「シングルセルRNAシーケンシング」の版間の差分

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シングルセルRNAシーケンシング(scRNA-seq)は、次世代シーケンシング (Next Generation Sequencing、NGS)技術を使用して個々の細胞が発現しているmRNA全体、つまりトランスクリプトームを質的、量的に網羅的に調べ、細胞ごとの違いを高解像度で検出、分類することで、細胞の分類を行うことができる技術である。また、刺激、発生など細胞の状況に応じて、個々の細胞のトランスクリプトームの情報を得ることで、病態や細胞系譜などの解析も可能である。特に多様なニューロンが存在する神経系では、この方法により、神経細胞の分類や状態について、深い理解が進んできている。}}
シングルセルRNAシーケンシング(single cell RNA sequencing, 以下scRNA-seq)は、次世代シーケンシング (next generation sequencing、以下NGS)技術を使用して個々の細胞が発現しているmRNA全体、つまりトランスクリプトームを質的、量的に網羅的に調べ、細胞ごとの違いを高解像度で検出、分類することで、細胞の分類を行うことができる分子生物学的、コンピュータ生物学的技術である。また、刺激、発生など細胞の状況に応じて、個々の細胞のトランスクリプトームの情報を得ることで、病態や細胞系譜などの解析も可能である。特に多様なニューロンが存在する神経系では、この方法により、神経細胞の分類や状態についての知見が深まり、更に新しいバイオマーカー(biomarker)の同定などが網羅的に行われるようになった。
}}


==トランスクリプトーム==
==トランスクリプトーム==
トランスクリプトーム(transcriptome)は、細胞中に存在する全ての転写産物(タンパク質をコードするmRNA、タンパク質をコードしないノンコーディングRNA、マイクロRNAなど)の総体である。トランスクリプトームは、ゲノムとは異なり、同一の個体でも、組織ごとに、更には発生段階や細胞外からの影響によって固有のものである。このようなトランスクリプトームは、同質あるいは異質の多数の細胞集団(例、培養細胞株、組織)からRNAを抽出し、1990年代に開発されたDNAマイクロアレイのように数多くの既知のmRNAを一気に識別する技術によって解析されるようになった。その後、次世代シーケンシング(NGS)の利用により、希少mRNAやノンコーディングRNAを含めた未知の転写産物の高感度検出も可能になるとともに、スプライシングを経て成熟していく過程のmRNAの構造など、転写産物の種類だけでなく、転写産物の構造の理解も進むことになった。また、NGSは、ヒトやモデル実験生物(マウス、センチュウ、ショウジョウバエなど)として広く利用される生物だけでなく、多様な生物のトランスクリプトームの理解も可能にした。
トランスクリプトーム(transcriptome)は、細胞中に存在する全ての転写産物(タンパク質をコードするmRNA、タンパク質をコードしないノンコーディングRNA、マイクロRNAなど)の総体である<ref><pubmed>19015660</pubmed></ref><ref><pubmed>31341269 </pubmed></ref>。トランスクリプトームは、ゲノムとは異なり、同一の個体でも、組織ごとに、更には発生段階や細胞外環境や刺激によって変化する。トランスクリプトームは、同質あるいは異質の多数の細胞集団(組織、培養細胞)からRNA抽出後、cDNAに変換し、それを1990年代に出現したDNAマイクロアレイのように数多くの既知mRNAを識別する技術によって解析されるようになった。その後、NGSの利用により、希少mRNAやノンコーディングRNAを含めた未知の転写産物の高感度検出が可能になるとともに、スプライシングで成熟していく過程のmRNAなど、転写産物の種類だけでなく、転写産物の構造的な違い(スプライシングバリアント、SNPs、変異など)の解析もできるようになった。また、NGSは、ヒトやモデル実験生物(マウス、ゼブラフィッシュ、ショウジョウバエ、センチュウなど)だけでなく、多種多様な生物のトランスクリプトームの把握も可能になった。本稿では、このような多数の細胞集団、つまり個体や特定の組織全体ではなく、細胞1つの持つトランスクリプトームを解析する方法(scRNA-seq)とそのscRNA-seqデータを利用することで得られる知見について概説する。


==シングルセルトランスクリプトーム研究史の概観==
==scRNA-seqの背景と開発史==
1つの細胞の持つ生体物質を定量しようとする試みは古くからあった。1960年代になると、Fluorescence-activated cell sorting (FACS)が発明され、標識抗体などのプローブと組み合わせることで、多くの細胞の中で1つの細胞が持っている分子の種類や量についての断片的な研究が可能になり、この方法は現在でも利用されている。その後、免疫組織化学やin situ hybridizationなどにより、タンパク質やmRNAの種類や量が観察できるようになり、組織中の1つの細胞の同定などに活用されてきている。
1つの細胞の持つ生体物質を解明し、定量しようとする試みは古くからあった。1960年代になると、フローサイトメトリーを利用した蛍光活性化セルソーティング(Fluorescence-activated cell sorting, FACS)が発明され、標識抗体などのプローブと組み合わせることで、多数の細胞集団の中で1つの細胞が持っている分子の種類や量についての断片的な研究が可能になり、この方法は現在でも利用されている<ref><pubmed>22271369 </pubmed></ref>。その後、免疫組織化学やin situ hybridizationなどにより、タンパク質やmRNAの種類や量が観察できるようになり、組織中に存在するそれぞれの細胞の同定などに活用されてきている。
一つの細胞内にある全RNAは細胞種によるが1-50pgである。そのうち、mRNAの占める割合は1-5%程度である。この微量のmRNAをcDNAに変換してから大幅に増幅できるPCRが発明されることで、1つの細胞が発現するmRNAを高感度で検出できるようになった。例えば、1991年、Linda BuckとRichard Axelは、嗅覚受容体がGタンパク質であると仮定し、個々の嗅覚細胞で特異的に観察されるGタンパク質mRNAを比較することで、嗅覚受容体候補の同定に成功した(年、ノーベル生理学・医学賞)。1995年になると、Catherine DulacとRichard Axelは、異なる鋤鼻神経細胞で特異的に発現する遺伝子を単細胞cDNAライブラリーのディファレンシャル・スクリーニングという方法で、フェロモン受容体候補を同定した。同様な手法で異なる種類の網膜神経節細胞で発現している遺伝子も同定されており、このようなアプローチが生理的に重要な機能を持つ遺伝子の発見に効果的であることを示した。
一方で多くの種類のmRNAを1細胞レベルで観察する単細胞トランスクリプトームには技術的なブレークスルーが待たれた。1つ大きな問題はPCRなどの増幅に伴うバイアスなどのアーティファクトが頻繁に観察されること、そしてもう一つの課題は多くの種類のcDNAを簡便に観察することを可能にする方法の開発であった(PMID: 16547197)。これを可能にしたのが、増幅法の改良とマイクロアレイの利用であった。しかしながら、増幅に伴うアーティファクトの解決は依然として不十分で、また1つの細胞ごとに高価なマイクロアレイを利用することは、多数の細胞のトランスクリプトームを観察するのには限界があった。2009年に、これらの問題を解決できる可能性として、High-throughput sequencing (HTS)を利用するscRNA-seqプロトコルがAzim Suraniのグループによって報告されたPMID:19349980。しかしながら、この方法でも一つの細胞ごとに処理を行うという操作が必要で、この論文でもたった8個の細胞の解析に留まっており、非常に多くの細胞についてのトランスクリプームを一挙に理解することはできなかった。


==シングルセルRNAシーケンシング(scRNA-seq)の現状==
1つの細胞内にある全RNA(ribosomal RNAを含む)は細胞種にもよるが1-50pgである。そのうち、mRNAの占める割合は1-5%程度である<ref><pubmed>15239941</pubmed></ref>。この微量のmRNAをcDNAに変換してから大幅に増幅できるPCRが発明されることで、1つの細胞が発現するmRNAを高感度で検出できるようになった。例えば、1991年、Linda BuckとRichard Axelは、嗅覚受容体がGタンパク質であると仮定し、個々の嗅覚細胞で特異的に観察されるGタンパク質mRNAを比較することで、嗅覚受容体の同定に成功した<ref><pubmed>1840504</pubmed></ref>(2004年、ノーベル生理学・医学賞)。1995年になると、Catherine DulacとRichard Axelは、異なる鋤鼻神経細胞で特異的に発現する遺伝子を1つの細胞から作製したcDNAライブラリーを比較するディファレンシャル・スクリーニングにより、フェロモン受容体を同定した<ref><pubmed>7585937</pubmed></ref>。同じ手法で異なる種類の神経細胞で発現している遺伝子も同定されており<ref><pubmed>9778248</pubmed></ref><ref><pubmed>12230981</pubmed></ref>、1つの細胞の持つトランスクリプトームを比較するアプローチが神経系で特徴的に発現している遺伝子の同定に原理的に効果的であることを示した。
以来、完全長cDNAまたは分子識別子(unique molecular identifiers: UMI)を持つcDNAを生成するためにmRNA転写産物を増幅する方法が異なるscRNA-seqが考案されてきた。2013年には、このような1細胞のシーケンシング技術が、Nature Methods誌のMethod of the Year に選ばれた。たとえば、SMART-seq(Switch mechanism at the 5' End of RNA Templates)( 18 )およびその改良されたプロトコルであるSMART-seq2( 19、20 )は、完全長cDNA合成のためのプロトコルである。また、MARS-seq(並列RNA単一細胞配列決定)( 21 )、STRT(単一細胞タグ付き逆転写)( 22、23 )、CEL-seq(線形増幅および配列決定による細胞発現)( 24 )、CEL-seq2( 25 )などが報告されてきた。特にSMART-seq(SMART-seq2)は、ピペット、限界希釈、レーザー捕獲法などを用いる多穴プレート法、更に半導体集積回路製作技術で作った流体集積回路を利用するFluidigm C1のシステム(https://jp.fluidigm.com)と組み合わせることで利用される機会が多い。このプロトコールの特徴は、全長のトランスクリプトームを得ることができることであり、mRNAのスプライシングバリアントなどのアイソフォーム、SNPs、変異の検出にも利用できる点で次に説明するUMIを用いる方法に比べて利点があるが、そのコストと処理できる細胞数の点で極めて不利である。


最も重要なscRNA-seqの方法論についての進歩は、2015年、Harvard Medical Schoolの独立した2つのグループから、inDropそしてDrop-seqという類似した2つの方法が発表されたことであろう。マイクロ流体力学 (Microfluidics) 、 UMIとしてDNAバーコーディング ([[DNA]] barcoding) 、そしてNGSを利用することで、自動化とサンプル調製の容易さから、一つの細胞あたりに要するコストを大幅に低下させることに成功した(Drop-seqはその発表時で、6セント/細胞)。これらの方法では、細胞1つずつをマイクロ流体力学によるエマルジョン技術を利用した装置に流入させ、その1細胞を試薬を封入した1つのDroplet(油滴)に自動的に閉じ込める。そのDroplet中には、DropletごとにUMIとして異なったDNAバーコードを持つゲルビーズが入っており、そこからcDNA合成反応を行うことで、それぞれの同じ細胞に含まれていたmRNAが同じUMIを持つcDNAとして合成され、Dropletを破壊した後も、そのcDNAが由来した細胞が区別できるということを利用している(図1)。このようにして増幅したUMI付きのcDNAをNGSで配列決定することによりscRNA-seqが可能になる。なお、DropSeqはコストが低いが、細胞の取得率と検出感度が低い弱点がある。inDropはDropSeqより細胞取得率が高く、パラメータを調整することで低レベルで発現される遺伝子の検出に有利である。
一方で多くの種類のmRNAを1細胞レベルで観察する単細胞トランスクリプトームには技術的なブレークスルーが待たれた。第一の問題はPCRなどの増幅に伴うcDNAごとのバイアスなどのアーティファクトが頻繁に観察されること、そしてもう一つの問題は多種類のcDNAを簡便に識別することを可能にする方法の開発であった。これを可能にしたのが、cDNA増幅法の改良とマイクロアレイの利用であった<ref><pubmed>16547197</pubmed></ref>。しかしながら、増幅に伴うアーティファクトの解決は依然として不十分で、また1つの細胞ごとに高価なマイクロアレイを使用することは、多数の細胞のトランスクリプトームを観察するのには限界があった。2009年になると、これらの問題を解決できる可能性として、High-throughput sequencing (HTS)を利用するscRNA-seqプロトコルがAzim Suraniのグループによって報告された<ref><pubmed>19349980</pubmed></ref>。しかしながら、この論文でもたった8個の細胞の解析に留まっており、この方法でも一つの細胞ごとに処理を行うという操作が必要で、多数の細胞についてのトランスクリプームを一挙に理解することはできなかった。
inDropの方法は、1 Cellbio社(https://1cell-bio.com)から販売されているが、特に重要なのは同様の原理を用いた10xGenomics社(https://www.10xgenomics.com/jp/)がChromiumと命名された市販機器と試薬を発売することで、多くの研究者に利用できることになったことである。Svenssonらのデータベース(www.nxn.se/single-cell-studies/gui)では、scRNA-seqを用いた論文で用いられた方法について調査しているが、この数年、10xGenomics社のChromiumを用いた方法が飛躍的に増加し、ほぼ寡占状態になりつつあることがわかる(現在、10XGenomics社とBioRad社の間で関連特許をめぐる係争がある。)。10X Genomics Chromiumは市販であるので導入が容易であり、inDropやDropSeqに比べ最大数の転写産物の検出に敏感であるが、コストが高い。


==シングルセルRNAシーケンシング(scRNA-seq)の実際==
==scRNA-seqの現在==
それ以来、完全長cDNAを増幅したり、細胞ごとに異なる分子識別子(unique molecular identifiers: UMI)を持つcDNAを増幅させるscRNA-seqが考案され始め、2013年には、このような1細胞のシーケンシング技術が、Nature Methods誌のMethod of the Year に選ばれた https://www.nature.com/collections/mysbdwgfll。たとえば、SMART-seq(Switch mechanism at the 5' End of RNA Templates)<ref><pubmed>22820318</pubmed></ref>およびその改良されたプロトコルであるSMART-seq2 <ref><pubmed> 24056875 </pubmed></ref> <ref><pubmed>24385147</pubmed></ref>は、完全長cDNA合成のためのプロトコルである。また、MARS-seq(Massively parallel single-cell RNA-seq)<ref><pubmed> 24531970 </pubmed></ref>、STRT(single-cell tagged reverse transcription)<ref><pubmed>21543516</pubmed></ref> <ref><pubmed>24363023</pubmed></ref>、CEL-seq(Cell Expression by Linear amplification and Sequencing)<ref><pubmed>22939981</pubmed></ref>、CEL-seq2<ref><pubmed> 27121950 </pubmed></ref>などが報告されてきた。特にSMART-seq(SMART-seq2)は、微小管によるマニュアル捕獲、限界希釈、セルソーター、レーザー捕獲法などを用いる多穴プレート法、更に半導体集積回路製作技術で作った流体集積回路を利用するFluidigm C1の装置https://jp.fluidigm.comと組み合わせることで利用される機会が多い。このプロトコールの特徴は、全長トランスクリプトームを得ることができることであり、mRNAのスプライシングバリアントなどのアイソフォーム、SNPs、変異の検出にも利用できる点で次に説明するUMIを用いる方法に比べて利点があるが、そのコストと処理可能な細胞数の点で弱点がある。
 
しかしながら、更に、重要なscRNA-seqの方法論についての進歩は、2015年、Harvard Medical Schoolの独立した2つのグループが、inDropそしてDrop-seqという類似した2つの高スループットな方法を開発したことであろう<ref><pubmed>26000487</pubmed></ref> <ref><pubmed>26000488</pubmed></ref>。これらの方法では、マイクロ流体力学 (Microfluidics) 、 UMIとしてDNAバーコーディング (DNA barcoding) 、そしてNGSを利用することで、自動化とサンプル調製の容易さから、1つの細胞あたりに要するコストを大幅に低下させることに成功した(Drop-seqは発表時で、1細胞あたり6セント)。つまり、細胞1つずつをマイクロ流体力学によるエマルジョン技術を利用した装置に流入させ、その1細胞を試薬を封入した1つのDroplet(油滴)に自動的に閉じ込める。そのDroplet中には、DropletごとにUMIとして異なったDNAバーコードを持つゲルビーズが入っており、それを足場にcDNA合成反応を実施することで、同じ細胞に含まれていたmRNAが同じUMIを持つcDNAとして合成され、Dropletを破壊した後も、そのmRNA/cDNAが由来した細胞を識別できるということを利用している(図1)。このようにして増幅したUMI付きcDNAをNGSで配列決定することによりscRNA-seqが可能になる。なお、DropSeqはコストが低いが、細胞の取得率と検出感度が低い弱点がある。inDropはDropSeqより細胞取得率が高く、パラメータを調整することで低レベルで発現される遺伝子の検出に有利である。
 
inDropの方法は、1 Cellbio社から販売されているhttps://1cell-bio.com。しかし、特に重要なのは10xGenomics社が同様の原理を用いた「Chromium」と命名された機器と試薬のシステムを市販することで、多くの研究者に利用できることになったことであるhttps://www.10xgenomics.com/jp/。Svenssonらによる最近のデータベースhttps://www.biorxiv.org/content/10.1101/742304v2, https://www.nxn.se/single-cell-studies/guiでは、scRNA-seqを用いた論文で用いられた方法について網羅的に調査しているが、この数年、10xGenomics社のChromiumを用いた方法が飛躍的に増加し、ほぼ寡占状態になりつつあることがわかる(現在、10XGenomics社とBioRad社の間で関連特許をめぐる係争がある。)。このシステムは市販であるので導入が容易であり、inDropやDropSeqに比べ、多くの転写産物の高感度検出が可能であるが、ランニングコストが高い。
 
==scRNA-seqの実際==
ここでは主流になっている10xGenomics社のChromiumを用いた方法とSMART-seqなどを用いた方法に共通する方法の実際について議論する。シングルセルRNAシーケンシングの利用には、4つのステップがある。1)細胞をバラバラに単離すること。2)ライブラリーの作製とNGSシーケンシング。3)前処理(preprocessing、得られた配列の整理)。4)ダウンストリーム分析(生物学的な情報を得る)。これらのうち、2)の段階については、上に記述したように市販の機器や試薬を利用することが多くなっているので、各社のマニュアル等を参考にするのが現実的である。
ここでは主流になっている10xGenomics社のChromiumを用いた方法とSMART-seqなどを用いた方法に共通する方法の実際について議論する。シングルセルRNAシーケンシングの利用には、4つのステップがある。1)細胞をバラバラに単離すること。2)ライブラリーの作製とNGSシーケンシング。3)前処理(preprocessing、得られた配列の整理)。4)ダウンストリーム分析(生物学的な情報を得る)。これらのうち、2)の段階については、上に記述したように市販の機器や試薬を利用することが多くなっているので、各社のマニュアル等を参考にするのが現実的である。


===組織からの細胞の分離====
===組織からの細胞の分離===
血液細胞のように浮遊した細胞ではない場合、物理的あるいは酵素処理などによって、生組織から状態の良い細胞をdissociationする必要がある。神経系組織の酵素処理には、パパインを用いる方法が広く用いられている。ただ、しばしば問題となるのが、酵素処理のため短時間加温することで、発現が変化する遺伝子が存在することである。例えば、脳のミクログリアの解析には、低温下で組織をホモゲナイズするなどの工夫が必要であった(Hammond et al., 2019)。また、酵素処理時に転写阻害剤であるアクチノマイシンで処理することで、このような現象を抑制できる(Wu et al., 2017)。更に、ヒマラヤ氷河から得られた細菌Bacillus licheniformisから得られた低温プロテアーゼを用いる方法も報告されている(Adam et al., 2017)。
血液細胞のように浮遊した細胞ではない場合、物理的あるいは酵素処理などによって、生組織から状態の良い細胞をdissociationする必要がある。神経系組織の酵素処理には、パパインを用いる方法が広く用いられている。ただ、しばしば問題となるのが、酵素処理のため短時間加温することで、発現量が変化する遺伝子が存在することである。例えば、脳のミクログリアの解析には、低温下で組織をホモゲナイズするなどの工夫が必要であった<ref><pubmed>30471926</pubmed></ref>。また、酵素処理時に転写阻害剤であるアクチノマイシンで処理することで、このような現象を抑制できる<ref><pubmed>29024657</pubmed></ref>。更に、ヒマラヤ氷河から得られた細菌Bacillus licheniformisから得られた低温プロテアーゼを用いる方法も報告されている<ref><pubmed>28851704</pubmed></ref>。なお、ヒト組織などから生細胞を得ることは困難なことが多い。この場合、凍結した組織から、各細胞由来の核を調製し、核内のmRNAを分析するアプローチもあり、細胞質を持つ生細胞を利用した場合より感度は劣るが、目的によっては利用可能である<ref><pubmed>30586455</pubmed></ref>。
単離した細胞は、そのまま10xGenomicsのChromiumのプラットフォームに導入することができるが、抗体などを用いたFACS、パニング、磁気ビーズカラムなどによる細胞の単離を行う場合もある。
単離した細胞は、そのまま10xGenomicsのChromiumのプラットフォームに導入することができるが、抗体などを用いたFACS、パニング、磁気ビーズカラムなどによる特定のマーカーを細胞表面などに発現する細胞の単離を行う場合もある。
なお、ヒト組織などから生細胞を得ることは困難なことが多い。この場合、凍結した組織から、核を調製し、これを分析する方法がある()。更に、RNAを分析するscRNA-seqではないが、シングルセルの遺伝子発現を推定する方法として、トランスポゾンを用いることでゲノムのオープンクロマチン領域を選択的に検出し、ライブラリーを作製しシーケンスするATAC-seq (Assay for Transposase-Accessible Chromatin)がある。
更に、RNAを分析するscRNA-seqではないが、シングルセルgenome-seqの変法として、シングルセルの遺伝子発現を推定する方法として、トランスポゾンを用いることでゲノムのオープンクロマチン領域を選択的に検出し、ライブラリーを作製しシーケンスするsingle cell ATAC-seq (Assay for Transposase-Accessible Chromatin)がある<ref><pubmed>26083756</pubmed></ref>。
 


===scRNA-seqデータの前処理===
===scRNA-seqデータの前処理===
Seurat, Scanpyなどのソフト。
血液細胞のように浮遊した細胞ではない場合、物理的あるいは酵素処理などによって、生組織から状態の良い細胞をdissociationする必要がある。神経系組織の酵素処理には、パパインを用いる方法が広く用いられている。ただ、しばしば問題となるのが、酵素処理のため短時間加温することで、発現量が変化する遺伝子が存在することである。例えば、脳のミクログリアの解析には、低温下で組織をホモゲナイズするなどの工夫が必要であった<ref><pubmed>30471926</pubmed></ref>。また、酵素処理時に転写阻害剤であるアクチノマイシンで処理することで、このような現象を抑制できる<ref><pubmed>29024657</pubmed></ref>。更に、ヒマラヤ氷河から得られた細菌Bacillus licheniformisから得られた低温プロテアーゼを用いる方法も報告されている<ref><pubmed>28851704</pubmed></ref>。なお、ヒト組織などから生細胞を得ることは困難なことが多い。この場合、凍結した組織から、各細胞由来の核を調製し、核内のmRNAを分析するアプローチもあり、細胞質を持つ生細胞を利用した場合より感度は劣るが、目的によっては利用可能である<ref><pubmed>30586455</pubmed></ref>。
Transcriptomeとの照合。質のチェック。
単離した細胞は、そのまま10xGenomicsのChromiumのプラットフォームに導入することができるが、抗体などを用いたFACS、パニング、磁気ビーズカラムなどによる特定のマーカーを細胞表面などに発現する細胞の単離を行う場合もある。
視覚化(Visualization。tSNE。
更に、RNAを分析するscRNA-seqではないが、シングルセルgenome-seqの変法として、シングルセルの遺伝子発現を推定する方法として、トランスポゾンを用いることでゲノムのオープンクロマチン領域を選択的に検出し、ライブラリーを作製しシーケンスするsingle cell ATAC-seq (Assay for Transposase-Accessible Chromatin)がある<ref><pubmed>26083756</pubmed></ref>。
 


===ダウンストリーム分析===
===ダウンストリーム解析===
Dimensionality Reductionとクラスタリング。
クラスタリングにより、異なった細胞集団の存在が認識されると、それぞれのクラスターに特徴的に発現している遺伝子を具体的に探索し、細胞集団の持つバイオマーカーによって、そのクラスターの同定が可能になる。例えば、既にニューロンとグリア細胞に特異的に発現する典型的マーカーはよく知られており、それぞれのクラスターの識別は容易である。更に、ニューロンのタイプごとに区別されるマーカーは、In situ hybridizationや免疫組織化学などにより確認できる。このようなクラスターごとに発現が異なる遺伝子(差次的発現遺伝子)を見つけるためには、Seuratのコードや他のダウンストリーム解析のためのコード(MAST <ref><pubmed>26653891</pubmed></ref>など)を用いることができる。scRNA-seqの解析に必要な様々なコードは、scRNA-tools <ref>https://www.scrna-tools.org</ref>やBioconductor<ref> https://www.bioconductor.org</ref>で紹介されており、ダウンロードも可能である。また、最新の情報については、bioRxivなどのプレプリントサーバで公開されていることが多い。細胞ごとの差次的発現遺伝子の可視化には、ドットプロットやヴァイオリンプロットなどが頻繁に用いられる(図4)。
マーカー遺伝子とクラスタリングの同定。
また、scRNA-seqでしばしば得られる情報には、細胞の分類とそれらの類縁関係、状態、それらのバイオマーカー遺伝子だけでなく、病態や発生途上の細胞系譜などの動態がある。これらの分析のためには、成分分析(compositional analysis)や系譜干渉(Trajectory interference)の解析手法が用いられる。
DE遺伝子、の検出、MAST。
https://github.com/dynverse/dynmethods
組成解析。
また発現している遺伝子側から見た場合、制御ネットワークやパスウェイ解析といったシステム生物学で用いられてきた手法も用いられる。
Trajectory interference 発生。発現の動態。


==神経科学への応用==
==神経科学への応用==

2019年12月30日 (月) 07:30時点における版

山形方人
Harvard University
DOI:10.14931/bsd.8038 原稿受付日:年月日 原稿完成日:年月日
担当編集委員:

英:single cell RNA sequencing, scRNA-seq

シングルセルRNAシーケンシング(single cell RNA sequencing, 以下scRNA-seq)は、次世代シーケンシング (next generation sequencing、以下NGS)技術を使用して個々の細胞が発現しているmRNA全体、つまりトランスクリプトームを質的、量的に網羅的に調べ、細胞ごとの違いを高解像度で検出、分類することで、細胞の分類を行うことができる分子生物学的、コンピュータ生物学的技術である。また、刺激、発生など細胞の状況に応じて、個々の細胞のトランスクリプトームの情報を得ることで、病態や細胞系譜などの解析も可能である。特に多様なニューロンが存在する神経系では、この方法により、神経細胞の分類や状態についての知見が深まり、更に新しいバイオマーカー(biomarker)の同定などが網羅的に行われるようになった。 。

トランスクリプトーム

トランスクリプトーム(transcriptome)は、細胞中に存在する全ての転写産物(タンパク質をコードするmRNA、タンパク質をコードしないノンコーディングRNA、マイクロRNAなど)の総体である[1][2]。トランスクリプトームは、ゲノムとは異なり、同一の個体でも、組織ごとに、更には発生段階や細胞外環境や刺激によって変化する。トランスクリプトームは、同質あるいは異質の多数の細胞集団(組織、培養細胞)からRNA抽出後、cDNAに変換し、それを1990年代に出現したDNAマイクロアレイのように数多くの既知mRNAを識別する技術によって解析されるようになった。その後、NGSの利用により、希少mRNAやノンコーディングRNAを含めた未知の転写産物の高感度検出が可能になるとともに、スプライシングで成熟していく過程のmRNAなど、転写産物の種類だけでなく、転写産物の構造的な違い(スプライシングバリアント、SNPs、変異など)の解析もできるようになった。また、NGSは、ヒトやモデル実験生物(マウス、ゼブラフィッシュ、ショウジョウバエ、センチュウなど)だけでなく、多種多様な生物のトランスクリプトームの把握も可能になった。本稿では、このような多数の細胞集団、つまり個体や特定の組織全体ではなく、細胞1つの持つトランスクリプトームを解析する方法(scRNA-seq)とそのscRNA-seqデータを利用することで得られる知見について概説する。

scRNA-seqの背景と開発史

1つの細胞の持つ生体物質を解明し、定量しようとする試みは古くからあった。1960年代になると、フローサイトメトリーを利用した蛍光活性化セルソーティング(Fluorescence-activated cell sorting, FACS)が発明され、標識抗体などのプローブと組み合わせることで、多数の細胞集団の中で1つの細胞が持っている分子の種類や量についての断片的な研究が可能になり、この方法は現在でも利用されている[3]。その後、免疫組織化学やin situ hybridizationなどにより、タンパク質やmRNAの種類や量が観察できるようになり、組織中に存在するそれぞれの細胞の同定などに活用されてきている。

1つの細胞内にある全RNA(ribosomal RNAを含む)は細胞種にもよるが1-50pgである。そのうち、mRNAの占める割合は1-5%程度である[4]。この微量のmRNAをcDNAに変換してから大幅に増幅できるPCRが発明されることで、1つの細胞が発現するmRNAを高感度で検出できるようになった。例えば、1991年、Linda BuckとRichard Axelは、嗅覚受容体がGタンパク質であると仮定し、個々の嗅覚細胞で特異的に観察されるGタンパク質mRNAを比較することで、嗅覚受容体の同定に成功した[5](2004年、ノーベル生理学・医学賞)。1995年になると、Catherine DulacとRichard Axelは、異なる鋤鼻神経細胞で特異的に発現する遺伝子を1つの細胞から作製したcDNAライブラリーを比較するディファレンシャル・スクリーニングにより、フェロモン受容体を同定した[6]。同じ手法で異なる種類の神経細胞で発現している遺伝子も同定されており[7][8]、1つの細胞の持つトランスクリプトームを比較するアプローチが神経系で特徴的に発現している遺伝子の同定に原理的に効果的であることを示した。

一方で多くの種類のmRNAを1細胞レベルで観察する単細胞トランスクリプトームには技術的なブレークスルーが待たれた。第一の問題はPCRなどの増幅に伴うcDNAごとのバイアスなどのアーティファクトが頻繁に観察されること、そしてもう一つの問題は多種類のcDNAを簡便に識別することを可能にする方法の開発であった。これを可能にしたのが、cDNA増幅法の改良とマイクロアレイの利用であった[9]。しかしながら、増幅に伴うアーティファクトの解決は依然として不十分で、また1つの細胞ごとに高価なマイクロアレイを使用することは、多数の細胞のトランスクリプトームを観察するのには限界があった。2009年になると、これらの問題を解決できる可能性として、High-throughput sequencing (HTS)を利用するscRNA-seqプロトコルがAzim Suraniのグループによって報告された[10]。しかしながら、この論文でもたった8個の細胞の解析に留まっており、この方法でも一つの細胞ごとに処理を行うという操作が必要で、多数の細胞についてのトランスクリプームを一挙に理解することはできなかった。

scRNA-seqの現在

それ以来、完全長cDNAを増幅したり、細胞ごとに異なる分子識別子(unique molecular identifiers: UMI)を持つcDNAを増幅させるscRNA-seqが考案され始め、2013年には、このような1細胞のシーケンシング技術が、Nature Methods誌のMethod of the Year に選ばれた https://www.nature.com/collections/mysbdwgfll。たとえば、SMART-seq(Switch mechanism at the 5' End of RNA Templates)[11]およびその改良されたプロトコルであるSMART-seq2 [12] [13]は、完全長cDNA合成のためのプロトコルである。また、MARS-seq(Massively parallel single-cell RNA-seq)[14]、STRT(single-cell tagged reverse transcription)[15] [16]、CEL-seq(Cell Expression by Linear amplification and Sequencing)[17]、CEL-seq2[18]などが報告されてきた。特にSMART-seq(SMART-seq2)は、微小管によるマニュアル捕獲、限界希釈、セルソーター、レーザー捕獲法などを用いる多穴プレート法、更に半導体集積回路製作技術で作った流体集積回路を利用するFluidigm C1の装置https://jp.fluidigm.comと組み合わせることで利用される機会が多い。このプロトコールの特徴は、全長トランスクリプトームを得ることができることであり、mRNAのスプライシングバリアントなどのアイソフォーム、SNPs、変異の検出にも利用できる点で次に説明するUMIを用いる方法に比べて利点があるが、そのコストと処理可能な細胞数の点で弱点がある。

しかしながら、更に、重要なscRNA-seqの方法論についての進歩は、2015年、Harvard Medical Schoolの独立した2つのグループが、inDropそしてDrop-seqという類似した2つの高スループットな方法を開発したことであろう[19] [20]。これらの方法では、マイクロ流体力学 (Microfluidics) 、 UMIとしてDNAバーコーディング (DNA barcoding) 、そしてNGSを利用することで、自動化とサンプル調製の容易さから、1つの細胞あたりに要するコストを大幅に低下させることに成功した(Drop-seqは発表時で、1細胞あたり6セント)。つまり、細胞1つずつをマイクロ流体力学によるエマルジョン技術を利用した装置に流入させ、その1細胞を試薬を封入した1つのDroplet(油滴)に自動的に閉じ込める。そのDroplet中には、DropletごとにUMIとして異なったDNAバーコードを持つゲルビーズが入っており、それを足場にcDNA合成反応を実施することで、同じ細胞に含まれていたmRNAが同じUMIを持つcDNAとして合成され、Dropletを破壊した後も、そのmRNA/cDNAが由来した細胞を識別できるということを利用している(図1)。このようにして増幅したUMI付きcDNAをNGSで配列決定することによりscRNA-seqが可能になる。なお、DropSeqはコストが低いが、細胞の取得率と検出感度が低い弱点がある。inDropはDropSeqより細胞取得率が高く、パラメータを調整することで低レベルで発現される遺伝子の検出に有利である。

inDropの方法は、1 Cellbio社から販売されているhttps://1cell-bio.com。しかし、特に重要なのは10xGenomics社が同様の原理を用いた「Chromium」と命名された機器と試薬のシステムを市販することで、多くの研究者に利用できることになったことであるhttps://www.10xgenomics.com/jp/。Svenssonらによる最近のデータベースhttps://www.biorxiv.org/content/10.1101/742304v2, https://www.nxn.se/single-cell-studies/guiでは、scRNA-seqを用いた論文で用いられた方法について網羅的に調査しているが、この数年、10xGenomics社のChromiumを用いた方法が飛躍的に増加し、ほぼ寡占状態になりつつあることがわかる(現在、10XGenomics社とBioRad社の間で関連特許をめぐる係争がある。)。このシステムは市販であるので導入が容易であり、inDropやDropSeqに比べ、多くの転写産物の高感度検出が可能であるが、ランニングコストが高い。

scRNA-seqの実際

ここでは主流になっている10xGenomics社のChromiumを用いた方法とSMART-seqなどを用いた方法に共通する方法の実際について議論する。シングルセルRNAシーケンシングの利用には、4つのステップがある。1)細胞をバラバラに単離すること。2)ライブラリーの作製とNGSシーケンシング。3)前処理(preprocessing、得られた配列の整理)。4)ダウンストリーム分析(生物学的な情報を得る)。これらのうち、2)の段階については、上に記述したように市販の機器や試薬を利用することが多くなっているので、各社のマニュアル等を参考にするのが現実的である。

組織からの細胞の分離

血液細胞のように浮遊した細胞ではない場合、物理的あるいは酵素処理などによって、生組織から状態の良い細胞をdissociationする必要がある。神経系組織の酵素処理には、パパインを用いる方法が広く用いられている。ただ、しばしば問題となるのが、酵素処理のため短時間加温することで、発現量が変化する遺伝子が存在することである。例えば、脳のミクログリアの解析には、低温下で組織をホモゲナイズするなどの工夫が必要であった[21]。また、酵素処理時に転写阻害剤であるアクチノマイシンで処理することで、このような現象を抑制できる[22]。更に、ヒマラヤ氷河から得られた細菌Bacillus licheniformisから得られた低温プロテアーゼを用いる方法も報告されている[23]。なお、ヒト組織などから生細胞を得ることは困難なことが多い。この場合、凍結した組織から、各細胞由来の核を調製し、核内のmRNAを分析するアプローチもあり、細胞質を持つ生細胞を利用した場合より感度は劣るが、目的によっては利用可能である[24]。 単離した細胞は、そのまま10xGenomicsのChromiumのプラットフォームに導入することができるが、抗体などを用いたFACS、パニング、磁気ビーズカラムなどによる特定のマーカーを細胞表面などに発現する細胞の単離を行う場合もある。 更に、RNAを分析するscRNA-seqではないが、シングルセルgenome-seqの変法として、シングルセルの遺伝子発現を推定する方法として、トランスポゾンを用いることでゲノムのオープンクロマチン領域を選択的に検出し、ライブラリーを作製しシーケンスするsingle cell ATAC-seq (Assay for Transposase-Accessible Chromatin)がある[25]


scRNA-seqデータの前処理

血液細胞のように浮遊した細胞ではない場合、物理的あるいは酵素処理などによって、生組織から状態の良い細胞をdissociationする必要がある。神経系組織の酵素処理には、パパインを用いる方法が広く用いられている。ただ、しばしば問題となるのが、酵素処理のため短時間加温することで、発現量が変化する遺伝子が存在することである。例えば、脳のミクログリアの解析には、低温下で組織をホモゲナイズするなどの工夫が必要であった[26]。また、酵素処理時に転写阻害剤であるアクチノマイシンで処理することで、このような現象を抑制できる[27]。更に、ヒマラヤ氷河から得られた細菌Bacillus licheniformisから得られた低温プロテアーゼを用いる方法も報告されている[28]。なお、ヒト組織などから生細胞を得ることは困難なことが多い。この場合、凍結した組織から、各細胞由来の核を調製し、核内のmRNAを分析するアプローチもあり、細胞質を持つ生細胞を利用した場合より感度は劣るが、目的によっては利用可能である[29]。 単離した細胞は、そのまま10xGenomicsのChromiumのプラットフォームに導入することができるが、抗体などを用いたFACS、パニング、磁気ビーズカラムなどによる特定のマーカーを細胞表面などに発現する細胞の単離を行う場合もある。 更に、RNAを分析するscRNA-seqではないが、シングルセルgenome-seqの変法として、シングルセルの遺伝子発現を推定する方法として、トランスポゾンを用いることでゲノムのオープンクロマチン領域を選択的に検出し、ライブラリーを作製しシーケンスするsingle cell ATAC-seq (Assay for Transposase-Accessible Chromatin)がある[30]


ダウンストリーム解析

クラスタリングにより、異なった細胞集団の存在が認識されると、それぞれのクラスターに特徴的に発現している遺伝子を具体的に探索し、細胞集団の持つバイオマーカーによって、そのクラスターの同定が可能になる。例えば、既にニューロンとグリア細胞に特異的に発現する典型的マーカーはよく知られており、それぞれのクラスターの識別は容易である。更に、ニューロンのタイプごとに区別されるマーカーは、In situ hybridizationや免疫組織化学などにより確認できる。このようなクラスターごとに発現が異なる遺伝子(差次的発現遺伝子)を見つけるためには、Seuratのコードや他のダウンストリーム解析のためのコード(MAST [31]など)を用いることができる。scRNA-seqの解析に必要な様々なコードは、scRNA-tools [32]やBioconductor[33]で紹介されており、ダウンロードも可能である。また、最新の情報については、bioRxivなどのプレプリントサーバで公開されていることが多い。細胞ごとの差次的発現遺伝子の可視化には、ドットプロットやヴァイオリンプロットなどが頻繁に用いられる(図4)。 また、scRNA-seqでしばしば得られる情報には、細胞の分類とそれらの類縁関係、状態、それらのバイオマーカー遺伝子だけでなく、病態や発生途上の細胞系譜などの動態がある。これらの分析のためには、成分分析(compositional analysis)や系譜干渉(Trajectory interference)の解析手法が用いられる。 https://github.com/dynverse/dynmethods また発現している遺伝子側から見た場合、制御ネットワークやパスウェイ解析といったシステム生物学で用いられてきた手法も用いられる。

神経科学への応用

ニューロンのクラスとタイプ

様々な神経・精神疾患について理解しその診断や治療に役立てるためには、ニューロン、グリア細胞を中心にした神経系にある細胞の「タイプ」を識別し、それぞれの細胞における分子的な変化を観察することが重要である。近年、中枢神経系のグリア細胞にも、多様なアストロサイト、オリゴデンドロサイト、ミクログリアの存在が報告されてきている。一方で、ニューロンは著しく多様であり、このニューロンの多様性こそが、神経系を特徴づけており、その多彩で複雑な機能の発現に必須であることは疑う余地がない。 解剖学的な視点から言えば、すべてのニューロンの存在する位置は異なるので、すべてのニューロンは異なるという見方もできる。しかし、これは極論であり、従来の神経科学では、ニューロンの多様性は、それぞれのニューロンの解剖学的な位置、発現している分子、電気生理学、結合性、形態、神経伝達物質、神経伝達物質受容体とシグナル伝達によって識別されてきた。こうしたニューロンの多様性を便宜的に記述するのに、タイプ(type)、クラス(class)、サブクラス(subclass)、サブタイプ(subtype) というような用語が用いられてきた。しかし、本稿では混乱を防ぐため、Masland(2004)の提唱に従い、「クラス」と「タイプ」という単語を用いることとする。タイプは、これ以上分類することができないとされる階層である。例えば、大脳皮質の錐体細胞、網膜神経節細胞といった大雑把な識別は「クラス」と呼ぶ。大脳皮質の錐体細胞というクラスは、層や領野によって「タイプ」が異なるし、網膜神経節細胞には視覚情報によって応答が異なる「タイプ」が存在する。この分類は、免疫組織化学、形態、電気生理学などの技術により識別可能である暫定的なものに過ぎない。本稿で解説するscRNA-seqの技術は、その網羅性からそれぞれのニューロンについてこれまでにないビッグデータを提供することで、このニューロンのタイプの理解に確実な根拠を与えつつある。

大脳

その他のCNS

疾患

アルツハイマー、Autism

網膜

展望

データベース Human Cell Atlas Human Brain Transcriptome project Single cell portal Allen Brain Atlas

空間トランスクリプミクス

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