「パニック症」の版間の差分

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=== 病名の変遷 ===  
=== 病名の変遷 ===  


 図2に示したように、「パニック障害」という病名そのものは新しいものであるが、実は、同様の症状を呈する疾患の記述は19世紀まで遡る。当初は内科医の報告ばかりであるが、その後[[精神疾患]]との解釈がなされ、様々な病名がつけられた。有名なところでは、[[wikipedia:JA:ジークムント・フロイト|フロイト]]の「[[不安神経症]]」もPDを含む概念である。図をみるとわかるように、特に、戦時中にPAを呈する兵士が続発したことから、戦時中に数々の病名が生まれた経緯がある。そして、1980年になり、PDが本格的に世に出たわけであるが<ref name="ref1">American Psychiatric Association: Quick Reference to the Diagnostic Criteria form DSM-Ⅲ<br>''American Psychiatric Association, Washington D.C.,''1980<br>(高橋三郎,花田耕一,藤縄昭訳.DSM-Ⅲ精神障害の分類と診断の手引.医学書院,東京,1982)</ref>、それは、1960年代に出された2つの論文によるところが大きい。つまり、まず1964年にKleinは[[三還系抗うつ薬]](Tricyclic antidepressant:TCA)である[[wikipedia:JA:イミプラミン|イミプラミン]]がPAを抑制したと報告した<ref><pubmed>14194683</pubmed></ref>。そしてその3年後の1967年には、PittsとMcClureによって、PD患者(当時は、“不安神経症“)では[[wikipedia:JA:乳酸|乳酸]]静注によってPAが生じるが、正常者ではそのようなことは起こらないことがわかったのである<ref><pubmed>6081131</pubmed></ref>。したがって、PDは、フロイドが言うように内的不安が蓄積・爆発して生じるのではなく、生物学的な異常を基礎として生じているものであり、不安神経症とは独立した疾患概念であるとの見解に至った。
 表2に示したように、「パニック障害」という病名そのものは新しいものであるが、実は、同様の症状を呈する疾患の記述は19世紀まで遡る。当初は内科医の報告ばかりであるが、その後[[精神疾患]]との解釈がなされ、様々な病名がつけられた。有名なところでは、[[wikipedia:JA:ジークムント・フロイト|フロイト]]の「[[不安神経症]]」もPDを含む概念である。図をみるとわかるように、特に、戦時中にPAを呈する兵士が続発したことから、戦時中に数々の病名が生まれた経緯がある。そして、1980年になり、PDが本格的に世に出たわけであるが<ref name="ref1">American Psychiatric Association: Quick Reference to the Diagnostic Criteria form DSM-Ⅲ<br>''American Psychiatric Association, Washington D.C.,''1980<br>(高橋三郎,花田耕一,藤縄昭訳.DSM-Ⅲ精神障害の分類と診断の手引.医学書院,東京,1982)</ref>、それは、1960年代に出された2つの論文によるところが大きい。つまり、まず1964年にKleinは[[三還系抗うつ薬]](Tricyclic antidepressant:TCA)である[[wikipedia:JA:イミプラミン|イミプラミン]]がPAを抑制したと報告した<ref><pubmed>14194683</pubmed></ref>。そしてその3年後の1967年には、PittsとMcClureによって、PD患者(当時は、“不安神経症“)では[[wikipedia:JA:乳酸|乳酸]]静注によってPAが生じるが、正常者ではそのようなことは起こらないことがわかったのである<ref><pubmed>6081131</pubmed></ref>。したがって、PDは、フロイドが言うように内的不安が蓄積・爆発して生じるのではなく、生物学的な異常を基礎として生じているものであり、不安神経症とは独立した疾患概念であるとの見解に至った。


== 病態仮説<ref name="ref15">'''塩入俊樹'''<br>パニック障害の生物学的病態:Stress-induced fear circuitry disordersの概念から.<br>''Bulletin of Depression and Anxiety disorders'' 8:6-8, 2011.</ref> ==
== 病態仮説<ref name="ref15">'''塩入俊樹'''<br>パニック障害の生物学的病態:Stress-induced fear circuitry disordersの概念から.<br>''Bulletin of Depression and Anxiety disorders'' 8:6-8, 2011.</ref> ==
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=== “Stress-induced fear circuit”とPD ===  
=== “Stress-induced fear circuit”とPD ===  


[[Image:図4:”Stress-induced fear circuit”の模式図.png|thumb|300px|<b>図4.Stress-induced fear circuit”の模式図</b>]] [[Image:図5:パニック障害の生物学的病態と治療.png|thumb|300px|<b>図5.パニック障害の生物学的病態と治療</b><br />注:オレンジ色の領域が過活動状態,水色の領域が低活動状態を表す]]  
[[Image:図2 ”Stress-induced fear circuit”の模式図.png|thumb|300px|<b>図4.Stress-induced fear circuit”の模式図</b>]] [[Image:図3 パニック障害の生物学的病態と治療.png|thumb|300px|<b>図5.パニック障害の生物学的病態と治療</b><br />注:オレンジ色の領域が過活動状態,水色の領域が低活動状態を表す]]  


 図4は、今まで述べてきた、“stress-induced fear circuit”の模式図である。先ほどから述べているように、感覚情報、例えばPD患者であればパニック発作時の動悸や発汗、息切れ等の身体感覚、SADであれば“人前でのスピーチ(public speaking)”の最中の緊張状態における身体感覚が、まず視床に入る。そして前述した2つのパターンで、一部はすぐに扁桃体に伝わり、他方は海馬や[[前部帯状回]]や前部帯状回を通り高次機能での分析が行われてから、扁桃体に投射する。この経路(青の点線)は抑制系なので、視床からの入力(=アクセル)によって扁桃体が過活動状態になるのにブレーキをかける。その結果、アクセルとブレーキの兼ね合いで扁桃体中心核から出力系が調整されるが、不安障害ではブレーキの効きが悪いために、前述したような視床下部、青斑核(LC)、結合腕傍核といった脳部位を病的に活性化してしまい、様々な身体症状(心拍数の増加、血圧上昇、過呼吸等)を出現させる。そしてまたこの身体症状を新たな感覚情報として取り込み、再びこの神経回路が働いてしまうという、負のスパイラルが生じる。そうなると、意識に調節(=前頭前野等の高次機能による抑性)はできなくなり、どんどん悪い方向へ向かってしまう。このように“stress-induced fear circuitry disorders”というのは、扁桃体が病的に過活動になってしまう、そして本来それを抑制しなければならない[[前頭前野]]あるいは前部帯状回等の機能が低下している病気、と言えるかもしれない(図5、参照)。  
 図2は、今まで述べてきた、“stress-induced fear circuit”の模式図である。先ほどから述べているように、感覚情報、例えばPD患者であればパニック発作時の動悸や発汗、息切れ等の身体感覚、SADであれば“人前でのスピーチ(public speaking)”の最中の緊張状態における身体感覚が、まず視床に入る。そして前述した2つのパターンで、一部はすぐに扁桃体に伝わり、他方は海馬や[[前部帯状回]]や前部帯状回を通り高次機能での分析が行われてから、扁桃体に投射する。この経路(青の点線)は抑制系なので、視床からの入力(=アクセル)によって扁桃体が過活動状態になるのにブレーキをかける。その結果、アクセルとブレーキの兼ね合いで扁桃体中心核から出力系が調整されるが、不安障害ではブレーキの効きが悪いために、前述したような視床下部、青斑核(LC)、結合腕傍核といった脳部位を病的に活性化してしまい、様々な身体症状(心拍数の増加、血圧上昇、過呼吸等)を出現させる。そしてまたこの身体症状を新たな感覚情報として取り込み、再びこの神経回路が働いてしまうという、負のスパイラルが生じる。そうなると、意識に調節(=前頭前野等の高次機能による抑性)はできなくなり、どんどん悪い方向へ向かってしまう。このように“stress-induced fear circuitry disorders”というのは、扁桃体が病的に過活動になってしまう、そして本来それを抑制しなければならない[[前頭前野]]あるいは前部帯状回等の機能が低下している病気、と言えるかもしれない(図3参照)。  


 また、[[背側縫線核]]から起こる[[セロトニン神経系]]の投射は、一般に青斑核を抑制するのに対し、青斑核から起こる投射は背側縫線核のセロトニンニューロンを刺激し、[[正中縫線核]]ニューロンを抑制する。さらに、背側縫線核からの投射は、前頭前野、扁桃体、視床下部、中脳水道周囲灰白質等へ伸びている。そのため、セロトニン神経系を調節することによって、「恐怖条件づけ」の神経回路の主要な領域に影響を与えられる可能性があり、[[ノルアドレナリン]]の活性低下、[[コルチコトロピン放出因子]]の放出低下、防衛と逃避行動の修正等が可能となる<ref name="ref17">'''Stein D J'''<br>Cognitive-Affective Neuroscience of Depression and Anxiety Disorders<br>Martin Dunitz, London, 2003.<br>(田島治,荒井まゆみ訳:不安とうつの脳と心のメカニズム:感情と認知のニューロサイエンス,星和書店,東京,2007)</ref>。また、前頭前野(あるいは前部帯状回)の働きにより恐怖条件づけが消去されることがわかっている<ref><pubmed>18668096</pubmed></ref>。これは[[認知行動療法]](cognitive behavioral therapy, CBT)による治療の際に行われているものと推定されている(図5、参照)。
 また、[[背側縫線核]]から起こる[[セロトニン神経系]]の投射は、一般に青斑核を抑制するのに対し、青斑核から起こる投射は背側縫線核のセロトニンニューロンを刺激し、[[正中縫線核]]ニューロンを抑制する。さらに、背側縫線核からの投射は、前頭前野、扁桃体、視床下部、中脳水道周囲灰白質等へ伸びている。そのため、セロトニン神経系を調節することによって、「恐怖条件づけ」の神経回路の主要な領域に影響を与えられる可能性があり、[[ノルアドレナリン]]の活性低下、[[コルチコトロピン放出因子]]の放出低下、防衛と逃避行動の修正等が可能となる<ref name="ref17">'''Stein D J'''<br>Cognitive-Affective Neuroscience of Depression and Anxiety Disorders<br>Martin Dunitz, London, 2003.<br>(田島治,荒井まゆみ訳:不安とうつの脳と心のメカニズム:感情と認知のニューロサイエンス,星和書店,東京,2007)</ref>。また、前頭前野(あるいは前部帯状回)の働きにより恐怖条件づけが消去されることがわかっている<ref><pubmed>18668096</pubmed></ref>。これは[[認知行動療法]](cognitive behavioral therapy, CBT)による治療の際に行われているものと推定されている(図5、参照)。