「両眼視野闘争」の版間の差分

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== 両眼視野闘争の主観的な特性  ==
== 両眼視野闘争の主観的な特性  ==


図1のような図形を、片方の目に赤色のフィルター、もう片方の目に緑色のフィルターをかけて観察すると、両眼視野闘争を体験することができる。図1の図形は赤い顔と、緑の家を透明にして重ねあわせた画像で、フィルターを通して見ると、この画像は、物理的には2つの目の網膜にそれぞれ投影される。しかし、私たちの意識にのぼるのは、2つの画像のうちどちらか一方である(両眼視野闘争のターゲットの図形が小さい場合はどちらかだけが知覚されるが、ある程度以上の大きさになると、2つの図形が混ざったものが意識にのぼることが多い <ref><pubmed> 1586647  </pubmed></ref>)。どちらの画像が知覚されるかは、時間が経つとともに変化し、一方の画像が現れては消え、もう一方の画像が現れるというダイナミックな知覚の切り替わりが生じる。[[Image:Rivalry-Example.png|thumb|200x200px|図1.両眼視野闘争刺激の例。左目に赤いフィルター、右目に緑色のフィルタをあてて観察した場合、家の画像は左目のみに、顔の画像は右目だけに入力される。このような時に、家の知覚と顔の知覚が不規則に入れ替わる。(Reproduced with permission from Tong, Nakayama, Vaughan & Kanwisher (1998). Copyright 1998, Cell Press)]]  
[[Image:Rivalry-Example.png|thumb|200x200px|図1.両眼視野闘争刺激の例。左目に赤いフィルター、右目に緑色のフィルタをあてて観察した場合、家の画像は左目のみに、顔の画像は右目だけに入力される。このような時に、家の知覚と顔の知覚が不規則に入れ替わる。(Reproduced with permission from Tong, Nakayama, Vaughan & Kanwisher (1998). Copyright 1998, Cell Press)]]図1のような図形を、片方の目に赤色のフィルター、もう片方の目に緑色のフィルターをかけて観察すると、両眼視野闘争を体験することができる。図1の図形は赤い顔と、緑の家を透明にして重ねあわせた画像で、フィルターを通して見ると、この画像は、物理的には2つの目の網膜にそれぞれ投影される。しかし、私たちの意識にのぼるのは、2つの画像のうちどちらか一方である(両眼視野闘争のターゲットの図形が小さい場合はどちらかだけが知覚されるが、ある程度以上の大きさになると、2つの図形が混ざったものが意識にのぼることが多い <ref><pubmed> 1586647  </pubmed></ref>)。どちらの画像が知覚されるかは、時間が経つとともに変化し、一方の画像が現れては消え、もう一方の画像が現れるというダイナミックな知覚の切り替わりが生じる。


両眼視野闘争やその他の両義図形と呼ばれる知覚においては、知覚の切り替わりが不規則なタイミングで生じ、いつ知覚が切り替わるのかについて正確に予測をすることはできない<ref name="ref3" /><ref name="ref8">'''F Fox, J. Herrmann '''<br> Stochastic properties of binocular rivalry alternations.<br>  ''Perception and Psychophysics, 2, 432-436'':1967</ref>。知覚の切り替わりにかかる時間のばらつきは、[[wikipedia:ja:ガンマ分布|ガンマ分布]]と呼ばれる確率分布に従う<ref><pubmed> 5582864  </pubmed></ref><ref><pubmed> 15929652  </pubmed></ref><ref><pubmed> 12876471  </pubmed></ref>。また、どちらか一方の目に呈示される視覚刺激の強さを操作すると、他方の目に呈示している刺激の知覚される時間が変化する<ref name="ref3" />(例えば[[wikipedia:ja:コントラスト|コントラスト]]・明度の高い刺激や動いている刺激はより長く知覚される<ref><pubmed> 2765591  </pubmed></ref><ref><pubmed> 14113912  </pubmed></ref><ref name="ref14">'''B B Breese '''<br> Binocular rivalry. <br>  ''Psychological Review, 16, 410-415'':1909</ref><ref name="ref15">'''S Kakizaki '''<br> Binocular rivalry and stimulus intensity.<br>  ''Japanese Psychological Research, 2(3), 94-105'':1960</ref>)。  
両眼視野闘争やその他の両義図形と呼ばれる知覚においては、知覚の切り替わりが不規則なタイミングで生じ、いつ知覚が切り替わるのかについて正確に予測をすることはできない<ref name="ref3" /><ref name="ref8">'''F Fox, J. Herrmann '''<br> Stochastic properties of binocular rivalry alternations.<br>  ''Perception and Psychophysics, 2, 432-436'':1967</ref>。知覚の切り替わりにかかる時間のばらつきは、[[wikipedia:ja:ガンマ分布|ガンマ分布]]と呼ばれる確率分布に従う<ref><pubmed> 5582864  </pubmed></ref><ref><pubmed> 15929652  </pubmed></ref><ref><pubmed> 12876471  </pubmed></ref>。また、どちらか一方の目に呈示される視覚刺激の強さを操作すると、他方の目に呈示している刺激の知覚される時間が変化する<ref name="ref3" />(例えば[[wikipedia:ja:コントラスト|コントラスト]]・明度の高い刺激や動いている刺激はより長く知覚される<ref><pubmed> 2765591  </pubmed></ref><ref><pubmed> 14113912  </pubmed></ref><ref name="ref14">'''B B Breese '''<br> Binocular rivalry. <br>  ''Psychological Review, 16, 410-415'':1909</ref><ref name="ref15">'''S Kakizaki '''<br> Binocular rivalry and stimulus intensity.<br>  ''Japanese Psychological Research, 2(3), 94-105'':1960</ref>)。  
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== どのような視覚情報が「闘争」しているか?  ==
== どのような視覚情報が「闘争」しているか?  ==


両眼視野闘争という言葉が使われているにも関わらず、実は、一体「何が」闘争しているのか、というのは未だに明らかになっていない。左目からの入力と、右目からの入力は網膜から視床の一部である[[外側膝状体]]を通り、それらの情報は[[一次視覚皮質]]で初めて統合される。1980年代後半までは、両目からの入力が統合される所で、それぞれの目からの情報がお互いを抑えつけている、という眼間闘争(eye-based rivalry)という仮説が一般的であった<ref name="ref16"><pubmed> 20951722  </pubmed></ref>。  
両眼視野闘争という言葉が使われているにも関わらず、実は、一体「何が」闘争しているのか、というのは未だに明らかになっていない。左目からの入力と、右目からの入力は網膜から視床の一部である[[外側膝状体]]を通り、それらの情報は[[一次視覚皮質]]で初めて統合される。1980年代後半までは、両目からの入力が統合される所で、それぞれの目からの情報がお互いを抑えつけている、という眼間闘争(eye-based rivalry)という仮説が一般的であった<ref name="ref16"><pubmed> 20951722  </pubmed></ref>。[[Image:Swap-Example.png|thumb|200px|図2.スワップ闘争を起こす視覚刺激の例。1秒間に3回左目と右目の縞模様を入れ替えたとしても、意識の上では2つの刺激は数秒おきに入れ替わる。(Reproduced with permission from Lee & Blake (1999) [51]. Copyright 1999, Elsevier)]]


しかし、90年代以降、闘争は2つの視覚刺激の脳内表現同士の間で起こっているとする刺激間闘争(stimulus rivalry)という考えが台頭してきた。[[wikipedia:Nikos Logothetis|Logothetis]] らは、闘争する刺激同士を、左目と右目の間で素早く入れ替えたとしても(1秒間に3回の割合)、意識の上では2つの刺激が数秒毎に入れ替わることを報告した(スワップ闘争, swap rivalry;図2)。これは目のレベルだけで闘争が起きているとすると説明ができない<ref><pubmed> 8602261  </pubmed></ref>。また、関連した現象として、両眼間のグルーピングというものがある。両眼視野闘争用の刺激が大きい場合は、両目からの入力が混ざって知覚されることが多いが、その混ざり具合はランダムでなく、高次の視覚領域で処理されるような刺激の意味などの情報が反映される。例えば、Kovácsらは、2つの視覚イメージを分解して混ぜ合わせたパターンを左目、右目にそれぞれ分けて呈示した。結果、左目、右目にそれぞれ呈示された視覚刺激の間で知覚交代が起こるのでなく、分解される前の2種類の視覚イメージの間で知覚交代が起こることをしめした<ref><pubmed> 8986842  </pubmed></ref>。スワップ闘争や、両眼間のグルーピングなどの結果は、両眼視野闘争においては眼間のレベルだけで闘争が起こっているのでなく、両眼間の情報が融合された視覚刺激の表象の間のレベルでも闘争が起こっていることを示唆する。  
しかし、90年代以降、闘争は2つの視覚刺激の脳内表現同士の間で起こっているとする刺激間闘争(stimulus rivalry)という考えが台頭してきた。[[wikipedia:Nikos Logothetis|Logothetis]] らは、闘争する刺激同士を、左目と右目の間で素早く入れ替えたとしても(1秒間に3回の割合)、意識の上では2つの刺激が数秒毎に入れ替わることを報告した(スワップ闘争, swap rivalry;図2)。これは目のレベルだけで闘争が起きているとすると説明ができない<ref><pubmed> 8602261  </pubmed></ref>。また、関連した現象として、両眼間のグルーピングというものがある。両眼視野闘争用の刺激が大きい場合は、両目からの入力が混ざって知覚されることが多いが、その混ざり具合はランダムでなく、高次の視覚領域で処理されるような刺激の意味などの情報が反映される。例えば、Kovácsらは、2つの視覚イメージを分解して混ぜ合わせたパターンを左目、右目にそれぞれ分けて呈示した。結果、左目、右目にそれぞれ呈示された視覚刺激の間で知覚交代が起こるのでなく、分解される前の2種類の視覚イメージの間で知覚交代が起こることをしめした<ref><pubmed> 8986842  </pubmed></ref>。スワップ闘争や、両眼間のグルーピングなどの結果は、両眼視野闘争においては眼間のレベルだけで闘争が起こっているのでなく、両眼間の情報が融合された視覚刺激の表象の間のレベルでも闘争が起こっていることを示唆する。  
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=== フラッシュ抑制  ===
=== フラッシュ抑制  ===


先述した通り、両眼視野闘争において知覚が切り替わるタイミングはランダムであり、実験者はそのタイミングを予測できない。しかし、フラッシュ抑制(flash suppression)という、両眼視野闘争に関連すると考えられている現象では、知覚交代のタイミングがある程度コントロールできる。フラッシュ抑制とは、片目に図形を突然呈示すると、もう片方の目にそれまで呈示されていた図形の知覚が抑制される現象である。例えば、左目に建物の画像、右目にブランクのスクリーンを最初に呈示した後に、ある時点で右目に顔の画像を呈示すると、顔の画像の知覚が優位となり、建物の画像に対する知覚は抑制される(図3)。フラッシュ抑制の場合、通常の両眼視野闘争と異なり、知覚交代のタイミングを統制できるため、今日では単一ニューロン記録などの研究に広く用いられている<ref>'''Naotsugu Tsuchiya '''<br>Flash suppression.  <br>  ''Scholarpedia, 3(2):5640'': 2008 http://www.scholarpedia.org/article/Flash_suppression</ref>。  
先述した通り、両眼視野闘争において知覚が切り替わるタイミングはランダムであり、実験者はそのタイミングを予測できない。しかし、フラッシュ抑制(flash suppression)という、両眼視野闘争に関連すると考えられている現象では、知覚交代のタイミングがある程度コントロールできる。フラッシュ抑制とは、片目に図形を突然呈示すると、もう片方の目にそれまで呈示されていた図形の知覚が抑制される現象である。例えば、左目に建物の画像、右目にブランクのスクリーンを最初に呈示した後に、ある時点で右目に顔の画像を呈示すると、顔の画像の知覚が優位となり、建物の画像に対する知覚は抑制される(図3)。フラッシュ抑制の場合、通常の両眼視野闘争と異なり、知覚交代のタイミングを統制できるため、今日では単一ニューロン記録などの研究に広く用いられている<ref>'''Naotsugu Tsuchiya '''<br>Flash suppression.  <br>  ''Scholarpedia, 3(2):5640'': 2008 http://www.scholarpedia.org/article/Flash_suppression</ref>。[[Image:FlashSuppression-Example.png|thumb|200px|図3.フラッシュ抑制の例。右眼に突然呈示された顔画像に対する知覚が、それまで左眼に呈示されていた建物の画像に対する知覚を抑制する。]]


近年注目されるようになったフラッシュ抑制だが、現象自体は古くから報告されていた。フラッシュ抑制は1901年にWilliam McDougallによって発見され<ref>'''William McDougall'''<br>On the seat of the psycho-physical processes.  <br>  ''Brain, 24, 579-630'': 1901</ref>、1964年にはRobert Lansingにより再発見された<ref><pubmed>14207465  </pubmed></ref>。日本においても、1950年に柿崎祐一が「視野闘争に及ぼす先行条件の効果」としてフラッシュ抑制と同一の現象を報告した<ref>'''柿崎祐一'''<br>視野闘争に及ぼす先行条件の効果.I. <br>  ''心理学研究, 20(2), 24-33'': 1950</ref>。1980年代には、Jeremy Wolfeによって体系的な研究がなされた<ref><pubmed>6740966 </pubmed></ref>。  
近年注目されるようになったフラッシュ抑制だが、現象自体は古くから報告されていた。フラッシュ抑制は1901年にWilliam McDougallによって発見され<ref>'''William McDougall'''<br>On the seat of the psycho-physical processes.  <br>  ''Brain, 24, 579-630'': 1901</ref>、1964年にはRobert Lansingにより再発見された<ref><pubmed>14207465  </pubmed></ref>。日本においても、1950年に柿崎祐一が「視野闘争に及ぼす先行条件の効果」としてフラッシュ抑制と同一の現象を報告した<ref>'''柿崎祐一'''<br>視野闘争に及ぼす先行条件の効果.I. <br>  ''心理学研究, 20(2), 24-33'': 1950</ref>。1980年代には、Jeremy Wolfeによって体系的な研究がなされた<ref><pubmed>6740966 </pubmed></ref>。  
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=== 連続フラッシュ抑制  ===
=== 連続フラッシュ抑制  ===


フラッシュ抑制は知覚交代のタイミングをコントロールする手法として有効だが、抑制される刺激が事前に被験者に提示されていないと効果を発揮できないため、意識にのぼらない脳内視覚処理の研究には向いていない。この欠点を克服し、ある刺激を長時間、意識にのぼらないように被験者に提示できるようにした手法が連続フラッシュ抑制(continuous flash suppression;図4)である。連続フラッシュ抑制では、たくさんのカラフルな長方形からなるランダムな図形(オランダの画家ピエット・モンドリアン(Piet Mondriaan)の絵にも似ているためモンドリアン図形とも呼ばれる)が、0.1秒ごとに違う図形に変化する動画を片目に呈示することで、もう片方の目に呈示される刺激に対する知覚が長時間抑制される現象である。両眼視野闘争では数秒で知覚が交代するのに対し、連続フラッシュ抑制を用いると、1分あるいはそれ以上の時間、片目の知覚が抑制され続ける<ref name="ref28"><pubmed>15995700  </pubmed></ref>。連続フラッシュ抑制は、2005年にカリフォルニア工科大学(当時)の[[wikipedia:ja:土谷尚嗣|土谷尚嗣]]と[[wikipedia:ja:クリストフ・コッホ|クリストフ・コッホ]]によって初めて報告され<ref name="ref28" />、今日では視覚刺激に対する気づきをコントロールする手法として幅広く用いられている<ref name="ref29"><pubmed>17129748 </pubmed></ref><ref><pubmed>21833272 </pubmed></ref>。  
フラッシュ抑制は知覚交代のタイミングをコントロールする手法として有効だが、抑制される刺激が事前に被験者に提示されていないと効果を発揮できないため、意識にのぼらない脳内視覚処理の研究には向いていない。この欠点を克服し、ある刺激を長時間、意識にのぼらないように被験者に提示できるようにした手法が連続フラッシュ抑制(continuous flash suppression;図4)である。連続フラッシュ抑制では、たくさんのカラフルな長方形からなるランダムな図形(オランダの画家ピエット・モンドリアン(Piet Mondriaan)の絵にも似ているためモンドリアン図形とも呼ばれる)が、0.1秒ごとに違う図形に変化する動画を片目に呈示することで、もう片方の目に呈示される刺激に対する知覚が長時間抑制される現象である。両眼視野闘争では数秒で知覚が交代するのに対し、連続フラッシュ抑制を用いると、1分あるいはそれ以上の時間、片目の知覚が抑制され続ける<ref name="ref28"><pubmed>15995700  </pubmed></ref>。連続フラッシュ抑制は、2005年にカリフォルニア工科大学(当時)の[[wikipedia:ja:土谷尚嗣|土谷尚嗣]]と[[wikipedia:ja:クリストフ・コッホ|クリストフ・コッホ]]によって初めて報告され<ref name="ref28" />、今日では視覚刺激に対する気づきをコントロールする手法として幅広く用いられている<ref name="ref29"><pubmed>17129748 </pubmed></ref><ref><pubmed>21833272 </pubmed></ref>。[[Image:CFS-Example.png|thumb|200px|図4.連続フラッシュ抑制の例。片眼に激しく変化するモンドリアン図形などを呈示すると、もう片眼に呈示された静止した刺激への知覚が長時間抑制される。(Reproduced with permission from Tsuchiya & Koch (2005). Copyright 2005, Nature Publishing Group.)]]


== 両眼視野闘争と立体視  ==
== 両眼視野闘争と立体視  ==
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