「健忘症候群」の版間の差分

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 ワーキングメモリーのモデルとして、Baddely<ref name=ref8><pubmed>11058819</pubmed></ref>のモデルが有名である(図4)。音韻ループは、会話や文章の理解などの際に言語的な情報を一時的に保持するものである。視空間記銘メモは、視覚イメージなど言語化できない情報を一時的に保持するもので、黒板やホワイトボードに譬えられる。[[中央実行系]]とは、音韻ループと視空間記銘メモの活動を調整し、仕事を割り振り、情報の流れを統御する。2000年に新たに加えられたエピソードバッファは、音韻ループや視空間記銘メモの情報を統合したり、意味に関する情報を担うとともに、長期記憶へのアクセスを可能とする。
 ワーキングメモリーのモデルとして、Baddely<ref name=ref8><pubmed>11058819</pubmed></ref>のモデルが有名である(図4)。音韻ループは、会話や文章の理解などの際に言語的な情報を一時的に保持するものである。視空間記銘メモは、視覚イメージなど言語化できない情報を一時的に保持するもので、黒板やホワイトボードに譬えられる。[[中央実行系]]とは、音韻ループと視空間記銘メモの活動を調整し、仕事を割り振り、情報の流れを統御する。2000年に新たに加えられたエピソードバッファは、音韻ループや視空間記銘メモの情報を統合したり、意味に関する情報を担うとともに、長期記憶へのアクセスを可能とする。


 1990年代以降に盛んになった[[脳賦活化実験]]の結果から、ワーキングメモリー、なかでも中央実行系には、前頭前野(Brodmann 9,10,46野)の関与が想定されている。ワーキングメモリー仮説は、記憶が単に事物を保存するための容れ物ではなく、注意や意識などを含むダイナミックな活動であることに研究者の目を向けさせた。しかし、Bladdeleyのモデルでは短期記憶が障害されているにも関らず長期記憶は保たれている症例の存在を説明できない。また、複雑なヒトの認知メカニズムをこのモデルだけで解釈するのは不可能である。現在のところ、ワーキングメモリーは機能的観念の域を超えてはいない。  
 1990年代以降に盛んになった[[脳賦活化実験]]の結果から、ワーキングメモリー、なかでも中央実行系には、[[前頭前野]](Brodmann 9,10,46野)の関与が想定されている。ワーキングメモリー仮説は、記憶が単に事物を保存するための容れ物ではなく、注意や意識などを含むダイナミックな活動であることに研究者の目を向けさせた。しかし、Bladdeleyのモデルでは短期記憶が障害されているにも関らず長期記憶は保たれている症例の存在を説明できない。また、複雑なヒトの認知メカニズムをこのモデルだけで解釈するのは不可能である。現在のところ、ワーキングメモリーは機能的観念の域を超えてはいない。  


 これまで述べてきた記憶はすべて、過去の事柄に関する記憶である。しかし、われわれの日常生活では「この原稿の締め切りは3月末だ」というように、未来に起こる事象について憶えていることが求められる。これを展望記憶という。3月末の締め切りという知識・情報を保持し続けるという意味で、記憶の一種と解釈される。[[展望記憶]]には実行機能が関与すると考えられる。  
 これまで述べてきた記憶はすべて、過去の事柄に関する記憶である。しかし、われわれの日常生活では「この原稿の締め切りは3月末だ」というように、未来に起こる事象について憶えていることが求められる。これを展望記憶という。3月末の締め切りという知識・情報を保持し続けるという意味で、記憶の一種と解釈される。[[展望記憶]]には実行機能が関与すると考えられる。  
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 手続き記憶、プライミング、古典的条件付けは、言葉やイメージで表すことができないため[[非陳述記憶(non-declarative memory, 非宣言的記憶)と呼ばれる。またこれら3つと意味記憶は、それらを有していることを本人は自覚できないため潜在記憶に属している。]]  
 手続き記憶、プライミング、古典的条件付けは、言葉やイメージで表すことができないため[[非陳述記憶(non-declarative memory, 非宣言的記憶)と呼ばれる。またこれら3つと意味記憶は、それらを有していることを本人は自覚できないため潜在記憶に属している。]]  


 健忘患者では一般に、エピソード記憶の障害が目立つが、潜在記憶の障害は目立たない。特に手続き記憶は、重度の健忘患者でも保たれている。[[神経変性疾患]]のなかには、初期に意味記憶だけが顕著に障害されることがあり、意味性認知症(semantic dementia)と総称される。手続き記憶には、[[小脳]]や[[大脳基底核]]が関与しており、[[パーキンソン病]]や[[脊髄小脳変性症]]、[[ハンチントン病]]などで低下すると報告されている<ref name=ref9>'''望月寛子'''<br>手続き記憶の神経基盤<br>''Brain and Nerve'', 60: 825-832, 2008.</ref> 。  
 健忘患者では一般に、エピソード記憶の障害が目立つが、潜在記憶の障害は目立たない。特に手続き記憶は、重度の健忘患者でも保たれている。[[神経変性疾患]]のなかには、初期に意味記憶だけが顕著に障害されることがあり、意味性認知症(semantic dementia)と総称される。手続き記憶には、[[小脳]]や[[大脳基底核]]が関与しており、[[パーキンソン病]]や[[脊髄小脳変性症]]、[[ハンチントン病]]などで低下すると報告されている<ref name=ref9>'''望月寛子'''<br>手続き記憶の神経基盤<br>''Brain and Nerve'', 60: 825-832, 2008.</ref> 。


== 健忘症候群を来す主な疾患  ==
== 健忘症候群を来す主な疾患  ==