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英語名: David Marr’s theory of cerebellum
英語名: David Marr’s theory of cerebellum


{{box|text= David Marrは、1960年代に明らかになった小脳の生理学と解剖学のデータに基づいて、小脳に関する運動学習理論を提案した。プルキンエ細胞の平行線維入力と登上繊維入力の連合による教師あり学習のモデルである。教師あり運動学習以外のモデルの主要な要素、LTP、プルキンエ細胞が小脳で唯一のシナプス可塑性の座、離散信号によるパターン識別、顆粒細胞層のコドン仮説などは、現在の実験データや主要な理論から考えて、ほぼ否定されるか、もしくは支持されない。しかし、この理論は小脳の理論と実験研究の進展に大きな影響を及ぼした。}}
{{box|text= David Marrは、1960年代に明らかになった小脳の生理学と解剖学のデータに基づいて、小脳に関する運動学習理論を提案した。プルキンエ細胞の平行線維入力と登上繊維入力の連合による教師あり学習のモデルである。その後の50年間の実験と理論研究の成果に基づいて、再評価を試みる。教師あり運動学習以外のモデルの主要な要素、LTP、プルキンエ細胞が小脳で唯一のシナプス可塑性の座、離散信号によるパターン識別、顆粒細胞層のコドン仮説などは、現在の実験データや主要な理論から考えて、ほぼ否定されるか、もしくは積極的には支持されない。しかし、この理論は小脳の理論と実験研究の進展に大きな影響を及ぼした。}}


==概要 ==
==概要 ==
 [[小脳]]の神経回路は、[[神経生理学]]と[[解剖学]]の研究により1960年代半ばには概要が解明されたが<ref>'''Eccles JC, Ito M, Szentàgothai J<br />'''
The Cerebellum as a Neuronal Machine.<br />''Springer, Berlin''.: 1967, 335  [http://www.worldcat.org/title/cerebellum-as-a-neuronal-machine/oclc/872392489&referer=brief_results [WorldCat.org<nowiki>]</nowiki>]<br /></ref>[1]、その機能を統一的に説明する理論はなかった。
 [[小脳]]の神経回路は、[[神経生理学]]と[[解剖学]]の研究により1960年代半ばには概要が解明されたが<ref>'''Eccles JC, Ito M, Szentàgothai J<br />'''
The Cerebellum as a Neuronal Machine.<br />''Springer, Berlin''.: 1967, 335  [http://www.worldcat.org/title/cerebellum-as-a-neuronal-machine/oclc/872392489&referer=brief_results [WorldCat.org<nowiki>]</nowiki>]<br /></ref>[1]、その機能を統一的に説明する理論はなかった。


 [[wj:デビッド・マー|David Marr]]は、[[w:Giles Brindley|Giles S Brindley]]をメンターとして執筆した博士論文の一部として小脳皮質の理論を提案し、1969年に[[w:The Journal of Physiology|Journal of Physiology]]誌に発表した<ref><pubmed> 5784296 </pubmed></ref>[2]。その理論では、[[小脳皮質]]の唯一の出力細胞である[[プルキンエ細胞]]への2つの主要な興奮性シナプス入力である[[平行線維]]入力と[[登上線維]]入力の間に連合的な[[シナプス可塑性]]を仮定した。小脳皮質は、[[苔状線維]]入力から運動に必要な運動司令を計算することを、上記のシナプス可塑性に基づいて学習する神経回路であると提案した。苔状線維入力は運動の文脈信号を提供し、顆粒細胞で[[スパース符号]]化されて、平行線維入力となり、プルキンエ細胞を興奮させる。一方、登上線維入力は、大脳からの運動司令の[[教師信号]]を提供し、プルキンエ細胞が、運動の文脈情報から適切な運動司令を連合できるような、[[教師あり学習]]が生じていると提案した。
 [[wj:デビッド・マー|David Marr]]は、[[w:Giles Brindley|Giles S Brindley]]をメンターとして執筆した博士論文の一部として小脳皮質の理論を提案し、1969年に[[w:The Journal of Physiology|Journal of Physiology]]誌に発表した<ref><pubmed> 5784296 </pubmed></ref>[2]。理論では、[[小脳皮質]]の唯一の出力細胞である[[プルキンエ細胞]]への2つの主要な興奮性シナプス入力である[[平行線維]]入力と[[登上線維]]入力の間に連合的な[[シナプス可塑性]]を仮定した。小脳皮質は、[[苔状線維]]入力から運動に必要な運動司令を計算することを、上記のシナプス可塑性に基づいて学習する神経回路であると提案した。苔状線維入力は運動の文脈信号を提供し、顆粒細胞で[[スパース符号]]化されて、平行線維入力となり、プルキンエ細胞を興奮させる。一方、登上線維入力は、大脳からの運動司令の[[教師信号]]を提供し、プルキンエ細胞が、運動の文脈情報から適切な運動司令を連合できるような、[[教師あり学習]]が生じていると提案した。


== 理論の要素の評価 ==
== 理論の要素の評価 ==
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 [[強化学習]]は、このヘッブ則に加えて、[[ドーパミン]]などの[[モノアミン]]がシナプス可塑性を修飾する機構により実現されている。
 [[強化学習]]は、このヘッブ則に加えて、[[ドーパミン]]などの[[モノアミン]]がシナプス可塑性を修飾する機構により実現されている。


 しかし、プルキンエ細胞では樹状突起の分岐が著しいため、樹状突起の末梢側が電気的に大きな負荷になるなどの理由で、活動電位逆伝搬が起きない。また錐体細胞でシナプス前活動と逆伝搬した活動電位の同時性検出を司る[[NMDA型グルタミン酸受容体]]が存在しない。つまり、ヘッブ則を実現することができない。
 しかし、プルキンエ細胞では樹状突起の分岐が著しいため、樹状突起の末梢側が電気的に大きな負荷になるなどの理由で、活動電位逆伝搬が起きない。また錐体細胞でシナプス前活動と逆伝搬した活動電位の同時性検出を司る[[NMDA受容体が成体のプルキンエ細胞]]に存在しない。つまり、ヘッブ則を実現することができない。


 その一方で、プルキンエ細胞では登上線維が活動すると、樹状突起で大きな脱分極が引き起こされる。その数十から100ミリ秒程度前に平行線維入力があったスパインでは、[[代謝型グルタミン酸受容体]]の活性化を経由して[[イノシトール3リン酸]]がゆっくりと増加する。脱分極でスパイン内に流入した[[カルシウムイオン]]とイノシトール3リン酸増加の同時性検出が、カルシウムを貯蔵している[[小胞体]]の[[イノシトール3リン酸受容体]]で行われる。つまり平行線維入力と数十ミリ秒程度遅れた登上線維入力の同時性が小胞体からのカルシウム誘導カルシウム放出をおこして、スパイン内のカルシウム濃度がモルレベル<u>(編集部コメント:µMレベル?)</u>で増加し、シナプス特異的、また2種類の興奮性入力の間で連合的にシナプス可塑性が生じる<ref><pubmed> 15673676 </pubmed></ref><ref><pubmed> 21665461 </pubmed></ref>[6,7]。
 その一方で、プルキンエ細胞では登上線維が活動すると、樹状突起で大きな脱分極が引き起こされる。その数十から100ミリ秒程度前に平行線維入力があったスパインでは、[[代謝型グルタミン酸受容体]]の活性化を経由して[[イノシトール3リン酸]]が数十ミリ秒の時間経過で増加する。脱分極でスパイン内に流入した[[カルシウムイオン]]とイノシトール3リン酸増加の同時性検出が、カルシウムを貯蔵している[[小胞体]]の[[イノシトール3リン酸受容体]]で行われる。つまり平行線維入力と数十ミリ秒程度遅れた登上線維入力の同時性が小胞体からのカルシウム誘導カルシウム放出をおこして、スパイン内のカルシウム濃度が数十マイクロモルオーダーで増加し、シナプス特異的、また2種類の興奮性入力の間で連合的にシナプス可塑性が生じる<ref><pubmed> 15673676 </pubmed></ref><ref><pubmed> 21665461 </pubmed></ref>[6,7]。


 まとめると、理論で提案された教師あり学習は、プルキンエ細胞の電気生理と分子神経科学および最近のモデル研究からも支持されている。
 まとめると、理論で提案された教師あり学習は、プルキンエ細胞の電気生理と分子神経科学および最近のモデル研究からも支持されている。


=== 長期増強か長期抑圧か ===
=== 長期増強か長期抑圧か ===
 Marrは、平行線維入力と登上線維入力が同時に興奮すると、活動した平行線維シナプスが増強されると提案した。少し遅れて、[[w:James S. Albus|Albus]]や[[wj:伊藤正男|伊藤正男]]は、シナプスが減弱すると提案した<ref> '''Albus J<br />'''
 David Marrは、平行線維入力と登上線維入力が同時に興奮すると、活動した平行線維シナプスが増強されると提案した。ほぼ同時期に、[[w:James S. Albus|Albus]]や[[wj:伊藤正男|伊藤正男]]は、シナプスが減弱すると提案した<ref> '''Albus J<br />'''
A theory of cerebellar function.<br />''Math Biosci''.: 1974, 10; 25-61 [http://www.worldcat.org/title/a-theory-of-cerebellar-function/oclc/4925034257&referer=brief_results [WorldCat.org<nowiki>]</nowiki>]<br /> </ref><ref><pubmed> 5499516 </pubmed></ref>[8,9]。実験的に後者が正しいことが示された<ref><pubmed> 7097592 </pubmed></ref>[10]
A theory of cerebellar function.<br />''Math Biosci''.: 1974, 10; 25-61 [http://www.worldcat.org/title/a-theory-of-cerebellar-function/oclc/4925034257&referer=brief_results [WorldCat.org<nowiki>]</nowiki>]<br /> </ref><ref><pubmed> 5499516 </pubmed></ref>[8,9]。実験的に後者が正しいことが示された<ref><pubmed> 7097592 </pubmed></ref>[10]。計算論的には、同じ教師あり学習とは言っても、登上線維入力が教師信号を与えるのであれば長期増強が、誤差信号を与えるのであれば長期抑圧が理論的には必要となる。計算論的には、登上線維入力が誤差信号を与えているので、小脳皮質単独では運動制御を学習できないし、遂行もできないと結論できる。つまり、小脳以外に運動制御の主体があり、その不完全性を補足する役割しか果たし得ないと、シナプス可塑性と登上線維入力の情報から結論できる。この計算論的観点からすると、長期増強か長期抑圧かの違いは大きいといえる。


=== プルキンエ細胞が唯一のシナプス可塑性の座 ===
=== プルキンエ細胞が唯一のシナプス可塑性の座 ===
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