向的に決まる事が多い(「非対称細胞分裂」、「バイナリーな運命選択」と称される)。このような場合、分化に向かうアピカル面生まれの娘細胞は、「一方通行・片道切符」的な核移動を示す。すなわち、G1期まではアピカル面に結合性を持ったままでベイサル方向へ核が動かされるが、その後アピカル面との結合が断たれ(脱上皮化のごとくに)、アピカル向けの核移動局面は起こらない。
 VZ中のエレベーター運動・INMには、上述の「軌跡の限界」に加えて、もう一点、神経上皮時代とは異なる特徴がある。 VZが存在する頃、すなわちニューロン産生が活発な頃、アピカル面で起きる分裂から生じる娘細胞の運命は、片方が未分化([[アピカルプロジェニター]] apical progenitor)、片方が分化(ニューロンまたは[[ベイサルプロジェニター]] basal progenitor)、という2方向的に決まる事が多い(「非対称細胞分裂」、「バイナリーな運命選択」と称される)。このような場合、分化に向かうアピカル面生まれの娘細胞は、「一方通行・片道切符」的な核移動を示す。すなわち、G1期まではアピカル面に結合性を持ったままでベイサル方向へ核が動かされるが、その後アピカル面との結合が断たれ(脱上皮化のごとくに)、アピカル向けの核移動局面は起こらない。


 「エレベーター運動・INM」の概念の萌芽は 1897年、[[wikipedia:Schaper|Schaper]]による。それまで支配的であった「神経上皮中に分裂細胞とそれ以外の支持的細胞との2種類の細胞が存在する([[wikipedia:Cajal|Cajal]]と[[wikipedia:His|His]]による)」との考え方とは別の可能性として「両者は同じ細胞の2つの異なる局面ではないか」と考えた。1935年、[[wikipedia:FC Sauer|FC Sauer]]は、核の大きさとアピカル面からの距離とに相関を見いだし、神経上皮細胞の分裂に向けた営みの局面進行に応じた核移動の概念を正式に唱え、INMの言葉を送り出した。1959年から1962年にかけてトリチウム標識したチミジンを用いたパルスチェイス法によって、[[wikipedia:ME Sauer|ME Sauer]](FC Sauer夫人)ら、[[wikipedia:Sidman|Sidman]]ら、[[wikipedia:JA:藤田晢也|藤田晢也]]が相次いでこの現象の実験的照明を果たした。すなわち、トリチウムチミジンを投与してすぐに対象を固定し組織切片を観察するとベイサル域に標識が集中しているのだが、投与から少し後に固定し同様の観察を行なうと、アピカル面に存在する分裂中の細胞体に標識が認められた。「エレベーター運動」の命名は藤田による。その後、パルスチェイスの技法向上によってNowakowskiらはアピカル向けの核移動がG2期に、ベイサル側への核移動がG1期に起き、S期の間は核移動があまり起きないことを2000年に報じた。
 「エレベーター運動・INM」の概念の萌芽は 1897年、[[wikipedia:Schaper|Schaper]]による。それまで支配的であった「神経上皮中に分裂細胞とそれ以外の支持的細胞との2種類の細胞が存在する([[wikipedia:Santiago Ramón y Cajal|Cajal]]と[[wikipedia:Wilhelm His, Sr.|His]]による)」との考え方とは別の可能性として「両者は同じ細胞の2つの異なる局面ではないか」と考えた。1935年、[[wikipedia:FC Sauer|FC Sauer]]は、核の大きさとアピカル面からの距離とに相関を見いだし、神経上皮細胞の分裂に向けた営みの局面進行に応じた核移動の概念を正式に唱え、INMの言葉を送り出した。1959年から1962年にかけてトリチウム標識したチミジンを用いたパルスチェイス法によって、[[wikipedia:ME Sauer|ME Sauer]](FC Sauer夫人)ら、[[wikipedia:Sidman|Sidman]]ら、[[wikipedia:JA:藤田晢也|藤田晢也]]が相次いでこの現象の実験的照明を果たした。すなわち、トリチウムチミジンを投与してすぐに対象を固定し組織切片を観察するとベイサル域に標識が集中しているのだが、投与から少し後に固定し同様の観察を行なうと、アピカル面に存在する分裂中の細胞体に標識が認められた。「エレベーター運動」の命名は藤田による。その後、パルスチェイスの技法向上によってNowakowskiらはアピカル向けの核移動がG2期に、ベイサル側への核移動がG1期に起き、S期の間は核移動があまり起きないことを2000年に報じた。


 1995年にMcConnellらによって行なわれ始めた[[スライス培養]]の手法の進歩に伴って2001年以降、哺乳類脳原基中でのエレベーター運動・INMが明瞭にライブ観察できるようになり、[[ゼブラフィッシュ]]胚を用いた in vivoライブ観察も始まった。こうしたイメージング手法と遺伝子操作、薬理学的実験などの組み合せを通じて、最近、エレベーター運動・INMの分子機構が徐々に理解されるようになってきた。[[微小管]]に依存した機構、[[アクトミオシン]]に依存する機構、さらには細胞集団中で能動的な核移動により受動的な核移動が引き起こされる可能性、またギャップジャンクションの関与などが唱えられている。  
 1995年にMcConnellらによって行なわれ始めた[[スライス培養]]の手法の進歩に伴って2001年以降、哺乳類脳原基中でのエレベーター運動・INMが明瞭にライブ観察できるようになり、[[ゼブラフィッシュ]]胚を用いた in vivoライブ観察も始まった。こうしたイメージング手法と遺伝子操作、薬理学的実験などの組み合せを通じて、最近、エレベーター運動・INMの分子機構が徐々に理解されるようになってきた。[[微小管]]に依存した機構、[[アクトミオシン]]に依存する機構、さらには細胞集団中で能動的な核移動により受動的な核移動が引き起こされる可能性、またギャップジャンクションの関与などが唱えられている。