「前脳基底部」の版間の差分

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== アルツハイマー病  ==
== アルツハイマー病  ==


前頭基底部に病理的変化が生じるのがルツハイマー病であり、この病気の患者ではこの脳部位、とくにマイネルト基底核のコリン作動性ニューロンが減少している。アルツハイマー病患者ではこの脳部位のアセチルコリンが減少していることから認知・学習・記憶の能力が減退していると考えられる<ref name="ref2"><pubmed>16014654</pubmed></ref>。治療薬として用いられているドネペジルは脳内でアセチルコリンを分解するタンパク質「コリンエステラーゼ」の機能を抑制し、結果的にアセチルコリンの量を増やすことで、記憶学習機能の低下を防ぐと考えられる。ただ、この薬物は認知能力の減退を遅らせはするが、コリン作動性ニューロンの再生を促すことはないことから、アルツハイマー病そのものの治療効果はない。脳に入ってアセチルコリン受容体の働きを抑える薬物であるスコポラミンを健常人に投与すると、記憶障害など、アルツハイマー病と似たような状態が生じる。ネズミにスコポラミンを大量に投与すると、記憶学習の能力が落ちるため、記憶学習を回復させる薬物のスクリーニングにスコポラミンが使われることもある。  
前頭基底部に病理的変化が生じるのがアルツハイマー病であり、この病気の患者ではこの脳部位、とくにマイネルト基底核のコリン作動性ニューロンが減少している。アルツハイマー病患者ではこの脳部位のアセチルコリンが減少していることから認知・学習・記憶の能力が減退していると考えられる<ref name="ref2"><pubmed>16014654</pubmed></ref>。治療薬として用いられているドネペジルは脳内でアセチルコリンを分解するタンパク質「コリンエステラーゼ」の機能を抑制し、結果的にアセチルコリンの量を増やすことで、記憶学習機能の低下を防ぐと考えられる。ただ、この薬物は認知能力の減退を遅らせはするが、コリン作動性ニューロンの再生を促すことはないことから、アルツハイマー病そのものの治療効果はない。脳に入ってアセチルコリン受容体の働きを抑える薬物であるスコポラミンを健常人に投与すると、記憶障害など、アルツハイマー病と似たような状態が生じる。ネズミにスコポラミンを大量に投与すると、記憶学習の能力が落ちるため、記憶学習を回復させる薬物のスクリーニングにスコポラミンが使われることもある。  


== 睡眠に果たす役割  ==
== 睡眠に果たす役割  ==

2012年7月3日 (火) 15:57時点における版

前脳基底部 Basal forebrain

要約:前脳基底部は前頭葉底面の後端に位置し、主に脳幹部と辺縁系から入力を受ける。アルツハイマー病患者ではこの脳部位のコリン作動性ニューロンが減少している。この部位は記憶や睡眠に重要な役割を果たす。

前脳基底部のなりたち

前脳基底部は前頭葉底面の後端(前頭眼窩野、前頭連合野内側部のすぐ後方)に位置し、ブローカの対角帯核 Nucleus of the diagonal band of Broca、内側中隔核 Medial septal nuclei、マイネルトの基底核Necleus basalis of Meynert を含む無名質Substantia Innominataなどの脳部位からなる。前脳基底部は腹側被蓋、縫線核、青班核などの脳幹部からと海馬、扁桃核などの辺縁系から入力を受ける。これらの部位、特にマイネルトの基底核にはコリン作動性ニューロンが多数存在するが、コリン作動性ニューロンは、記憶と関連する海馬およびその周辺領域、扁桃体、視床下部、中脳網様体とともに皮質にも広く出力を送っている。前脳基底部は前交通動脈瘤または前大脳動脈瘤の破裂によるクモ膜下出血によって傷害されることが多く、その結果記憶障害や睡眠障害が起こることが多い。

コリン作動性ニューロンと可塑性

ヒトで見られるように、サルにおいてもこの脳部位の破壊により記憶の障害が見られる。ネズミでもこの脳部位の破壊でいろいろな学習行動が阻害されることが示されている。前脳基底部のコリン作動性ニューロンは好ましい、嫌悪的である、あるいは新規である、というような生物学的に意味のある刺激があったときに出力部位にその情報を送り、その部位を活性化し、行動的覚醒、そして注意、集中を促す。コリン作動性ニューロンは情報を運ぶというより、脳全般の活動を調整することにより脳可塑性、すなわち学習に重要な役割を果たしていると考えられている[1]。実際、サルの前脳基底部には、刺激が報酬あるいは嫌悪刺激と結びついている、という学習をする過程並びにその学習の結果を反映した活動を示すニューロンが見られる。なお学習に関係してこの部位の破壊で海馬における長期増強(long term potentiation:LTP)が抑制され、電気刺激ではLTPが促進されることも示されている。

記憶障害

この部位の損傷患者は、記憶以外では神経心理テストで異常を示さないことが多い。記憶については、損傷前の数年から数十年の記憶がない、という「逆行性健忘」、今がいつで、自分がどこにいるのか、という「見当識の障害」、そして新しいことが憶えられないという「順行性健忘」が見られる。プライミングなどの潜在記憶は部分的に障害を受けるが、運転技術とか、泳ぎなどの手続記憶は障害を受けない。損傷患者では、ある情報をいつ、どこで得たのかに関する健忘(出典健忘)が見られる。また記憶の個々の項目同士をうまく結び付けすることが出来ず、起こったことを別の文脈のものと取り違えたりする行動や、空想的な「作話」もよく見られる。損傷患者は「想起」(思い出すこと)全般に障害を示すが、「再生法」では思い出せなくても、「聞いた事あるいは見たことがあるかどうか」を問う「再認法」で調べると一定の記憶は残っていることが示されることもある。

アルツハイマー病

前頭基底部に病理的変化が生じるのがアルツハイマー病であり、この病気の患者ではこの脳部位、とくにマイネルト基底核のコリン作動性ニューロンが減少している。アルツハイマー病患者ではこの脳部位のアセチルコリンが減少していることから認知・学習・記憶の能力が減退していると考えられる[2]。治療薬として用いられているドネペジルは脳内でアセチルコリンを分解するタンパク質「コリンエステラーゼ」の機能を抑制し、結果的にアセチルコリンの量を増やすことで、記憶学習機能の低下を防ぐと考えられる。ただ、この薬物は認知能力の減退を遅らせはするが、コリン作動性ニューロンの再生を促すことはないことから、アルツハイマー病そのものの治療効果はない。脳に入ってアセチルコリン受容体の働きを抑える薬物であるスコポラミンを健常人に投与すると、記憶障害など、アルツハイマー病と似たような状態が生じる。ネズミにスコポラミンを大量に投与すると、記憶学習の能力が落ちるため、記憶学習を回復させる薬物のスクリーニングにスコポラミンが使われることもある。

睡眠に果たす役割

この脳部位は、睡眠において脳幹のコリン作動性ニューロンの起始核である縫線核と皮質との中継的役割を果たしていると考えられており、損傷により睡眠障害がよく見られる。アセチリコリンの作動薬はREM睡眠を促進し、拮抗薬はREM睡眠を抑制することも示されている。ネコにおけるマイクロダイアリシス実験では、前脳基底部のアセチリコリンの量がREM睡眠時で最も大きく、NREM睡眠時に最も小さく、覚醒時にその中間レベルであることが示されている。この脳部位を破壊すると、皮質の覚醒の度合いが下がるとともに、REM睡眠障害が起こる。逆に、この脳部位を刺激すると覚醒度が上がることも示されている[3]

この用語とリンクする用語:前頭葉、腹側被蓋、縫線核、青班核、海馬、扁桃核、アセチルコリン、LTP, 健忘、手続き記憶、アルツハイマー病、REM睡眠

  1. Conner, J.M., Culberson, A., Packowski, C., Chiba, A.A., & Tuszynski, M.H. (2003).
    Lesions of the Basal forebrain cholinergic system impair task acquisition and abolish cortical plasticity associated with motor skill learning. Neuron, 38(5), 819-29. [PubMed:12797965] [WorldCat] [DOI]
  2. Teipel, S.J., Flatz, W.H., Heinsen, H., Bokde, A.L., Schoenberg, S.O., Stöckel, S., ..., & Hampel, H. (2005).
    Measurement of basal forebrain atrophy in Alzheimer's disease using MRI. Brain : a journal of neurology, 128(Pt 11), 2626-44. [PubMed:16014654] [WorldCat] [DOI]
  3. Deurveilher S, Semba k
    Basal forebrain regulation of cortical activity and sleep-wake states: Roles of cholinergic and non-cholinergic neurons.
    Sleep and Biological Rhythms, 2011 9:65-70. [doi: 10.1111/j.1479-8425.2010.00465.x]


(執筆者:渡邊正孝、担当編集委員:伊佐正)