「前頭眼窩野」の版間の差分

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1)前頭眼窩野のなりたち 2)前 頭眼窩野の情動・動機づけ機能 3)前頭眼窩野のニューロン活動とfMRI研究 4)意思決定と前頭連合野腹内側部 5)前頭連合野腹内側部とソマティック・マーカー仮説 6)前頭眼窩野と感情障害 
1)前頭眼窩野のなりたち 2)前 頭眼窩野の情動・動機づけ機能 3)前頭眼窩野のニューロン活動とfMRI研究 4)意思決定と前頭連合野腹内側部 5)前頭連合野腹内側部とソマティック・マーカー仮説 6)前頭眼窩野と感情障害  


[[Image:前頭眼窩野図1.jpg|476x293px]]  
[[Image:前頭眼窩野図1.jpg|right|476x293px|caption]]  


ヒト(左)とサル(右)の前頭前野外側部(上)と前頭眼窩野(下)。図中の数字はブロードマンの領野。  
ヒト(左)とサル(右)の前頭前野外側部(上)と前頭眼窩野(下)。図中の数字はブロードマンの領野。 <br>


1)前頭眼窩野のなりたち 前頭眼窩野は前頭葉の腹側面(下部)に位置している(図1)。前頭連合野の他の重要部位である外側部が視床の背内側核小細胞部から入力を受けるのに対し、眼窩野は視床背内側核の大細胞部から入力を受けている。前頭眼窩野の後ろよりの部分には味覚、嗅覚、内臓感覚の入力がある。より前方にある部分(13野の前よりの部分と11野)には、視覚、聴覚、体性感覚情報入力があり、これらの情報と前頭眼窩野の後ろ部分からの味覚、嗅覚情報との連合が生じている。眼窩野はまた扁桃核、海馬、視床下部、線条体とも密接な結び付きがある。   2)前頭眼窩野の情動・動機づけ機能 前頭眼窩野に損傷を受けた患者では、情動・動機づけ機能に障害がみられ、パーソナリティーが浅薄でルーズになる傾向が見られる。また食べ物に対する好みが損傷前と変化する。不適切な多幸感やいらいら感、性的放縦、パラノイア、感情鈍磨、衝動性なども報告される。眼窩部の損傷患者はまた、何かが目に入ると,それで何かしなさいとも,手を触れていいとも言われていないのに,躊躇なくそれを取り上げ,いじる,というような行動(利用行動utilization behavior)を示す傾向もある[1]。 学習行動でよく見られるのが「消去」における障害と「逆転学習」の障害である。すなわち、ある反応をすると好ましいものが得られることを一旦学習した後、その反応をしてももはや好ましいものは得られない、という事態になっても(消去事態)、前頭眼窩野損傷患者はその反応をいつまでも続ける傾向にある。またAは正(好ましいものと結びついている)、Bは負(好ましくないものと結びついている)の信号であることを学習した後に、今度はAが負、Bが正の信号であることを学ぶ、という「逆転学習」も損傷患者には困難になることも知られている。 この脳部位を破壊したサルにおいても、消去がなかなか生じない、逆転学習が困難である、という人と同じ障害が見られる。さらに破壊ザルが、「報酬価値を減少させる」操作に敏感でないことも知られている。すなわち、ほぼ同じ価値(おいしさ)を持つX,Yという食べ物があったとして、Xだけたくさん食べさせる、という操作をすると、通常のサルなら、Yという食べ物を取るのには熱心でも、Xを取るのは熱心でなくなる。ところが前頭眼窩野を破壊したサルはYに対してと同じようにXをとるためにも熱心になることが知られている。
== 前頭眼窩野のなりたち  ==


3)前頭眼窩野のニューロン活動とfMRI研究 サル前頭眼窩野には,報酬や嫌悪刺激に応答したり、そうした刺激の予測,期待に関係して「予期的」な活動変化を示したりするニューロンが見出される。最近の研究では、サルの眼窩野ニューロンが報酬や嫌悪刺激の価値(好ましさや嫌悪度)を反映した活動を示すことが明らかにされている。すなわちサルにとって、Aという報酬は価値が高く、Bという報酬は価値が低い場合、例えばサルにとってAの1単位と、Bの3単位がほぼ同価値という場合、眼窩野のニューロンは、Aの1単位とBの3単位の報酬には同じ応答を示す(共通通貨で表されるような価値を反映した活動を示す)ことが知られている。「価値を減少させる」操作をすれば、その減少した価値を反映した活動を示す。 なお、価値はものによって大きな幅がある。例えば車を選ぶときの価値のレベル(1万円、2万円の差は問題にならない)と、洗剤を選ぶときの価値のレベル(10円、20円の差が問題になる)は大きく異なる。眼窩野のニューロンは、価値レベルに応じて反応様式を変える。例えば絶対的な価値レベルが高い対象に対しては、その絶対的な価値を持つ刺激対象群という文脈内での相対的な価値を反映した活動を示し、群内では相対的に低価値のものに対する反応は(絶対的な価値は高くても)低い。一方、絶対的な価値レベルは低い対象群の中での相対的に高価値なものには大きな反応を示すことも示されている。つまり眼窩野ニューロンは文脈に基づき、対象の文脈内での相対的な価値を反映した活動を示す。なお価値という場合、その対象そのものだけでなく、それが得られる確率、得られるまでの時間、得るために要する労力、さらには仮想的な報酬(本当は得られないが、得られたとしたら手にするもの)のような情報も眼窩野ニューロンは反映している。 近年のfMRI研究では、報酬や嫌悪刺激に関連して前頭眼窩野の活動を調べた研究は多いが、この脳部位は解剖学的に副鼻腔に近く、呼吸に伴う空気の動きの雑音の影響を受けやすいことから、この部位のデータの信頼性は他の部位のものより劣る。 人における非侵襲的研究によると、好ましい刺激や嫌悪刺激の呈示に対して前頭眼窩野はそれらの価値を反映した活動を示すとともに、そうした刺激の期待・予期過程に関しても活性化を示す。刺激としては、食べ物、飲み物、性的刺激、さらにはお金や社会的評判、芸術的対象(美しい、醜い)も含まれる。また、「価値を減少させる」操作に対しても前頭眼窩部はその減少した価値を反映した活動を示す。さらにこの脳部位は疲労感に関係した活動変化も示す。 なお、多くの研究で前頭眼窩野の11,13野を中心とした内側よりの部分は報酬を、12野と中心とした外側部よりの部分は罰を表象する、とされるが、否定的な研究もあり、この脳部位内で正負の価値が異なった部位で表象されているかどうかはまだ議論の対象である。一方、前頭眼窩野内で、後ろよりの部分は報酬や嫌悪刺激そのものを捉えることにより関わり、前よりの部分ほど視覚や体性感覚刺激と味覚・嗅覚刺激の連合に関わること、より抽象度の高い刺激(社会的刺激や芸術的対象)への反応が見られることが示されている。
前頭眼窩野は前頭葉の腹側面(下部)に位置している(図1)。前頭連合野の他の重要部位である外側部が視床の背内側核小細胞部から入力を受けるのに対し、眼窩野は視床背内側核の大細胞部から入力を受けている。前頭眼窩野の後ろよりの部分には味覚、嗅覚、内臓感覚の入力がある。より前方にある部分(13野の前よりの部分と11野)には、視覚、聴覚、体性感覚情報入力があり、これらの情報と前頭眼窩野の後ろ部分からの味覚、嗅覚情報との連合が生じている。眼窩野はまた扁桃核、海馬、視床下部、線条体とも密接な結び付きがある。


4)意思決定と前頭連合野腹内側部 私たちは日々、色々な意思決定場面に遭遇するが、「これしかない」というような解は見つからない場合も多い。そうした状況でヒトはよく論理的な道筋に沿うよりも、かなりの部分を背後の知識、文脈、期待、その時の感情などに依存した、直感的でヒューリスティックheuristicな意思決定decision makingを行う傾向にある[2]。  こうしたヒューリスティックな意思決定には、前頭眼窩野を中心として、前頭連合野内側部の下方の一部を含む前頭前野腹側(底面)の前の方(腹内側部ventorolateralと呼ばれる)が重要な役割を果たしている。ダマジオはその著「デカルト・エラー」Decartes’error[3]の中で、脳腫瘍のためこの脳部位の切除手術を受けた結果、「当面している事態の重要性を評価したり、これからやらなければならな事柄の間に優先順位をつけたりする場合、社会的な常識から大きくかけ離れた判断をしてしまう」、あるいは「リスク事態において、小さくても長期的には利益につながる方に賭けるのではなく,短期的には大きな利益を生むかも知れないが,長期的には損失につながるような選択をする」ようになった患者の例を紹介している。こうした患者をテストするのによく用いられるものにアイオワ・ギャンブリング課題Iowa Gambling Taskというものがある。 このテストではA,B,C,D4種類のカードの山があって、被験者はそこからカードを1枚ずつ引く。A,Bを引くと1万円、B,Cを引くと5千円がもらえるとしよう。ただし、A,Bには1/10の割合で-12.5万円のマイナスになるカード、C,Dには1/10の割合で-2.5万円になるカードが入っている。一見するとA,Bを選ぶ方が有利に見えるが、結果的にはC,Dの方が得になるという課題になっている。実験を受ける被験者にはこのことを教えずにカードを1枚ずつ自由に引いてもらうと、最初はだれもA,Bの方が有利だと感じてA,Bのカードの山からカードを引くようになるが、しばらくするとC,Dの方が有利だと気づいてC,Dの山からカードを引くようになる。前頭連合野腹内側部の機能障害を持った患者の場合、その選択が最終的に損であると分かっている場合ですらA, Bのカードを選択し続ける傾向にある。
== 前頭眼窩野の情動・動機づけ機能  ==


5)前頭連合野腹内側部とソマティックマーカー仮説 ダマジオはこうした障害のメカニズムについてソマティックマーカー仮説somatic marker hypothesisを提唱している。彼は情動、動機づけには常に「身体的、内臓系の反応」(ソマティック反応)が付随すると考えた。そして(1)前頭連合野腹内側部は外的な刺激とそれに伴う情動、動機づけを連合する場所と考えられる。(2)この連合が成立している場合には、外的な刺激が認知されると、腹内側部でその連合に基づいたソマティック反応を身体、内臓系に生じさせる信号が出るが、その信号は「良い」あるいは「悪い」という価値に従いマークされている。(3)このマーク機能は意思決定を効率的にするように作用する、と考えた。腹内側部に損傷をもつ患者では、外部状況が認知されても通常なら生起するソマティック・マーカーが起こらないため、マーカーがあれば可能であるような迅速、適切な行動が出来なくなると考えるわけである。 アイオワ・ギャンブル課題中に被験者の体に発汗(自律神経の働きからくる)を調べることができる装置をつけておくと、健常者がA, Bのカードを選択しようとする際には、20枚目くらいで発汗量に増加がみられる。20枚目というと、まだA,Bのカードが不利であることは意識化されていない段階であるが、生理的な反応が出ることにより、被験者の意思決定は有利なものになるわけであるが、前頭前野腹内側部損傷患者ではそうした反応が出ないのである。 ダマジオの説は、意思決定における感情の果たす役割や、無意識的判断というものについて神経的基礎を与えるもので、多いに注目を集めているが、実証されているとは言い難く、批判も少なくない。たとえば、ロールズなどは、腹内側部損傷患者が適切な意思決定ができないのは、罰刺激のような負の経験に基づいて反応変容ができない、という前頭眼窩野に見られる消去や逆転学習の障害の反映と解釈すべきとしている[4]。 さらに最近の研究によると、前頭前野腹内側部損傷患者は、確実な情報がないような条件での意思決定場面だけでなく、単純な「好きー嫌い」の判断にも一貫性のないことが示されている。検査対象者に食べ物、有名人、色見本紙につき、6つの中から2つの間でどちらが好きかを何度も尋ねると、この脳部位の損傷患者では、反応の一貫性に乏しく、聞くたびに好みが変化する、というような傾向が見られている[5]。これは、ソマティック・マーカーがないと適切な反応が出来ない、というような事態でなくても、損傷患者の判断に障害が見られることを示し、逆に損傷患者の不確定事態における判断の障害も、こうした好きー嫌いの判断の非一貫性の反映に過ぎない可能性も指摘されている。 ソマティック・マーカー仮説の当否は別としても、情動がからむ意思決定、選択肢間の価値の比較が求められる意思決定に関係して、前頭連合野腹内側部が活性化するとした研究は多い。コーラ(コカ、あるいはペプシ)の好みに関し銘柄を隠して判断させると、この脳部位が活性化したのに対し、銘柄を知らせると、好みの判断に関係して海馬や前頭連合野外側部などが活性化した、という報告がある。また道徳に基づいた社会的行動の適切性の判断にもこの脳部位が活性化するが、特にネガティブな情動を引き起こすような状況での判断で、ポジティブな情動を引き起こすような状況での判断より前頭連合野腹内側部の活性化が大きいことも示されている。
前頭眼窩野に損傷を受けた患者では、情動・動機づけ機能に障害がみられ、パーソナリティーが浅薄でルーズになる傾向が見られる。また食べ物に対する好みが損傷前と変化する。不適切な多幸感やいらいら感、性的放縦、パラノイア、感情鈍磨、衝動性なども報告される。眼窩部の損傷患者はまた、何かが目に入ると,それで何かしなさいとも,手を触れていいとも言われていないのに,躊躇なくそれを取り上げ,いじる,というような行動(利用行動utilization behavior)を示す傾向もある[1]。 学習行動でよく見られるのが「消去」における障害と「逆転学習」の障害である。すなわち、ある反応をすると好ましいものが得られることを一旦学習した後、その反応をしてももはや好ましいものは得られない、という事態になっても(消去事態)、前頭眼窩野損傷患者はその反応をいつまでも続ける傾向にある。またAは正(好ましいものと結びついている)、Bは負(好ましくないものと結びついている)の信号であることを学習した後に、今度はAが負、Bが正の信号であることを学ぶ、という「逆転学習」も損傷患者には困難になることも知られている。 この脳部位を破壊したサルにおいても、消去がなかなか生じない、逆転学習が困難である、という人と同じ障害が見られる。さらに破壊ザルが、「報酬価値を減少させる」操作に敏感でないことも知られている。すなわち、ほぼ同じ価値(おいしさ)を持つX,Yという食べ物があったとして、Xだけたくさん食べさせる、という操作をすると、通常のサルなら、Yという食べ物を取るのには熱心でも、Xを取るのは熱心でなくなる。ところが前頭眼窩野を破壊したサルはYに対してと同じようにXをとるためにも熱心になることが知られている。


5)前頭眼窩野と感情障害  前頭眼窩野の損傷患者ではうつ病になるリスクが高いことが知られているが、うつ病はこの脳部位がもつ情動・動機づけ制御機能が適切に働かないことと関係していると考えられる。うつ病患者ではこの脳部位の体積が減少していることが知られている。一方、安静時の脳代謝や脳血流量を調べると、この脳部位の活動がうつ病患者では増加していること、適切な治療がされるとこの増加がなくなることが示されている。この活動の増加は、うつ病患者がくよくよ考えることに関係しているとも考えられる。  情動・動機づけ制御機能に障害が考えられるものに「社会病質」Psychopathyもある。これは他人の痛みを感じることがなく、他者に暴力的な反応をしても罪の意識を感じず、同じ犯罪を繰り返し行う行動傾向を指す。社会病質者では、前頭眼窩野の活動性が(うつ病)と違って低いが、この脳部位の損傷で社会病質者になるという報告はない。社会病質者の多くには扁桃核に障害があり、その結果として前頭眼窩野の働きに障害が出ると考えらえている。  前頭眼窩野の情動・動機づけ機能は神経伝達物質のドーパミン,セロトニン、ノルエピネフリン,GABA(ガンマアミノ酪酸)などによって支えられている。その中でセロトニンはこの脳部位の情動機能を支えるのに最も重要な神経伝達物質である。PET研究によると、うつ病は前頭眼窩野のセロトニンの働きの異常が関係していると考えられる。うつ病治療に用いられる薬物の多くは前頭眼窩野のセロトニンの働きを高めるように作用する。 トリプトファン(たんぱく質に含まれるアミノ酸)はセロトニンの前駆物質であるが、このトリプトファン成分だけ除去した食事を実験的に続けると、回復していたうつ症状がぶり返す場合があることが知られている。健常人にトリプトファンを除去した食事をしてもらうと、前頭眼窩野の損傷患者で見られるように、攻撃的傾向が増したり、逆転学習の障害が見られたりする。サルにおいてセロトニンを神経伝達物質とするニューロンは、長期の報酬予測の制御に関係していることも知られている。人では、実験的にトリプトファンを欠乏させると短期的思考が多くなり、過剰にすると長期予測の割合が増すという報告もある。うつ病患者では、特に前頭眼窩野の脳内セロトニン低下により長期予測機能が低下しており、結果として目先のことしか考えられないという短期的思考になり、将来に希望が持てなくなるという仮説も提示されている。  
== 前頭眼窩野のニューロン活動とfMRI研究  ==
 
サル前頭眼窩野には,報酬や嫌悪刺激に応答したり、そうした刺激の予測,期待に関係して「予期的」な活動変化を示したりするニューロンが見出される。最近の研究では、サルの眼窩野ニューロンが報酬や嫌悪刺激の価値(好ましさや嫌悪度)を反映した活動を示すことが明らかにされている。すなわちサルにとって、Aという報酬は価値が高く、Bという報酬は価値が低い場合、例えばサルにとってAの1単位と、Bの3単位がほぼ同価値という場合、眼窩野のニューロンは、Aの1単位とBの3単位の報酬には同じ応答を示す(共通通貨で表されるような価値を反映した活動を示す)ことが知られている。「価値を減少させる」操作をすれば、その減少した価値を反映した活動を示す。 なお、価値はものによって大きな幅がある。例えば車を選ぶときの価値のレベル(1万円、2万円の差は問題にならない)と、洗剤を選ぶときの価値のレベル(10円、20円の差が問題になる)は大きく異なる。眼窩野のニューロンは、価値レベルに応じて反応様式を変える。例えば絶対的な価値レベルが高い対象に対しては、その絶対的な価値を持つ刺激対象群という文脈内での相対的な価値を反映した活動を示し、群内では相対的に低価値のものに対する反応は(絶対的な価値は高くても)低い。一方、絶対的な価値レベルは低い対象群の中での相対的に高価値なものには大きな反応を示すことも示されている。つまり眼窩野ニューロンは文脈に基づき、対象の文脈内での相対的な価値を反映した活動を示す。なお価値という場合、その対象そのものだけでなく、それが得られる確率、得られるまでの時間、得るために要する労力、さらには仮想的な報酬(本当は得られないが、得られたとしたら手にするもの)のような情報も眼窩野ニューロンは反映している。 近年のfMRI研究では、報酬や嫌悪刺激に関連して前頭眼窩野の活動を調べた研究は多いが、この脳部位は解剖学的に副鼻腔に近く、呼吸に伴う空気の動きの雑音の影響を受けやすいことから、この部位のデータの信頼性は他の部位のものより劣る。 人における非侵襲的研究によると、好ましい刺激や嫌悪刺激の呈示に対して前頭眼窩野はそれらの価値を反映した活動を示すとともに、そうした刺激の期待・予期過程に関しても活性化を示す。刺激としては、食べ物、飲み物、性的刺激、さらにはお金や社会的評判、芸術的対象(美しい、醜い)も含まれる。また、「価値を減少させる」操作に対しても前頭眼窩部はその減少した価値を反映した活動を示す。さらにこの脳部位は疲労感に関係した活動変化も示す。 なお、多くの研究で前頭眼窩野の11,13野を中心とした内側よりの部分は報酬を、12野と中心とした外側部よりの部分は罰を表象する、とされるが、否定的な研究もあり、この脳部位内で正負の価値が異なった部位で表象されているかどうかはまだ議論の対象である。一方、前頭眼窩野内で、後ろよりの部分は報酬や嫌悪刺激そのものを捉えることにより関わり、前よりの部分ほど視覚や体性感覚刺激と味覚・嗅覚刺激の連合に関わること、より抽象度の高い刺激(社会的刺激や芸術的対象)への反応が見られることが示されている。
 
== 意思決定と前頭連合野腹内側部  ==
 
私たちは日々、色々な意思決定場面に遭遇するが、「これしかない」というような解は見つからない場合も多い。そうした状況でヒトはよく論理的な道筋に沿うよりも、かなりの部分を背後の知識、文脈、期待、その時の感情などに依存した、直感的でヒューリスティックheuristicな意思決定decision makingを行う傾向にある[2]。  こうしたヒューリスティックな意思決定には、前頭眼窩野を中心として、前頭連合野内側部の下方の一部を含む前頭前野腹側(底面)の前の方(腹内側部ventorolateralと呼ばれる)が重要な役割を果たしている。ダマジオはその著「デカルト・エラー」Decartes’error[3]の中で、脳腫瘍のためこの脳部位の切除手術を受けた結果、「当面している事態の重要性を評価したり、これからやらなければならな事柄の間に優先順位をつけたりする場合、社会的な常識から大きくかけ離れた判断をしてしまう」、あるいは「リスク事態において、小さくても長期的には利益につながる方に賭けるのではなく,短期的には大きな利益を生むかも知れないが,長期的には損失につながるような選択をする」ようになった患者の例を紹介している。こうした患者をテストするのによく用いられるものにアイオワ・ギャンブリング課題Iowa Gambling Taskというものがある。 このテストではA,B,C,D4種類のカードの山があって、被験者はそこからカードを1枚ずつ引く。A,Bを引くと1万円、B,Cを引くと5千円がもらえるとしよう。ただし、A,Bには1/10の割合で-12.5万円のマイナスになるカード、C,Dには1/10の割合で-2.5万円になるカードが入っている。一見するとA,Bを選ぶ方が有利に見えるが、結果的にはC,Dの方が得になるという課題になっている。実験を受ける被験者にはこのことを教えずにカードを1枚ずつ自由に引いてもらうと、最初はだれもA,Bの方が有利だと感じてA,Bのカードの山からカードを引くようになるが、しばらくするとC,Dの方が有利だと気づいてC,Dの山からカードを引くようになる。前頭連合野腹内側部の機能障害を持った患者の場合、その選択が最終的に損であると分かっている場合ですらA, Bのカードを選択し続ける傾向にある。
 
== 前頭連合野腹内側部とソマティックマーカー仮説  ==
 
ダマジオはこうした障害のメカニズムについてソマティックマーカー仮説somatic marker hypothesisを提唱している。彼は情動、動機づけには常に「身体的、内臓系の反応」(ソマティック反応)が付随すると考えた。そして(1)前頭連合野腹内側部は外的な刺激とそれに伴う情動、動機づけを連合する場所と考えられる。(2)この連合が成立している場合には、外的な刺激が認知されると、腹内側部でその連合に基づいたソマティック反応を身体、内臓系に生じさせる信号が出るが、その信号は「良い」あるいは「悪い」という価値に従いマークされている。(3)このマーク機能は意思決定を効率的にするように作用する、と考えた。腹内側部に損傷をもつ患者では、外部状況が認知されても通常なら生起するソマティック・マーカーが起こらないため、マーカーがあれば可能であるような迅速、適切な行動が出来なくなると考えるわけである。 アイオワ・ギャンブル課題中に被験者の体に発汗(自律神経の働きからくる)を調べることができる装置をつけておくと、健常者がA, Bのカードを選択しようとする際には、20枚目くらいで発汗量に増加がみられる。20枚目というと、まだA,Bのカードが不利であることは意識化されていない段階であるが、生理的な反応が出ることにより、被験者の意思決定は有利なものになるわけであるが、前頭前野腹内側部損傷患者ではそうした反応が出ないのである。 ダマジオの説は、意思決定における感情の果たす役割や、無意識的判断というものについて神経的基礎を与えるもので、多いに注目を集めているが、実証されているとは言い難く、批判も少なくない。たとえば、ロールズなどは、腹内側部損傷患者が適切な意思決定ができないのは、罰刺激のような負の経験に基づいて反応変容ができない、という前頭眼窩野に見られる消去や逆転学習の障害の反映と解釈すべきとしている[4]。 さらに最近の研究によると、前頭前野腹内側部損傷患者は、確実な情報がないような条件での意思決定場面だけでなく、単純な「好きー嫌い」の判断にも一貫性のないことが示されている。検査対象者に食べ物、有名人、色見本紙につき、6つの中から2つの間でどちらが好きかを何度も尋ねると、この脳部位の損傷患者では、反応の一貫性に乏しく、聞くたびに好みが変化する、というような傾向が見られている[5]。これは、ソマティック・マーカーがないと適切な反応が出来ない、というような事態でなくても、損傷患者の判断に障害が見られることを示し、逆に損傷患者の不確定事態における判断の障害も、こうした好きー嫌いの判断の非一貫性の反映に過ぎない可能性も指摘されている。 ソマティック・マーカー仮説の当否は別としても、情動がからむ意思決定、選択肢間の価値の比較が求められる意思決定に関係して、前頭連合野腹内側部が活性化するとした研究は多い。コーラ(コカ、あるいはペプシ)の好みに関し銘柄を隠して判断させると、この脳部位が活性化したのに対し、銘柄を知らせると、好みの判断に関係して海馬や前頭連合野外側部などが活性化した、という報告がある。また道徳に基づいた社会的行動の適切性の判断にもこの脳部位が活性化するが、特にネガティブな情動を引き起こすような状況での判断で、ポジティブな情動を引き起こすような状況での判断より前頭連合野腹内側部の活性化が大きいことも示されている。
 
== 前頭眼窩野と感情障害  ==
 
前頭眼窩野の損傷患者ではうつ病になるリスクが高いことが知られているが、うつ病はこの脳部位がもつ情動・動機づけ制御機能が適切に働かないことと関係していると考えられる。うつ病患者ではこの脳部位の体積が減少していることが知られている。一方、安静時の脳代謝や脳血流量を調べると、この脳部位の活動がうつ病患者では増加していること、適切な治療がされるとこの増加がなくなることが示されている。この活動の増加は、うつ病患者がくよくよ考えることに関係しているとも考えられる。  情動・動機づけ制御機能に障害が考えられるものに「社会病質」Psychopathyもある。これは他人の痛みを感じることがなく、他者に暴力的な反応をしても罪の意識を感じず、同じ犯罪を繰り返し行う行動傾向を指す。社会病質者では、前頭眼窩野の活動性が(うつ病)と違って低いが、この脳部位の損傷で社会病質者になるという報告はない。社会病質者の多くには扁桃核に障害があり、その結果として前頭眼窩野の働きに障害が出ると考えらえている。  前頭眼窩野の情動・動機づけ機能は神経伝達物質のドーパミン,セロトニン、ノルエピネフリン,GABA(ガンマアミノ酪酸)などによって支えられている。その中でセロトニンはこの脳部位の情動機能を支えるのに最も重要な神経伝達物質である。PET研究によると、うつ病は前頭眼窩野のセロトニンの働きの異常が関係していると考えられる。うつ病治療に用いられる薬物の多くは前頭眼窩野のセロトニンの働きを高めるように作用する。 トリプトファン(たんぱく質に含まれるアミノ酸)はセロトニンの前駆物質であるが、このトリプトファン成分だけ除去した食事を実験的に続けると、回復していたうつ症状がぶり返す場合があることが知られている。健常人にトリプトファンを除去した食事をしてもらうと、前頭眼窩野の損傷患者で見られるように、攻撃的傾向が増したり、逆転学習の障害が見られたりする。サルにおいてセロトニンを神経伝達物質とするニューロンは、長期の報酬予測の制御に関係していることも知られている。人では、実験的にトリプトファンを欠乏させると短期的思考が多くなり、過剰にすると長期予測の割合が増すという報告もある。うつ病患者では、特に前頭眼窩野の脳内セロトニン低下により長期予測機能が低下しており、結果として目先のことしか考えられないという短期的思考になり、将来に希望が持てなくなるという仮説も提示されている。  


文献 1)Lhermitte F. 'Utilization behaviour' and its relation to lesions of the frontal lobes. Brain 1983, 106:237-255.  
文献 1)Lhermitte F. 'Utilization behaviour' and its relation to lesions of the frontal lobes. Brain 1983, 106:237-255.  
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