「ダウン症」の版間の差分

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 ダウン症は、精神遅滞の最も頻度の高い原因として知られる疾患で、特有の顔貌や、先天性心疾患、消化器疾患、免疫系・内分泌系の不全、白血病、アルツハイマー病など、多くの症状を様々な頻度で伴うことで知られる。精神遅滞はほぼ全ての患者で発症する。染色体の不分離や転座などにより21番染色体が1本余分で計3本(トリソミー)になることが原因であり、当該染色体上の遺伝子が過剰発現する事が症状を引き起こすと想定されている。およそ700人に一人の割合で生まれてくるとされるが、母親の出産年齢が高いほど発生頻度は増加する為、出産年齢の上昇が続く日本などの先進国では増加傾向にある。近年(2011〜2013年)、母体血液に微量に存在する胎児DNAを用いた高精度の診断法が導入され、社会的議論を呼んだ。2013年現在、精神遅滞などに対する根本治療法は無い。
 ダウン症は、精神遅滞の最も頻度の高い原因として知られる疾患で、特有の顔貌や、先天性心疾患、消化器疾患、免疫系・内分泌系の不全、白血病、アルツハイマー病など、多くの症状を様々な頻度で伴うことで知られる。精神遅滞はほぼ全ての患者で発症する。染色体の不分離や転座などにより21番染色体が1本余分で計3本(トリソミー)になることが原因であり、当該染色体上の遺伝子が過剰発現する事が症状を引き起こすと想定されている。およそ700人に一人の割合で生まれてくるとされるが、母親の出産年齢が高いほど発生頻度は増加する為、出産年齢の上昇が続く日本などの先進国では増加傾向にある。近年(2011〜2013年)、母体血液に微量に存在する胎児DNAを用いた高精度の診断法が導入され、社会的議論を呼んだ。2013年現在、精神遅滞などに対する根本治療法は無い。
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== 疫学 ==
== 疫学 ==


 およそ700人に一人の割合で生まれてくるとされる(Hook,1981)。母親の出産年齢が高いほど発生頻度は増加し、25歳未満でおよそ1/2000、35歳で1/300、40歳で1/100、45歳以上でおよそ1/20となる。日本では、近年の出産年齢の急激な上昇(1980年では第一子出産年齢平均が26.4歳だったのが2013年では30.1歳)で増加傾向にある。
 およそ700人に一人の割合で生まれてくるとされる<ref name=ref1><pubmed>6455611</pubmed></ref>。母親の出産年齢が高いほど発生頻度は増加し、25歳未満でおよそ1/2000、35歳で1/300、40歳で1/100、45歳以上でおよそ1/20となる。日本では、近年の出産年齢の急激な上昇(1980年では第一子出産年齢平均が26.4歳だったのが2013年では30.1歳)で増加傾向にある。


== 研究 ==
== 研究 ==


 実際にどの遺伝子がどの症状の発症にどのように関わるのかを調べることが重要な課題である。ダウン症はそのほとんどが第21染色体がトリソミー(3コピー)になることにより引き起こされるが、ごくわずかの症例で第21染色体の一部のみがトリソミーになっているものが見られる。これらの症例の症状とトリソミーになっている領域を比較することにより、それぞれの症状に責任のある遺伝子の場所をある程度推定することが出来るとして複数の研究が報告されている。Niebuhr(1974)らはAPPからテロメアを部分トリソミーでもつ患者がダウン症の主な症状を有することから、この領域が重要であるとした。更に、セントロメアからSODまでをトリソミーで有する患者では精神遅滞の程度が軽いとする報告がある(Williams et al., 1990)。Delabar(1993)らは複数の部分トリソミー患者を検討することによりD21S55を含む4Mbの領域が重要としダウン症責任領域(DSCR)と名付けた。一方、Korenberg(1994)らは複数の領域が発症に関わるとし、DSCRのような単一の領域が主な症状すべてに責任を持つとする説を否定している。又、精神遅滞については軽重の差こそあれ重複のない異なる領域を部分トリソミーで有する複数の患者で見られることから、その発症にかかわる遺伝子が第21染色体上に複数あることは間違いない。
 実際にどの遺伝子がどの症状の発症にどのように関わるのかを調べることが重要な課題である。ダウン症はそのほとんどが第21染色体がトリソミー(3コピー)になることにより引き起こされるが、ごくわずかの症例で第21染色体の一部のみがトリソミーになっているものが見られる。これらの症例の症状とトリソミーになっている領域を比較することにより、それぞれの症状に責任のある遺伝子の場所をある程度推定することが出来るとして複数の研究が報告されている。NiebuhrらはAPPからテロメアを部分トリソミーでもつ患者がダウン症の主な症状を有することから、この領域が重要であるとした<ref name=ref2><pubmed>4276065</pubmed></ref>。更に、セントロメアからSODまでをトリソミーで有する患者では精神遅滞の程度が軽いとする報告がある<ref name=ref3><pubmed>2149936</pubmed></ref>。Delabarらは複数の部分トリソミー患者を検討することによりD21S55を含む4Mbの領域が重要としダウン症責任領域(DSCR)と名付けた<ref name=ref4><pubmed>8055322</pubmed></ref>。一方、Korenbergらは複数の領域が発症に関わるとし、DSCRのような単一の領域が主な症状すべてに責任を持つとする説を否定している<ref name=ref5><pubmed>8197171</pubmed></ref>。又、精神遅滞については軽重の差こそあれ重複のない異なる領域を部分トリソミーで有する複数の患者で見られることから、その発症にかかわる遺伝子が第21染色体上に複数あることは間違いない。


 ヒトでのダウン症研究の一方で、マウスを使った研究も進められている。ヒト第21染色体に対応するのがマウス第16染色体の一部であり、現在までに、この第16染色体の部分トリソミーを持ついくつかのマウスがダウン症のモデルとして報告されている。Ts65Dn (Davisson et al., 1990) およびTs2Cje (Villar et al., 2005)はAPPからMx1までの15.6Mbの部分をトリソミーで持ち、Ts1Cje (Sago et al., 1998) はSOD1からMX1までの9.8Mbの大きさをトリソミーで持つ。これらのマウスではモリス水迷路テストなどの行動学的試験が行われ精神遅滞様の行動異常が確認されているが、Ts1CjeはTs65Dn,Ts2Cjeに比べて学習障害の程度が軽く、ダウン症患者でみられるコリン作動性ニューロンの変性はTs65Dnのみで見られるなどの違いが確認されている (Reeves et al., 1995; Sago et al., 1998; Villar et al., 2005)。ダウン症の患者では小脳が小さいことは先にも述べたが、これらのマウスモデルでも小脳が小さいことが確認されており、更にその程度はTs1CjeとTs65Dnでほぼ同じであることから、少なくとも小脳のサイズを小さくしている遺伝子はTs1Cjeがトリソミーで持つ領域に存在する遺伝子である可能性が高い。Ms1Ts65はTs65Dnがトリソミーで持つ部分のうち、Ts1Cjeに対応する部分をのぞいたAPPからSOD1までの領域をトリソミーで持つマウスであり、精神遅滞様行動の程度はTs1Cjeのそれよりも、更に軽いと報告されている(Sago et al., 2000)。最近では更に領域を絞り込んだトリソミーモデルマウス、Ts1Rhr、も報告されている(Olson et al., 2004; Belichenko et al., 2009)。これらのマウスモデルを用いた解析により、酸化ストレスの上昇(Shukkur et al., 2006; Ishihara et al., 2009)、神経新生の異常(Ishihara et al., 2010)、神経活動の過剰抑制(Siary et al., 1997; Belichenko et al., 2004; Klechenikov et al., 2004)など複数の異常カスケードがダウン症発症に寄与するメカニズムとして提案されている。
 ヒトでのダウン症研究の一方で、マウスを使った研究も進められている。ヒト第21染色体に対応するのがマウス第16染色体の一部であり、現在までに、この第16染色体の部分トリソミーを持ついくつかのマウスがダウン症のモデルとして報告されている。Ts65Dn<ref name=ref6><pubmed>2147289</pubmed></ref>およびTs2Cje<ref name=ref7><pubmed>15859352</pubmed></ref>はAPPからMx1までの15.6Mbの部分をトリソミーで持ち、Ts1Cje<ref name=ref8><pubmed>9600952</pubmed></ref>はSOD1からMX1までの9.8Mbの大きさをトリソミーで持つ。これらのマウスではモリス水迷路テストなどの行動学的試験が行われ精神遅滞様の行動異常が確認されているが、Ts1CjeはTs65Dn,Ts2Cjeに比べて学習障害の程度が軽く、ダウン症患者でみられるコリン作動性ニューロンの変性はTs65Dnのみで見られるなどの違いが確認されている<ref name=ref9><pubmed>7550346</pubmed></ref> <ref name=ref8> <ef name=ref7 />。ダウン症の患者では小脳が小さいことは先にも述べたが、これらのマウスモデルでも小脳が小さいことが確認されており、更にその程度はTs1CjeとTs65Dnでほぼ同じであることから、少なくとも小脳のサイズを小さくしている遺伝子はTs1Cjeがトリソミーで持つ領域に存在する遺伝子である可能性が高い。Ms1Ts65はTs65Dnがトリソミーで持つ部分のうち、Ts1Cjeに対応する部分をのぞいたAPPからSOD1までの領域をトリソミーで持つマウスであり、精神遅滞様行動の程度はTs1Cjeのそれよりも、更に軽いと報告されている<ref name=ref10><pubmed>11044479</pubmed></ref>。最近では更に領域を絞り込んだトリソミーモデルマウス、Ts1Rhr、も報告されている<ref name=ref11><pubmed>15499018</pubmed></ref> <ref name=ref12><pubmed>19420260</pubmed></ref>。これらのマウスモデルを用いた解析により、酸化ストレスの上昇(Shukkur et al., 2006; Ishihara et al., 2009)、神経新生の異常(Ishihara et al., 2010)、神経活動の過剰抑制(Siary et al., 1997; Belichenko et al., 2004; Klechenikov et al., 2004)など複数の異常カスケードがダウン症発症に寄与するメカニズムとして提案されている。


 第21染色体上に存在する複数の遺伝子が精神遅滞の発症に関わる遺伝子の候補として報告されている。Sim2はhelix-loop-helix構造を持ち、中枢神経系の初期発生に関わる転写制御因子であり、ベータアクチンプロモーター下で発現制御されたSIM2を持つトランスジェニックマウスでの記憶学習能力の異常(Ema et al., 1999)、Sim2を有するBACクローンのトランスジェニックマウスでの不安行動、痛覚鈍麻、社会性行動減少 (Chrast et al., 2000)などが報告されている。DYRK1Aはハエで同定され、細胞の発生・分化の制御に関わる遺伝子として知られるminibrainのヒトホモログであるが、DYRK1Aを含むYACのトランスジェニックマウスで記憶学習能力の異常が報告されている (Smith et al., 1997)。更にはDYRK1AがDSCR1/RCAN1と共同して転写因子NFATcの機能を抑制し、これがダウン症症状の発現に寄与するとの報告もある(Arron et al., 2006)。最近では転写因子Olig1/Olig2がある種の抑制性神経細胞の数を増やし、これが神経活動の過剰抑制につながり、ダウン症の知能障害につながるとの報告(Chakrabarti et al., 2010)などもある。しかしながら、これらの遺伝子のダウン症発症に於ける実際の意義については確定的な事が言える状況では到底無く、それらを明らかにし、更には実際の治療に結びつけて行く為には今後更なる検証、研究が必要である。
 第21染色体上に存在する複数の遺伝子が精神遅滞の発症に関わる遺伝子の候補として報告されている。Sim2はhelix-loop-helix構造を持ち、中枢神経系の初期発生に関わる転写制御因子であり、ベータアクチンプロモーター下で発現制御されたSIM2を持つトランスジェニックマウスでの記憶学習能力の異常(Ema et al., 1999)、Sim2を有するBACクローンのトランスジェニックマウスでの不安行動、痛覚鈍麻、社会性行動減少 (Chrast et al., 2000)などが報告されている。DYRK1Aはハエで同定され、細胞の発生・分化の制御に関わる遺伝子として知られるminibrainのヒトホモログであるが、DYRK1Aを含むYACのトランスジェニックマウスで記憶学習能力の異常が報告されている (Smith et al., 1997)。更にはDYRK1AがDSCR1/RCAN1と共同して転写因子NFATcの機能を抑制し、これがダウン症症状の発現に寄与するとの報告もある(Arron et al., 2006)。最近では転写因子Olig1/Olig2がある種の抑制性神経細胞の数を増やし、これが神経活動の過剰抑制につながり、ダウン症の知能障害につながるとの報告(Chakrabarti et al., 2010)などもある。しかしながら、これらの遺伝子のダウン症発症に於ける実際の意義については確定的な事が言える状況では到底無く、それらを明らかにし、更には実際の治療に結びつけて行く為には今後更なる検証、研究が必要である。