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 フェロモンに関わる研究は、昆虫を代表とする無脊椎動物の分野で大変に進んでおりすばらしい成果をあげている。一方、脊椎動物では研究が遅れている。われわれがもっとも興味を抱くヒトのフェロモンについては特にわからないことが多い。ここでは、昆虫等の成果を簡単に紹介し、脊椎動物、特に哺乳類のフェロモンについて解説する。
 フェロモンに関わる研究は、昆虫を代表とする無脊椎動物の分野で大変に進んでおりすばらしい成果をあげている。一方、脊椎動物では研究が遅れている。われわれがもっとも興味を抱くヒトのフェロモンについては特にわからないことが多い。ここでは、昆虫等の成果を簡単に紹介し、脊椎動物、特に哺乳類のフェロモンについて解説する。
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[[image:フェロモン1.png|thumb|300px|'''図1.''']]
[[image:フェロモン1.png|thumb|300px|'''図1.ボンビコールの分子構造(上)とカイコガの幼虫(中)および成虫(下)''']]


==化学物質としてのフェロモンの発見==
==化学物質としてのフェロモンの発見==
 フェロモンを化学物質として最初に同定したのは、ドイツの化学者ブテナントである。1957年に、カイコガの雌が雄を引きつける物質のボンビコール(Bombykol)である。カイコの学名のBombyx moriのBomyと“呼び出す”という意味のコール(call)を合成して名付けられた(図1)。
 フェロモンを化学物質として最初に同定したのは、ドイツの化学者ブテナントである。1957年に、カイコガの雌が雄を引きつける物質のボンビコール(Bombykol)である。カイコの学名のBombyx moriのBomyと“呼び出す”という意味のコール(call)を合成して名付けられた(図1)。


 その後、いくつかの[[昆虫]]の性誘因物質が発見された。1963年に、このような性質を持つ物質を、ギリシャ語のpherein(運ぶ)とhormon(興奮させる)からpheromone(フェロモン)と命名され、フェロモンは、「[[動物]]個体から放出され、同種他個体に『特有な反応』を引き起こす化学物質」と定義された1)。
 その後、いくつかの[[昆虫]]の性誘因物質が発見された。1963年に、このような性質を持つ物質を、ギリシャ語のpherein(運ぶ)とhormon(興奮させる)からpheromone(フェロモン)と命名され、フェロモンは、「[[動物]]個体から放出され、同種他個体に『特有な反応』を引き起こす化学物質」と定義された<ref name=ref1><pubmed></pubmed></ref>。


==昆虫のフェロモン==
==昆虫のフェロモン==
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 多数のアリが行列をなして餌を採集に行く、この行動は1匹のアリが餌を見つけた際に地面に匂いを残して、他のアリに後を追わせることで進行する。この匂い物質が道しるべフェロモンである。約20種のフェロモンが知られている。
 多数のアリが行列をなして餌を採集に行く、この行動は1匹のアリが餌を見つけた際に地面に匂いを残して、他のアリに後を追わせることで進行する。この匂い物質が道しるべフェロモンである。約20種のフェロモンが知られている。
==哺乳類のフェロモン候補物質==
==哺乳類のフェロモン候補物質==
[[image:フェロモン2.png|thumb|300px|'''図2.''']]
[[image:フェロモン2.png|thumb|300px|'''図2.哺乳類のフェロモン候補'''<br>上から、ゾウ(ドデシニルアセテート)、ヤギ(エチルオクタナール)、ブタ(アンドロステノン)、ヒト(PDD:pregna-4,20,-diene-3,6,-dion)、マウス(ブチルジヒドロチアゾール、デヒドロブレビコミン)]]
 
 地球上には様々な[[哺乳類]]が生活しているが、その大半はネズミやタヌキのような夜行性と言われており、そのため視覚よりは匂いが重要な役割を果たすものが多い。まず図2に、代表的な哺乳類のフェロモンとして報告されている物質のいくつかを示す。
 地球上には様々な[[哺乳類]]が生活しているが、その大半はネズミやタヌキのような夜行性と言われており、そのため視覚よりは匂いが重要な役割を果たすものが多い。まず図2に、代表的な哺乳類のフェロモンとして報告されている物質のいくつかを示す。


 上から、一番目はゾウの雌から放出され雄のフレーメンを起こすフェロモンである2)。フレーメンとはウマやヒツジの雄が雌の尿や外陰部の匂いをかいだあと頭を上げ上唇をめくりあげ、目をむいてしばらく陶酔に浸るようにじっとその姿勢を保ち続ける行動をいう。ゾウでは長い鼻を高々と上げるポーズをとる。
 上から、一番目はゾウの雌から放出され雄のフレーメンを起こすフェロモンである<ref name=ref2><pubmed></pubmed></ref>。フレーメンとはウマやヒツジの雄が雌の尿や外陰部の匂いをかいだあと頭を上げ上唇をめくりあげ、目をむいてしばらく陶酔に浸るようにじっとその姿勢を保ち続ける行動をいう。ゾウでは長い鼻を高々と上げるポーズをとる。


  二番目はシバヤギの雄効果を引き起こす、4−エチルオクタナールです。東京大学農学部の森らにより報告された3)。脳内の[[視床下部]]に作用し、GnRHの[[分泌]]さらには下垂体からの黄体ホルモンの分泌を制御し、排卵を誘起する。5−6)で詳細を解説する。
  二番目はシバヤギの雄効果を引き起こす、4−エチルオクタナールです。東京大学農学部の森らにより報告された<ref name=ref3><pubmed></pubmed></ref>。脳内の[[視床下部]]に作用し、GnRHの[[分泌]]さらには下垂体からの黄体ホルモンの分泌を制御し、排卵を誘起する。5−6)で詳細を解説する。


 三番目はブタのフェロモンのアンドロステノンである。雄ブタの顎下腺から、発情期の雌が交尾姿勢をとるように誘引する効果を指標に見つけられた4)。このフェロモンは合成され「ボアメイト」という名前のスプレーとして市販されており、ブタの人工授精の際に利用されて繁殖率の向上に役立っている。実用化されたことから有名になった。
 三番目はブタのフェロモンのアンドロステノンである。雄ブタの顎下腺から、発情期の雌が交尾姿勢をとるように誘引する効果を指標に見つけられた<ref name=ref4><pubmed></pubmed></ref>。このフェロモンは合成され「ボアメイト」という名前のスプレーとして市販されており、ブタの人工授精の際に利用されて繁殖率の向上に役立っている。実用化されたことから有名になった。


 四番目は[[ヒト]]のフェロモンとして報告されたPDD (pregna-4,20-diene-3,6,-dione)である5)。人の[[皮膚]]から抽出され、自律機能や[[脳波]]に影響を与えると述べられている。[[ステロイドホルモン]]の生合成経路にあるプレグネノロンに大変よく似ている。6−3)で再度解説する。
 四番目は[[ヒト]]のフェロモンとして報告されたPDD (pregna-4,20-diene-3,6,-dione)である<ref name=ref5><pubmed></pubmed></ref>。人の[[皮膚]]から抽出され、自律機能や[[脳波]]に影響を与えると述べられている。[[ステロイドホルモン]]の生合成経路にあるプレグネノロンに大変よく似ている。6−3)で再度解説する。


 五番目および六番目は、[[マウス]]のフェロモンである。攻撃フェロモンとして知られているもので、ブチルデヒドロチアゾールとデヒドロブレビコミンである6)。詳細は5−2)で述べる。 
 五番目および六番目は、[[マウス]]のフェロモンである。攻撃フェロモンとして知られているもので、ブチルデヒドロチアゾールとデヒドロブレビコミンである<ref name=ref6><pubmed></pubmed></ref>。詳細は5−2)で述べる。 


 他に、雄マウスの涙腺から雌を誘因するフェロモンが、東京大学農学部の東原らにより報告された7)。ESP1と命名されたタンパク質である。ESP1特異的[[フェロモン受容体]]もあきらかになり、今後さらに研究が進むことが期待される有望なフェロモンである。
 他に、雄マウスの涙腺から雌を誘因するフェロモンが、東京大学農学部の東原らにより報告された<ref name=ref7><pubmed></pubmed></ref>。ESP1と命名されたタンパク質である。ESP1特異的[[フェロモン受容体]]もあきらかになり、今後さらに研究が進むことが期待される有望なフェロモンである。


==フェロモン作用==
==フェロモン作用==
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 ネズミなどで、社会的に優位な雄は劣位な雄に対して攻撃をすることはよく知られている。雄マウスは別の雄に出会うと匂いをかぎ、素早く攻撃的になって相手にかみつき追いかけ回す。ところが、去勢した雄に出会った場合は攻撃を示さない。この攻撃を誘引する成分、すなわちフェロモンは、尿中に含まれている。しかし、去勢雄の尿中にはこのフェロモンが含まれていない。したがって、このフェロモンの合成には精巣からのホルモンが必要とされることになる。
 ネズミなどで、社会的に優位な雄は劣位な雄に対して攻撃をすることはよく知られている。雄マウスは別の雄に出会うと匂いをかぎ、素早く攻撃的になって相手にかみつき追いかけ回す。ところが、去勢した雄に出会った場合は攻撃を示さない。この攻撃を誘引する成分、すなわちフェロモンは、尿中に含まれている。しかし、去勢雄の尿中にはこのフェロモンが含まれていない。したがって、このフェロモンの合成には精巣からのホルモンが必要とされることになる。


 ノボトミーたちは、この攻撃を誘引するフェロモンを、去勢雄に認められなくて正常雄に存在し、去勢雄に塗りつけると攻撃を誘発する物質として解析した結果、2-sec-ブチルジヒドロチアゾール、デヒドロ-exo-ブレビコミンである事を明らかにした6)。この二つの物質は、一方の物質だけを去勢雄の尿に加えただけでは効果が無く、また、尿の代わりに水に溶かしただけでは効果がない。したがって、この二つの物質に加えて、去勢雄の尿に含まれる何らかの物質も必要とされる。つまり、雄マウスの攻撃には、2-sec-ブチルジヒドロチアゾール、デヒドロ-exo-ブレビコミンは必要であるけれども、これだけでは活性を持たないということになる。フェロモン効果は複数のフェロモン物質により、効果を引き起こすことを想像させる一例である。
 ノボトミーたちは、この攻撃を誘引するフェロモンを、去勢雄に認められなくて正常雄に存在し、去勢雄に塗りつけると攻撃を誘発する物質として解析した結果、2-sec-ブチルジヒドロチアゾール、デヒドロ-exo-ブレビコミンである事を明らかにした<ref name=ref6 />。この二つの物質は、一方の物質だけを去勢雄の尿に加えただけでは効果が無く、また、尿の代わりに水に溶かしただけでは効果がない。したがって、この二つの物質に加えて、去勢雄の尿に含まれる何らかの物質も必要とされる。つまり、雄マウスの攻撃には、2-sec-ブチルジヒドロチアゾール、デヒドロ-exo-ブレビコミンは必要であるけれども、これだけでは活性を持たないということになる。フェロモン効果は複数のフェロモン物質により、効果を引き起こすことを想像させる一例である。


 昆虫のフェロモンは、たとえばボンビコールが雄を引きつけるように、一つの化合物が劇的な行動を引き起こすことから、哺乳類でも同様の機能が期待されているが、少なくとも、マウスの攻撃行動にかかわるフェロモンは複合体として作用するようである。最近のいくつかの報告によれば、リリーサー効果は、フェロモンが複合体として作用していると考えた方が説明しやすいものが多い。昆虫と哺乳類では、フェロモンの効果をおこす機構が異なっていると思われる。
 昆虫のフェロモンは、たとえばボンビコールが雄を引きつけるように、一つの化合物が劇的な行動を引き起こすことから、哺乳類でも同様の機能が期待されているが、少なくとも、マウスの攻撃行動にかかわるフェロモンは複合体として作用するようである。最近のいくつかの報告によれば、リリーサー効果は、フェロモンが複合体として作用していると考えた方が説明しやすいものが多い。昆虫と哺乳類では、フェロモンの効果をおこす機構が異なっていると思われる。


===警報フェロモン===
===警報フェロモン===
 動物は危険が迫るとその情報を仲間に知らせるために様々な手法を取る。この代表としては警戒音が有名であるが、匂い情報も使われる。ラットは危険な状況下に置かれると特有の匂い物質を放出し、この匂いに対して他の個体が忌避的な行動をとる。動物は[[ストレス]]を与えられると一過性の体温上昇を示すことが知られています。床に電気で刺激を与える装置を組み込んだ飼育ケージにラットをいれ、電撃フットショックをあたえた後、このケージからラットを取り出し、新しい動物を入れると緊張性の行動とともに体温上昇が増強される。同時に、[[副嗅球]]ニューロンの活動が高まっていることも示された。この結果から、フットショックを受けた動物から何らかの匂い物質(フェロモン)が放出され、行動および自律神経系の緊張を高めたと思われる。このフェロモンは肛門周囲部より放出され水に補足される物質あることが明らかになった8)。しかし、物質の同定には至っていない。一般に、群れを形成する動物は、天敵により群れの中の一部の個体が犠牲になることでその他の個体の安全は確保されることになる。群れ動物は、自己を犠牲にしてでも、フェロモンを介して他の個体に危険情報を伝えることで、種として環境に適応する能力の一手段としていると推察される。
 動物は危険が迫るとその情報を仲間に知らせるために様々な手法を取る。この代表としては警戒音が有名であるが、匂い情報も使われる。ラットは危険な状況下に置かれると特有の匂い物質を放出し、この匂いに対して他の個体が忌避的な行動をとる。動物は[[ストレス]]を与えられると一過性の体温上昇を示すことが知られています。床に電気で刺激を与える装置を組み込んだ飼育ケージにラットをいれ、電撃フットショックをあたえた後、このケージからラットを取り出し、新しい動物を入れると緊張性の行動とともに体温上昇が増強される。同時に、[[副嗅球]]ニューロンの活動が高まっていることも示された。この結果から、フットショックを受けた動物から何らかの匂い物質(フェロモン)が放出され、行動および自律神経系の緊張を高めたと思われる。このフェロモンは肛門周囲部より放出され水に補足される物質あることが明らかになった<ref name=ref8><pubmed></pubmed></ref>。しかし、物質の同定には至っていない。一般に、群れを形成する動物は、天敵により群れの中の一部の個体が犠牲になることでその他の個体の安全は確保されることになる。群れ動物は、自己を犠牲にしてでも、フェロモンを介して他の個体に危険情報を伝えることで、種として環境に適応する能力の一手段としていると推察される。


===母性フェロモンと安寧フェロモン===
===母性フェロモンと安寧フェロモン===
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 プライマー効果に関する研究を紹介する。
 プライマー効果に関する研究を紹介する。


 雌のマウスは交尾後、当然のことであるが、交尾相手の雄のフェロモンに曝されても正常に妊娠が維持され出産する。しかしながら交尾相手と異なる雄のフェロモンを曝露されると、妊娠の成立が阻止される事が、1959年ブルースによって見いだされた9)。雌マウスは、交尾後着床までの間(およそ4-5日)に、交尾相手と異なる雄のフェロモンに曝露されると、脳内の内分泌系の中枢である視床下部の正中隆起から[[ドーパミン]]とよばれる物質が正中隆起と下垂体を連絡する血管の門脈に放出する。さらに、ドーパミンは下垂体に作用して、それが下垂体からの分泌されるホルモンであるプロラクチンの分泌を抑制する。この結果、本来[[プロゲステロン]]の[[卵巣]]からの分泌を促進するプロラクチンが作用しないため、卵巣からのプロゲステロンの分泌も抑制され、着床が阻害され妊娠が不成立に終わってしまうのである。このメカニズムはフェロモンが内分泌系に影響を与えるプライマー効果の典型である。
 雌のマウスは交尾後、当然のことであるが、交尾相手の雄のフェロモンに曝されても正常に妊娠が維持され出産する。しかしながら交尾相手と異なる雄のフェロモンを曝露されると、妊娠の成立が阻止される事が、1959年ブルースによって見いだされた<ref name=ref9><pubmed></pubmed></ref>。雌マウスは、交尾後着床までの間(およそ4-5日)に、交尾相手と異なる雄のフェロモンに曝露されると、脳内の内分泌系の中枢である視床下部の正中隆起から[[ドーパミン]]とよばれる物質が正中隆起と下垂体を連絡する血管の門脈に放出する。さらに、ドーパミンは下垂体に作用して、それが下垂体からの分泌されるホルモンであるプロラクチンの分泌を抑制する。この結果、本来[[プロゲステロン]]の[[卵巣]]からの分泌を促進するプロラクチンが作用しないため、卵巣からのプロゲステロンの分泌も抑制され、着床が阻害され妊娠が不成立に終わってしまうのである。このメカニズムはフェロモンが内分泌系に影響を与えるプライマー効果の典型である。


 ところが、交尾相手の雄のフェロモンではこの現象は起きることなく妊娠が維持される。これは、「雌マウスは、交尾時に嗅いだ交尾相手の雄のフェロモンを記憶する」、この結果、「交尾時に記憶したものと同じフェロモンに曝露されても妊娠阻止はおきない。つまり妊娠が維持される」と考えられている。また、この記憶の部位が副[[嗅球]]にあることも知られている。
 ところが、交尾相手の雄のフェロモンではこの現象は起きることなく妊娠が維持される。これは、「雌マウスは、交尾時に嗅いだ交尾相手の雄のフェロモンを記憶する」、この結果、「交尾時に記憶したものと同じフェロモンに曝露されても妊娠阻止はおきない。つまり妊娠が維持される」と考えられている。また、この記憶の部位が副[[嗅球]]にあることも知られている。


===雄効果===
===雄効果===
  ヒツジやヤギは季節繁殖をするため、交尾期と呼ばれる特定の時期にだけ生殖腺が活動状態になり、他の時期は雌の生殖腺は休止状態になる、この非繁殖期の雌の群れに、成熟した元気の良い雄を導入すると,卵巣の活動が活発になり、発情周期が回帰する。この現象はいわゆる「雄効果」として古くから知られていた。その後,雌の嗅覚を遮断すると雄の影響は消失し,また,雄から刈り取った被毛だけでも十分な効果があることなどが明らかにされ,雄が放つ匂いシグナル,すなわちフェロモンによりこの作用が仲介されていると考えられるようになった。先に述べたが、このフェロモンは4−エチルオクタナールです3)。哺乳類のプライマー効果を引き起こすフェロモンとしてはじめて同定された。
  ヒツジやヤギは季節繁殖をするため、交尾期と呼ばれる特定の時期にだけ生殖腺が活動状態になり、他の時期は雌の生殖腺は休止状態になる、この非繁殖期の雌の群れに、成熟した元気の良い雄を導入すると,卵巣の活動が活発になり、発情周期が回帰する。この現象はいわゆる「雄効果」として古くから知られていた。その後,雌の嗅覚を遮断すると雄の影響は消失し,また,雄から刈り取った被毛だけでも十分な効果があることなどが明らかにされ,雄が放つ匂いシグナル,すなわちフェロモンによりこの作用が仲介されていると考えられるようになった。先に述べたが、このフェロモンは4−エチルオクタナールです<ref name=ref3 />。哺乳類のプライマー効果を引き起こすフェロモンとしてはじめて同定された。


 雄効果をひきおこすフェロモンの脳内のターゲットは自律系内分泌系の中枢である視床下部内部のGnRHパルスジェネレーターと呼ばれる部位である。この部位では、フェロモン受容のシグナルが伝達されると,この部位に存在するニューロン活動が上昇する。この影響で視床下部からのGnRHおよび下垂体からの黄体ホルモンのパルス状分泌の亢進というカスケードを経て,最終的には卵巣からの排卵が誘起される。
 雄効果をひきおこすフェロモンの脳内のターゲットは自律系内分泌系の中枢である視床下部内部のGnRHパルスジェネレーターと呼ばれる部位である。この部位では、フェロモン受容のシグナルが伝達されると,この部位に存在するニューロン活動が上昇する。この影響で視床下部からのGnRHおよび下垂体からの黄体ホルモンのパルス状分泌の亢進というカスケードを経て,最終的には卵巣からの排卵が誘起される。
 
 
==ヒトとフェロモン==
==ヒトとフェロモン==
[[image:フェロモン3.png|thumb|320px|'''図3.''']]
[[image:フェロモン3.png|thumb|320px|'''図3.ヒトの寄宿舎効果'''<br>卵胞期の分泌物は女性の卵胞期を短くすることで排卵を促進し、月経周期の短縮を誘導する。一方、排卵期の分泌物は卵胞期を長くすることで排卵を遅らせ月経周期の延長を誘導する。この結果、月経周期が同調する。]]


===ヒトのフェロモン===
===ヒトのフェロモン===
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===ヒトのフェロモン効果===
===ヒトのフェロモン効果===
 ヒトにおいてフェロモンの存在はマクリントックによ利報告された。彼女は、寮生活している女子学生のアンケート結果から共同生活が始まると月経周期が同調すること、いわゆる寄宿舎効果を明らかにし、さらに、女性の腋からの分泌物を別の女性にかがせると月経周期に影響を及ぼすことを明らかにした10)。卵胞期の分泌物は女性の排卵を促進することにより月経周期の短縮を誘導し、排卵期の分泌物は排卵の遅延をおこし月経周期の延長をもたらす(図3)。このため月経周期が同調すると述べている。腋のアポクリン腺から分泌される物質のなかにフェロモンが含まれていると思われるが、いかなる物質が効果を引き起こすのかについては明らかにはなっていない。見つかると臨床的には重要な物質となることはまちがいないとおもう。
 ヒトにおいてフェロモンの存在はマクリントックによ利報告された。彼女は、寮生活している女子学生のアンケート結果から共同生活が始まると月経周期が同調すること、いわゆる寄宿舎効果を明らかにし、さらに、女性の腋からの分泌物を別の女性にかがせると月経周期に影響を及ぼすことを明らかにした<ref name=ref10><pubmed></pubmed></ref>。卵胞期の分泌物は女性の排卵を促進することにより月経周期の短縮を誘導し、排卵期の分泌物は排卵の遅延をおこし月経周期の延長をもたらす(図3)。このため月経周期が同調すると述べている。腋のアポクリン腺から分泌される物質のなかにフェロモンが含まれていると思われるが、いかなる物質が効果を引き起こすのかについては明らかにはなっていない。見つかると臨床的には重要な物質となることはまちがいないとおもう。


===ヒトフェロモン候補物質===
===ヒトフェロモン候補物質===
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 におい物質を嗅覚器に吹き付けると緩やかな電位変化が現れる。これは嗅電図とよばれ嗅覚検査に用いられている。バーリナーらは、この皮膚からのフェロモン候補物質を成人の鋤鼻器に吹き付けて生ずる嗅電図と類似の電位変化(鋤鼻電図)を指標に検定し、PDDを同定しました。効果は内分泌系のみならず自律神経系にもおよぶことが示された。しかしながら、この結果に関しては、刺激方法や電位記録の方法また自律神経活動の記録法など技術的な問題点が指摘されており、さらに、他の研究グループによる追試験などがおこなわれていないことなど、まだまだ、ヒトのフェロモンとして「認定」するのは、問題の多い物質です。
 におい物質を嗅覚器に吹き付けると緩やかな電位変化が現れる。これは嗅電図とよばれ嗅覚検査に用いられている。バーリナーらは、この皮膚からのフェロモン候補物質を成人の鋤鼻器に吹き付けて生ずる嗅電図と類似の電位変化(鋤鼻電図)を指標に検定し、PDDを同定しました。効果は内分泌系のみならず自律神経系にもおよぶことが示された。しかしながら、この結果に関しては、刺激方法や電位記録の方法また自律神経活動の記録法など技術的な問題点が指摘されており、さらに、他の研究グループによる追試験などがおこなわれていないことなど、まだまだ、ヒトのフェロモンとして「認定」するのは、問題の多い物質です。


 別に、候補にあげられている物質がアンドロステノンです。アンドロステノンを散布した椅子に好んですわる頻度を計測した結果、女性では有意の増加をしめし、男性では逆に減少したという。この実験は、カーク・スミスとブースにより報告された11)。この実験はいくつかの方法に於いて問題点が指摘されている。座った回数は述べられているが、患者さんの人数が不明なので、観察期間中に同じ患者さんが繰り返し座っているかどうか不明である。また、散布した椅子以外で実験が行われていない。他の椅子でも同様の実験を繰り返す必要がある。さらに、アンドロステノンをふりかけるのは診察時間前である。観察は1日行うため、時間の経過とともに濃度に変化が生ずるし、診察室内の環境も変化するなどである。たしかに、診察室が混んでいる時は、混雑度がデータに影響することを、著者自身が指摘している。実験方法を工夫して同様に実験が出来ると、興味ある結果が得られると思うが実際に行うのは難しいと思う。
 別に、候補にあげられている物質がアンドロステノンです。アンドロステノンを散布した椅子に好んですわる頻度を計測した結果、女性では有意の増加をしめし、男性では逆に減少したという。この実験は、カーク・スミスとブースにより報告された<ref name=ref11><pubmed></pubmed></ref>。この実験はいくつかの方法に於いて問題点が指摘されている。座った回数は述べられているが、患者さんの人数が不明なので、観察期間中に同じ患者さんが繰り返し座っているかどうか不明である。また、散布した椅子以外で実験が行われていない。他の椅子でも同様の実験を繰り返す必要がある。さらに、アンドロステノンをふりかけるのは診察時間前である。観察は1日行うため、時間の経過とともに濃度に変化が生ずるし、診察室内の環境も変化するなどである。たしかに、診察室が混んでいる時は、混雑度がデータに影響することを、著者自身が指摘している。実験方法を工夫して同様に実験が出来ると、興味ある結果が得られると思うが実際に行うのは難しいと思う。


 一方、鼻腔にアンドロステノンを散布すると鼻腔の粘膜から吸収されて、内分泌バランスなどに影響を与えるという報告もある。アンドロステノンは[[ステロイド]]ホルモンである。従って、感覚系を経由しないで、皮膚などから直接体内の血液循環に乗って、様々な生理機能に影響を及ぼす可能性がある。この点については慎重に扱う必要がある。ステロイド物質は、その作用がホルモン作用なのかフェロモン作用なのか見極めが難しい例が多々ある。先に述べた、PDDも同様である。この物質を鋤鼻器に吹き付けたと述べているが、鼻腔内で直接取り込まれる可能性はおおいにある。
 一方、鼻腔にアンドロステノンを散布すると鼻腔の粘膜から吸収されて、内分泌バランスなどに影響を与えるという報告もある。アンドロステノンは[[ステロイド]]ホルモンである。従って、感覚系を経由しないで、皮膚などから直接体内の血液循環に乗って、様々な生理機能に影響を及ぼす可能性がある。この点については慎重に扱う必要がある。ステロイド物質は、その作用がホルモン作用なのかフェロモン作用なのか見極めが難しい例が多々ある。先に述べた、PDDも同様である。この物質を鋤鼻器に吹き付けたと述べているが、鼻腔内で直接取り込まれる可能性はおおいにある。
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 他にも、特許とか企業秘密の問題で、公表されていない物質もあるとおもわれる。いずれにしても、動物のフェロモンに比べて、生物検定法に難点をかかえており、「ヒトのフェロモン物質で確定されたものはまだない」といった方が良い状況である。
 他にも、特許とか企業秘密の問題で、公表されていない物質もあるとおもわれる。いずれにしても、動物のフェロモンに比べて、生物検定法に難点をかかえており、「ヒトのフェロモン物質で確定されたものはまだない」といった方が良い状況である。


 フェロモンについては、謎が多く研究も盛んに行われている。ここでその詳細は述べられないので、他の参考図書を参照してほしい12—20)。
 フェロモンについては、謎が多く研究も盛んに行われている。ここでその詳細は述べられないので、他の参考図書を参照してほしい<ref name=ref12><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref13><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref14><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref15><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref16><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref17><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref18><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref19><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref20><pubmed></pubmed></ref>。


==参考文献==
==参考文献==
<references />
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