「ミカエリス・メンテンの式」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
3行目: 3行目:
同義語: ミハエリス・メンテンの式、ミヒャエリス・メンテンの式  
同義語: ミハエリス・メンテンの式、ミヒャエリス・メンテンの式  


 [[wikipedia:ja:酵素|酵素]]は生体内の各種の[[wikipedia:ja:化学反応|化学反応]]を円滑に行わせるための生体[[wikipedia:ja:触媒|触媒]]であり、[[脳]]内においても[[情報伝達]]や物質代謝など、あらゆる生化学反応に関わっている。従って、脳神経系を理解する上で、個々の酵素の性質を明らかにすることは極めて重要である。1992年に[[ジーンターゲティング]]の手法を用いて、[[空間記憶]]に関わる酵素として[[CaMキナーゼⅡ]]が初めて特定された<ref><pubmed>1378648</pubmed></ref><ref><pubmed>1321493</pubmed></ref>が、この輝かしい研究成果も、それを遡ること十数年に渡る本酵素に関する地道で精力的な研究の積み重ね<ref><pubmed>12045104</pubmed></ref>があったればこそのものであろう。酵素の生化学的研究をおこなうにあたっては、酵素の性質を定量的に扱うことが大前提となるが、そのような場合の理論的基盤となるものが、以下に述べるミカエリス・メンテンの式である。本稿ではミカエリス・メンテンの式と、それを拡張したブリッグス・ホールデンの式の誘導について述べた後、これらの式による解析から得られる各種速度論的パラメータの求め方や意味について概説する。また、酵素[[阻害剤]]の理論的取り扱いについても代表的な例について簡単に解説し、最後に脳科学に関連の深い酵素に関する若干の研究例を紹介する。  
 [[wikipedia:ja:酵素|酵素]]は生体内の各種の[[wikipedia:ja:化学反応|化学反応]]を円滑に行わせるための生体[[wikipedia:ja:触媒|触媒]]であり、[[脳]]内においても[[情報伝達]]や物質代謝など、あらゆる生化学反応に関わっている。酵素の生化学的研究をおこなうにあたっては、酵素の性質を定量的に扱うことが大前提となるが、そのような場合の理論的基盤となるものが、以下に述べるミカエリス・メンテンの式である。さらに、それを拡張したブリッグス・ホールデンの式の誘導について述べた後、これらの式による解析から得られる各種速度論的パラメータの求め方や意味について概説する。また、酵素[[阻害剤]]の理論的取り扱いについても代表的な例について簡単に解説し、最後に脳科学に関連の深い酵素に関する若干の研究例を紹介する。  


== ミカエリス・メンテンの式  ==
== ミカエリス・メンテンの式  ==
 脳神経系を理解する上で、個々の酵素の性質を明らかにすることは極めて重要である。1992年に[[ジーンターゲティング]]の手法を用いて、[[空間記憶]]に関わる酵素として[[CaMキナーゼⅡ]]が初めて特定された<ref><pubmed>1378648</pubmed></ref><ref><pubmed>1321493</pubmed></ref>が、この輝かしい研究成果も、それを遡ること十数年に渡る本酵素に関する地道で精力的な研究の積み重ね<ref><pubmed>12045104</pubmed></ref>があったればこそのものであろう。酵素の生化学的研究をおこなうにあたっては、酵素の性質を定量的に扱うことが大前提となるが、そのような場合の理論的基盤となるものが、以下に述べるミカエリス・メンテンの式である。
===理論的背景===


 [[wikipedia:ja:レオノール・ミカエリス|L. Michaelis]] と[[wikipedia:ja:モード・メンテン|M. L. Menten]]は[[wikipedia:ja:インベルターゼ|インベルターゼ]]に関する研究において、[[wikipedia:ja:酵素|酵素]]の反応速度と[[wikipedia:ja:基質|基質]]濃度の関係を明らかにするため、酵素と基質が結合した酵素基質複合体(ES complex)を形成することにより[[wikipedia:ja:酵素反応|酵素反応]]が進行するとの概念に基づいて、次のような反応スキームを考えた。  
 [[wikipedia:ja:レオノール・ミカエリス|L. Michaelis]] と[[wikipedia:ja:モード・メンテン|M. L. Menten]]は[[wikipedia:ja:インベルターゼ|インベルターゼ]]に関する研究において、[[wikipedia:ja:酵素|酵素]]の反応速度と[[wikipedia:ja:基質|基質]]濃度の関係を明らかにするため、酵素と基質が結合した酵素基質複合体(ES complex)を形成することにより[[wikipedia:ja:酵素反応|酵素反応]]が進行するとの概念に基づいて、次のような反応スキームを考えた。  
181行目: 185行目:
== 酵素反応速度論的解析の実例  ==
== 酵素反応速度論的解析の実例  ==


 以上述べてきたような各種の速度論的パラメータは、酵素の反応特異性や反応機構に関して、しばしば重要な知見を与える。神経科学分野で重要な役割を担ういくつかの酵素においてもこのような解析がなされている。例えば[[カテコールアミン]]の生合成に重要な役割を果たす[[カテコールアミン#合成|チロシン水酸化酵素]]では、[[cAMP依存性タンパク質キナーゼ]] (Aキナーゼ)<ref><pubmed>6102382</pubmed></ref>や[[タンパク質キナーゼC]] (Cキナーゼ)<ref><pubmed>6151178</pubmed></ref>によってリン酸化されると、[[wikipedia:ja:補酵素|補酵素]]である6-メチルテトラヒドロビオプテリンに対する<math>K_m</math>が著明に減少し、補酵素との親和性が高まって活性化されることが示されている。  
 以上述べてきたような各種の速度論的パラメータは、酵素の反応特異性や反応機構に関して、しばしば重要な知見を与える。神経科学分野で重要な役割を担ういくつかの酵素においてもこのような解析がなされている。例えば[[カテコールアミン]]の生合成に重要な役割を果たす[[カテコールアミン#合成|チロシン水酸化酵素]]では、[[cAMP依存性タンパク質リン酸化酵素]] (Aキナーゼ)<ref><pubmed>6102382</pubmed></ref>や[[タンパク質リン酸化酵素C]] (Cキナーゼ)<ref><pubmed>6151178</pubmed></ref>によってリン酸化されると、人工[[wikipedia:ja:補酵素|補酵素]]である6-メチルテトラヒドロビオプテリンに対する<math>K_m</math>が著明に減少し、補酵素との親和性が高まって活性化されることが示されている。  


 [[記憶学習]]に深く関係することが明らかとなっているCaMキナーゼⅡに関しても、詳細な速度論的解析がなされている。CaMキナーゼⅡはThr286が自己リン酸化されるとCa<sup>2+</sup>/CaM ([[カルモジュリン]])に非依存的な活性が出現し、この活性が記憶やその素過程と考えられる[[長期増強現象]]の成立に重要な役割を果たすと考えられているが、様々な基質を用いて速度論的解析を行った結果、このCa<sup>2+</sup>/CaM非依存性活性ではCa<sup>2+</sup>/CaM存在下の活性に比べて、<math>V_{max}</math>には変化がないものの、調べた全ての基質に関して<math>K_m</math>が増大しており、基質との親和性が低下していることが判明した<ref><pubmed>1646810</pubmed></ref>。また、本酵素の活性制御に重要な役割を果たす自己阻害ドメインの合成ペプチドを用いて図3や図5のような阻害実験を行うことにより、活性制御機構に関する重要な知見が得られている<ref><pubmed>2538462</pubmed></ref>。同様に自己リン酸化部位Thr286周辺の配列を模した合成阻害ペプチドを用いて阻害実験を行うことにより、少なくとも2種類の異なる基質結合部位が存在することが初めて示唆されたが<ref><pubmed>7836445</pubmed></ref>、この結果は、後に本酵素の活性制御機構や[[NMDA型グルタミン酸受容体]]との相互作用を解明する上で不可欠となるT-site、S-siteという2種類の基質結合部位に関する概念<ref><pubmed>11459059</pubmed></ref>を確立する上で、先駆的な役割を果たしている。
 [[記憶学習]]に深く関係することが明らかとなっているCaMキナーゼⅡに関しても、詳細な速度論的解析がなされている。CaMキナーゼⅡはThr286が自己リン酸化されるとCa<sup>2+</sup>/CaM ([[カルモジュリン]])に非依存的な活性が出現し、この活性が記憶やその素過程と考えられる[[長期増強現象]]の成立に重要な役割を果たすと考えられているが、様々な基質を用いて速度論的解析を行った結果、このCa<sup>2+</sup>/CaM非依存性活性ではCa<sup>2+</sup>/CaM存在下の活性に比べて、<math>V_{max}</math>には変化がないものの、調べた全ての基質に関して<math>K_m</math>が増大しており、基質との親和性が低下していることが判明した<ref><pubmed>1646810</pubmed></ref>。また、本酵素の活性制御に重要な役割を果たす自己阻害ドメインの合成ペプチドを用いて図3や図5のような阻害実験を行うことにより、活性制御機構に関する重要な知見が得られている<ref><pubmed>2538462</pubmed></ref>。同様に自己リン酸化部位Thr286周辺の配列を模した合成阻害ペプチドを用いて阻害実験を行うことにより、少なくとも2種類の異なる基質結合部位が存在することが初めて示唆されたが<ref><pubmed>7836445</pubmed></ref>、この結果は、後に本酵素の活性制御機構や[[NMDA型グルタミン酸受容体]]との相互作用を解明する上で不可欠となるT-site、S-siteという2種類の基質結合部位に関する概念<ref><pubmed>11459059</pubmed></ref>を確立する上で、先駆的な役割を果たしている。