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====生理学的方法====
====生理学的方法====
 生理学的な方法を利用し、神経細胞間の結合性を調べる。これには、複数神経細胞の[[全細胞記録]]法、[[ケージド試薬|ケージド神経伝達物質]]のレーザー光刺激法、[[光遺伝学]]、[[カルシウム]]イオンのセンサー([[カルシウム感受性蛍光色素]]、[[GCaMP]]などの遺伝学的なリポーター)、[[電位感受性センサー]]などが利用される<ref><pubmed>25959713</pubmed></ref><ref><pubmed>26967281</pubmed></ref><ref><pubmed>27104976</pubmed></ref><ref><pubmed>26468193</pubmed></ref>。また、神経活動によって誘起される[[最初期遺伝子]](immediate early genes)の発現を利用する方法も利用される<ref><pubmed>25558063</pubmed></ref>。
 生理学的な方法を利用し、神経細胞間の結合性を調べる。これには、複数神経細胞の[[全細胞記録]]法、[[ケージド試薬|ケージド神経伝達物質]]のレーザー光刺激法、[[光遺伝学]]、[[カルシウム]]イオンのセンサー([[カルシウム感受性蛍光色素]]、[[GCaMP]]などの遺伝学的なリポーター)、[[電位感受性センサー]]などが利用される<ref><pubmed>25959713</pubmed></ref><ref><pubmed>26967281</pubmed></ref><ref><pubmed>27104976</pubmed></ref><ref><pubmed>26468193</pubmed></ref>。また、神経活動によって誘起される[[最初期遺伝子]](immediate early genes)の発現(レトロスペクティブな方法)を利用する方法もある<ref><pubmed>25558063</pubmed></ref>。


 将来的に、[[哺乳類]]の神経系全体のコネクトームの解明には大規模生理学に適した方法論の開発が必要である(下記、「機能的コネクトーム」の項参考)。
 将来的に、[[哺乳類]]の神経系全体のコネクトームの解明には大規模生理学に適した方法論の開発が必要である(下記、「機能的コネクトーム」の項参考)。
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[[ファイル:Diffusion FA.JPG|サムネイル|250px|'''図6.dMRI'''<br>Fractional anisotropy (top), and principal diffusion directions (bottom) images from the HCP dMRI. <br>Image courtesy of the [http://humanconnectome.org WU-Minn HCP consortium]]]
[[ファイル:Diffusion FA.JPG|サムネイル|250px|'''図6.dMRI'''<br>Fractional anisotropy (top), and principal diffusion directions (bottom) images from the HCP dMRI. <br>Image courtesy of the [http://humanconnectome.org WU-Minn HCP consortium]]]


 Olaf Spornsによるヒト・コネクトームの提唱以来、脳の機能と病態を理解するために[[ヒト]]の脳で研究されているのは、メソレベルのコネクトームより更に大きく、脳全体を視野にいれた「マクロスケール Macroscale」の巨視的なコネクトームである。これは、しばしば、様々なタスクに伴う脳の活動領域を観察する[[脳マッピング]]と同時に関心を持たれている。米国の脳科学プロジェクトである[[BRAINイニシアティブ]]の一部として実施されている国際プロジェクトで[http://www.neuroscienceblueprint.nih.gov/connectome Human Connectome Project]では、[[functional MRI]] ([[fMRI]])('''図5''')による活動領域の検出など機能的な側面に重点を置く国際プロジェクト[https://www.humanconnectome.org/ The WU-Minn Project]と、非侵襲なテンソルMRIなどを中心に用い神経線維の走行を重視する[http://www.humanconnectomeproject.org/ The Harvard/MGH-UCLA Project]が実施されてきた('''図6''')。いずれも、解像度が上がれば、メソスケールのコネクトームにも近づくが、非侵襲で得られる解像度は、最大でもミリメートル程度であり、侵襲的な方法で得られる解像度とは違いがある。
 Olaf Spornsによるヒト・コネクトームの提唱以来、脳の機能と病態を理解するために[[ヒト]]の脳で研究されているのは、メソレベルのコネクトームより更に大きく、脳全体を視野にいれた「マクロスケール Macroscale」の巨視的なコネクトームである。これは、しばしば、様々なタスクに伴う脳の活動領域を観察する[[脳マッピング]]と同時に関心を持たれている。米国の脳科学プロジェクトである[[BRAINイニシアティブ]]の一部として実施されている国際プロジェクトで[http://www.neuroscienceblueprint.nih.gov/connectome Human Connectome Project]では、[[functional MRI]] ([[fMRI]])('''図5''')による活動領域の検出など機能的な側面に重点を置く国際プロジェクト[https://www.humanconnectome.org/ The WU-Minn Project]と、非侵襲なテンソルMRIなどを中心に用い神経線維の走行を重視する[http://www.humanconnectomeproject.org/ The Harvard/MGH-USC Project]が実施されてきた('''図6''')。いずれも、解像度が上がれば、メソスケールのコネクトームにも近づくが、非侵襲で得られる解像度は、最大でもミリメートル程度であり、侵襲的な方法で得られる解像度とは違いがある。


 ⾮侵襲脳計測法として、現在、ヒトの脳活動解析技術の主役となっているのは、[[fMRI]]である。fMRIでは、MRIにより、⾎流の流れと、脱酸素化[[wj:ヘモグロビン|ヘモグロビン]]の濃度変化をみる([[BOLD効果]])ことで、神経活動に伴う変動を検出する。つまり、ニューロンの活動を直接観察しているわけではないので、実際のニューロンの活動とは、秒単位の時間的なズレがある。そして、休⽌状態の⼤脳のある領域と別の領域が同調して⾃発的に変動するということが、結合状態にあるということを意味していると仮定すれば、fMRIを使って、領域間のつながりも推定することもできる(休⽌状態fMRI)。この⽅法は、領域間の結合関係、つまりコネクトーム推定の有⼒な⼿段になっている。
 ⾮侵襲脳計測法として、現在、ヒトの脳活動解析技術の主役となっているのは、[[fMRI]]である。fMRIでは、MRIにより、⾎流の流れと、脱酸素化[[wj:ヘモグロビン|ヘモグロビン]]の濃度変化をみる([[BOLD効果]])ことで、神経活動に伴う変動を検出する。つまり、ニューロンの活動を直接観察しているわけではないので、実際のニューロンの活動とは、秒単位の時間的なズレがある。そして、休⽌状態の⼤脳のある領域と別の領域が同調して⾃発的に変動するということが、結合状態にあるということを意味していると仮定すれば、fMRIを使って、領域間のつながりも推定することもできる(休⽌状態fMRI)。この⽅法は、領域間の結合関係、つまりコネクトーム推定の有⼒な⼿段になっている。
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 機能的コネクトームの情報が、構造的コネクトームの情報とともに不可欠なのは、線虫とは対照的に、ヒトを含めた哺乳類の神経系では構造的な[[可塑性]]が見られるということである。例えば、神経細胞の[[スパイン]]は動的な構造であり、出現したり消失したりする<ref><pubmed>14708001</pubmed></ref>。
 機能的コネクトームの情報が、構造的コネクトームの情報とともに不可欠なのは、線虫とは対照的に、ヒトを含めた哺乳類の神経系では構造的な[[可塑性]]が見られるということである。例えば、神経細胞の[[スパイン]]は動的な構造であり、出現したり消失したりする<ref><pubmed>14708001</pubmed></ref>。


 つまり、シナプスの結合性や構造は神経系が機能する際、大きく変化しているので、構造的コネクトームだけで、神経回路の働きを把握することは全く不十分であり、神経活動の情報を含めた機能的コネクトームの考慮が大切であるという議論が背景にある。広義の[[エピジェネティックス]]をどのようにコネクトーム研究の中で考慮していくのかは、今後の大きな課題であろう。
 つまり、シナプスの結合性や構造は神経系が機能する際、大きく変化しているので、構造的コネクトームだけで、神経回路の働きを把握することは全く不十分であり、神経活動の情報を含めた機能的コネクトームの考慮が大切であるという議論が背景にある。環境による変化(広義の[[エピジェネティックス]])や個体ごとの差をどのようにコネクトーム研究の中で考慮していくのかは、今後の大きな課題であろう。


==コネクトームの利用==  
==コネクトームの利用==  
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 このような電子顕微鏡やfMRIなどを用いて得られたデータは、神経科学の大規模データとして、誰でもそのデータが利用できるオープンデータとなる<ref><pubmed>24401992</pubmed></ref><ref><pubmed>25349916</pubmed></ref>。コネクトームのデータは生データとしてサーバーに保存されるが、コネクトームの簡便な表現法としては、'''図7'''に示したような結合のダイアグラムを示す方法や結合マトリックスを用いた方法がしばしば用いられてきている。
 このような電子顕微鏡やfMRIなどを用いて得られたデータは、神経科学の大規模データとして、誰でもそのデータが利用できるオープンデータとなる<ref><pubmed>24401992</pubmed></ref><ref><pubmed>25349916</pubmed></ref>。コネクトームのデータは生データとしてサーバーに保存されるが、コネクトームの簡便な表現法としては、'''図7'''に示したような結合のダイアグラムを示す方法や結合マトリックスを用いた方法がしばしば用いられてきている。


 また、コネクトームに関係したプロジェクトは大きな研究費と多くの研究者の存在が必要となり、そのデータの取得と公開が神経科学者などのコミュニティに広く有用であるため、米国では[[National Brain Observatory]](国立脳天文台)設立の提案がなされている<ref><pubmed>26481036</pubmed></ref>[[w:Argonne National Laboratory|Argonne National Laboratory]](イリノイ州)などにそのような組織を作ることが計画され始めている<ref>http://www.sciencemag.org/news/2015/10/neuroscientist-team-calls-national-brain-observatory</ref>。  
 また、コネクトームに関係したプロジェクトは大きな研究費と多くの研究者の存在が必要となり、そのデータの取得と公開が神経科学者などのコミュニティに広く有用であるため、米国では[[National Brain Observatory]](国立脳天文台)設立の提案がなされ<ref><pubmed>26481036</pubmed></ref>[[w:Argonne National Laboratory|Argonne National Laboratory]](イリノイ州)などにそのような組織を作ることが計画されている<ref>http://www.sciencemag.org/news/2015/10/neuroscientist-team-calls-national-brain-observatory</ref>。  


 このようなコネクトームのデータは、脳科学、神経科学全般の基礎研究情報として、ヒトと動物の脳の働き、神経回路の構造と機能の理解のために広く利用されることになる。
 このようなコネクトームのデータは、脳科学、神経科学全般の基礎研究情報として、ヒトと動物の脳の働き、神経回路の構造と機能の理解のために広く利用されることになる。
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 更に、脳を神経回路の仕組みを模倣した人工知能の開発のための基礎情報としても役立つと思われる。コネクトームの知見を活用することで、[[心理学]]、[[言語学]]、経済学、商業、犯罪、保険、教育、政治、芸術、宗教、倫理学などのヒトの脳活動が関係した分野に、神経回路の観点から、これまでにない概念が提供されることも考えられ、その社会的な影響も大きいとの予想もある<ref name=seung>'''Sebastian Seung'''<br>Connectome: How the Brain's Wiring Makes Us Who We Are<br>''Mariner Books'', 2013  ISBN 9780547678597<br>邦訳'''セバスチャン・スン''' (著)、 '''青木 薫''' (訳)<br>コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか<br>草思社</ref><ref name=sporns>'''Olaf Sporns'''<br>Discovering the Human Connectome<br>''MIT Press'' 2012 ISBN 0262017903</ref><ref>'''Gary Marcus, Jeremy Freeman (Eds), May-Britt Moser, Edvard I. Moser (Contributors)'''<br>The Future of the Brain: Essays by the World's Leading Neuroscientists<br> ''Princeton University Press'', 2014, ISBN 069116276X</ref><ref>'''Michio Kaku'''<br>
 更に、脳を神経回路の仕組みを模倣した人工知能の開発のための基礎情報としても役立つと思われる。コネクトームの知見を活用することで、[[心理学]]、[[言語学]]、経済学、商業、犯罪、保険、教育、政治、芸術、宗教、倫理学などのヒトの脳活動が関係した分野に、神経回路の観点から、これまでにない概念が提供されることも考えられ、その社会的な影響も大きいとの予想もある<ref name=seung>'''Sebastian Seung'''<br>Connectome: How the Brain's Wiring Makes Us Who We Are<br>''Mariner Books'', 2013  ISBN 9780547678597<br>邦訳'''セバスチャン・スン''' (著)、 '''青木 薫''' (訳)<br>コネクトーム:脳の配線はどのように「わたし」をつくり出すのか<br>草思社</ref><ref name=sporns>'''Olaf Sporns'''<br>Discovering the Human Connectome<br>''MIT Press'' 2012 ISBN 0262017903</ref><ref>'''Gary Marcus, Jeremy Freeman (Eds), May-Britt Moser, Edvard I. Moser (Contributors)'''<br>The Future of the Brain: Essays by the World's Leading Neuroscientists<br> ''Princeton University Press'', 2014, ISBN 069116276X</ref><ref>'''Michio Kaku'''<br>
  The Future of the Mind: The Scientific Quest to Understand, Enhance, and Empower the Mind <br>''Doubleday'', 2015, ISBN 038553082X</ref>。
  The Future of the Mind: The Scientific Quest to Understand, Enhance, and Empower the Mind <br>''Doubleday'', 2015, ISBN 038553082X<br>邦訳'''ミチオ・カク'''  (著)、 '''斉藤 隆央''' (訳) <br>フューチャー・オブ・マインド―心の未来を科学する<br>NHK出版</ref>。


 コネクトームの情報をどのように利用していくのか、その是非を含めて、社会の広い分野での議論の必要性が高まってきている。
 コネクトームの情報をどのように利用していくのか、その是非を含めて、社会の広い分野での議論の必要性が高まってきている。