「マーの小脳理論」の版間の差分

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 これによって、複数の顆粒細胞が同時に興奮する文脈の数を著しく減らし、小脳皮質の入出力の間の連想記憶の学習を、複数の文脈(入力)の間での干渉を減らして行えると考えた。
 これによって、複数の顆粒細胞が同時に興奮する文脈の数を著しく減らし、小脳皮質の入出力の間の連想記憶の学習を、複数の文脈(入力)の間での干渉を減らして行えると考えた。


 最近10年間で覚醒あるいは行動下の動物で顆粒細胞から[[細胞内記録]]や[[パッチクランプ]]記録をする事が可能になり、様々な小脳部位と感覚入力に対する顆粒細胞の応答が調べられた。その結果、コドン仮説はほぼ否定されたと考えられる<ref><pubmed> 26093844 </pubmed></ref>[16]。
 最近10年間で覚醒あるいは行動下の動物で顆粒細胞から[[細胞内記録]]や[[パッチクランプ]]をする事が可能になり、様々な小脳部位と感覚入力に対する顆粒細胞の応答が調べられた。その結果、コドン仮説はほぼ否定されたという主張もある[<ref><pubmed> 26093844 </pubmed></ref>[16]。


 まず、顆粒細胞は、一つの苔状線維の発火だけで高頻度の発火が可能で、出力の発火頻度は入力の発火頻度とほぼ線形の関係にある<ref><pubmed> 17093099 </pubmed></ref><ref><pubmed> 18097412 </pubmed></ref><ref name=ref18703744 ><pubmed> 18703744 </pubmed></ref>[17,18,19]。発火があるかないかの0−1表現ではなく、例えばシナプス入力頻度から頭部回転速度が再現されることなどからもわかるように、瞬時発火頻度で情報を符号化していることが分かった<ref name=ref18703744 /><ref><pubmed> 19164536 </pubmed></ref>[19,20]。
 まず、顆粒細胞は、一つの苔状線維の発火だけで高頻度の発火が可能で、出力の発火頻度は入力の発火頻度とほぼ線形の関係にある<ref><pubmed> 17093099 </pubmed></ref><ref><pubmed> 18097412 </pubmed></ref><ref name=ref18703744 ><pubmed> 18703744 </pubmed></ref>[17,18,19]。発火があるかないかの0−1表現ではなく、例えばシナプス入力頻度から頭部回転速度が再現されることなどからもわかるように、瞬時発火頻度で情報を符号化していることが分かった<ref name=ref18703744 /><ref><pubmed> 19164536 </pubmed></ref>[19,20]。


 それではコドン仮説は、理論的にも全く無意味なのだろうか。一概にそうとも言い切れない。上記の実験データは、[[前庭系]]や[[皮膚感覚]]などの一種類のモダリティだけを直接受ける系統発生的に古い小脳部位か、もしくは[[除脳標本]]を用いて得られている。
 それではコドン仮説は、理論的にも全く無意味なのだろうか。一概にそうとも言い切れない。上記の実験データは、[[前庭系]]や[[皮膚感覚]]などの一種類のモダリティだけを直接受ける系統発生的に古い小脳部位か、もしくは[[除脳標本]]を用いて得られている。
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 石川太郎らは、単一の顆粒細胞に[[体性感覚]]、[[聴覚]]、[[視覚]]の異なるモダリティを伝える、大脳皮質由来と思われる苔状線維入力が収束している例を発見し、組み合わせ刺激の場合の発火頻度が非線形性を示すことを明らかにした<ref><pubmed> 26714108 </pubmed></ref>[21]。
 石川太郎らは、単一の顆粒細胞に[[体性感覚]]、[[聴覚]]、[[視覚]]の異なるモダリティを伝える、大脳皮質由来と思われる苔状線維入力が収束している例を発見し、組み合わせ刺激の場合の発火頻度が非線形性を示すことを明らかにした<ref><pubmed> 26714108 </pubmed></ref>[21]。


 苔状線維の起始細胞からプルキンエ細胞までの前向きの神経回路は浅い3層神経回路となっている。舟橋賢一は、中間層、つまり顆粒細胞の数が十分大きく、シナプスの加重を自由に取れるなら任意の関数を近似できることを数学的に証明した<ref>'''Funahashi. K<br />'''On the approximate realization of continuous mappings by neural networks.<br />''Neural Networks''.: 1989, 2(3); 183-192 [http://www.worldcat.org/title/on-the-approximate-realization-of-continuous-mappings-by-neural-networks/oclc/4656691550&referer=brief_results [WorldCat.org<nowiki>]</nowiki>]</ref>[22]。例えば非線形特性を持つ運動制御対象の逆モデルや順モデルを獲得するために必要となる計算能力である。顆粒細胞のシナプス可塑性に制限があるなら、この近似能力をあげるためには、複数の入力の組み合わせからなる様々な非線形関数が顆粒細胞で用意されている必要がある。
 苔状線維の起始細胞からプルキンエ細胞までの前向きの神経回路は浅い3層神経回路となっている。舟橋賢一は、中間層、つまり顆粒細胞の数が十分大きく、シナプスの加重を自由に取れるなら任意の関数を近似できることを数学的に証明した<ref>'''Funahashi. K<br />'''On the approximate realization of continuous mappings by neural networks.<br />''Neural Networks''.: 1989, 2(3); 183-192 [http://www.worldcat.org/title/on-the-approximate-realization-of-continuous-mappings-by-neural-networks/oclc/4656691550&referer=brief_results [WorldCat.org<nowiki>]</nowiki>]</ref>[22]。この関数近似能力は、非線形特性を持つ運動制御対象の逆モデルや順モデルを獲得するために必要となる計算能力である。顆粒細胞のシナプス可塑性に制限があるなら、この近似能力をあげるためには、複数の入力の組み合わせからなる様々な非線形関数が顆粒細胞でランダムに用意されている必要がある。


 0−1表現ではなく瞬時発火頻度表現で、分類ではなく回帰、連想記憶の容量ではなく内部モデルの精度の違いはあるとはいえ、理論の本質的な精神は生き残っていると言えるのかもしれない。
 0−1表現ではなく瞬時発火頻度表現で、分類ではなく回帰、連想記憶の容量ではなく内部モデルの精度の違いはあるとはいえ、理論の本質的な精神は生き残っていると言えるのかもしれない。
 
 最近のMRIを用いたヒト小脳の灰白質と入力線維束の定量的測定から、外側小脳と虫部では苔状線維から顆粒細胞の数の拡大率が違うことが明らかになった。外側小脳の灰白質の体積は、虫部の体積の11.4倍である[23]。顆粒細胞の数は灰白質の体積に比例していると考えられるので、外側小脳は虫部よりも顆粒細胞数が11.4倍あることになる。一方、脊髄小脳経路と複数の大脳皮質−橋−小脳経路の体積が計測され、計測範囲では脊髄小脳経路の長さは、大脳−小脳経路の長さの半分以下である[24]。神経束の断面積は体積を長さで割って求めることが出来るので、上記の計測データから、大脳小脳経路の断面積は脊髄小脳経路の2.8倍以下であると推定できる。苔状線維の太さが一様であると仮定すれば、外側小脳の苔状線維の本数は虫部の2.8倍以下と推定される。つまり、外側部の苔状線維:顆粒細胞の拡大率が200倍だとして、虫部のそれは200*2.8/11.4=49倍以下であると推定される。非常に大きな拡大率は、多次元の入力の任意な組み合わせの神経表現を必要とする系統発生的に新しい大脳小脳に特有である可能性が有る。必ずしもそのような難しい計算を必要としない脊髄小脳では拡大率が1/4、前庭小脳ではさらに低い可能性もある。コドン仮説に反する実験データが、主には除脳標本、麻酔下、そして系統発生的に古い小脳から得られていることを考えると、理論の本質は系統発生的に新しい小脳の自然な条件では生き残っていると言える。


=== 小脳研究に与えたインパクト ===
=== 小脳研究に与えたインパクト ===
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