エレベーター運動

提供:脳科学辞典
2012年5月9日 (水) 11:03時点におけるTfuruya (トーク | 投稿記録)による版

ナビゲーションに移動 検索に移動

英語名:elevator movement

 神経前駆細胞(neural progenitor cells)が自身の細胞周期進行に伴って示す核移動のことを指す。Interkinetic nuclear migration(またはinterkinetic nuclear movement)との呼称の方が国際的には一般的である(INMあるいはIKNMと略される)。INMに対する日本語訳はない。

 中枢神経系の形成過程において、原基である神経管脳胞の壁には、神経前駆細胞が満ちている。発生初期、まだニューロンが誕生していないステージにおいては、脊髄の原基の壁は、神経上皮(neuroepithelium)と組織学的に呼称されるのだが、壁を構成する細胞(神経上皮細胞neuroepithelial cellsと称される)は未分化な神経前駆細胞である。

 神経上皮では、壁の最内面(アピカル [apical] 面または脳室面)において近隣の神経上皮細胞群がジャンクションによって接着し、面の維持に貢献している。また、神経前駆細胞がアピカル面から壁の最外面(ベイサル [basal] 面または脳膜面)までをつなぐ形態をしていることも「上皮」との呼称の根拠である。一般的な上皮に対して神経上皮を際立たせている特徴は、それを構成する神経上皮細胞の各々が細長く伸びた(数十マイクロメートル〜百マイクロメートル)形態をしているということである。

 神経上皮細胞の核・細胞体はG2期にアピカル面に向けて動き、細胞分裂がアピカル面で起きる。そこで誕生した娘細胞は、胎生初期においては、親細胞と同様に未分化な神経上皮細胞としてふるまう場合が多いが、G1期にアピカル面から離れる方向に(ベイサル方向へ)核移動を示す。核・細胞体は神経上皮中のベイサル域でS期を過ごし、G2期にアピカル面を目指す。こうした核の反復的運動(数十マイクロメートル〜百マイクロメートルにも及ぶ)が「エレベーター」と通称される理由である。

 神経上皮細胞それぞれが細胞周期進行に伴った核移動を行なっているのだが、神経上皮細胞の「集団」の中で細胞周期進行が同調している訳ではないので、任意の時点において、アピカルベイサル軸上のいろいろなレベルに核・細胞体が存在し得る。それを一挙に組織学的に(静止画像として)観察すると、神経上皮の中に核が「重層」しているような印象を持つ。しかし、核は、細長く伸びて神経上皮のアピカル端からベイサル端までをつなぐ(したがって「単層」の)神経上皮細胞のからだの中を行き来(エレベーター運動・INM)しているのであって、真の「重層」ではない。この「エレベーター運動・INMの総和」としての組織学的様態が「偽重層(pseudostratification)」と称される。

 神経上皮は偽重層の度合いが際立つ例として有名であるが、上皮たるものすべて、「背丈」(アピカルベイサル軸上の長さ)の大小にもとづく程度の差こそあれ、エレベーター運動・INMを行い、したがって核の偽重層状態を呈する。


 発生ステージの進行に伴って、脳・脊髄の原基の壁にはニューロンが現れる。ニューロンは、壁の外側(ベイサル域)に配置される。このとき、神経前駆細胞は、依然「細長くアピカルベイサルを結ぶ形」を呈しているが、神経上皮時代に比して長さを増している(「放射状グリアradial glia」とも称される)。この頃の神経前駆細胞も、神経上皮細胞と同様にエレベーター運動・INMを行なうのだが、核運動はニューロン域にくい込まない範囲に限られる。このエレベーター運動・INMの軌跡・範囲によって「脳室帯 ventricular zone(VZ)」と称される組織学的部位(Pax6Hes1/5Sox2などの転写因子やKi67PCNAなどの細胞周期マーカーによって陽性の核が充満)が規定され、ニューロン分布域と区別できる。VZには神経前駆細胞のアピカル部分百マイクロメートル分ほどしか含まれないが、その場におけるエレベーター運動・INMは、神経上皮におけると同様である。したがって、VZも、この現象の起きる場所として有名である。

 VZ中のエレベーター運動・INMには、上述の「軌跡の限界」に加えて、もう一点、神経上皮時代とは異なる特徴がある。 VZが存在する頃、すなわちニューロン産生が活発な頃、アピカル面で起きる分裂から生じる娘細胞の運命は、片方が未分化(アピカルプロジェニター apical progenitor)、片方が分化(ニューロンまたはベイサルプロジェニター basal progenitor)、という2方向的に決まる事が多い(「非対称細胞分裂」、「バイナリーな運命選択」と称される)。このような場合、分化に向かうアピカル面生まれの娘細胞は、「一方通行・片道切符」的な核移動を示す。すなわち、G1期まではアピカル面に結合性を持ったままでベイサル方向へ核が動かされるが、その後アピカル面との結合が断たれ(脱上皮化のごとくに)、アピカル向けの核移動局面は起こらない。

 「エレベーター運動・INM」の概念の萌芽は 1897年、Schaperによる。それまで支配的であった「神経上皮中に分裂細胞とそれ以外の支持的細胞との2種類の細胞が存在する(CajalHisによる)」との考え方とは別の可能性として「両者は同じ細胞の2つの異なる局面ではないか」と考えた。1935年、FC Sauerは、核の大きさとアピカル面からの距離とに相関を見いだし、神経上皮細胞の分裂に向けた営みの局面進行に応じた核移動の概念を正式に唱え、INMの言葉を送り出した。1959年から1962年にかけてトリチウム標識したチミジンを用いたパルスチェイス法によって、ME Sauer(FC Sauer夫人)ら、Sidmanら、藤田晢也が相次いでこの現象の実験的照明を果たした。すなわち、トリチウムチミジンを投与してすぐに対象を固定し組織切片を観察するとベイサル域に標識が集中しているのだが、投与から少し後に固定し同様の観察を行なうと、アピカル面に存在する分裂中の細胞体に標識が認められた。「エレベーター運動」の命名は藤田による。その後、パルスチェイスの技法向上によってNowakowskiらはアピカル向けの核移動がG2期に、ベイサル側への核移動がG1期に起き、S期の間は核移動があまり起きないことを2000年に報じた。

 1995年にMcConnellらによって行なわれ始めたスライス培養の手法の進歩に伴って2001年以降、哺乳類脳原基中でのエレベーター運動・INMが明瞭にライブ観察できるようになり、ゼブラフィッシュ胚を用いた in vivoライブ観察も始まった。こうしたイメージング手法と遺伝子操作、薬理学的実験などの組み合せを通じて、最近、エレベーター運動・INMの分子機構が徐々に理解されるようになってきた。微小管に依存した機構、アクトミオシンに依存する機構、さらには細胞集団中で能動的な核移動により受動的な核移動が引き起こされる可能性、またギャップジャンクションの関与などが唱えられている。

 エレベーター運動・INMの意義については、まだ詳しくは分かっていない。組織形成、細胞産生など、いくつかの視点で研究が進められつつある。こうした研究は、ヒトの先天性脳疾患の病態解明につながる可能性がある。また、ES細胞から人工的に作成された神経上皮様の構造体においてもエレベーター運動・INMが起きる事も分かっている(永楽、笹井ら、2011年)ので、幹細胞研究の一環としての意義も深い。さらに、ヒトの脳の形成・進化を論じるうえでの細胞生物学的な注目点の一つとしても意識されている。

参考文献

1) Miyata T: Development of three-dimensional architecture of the neuroepithelium: role of pseudostratification and cellular “community”. Dev. Growth & Differ. 50, S105-S112, 2008 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/18070110

2) Taverna E, Huttner WB: Neural progenitor nuclei IN motion. Neuron 67, 906-914, 2010 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/20869589

3) Reiner O, Sapir T, Gerlitz G: Interkinetic nuclear movement in the ventricular zone of the cortex. J. Mol. Neurosci. 46, 516-526, 2012 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21881827

4) Kosodo Y: Interkinetic nuclear migration: beyond a hallmark of neurogenesis. Cell Mol. Life Sci. 2012 Mar 14 (Epub ahead of print) http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22415322

5) Spear PC, Erickson CA: Interkinetic nuclear migration: a mysterious process in search of a function. Dev. Growth & Differ. 54, 306-316, 2012 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/22524603


(執筆者:宮田卓樹 担当編集委員:村上富士夫)