「シナプス小胞」の版間の差分

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== はじめに ==
== はじめに ==
[[image:シナプス小胞1.jpg|thumb|300px|'''図1.シナプス小胞のリサイクリング''']]
 神経間の情報伝達はシナプスと呼ばれる微小な微小な神経接合部において行なわれる。シナプスは機能的にも形態的にも異なるプレシナプスとポストシナプスから構成され、プレシナプスから放出された神経伝達物質が、隣接したポストシナプス表面に存在する受容体に結合することによりシグナルが伝達される。1960年代にBernald Katzらはカエルの神経−筋接合部を用いて電気生理学的な実験を行い、ポストシナプス(この場合は筋肉)で観察される応答は、プレシナプスから放出される一定量のシグナル物質(彼らは「quanta(量子)」と名付けた)によって引き起されることを提唱した[1]。ちょうど同時期にPaladeらは電子顕微鏡で脳組織を観察し、プレシナプスと思われる構造体に数百もの小さな袋状の膜構造物を観察し、この小胞がquantaの正体であることを提唱した。「シナプス小胞」の発見である[2]。1980年代になり、HeuserとReeseらは電気刺激直後(5ミリ秒)に固定した神経筋接合部を電子顕微鏡下で観察し、シナプス小胞と形質膜が融合している像を見いだし、神経伝達物質の放出は伝達物質を貯蔵したシナプス小胞の膜と形質膜の膜融合によって起こることを提唱した[3]。また、痙攣を引き起こすショウジョウバエの温度感受性変異体であるshibireミュータントでは、プレシナプスからシナプス小胞が枯渇し、形質膜上にはオメガ(Ω)様の膜陥入像が見られた[4]。温度を下げるとプレシナプスにシナプス小胞が再び現れることから、形質膜に融合したシナプス小胞はプレシナプスにおいて再合成されることが示唆された。これらの歴史的な知見により、神経伝達物質の充填→エキソサイトーシスによる膜融合→エンドサイトーシスによる再形成形成というシナプス小胞の一連のサイクルが明らかになった(図1)。
 神経間の情報伝達はシナプスと呼ばれる微小な微小な神経接合部において行なわれる。シナプスは機能的にも形態的にも異なるプレシナプスとポストシナプスから構成され、プレシナプスから放出された神経伝達物質が、隣接したポストシナプス表面に存在する受容体に結合することによりシグナルが伝達される。1960年代にBernald Katzらはカエルの神経−筋接合部を用いて電気生理学的な実験を行い、ポストシナプス(この場合は筋肉)で観察される応答は、プレシナプスから放出される一定量のシグナル物質(彼らは「quanta(量子)」と名付けた)によって引き起されることを提唱した[1]。ちょうど同時期にPaladeらは電子顕微鏡で脳組織を観察し、プレシナプスと思われる構造体に数百もの小さな袋状の膜構造物を観察し、この小胞がquantaの正体であることを提唱した。「シナプス小胞」の発見である[2]。1980年代になり、HeuserとReeseらは電気刺激直後(5ミリ秒)に固定した神経筋接合部を電子顕微鏡下で観察し、シナプス小胞と形質膜が融合している像を見いだし、神経伝達物質の放出は伝達物質を貯蔵したシナプス小胞の膜と形質膜の膜融合によって起こることを提唱した[3]。また、痙攣を引き起こすショウジョウバエの温度感受性変異体であるshibireミュータントでは、プレシナプスからシナプス小胞が枯渇し、形質膜上にはオメガ(Ω)様の膜陥入像が見られた[4]。温度を下げるとプレシナプスにシナプス小胞が再び現れることから、形質膜に融合したシナプス小胞はプレシナプスにおいて再合成されることが示唆された。これらの歴史的な知見により、神経伝達物質の充填→エキソサイトーシスによる膜融合→エンドサイトーシスによる再形成形成というシナプス小胞の一連のサイクルが明らかになった(図1)。


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== シナプス小胞の機能分子 ==
== シナプス小胞の機能分子 ==
[[image:シナプス小胞2.jpg|thumb|300px|'''図2.神経伝達物質の再充填'''<br>神経伝達物質のシナプス小胞への再充填はプロトンポンプが形成するプロトン電気化学勾配に依存している。グルタミン酸は膜電位勾配 (DY)を、アセチルコリン・モノアミン類は化学勾配(DpH)を主に駆動力として用いる。GABAやグリシンは、その中間に位置する。]]
=== 神経伝達物質の再充填 ===
=== 神経伝達物質の再充填 ===
 形質膜上に存在し、放出された神経伝達物質の回収を行なうトランスポーターが細胞内外のナトリウムイオン勾配で駆動されるのに対して、シナプス小胞膜上の神経伝達物質トランスポーターは液胞型プロトンATPase (V-ATPase) が形成するプロトン(水素イオン)の電気化学勾配によって駆動される[9]。V-ATPaseは少なくとも13個のサブユニットからなり分子量800 kDaを越える巨大な分子複合体で、1つのV-ATPase複合体はシナプス小胞総タンパク質の10%近くを占める。1つのATPをADPに加水分解する際に発生するエネルギーを用いて、約4つのプロトンを小胞内腔に運ぶことにより、膜電位とpH勾配を形成する。膜電位とpH勾配の割合は小胞膜に存在する塩化物イオンチャネルの活性によって制御されていると考えられている[10]。哺乳類脳内に存在する神経伝達物質の内、正の電荷をもつアセチルコリンやモノアミン類はpH勾配によって輸送されるが、負の電荷をもつグルタミン酸は主に膜電位によって輸送される(図2)。GABAやグリシンはそれらの中間に位置する。すでにVAChT(アセチルコリン)、VMAT1/2(モノアミン)、VGLUT1/2/3(グルタミン酸)、VGAT(GABAとグリシン)がクローニングされているが、それぞれのトランスポーターの輸送メカニズムは不明である。最近、VGLUTの相同遺伝子として小胞へのATP輸送を司るVNUTが同定された[11] [12]。
 形質膜上に存在し、放出された神経伝達物質の回収を行なうトランスポーターが細胞内外のナトリウムイオン勾配で駆動されるのに対して、シナプス小胞膜上の神経伝達物質トランスポーターは液胞型プロトンATPase (V-ATPase) が形成するプロトン(水素イオン)の電気化学勾配によって駆動される[9]。V-ATPaseは少なくとも13個のサブユニットからなり分子量800 kDaを越える巨大な分子複合体で、1つのV-ATPase複合体はシナプス小胞総タンパク質の10%近くを占める。1つのATPをADPに加水分解する際に発生するエネルギーを用いて、約4つのプロトンを小胞内腔に運ぶことにより、膜電位とpH勾配を形成する。膜電位とpH勾配の割合は小胞膜に存在する塩化物イオンチャネルの活性によって制御されていると考えられている[10]。哺乳類脳内に存在する神経伝達物質の内、正の電荷をもつアセチルコリンやモノアミン類はpH勾配によって輸送されるが、負の電荷をもつグルタミン酸は主に膜電位によって輸送される(図2)。GABAやグリシンはそれらの中間に位置する。すでにVAChT(アセチルコリン)、VMAT1/2(モノアミン)、VGLUT1/2/3(グルタミン酸)、VGAT(GABAとグリシン)がクローニングされているが、それぞれのトランスポーターの輸送メカニズムは不明である。最近、VGLUTの相同遺伝子として小胞へのATP輸送を司るVNUTが同定された[11] [12]。
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===エキソサイトーシスの分子機構===
===エキソサイトーシスの分子機構===
(図3)
[[image:シナプス小胞3.jpg|thumb|300px|'''図3.エキソサイトーシスの分子機構'''<br>A. アクティブゾーン(active zone)には、Munc13, Rim, CASTなどの巨大タンパク質が存在し、Munc18やSyntaxinと複合体を形成している。<br>B. SNARE複合体を形成するとComplexinが結合し、融合を阻害している。C→D. 細胞質にカルシウムが流入すると、Munc18やComplexinが解離し、SynaptotagminがCa2+センサーとして働く。E. 小胞膜と形質膜が融合した後のSNARE複合体はNSFとaSNAPの働きで解離する。]]


 プレシナプスにおけるエキソサイトーシスは、時空間的に厳密な制御を受けている。活動電位がプレシナプスに到達すると電位依存性Ca2+チャネルを通じて細胞外からCa2+が流入し、100ミリ秒以内にエキソサイトーシスが起こる。従って、Ca2+依存的なシナプス小胞と形質膜の膜融合過程には、複雑な酵素反応が入る余地がない。すなわち、瞬時に放出可能な一部のシナプス小胞は形質膜に結合(ドッキング)した状態で、Ca2+濃度の上昇によるエキソサイトーシスの惹起に備えていると考えられている。現在では、シナプス小胞のエキソサイトーシスは、以下に詳述する(1)ドッキング、(2)プライミング、(3)膜融合、の3つの過程が異なる分子で制御されていると考えられている。
 プレシナプスにおけるエキソサイトーシスは、時空間的に厳密な制御を受けている。活動電位がプレシナプスに到達すると電位依存性Ca2+チャネルを通じて細胞外からCa2+が流入し、100ミリ秒以内にエキソサイトーシスが起こる。従って、Ca2+依存的なシナプス小胞と形質膜の膜融合過程には、複雑な酵素反応が入る余地がない。すなわち、瞬時に放出可能な一部のシナプス小胞は形質膜に結合(ドッキング)した状態で、Ca2+濃度の上昇によるエキソサイトーシスの惹起に備えていると考えられている。現在では、シナプス小胞のエキソサイトーシスは、以下に詳述する(1)ドッキング、(2)プライミング、(3)膜融合、の3つの過程が異なる分子で制御されていると考えられている(図3)。


(1)ドッキング:プレシナプスには100個〜10万個のシナプス小胞が存在しているが、一部のシナプス小胞はアクティブゾーンと呼ばれる電子顕微鏡で電子密度が高い部位に存在し、形質膜と物理的に接しているように見える。このシナプス小胞の状態をドッキングと呼ぶ。シナプス小胞のドッキングを司るタンパク質として、可溶性タンパク質であるMunc18が知られている。Munc18は形質膜にあるt-SNAREであるSyntaxinの結合タンパク質として同定されたが、その遺伝子欠損マウスではシナプス伝達が完全に消失している[17, 18]。ニューロンにおいてはシナプス小胞のドッキング過程が破綻している電子顕微鏡像は得られないが、副腎髄質のクロム親和性顆粒細胞では分泌顆粒のドッキングが著しく欠落していることが明らかとなった。現在では、小胞膜に存在するSynaptotagmin(後述)と2つのt-SNARE (Syntaxin, SNAP-25)もドッキング過程に重要であることが示唆されている[19]。ニューロンにおけるシナプス小胞ドッキングを司る分子機構は不明な点が多い。
(1)ドッキング:プレシナプスには100個〜10万個のシナプス小胞が存在しているが、一部のシナプス小胞はアクティブゾーンと呼ばれる電子顕微鏡で電子密度が高い部位に存在し、形質膜と物理的に接しているように見える。このシナプス小胞の状態をドッキングと呼ぶ。シナプス小胞のドッキングを司るタンパク質として、可溶性タンパク質であるMunc18が知られている。Munc18は形質膜にあるt-SNAREであるSyntaxinの結合タンパク質として同定されたが、その遺伝子欠損マウスではシナプス伝達が完全に消失している[17, 18]。ニューロンにおいてはシナプス小胞のドッキング過程が破綻している電子顕微鏡像は得られないが、副腎髄質のクロム親和性顆粒細胞では分泌顆粒のドッキングが著しく欠落していることが明らかとなった。現在では、小胞膜に存在するSynaptotagmin(後述)と2つのt-SNARE (Syntaxin, SNAP-25)もドッキング過程に重要であることが示唆されている[19]。ニューロンにおけるシナプス小胞ドッキングを司る分子機構は不明な点が多い。
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===エンドサイトーシスの分子機構===
===エンドサイトーシスの分子機構===
[[image:シナプス小胞4.jpg|thumb|300px|'''図4.エンドサイトーシスの分子メカニズム''']]


 エンドサイトーシスには、刺激頻度に応じて要する時間が異なる幾つかの仕組みが存在すると考えられている。比較的弱い刺激でエキソサイトーシスを起こした場合、クラスリン被覆に依存したエンドサイトーシスが1分以内で完了する(時定数15−20秒程度)。それに対して、1秒以内に完了する高速のエンドサイトーシスも観察されており、Kiss-and-Runと呼ばれている。また、強い連続刺激を与えた時には、エンドサイトーシスを支える分子機構が飽和するため、遅いエンドサイトーシスが起こる。この時、エキソサイトーシスで形質膜に挿入したシナプス小胞膜成分を回収するために、大きな膜構造の陥入像が見られるため、バルクエンドサイトーシスと名付けられている。クラスリン被覆依存的エンドサイトーシスの分子機構については、多くの研究により詳細が明らかになっているので、以下の(1)〜(6)に概説する[35](図4)。
 エンドサイトーシスには、刺激頻度に応じて要する時間が異なる幾つかの仕組みが存在すると考えられている。比較的弱い刺激でエキソサイトーシスを起こした場合、クラスリン被覆に依存したエンドサイトーシスが1分以内で完了する(時定数15−20秒程度)。それに対して、1秒以内に完了する高速のエンドサイトーシスも観察されており、Kiss-and-Runと呼ばれている。また、強い連続刺激を与えた時には、エンドサイトーシスを支える分子機構が飽和するため、遅いエンドサイトーシスが起こる。この時、エキソサイトーシスで形質膜に挿入したシナプス小胞膜成分を回収するために、大きな膜構造の陥入像が見られるため、バルクエンドサイトーシスと名付けられている。クラスリン被覆依存的エンドサイトーシスの分子機構については、多くの研究により詳細が明らかになっているので、以下の(1)〜(6)に概説する[35](図4)。
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== 有芯顆粒 ==
== 有芯顆粒 ==
[[image:シナプス小胞5.jpg|thumb|300px|'''図5.海馬シナプス電子顕微鏡像'''<br>透明な顆粒がシナプス小胞、黒い顆粒が有芯小胞(矢頭)。<br>文献[50]より許可を得て転載 (Elsevier License ; 2903510133723)。]]
 中枢神経系シナプスの一部にはシナプス小胞よりも大きく(直径100~300ナノメートル)、電子顕微鏡で内腔が黒く見える大型有芯顆粒(Large Dense Core Vesicle: LDCV)が含まれるものがある(図5)。シナプス小胞はプレシナプスの形質膜形質膜近傍からクラスター状に多数存在するのに対して、LDCVはシナプス部位から離れた部位に散在している。シナプス小胞には速い神経伝達を担うグルタミン酸、GABA、グリシン、アセチルコリンが含まれているのに対して、LDCVにはドーパミンなどのモノアミン類や神経ペプチド、多種多様な神経栄養因子を神経伝達物質として含まれている。また、交感神経のシナプスにおいては、ノルエピネフリンやセロトニンを含む60〜80 nmの有芯小胞が見られ、これをLDCVと区別してSDCV (small dense core vesicle) と呼ぶ場合もある。シナプス小胞とLDCVは中に含まれる神経伝達物質の違いに加え、様々な性質が異なる。シナプス小胞から放出される神経伝達物質神経伝達物質は、主にポストシナプス側のイオンチャネル型受容体に作用するため、ポストシナプス側に電気的なシナプス応答を引き起こす。一方、LDCVに含まれる伝達物質はポストシナプス側のGタンパク共役型受容体や神経栄養因子受容体に作用し、セカンドメッセンジャーを介したシナプス伝達の修飾を行う。  
 中枢神経系シナプスの一部にはシナプス小胞よりも大きく(直径100~300ナノメートル)、電子顕微鏡で内腔が黒く見える大型有芯顆粒(Large Dense Core Vesicle: LDCV)が含まれるものがある(図5)。シナプス小胞はプレシナプスの形質膜形質膜近傍からクラスター状に多数存在するのに対して、LDCVはシナプス部位から離れた部位に散在している。シナプス小胞には速い神経伝達を担うグルタミン酸、GABA、グリシン、アセチルコリンが含まれているのに対して、LDCVにはドーパミンなどのモノアミン類や神経ペプチド、多種多様な神経栄養因子を神経伝達物質として含まれている。また、交感神経のシナプスにおいては、ノルエピネフリンやセロトニンを含む60〜80 nmの有芯小胞が見られ、これをLDCVと区別してSDCV (small dense core vesicle) と呼ぶ場合もある。シナプス小胞とLDCVは中に含まれる神経伝達物質の違いに加え、様々な性質が異なる。シナプス小胞から放出される神経伝達物質神経伝達物質は、主にポストシナプス側のイオンチャネル型受容体に作用するため、ポストシナプス側に電気的なシナプス応答を引き起こす。一方、LDCVに含まれる伝達物質はポストシナプス側のGタンパク共役型受容体や神経栄養因子受容体に作用し、セカンドメッセンジャーを介したシナプス伝達の修飾を行う。