「副嗅覚系」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
 
(同じ利用者による、間の4版が非表示)
2行目: 2行目:
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0002217 市川 眞澄]</font><br>
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0002217 市川 眞澄]</font><br>
'' 公益財団法人東京都医学総合研究所 ''<br>
'' 公益財団法人東京都医学総合研究所 ''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2015年7月11日 原稿完成日:2015年月日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2015年7月11日 原稿完成日:2015年8月1日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/ichirofujita 藤田 一郎](大阪大学 大学院生命機能研究科)<br></div>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/ichirofujita 藤田 一郎](大阪大学 大学院生命機能研究科)<br></div>


28行目: 28行目:


=== 構造と機能 ===
=== 構造と機能 ===
 鋤鼻器は、[[wikipedia:ja:系統発生学|系統発生学]]的には[[カエル]]・[[イモリ]]などの[[両生類]]以上の[[脊椎動物]]に見られ、[[ヘビ]]・[[トカゲ]]・[[カメ]]など [[爬虫類]]で良く発達し、多くの[[哺乳類]]に認められる。しかし、[[鳥類]]と一部の[[霊長類]]( [[旧世界サル]])には存在しない。
 鋤鼻器は、[[wikipedia:ja:系統発生学|系統発生学]]的には[[カエル]]・[[イモリ]]などの[[両生類]]以上の[[脊椎動物]]に見られ、[[ヘビ]]・[[トカゲ]]・[[カメ]]など [[爬虫類]]で良く発達し、多くの[[哺乳類]]に認められる。しかし、[[鳥類]]と一部の[[霊長類]]( [[旧世界サル]])には存在しない。ヒトにおいては、鋤鼻器は胎児期には存在するが、成長に伴って退化し、存在しても痕跡である。


 鼻腔内の鼻中隔腹側基部で[[wikipedia:ja:鋤骨|鋤骨]]に沿って前後に細長く、鼻中隔をはさんで左右対称に横たわる1対の器官である(図1)。鋤鼻器の前端は、鼻腔に直接あるいは[[wikipedia:ja:切歯管|切歯管]]([[wikipedia:ja:鼻腔|鼻腔]]と[[wikipedia:ja:口腔|口腔]]を結ぶ管)に開口するなど種によって異なり(爬虫類のヘビなどでは口腔に開口する)、後端は後背方に伸びて鼻中隔基部の鼻腔を覆う粘膜に盲嚢として終わる。
 鼻腔内の鼻中隔腹側基部で[[wikipedia:ja:鋤骨|鋤骨]]に沿って前後に細長く、鼻中隔をはさんで左右対称に横たわる1対の器官である(図1)。鋤鼻器の前端は、鼻腔に直接あるいは[[wikipedia:ja:切歯管|切歯管]]([[wikipedia:ja:鼻腔|鼻腔]]と[[wikipedia:ja:口腔|口腔]]を結ぶ管)に開口するなど種によって異なり(爬虫類のヘビなどでは口腔に開口する)、後端は後背方に伸びて鼻中隔基部の鼻腔を覆う粘膜に盲嚢として終わる。
50行目: 50行目:
 さて、鋤鼻器の形態や機能がかなり明らかになった。しかしその基となっている動物はほとんどが実験室で飼育されている齧歯類の[[ラット]]や[[マウス]]のものである。他の哺乳類もネズミと同じなのか?  
 さて、鋤鼻器の形態や機能がかなり明らかになった。しかしその基となっている動物はほとんどが実験室で飼育されている齧歯類の[[ラット]]や[[マウス]]のものである。他の哺乳類もネズミと同じなのか?  


 我々の研究で明らかになったのは、他の哺乳類の鋤鼻器はラットやマウスの齧歯類のものと大変に異なることである<ref name=ref3>'''Ichikawa M, Shin T, Kang MS'''<br>Fine structure of vomronasal sensory epithelium of Korean goat.<br>''Reproduction Decelopment:'' 1999, 45; 81-89</ref>。よく調べられている[[ヤギ]]を例に述べる。ラットやマウスと比べて、ヤギでは細い血管がいくつも散在しており、鋤鼻腔が拡大している。この特徴から、まず想像できるのは、ヤギに鋤鼻ポンプ機能はないということである。盲管構造は同じなので、他の生理機能でフェロモンを取り込んでいると想像される。ウマ・ヒツジの鋤鼻器もヤギとほとんど同じ形態である。[[ウマ]]・[[ヒツジ]]・ヤギなどに特徴的に現れる[[wikipedia:ja:フレーメン|フレーメン]]がこの機能を担っているという説がある。
 我々の研究で明らかになったのは、他の哺乳類の鋤鼻器はラットやマウスの齧歯類のものと大変に異なることである<ref name=ref3>'''Ichikawa M, Shin T, Kang MS'''<br>Fine structure of vomronasal sensory epithelium of Korean goat.<br>''Reproduction Decelopment:'' 1999, 45; 81-89</ref>。よく調べられている[[ヤギ]]を例に述べる。ラットやマウスと比べて、ヤギでは細い血管がいくつも散在しており、鋤鼻腔が拡大している。この特徴から、まず想像できるのは、ヤギに鋤鼻ポンプ機能はないということである。盲管構造は同じなので、他の生理機能でフェロモンを取り込んでいると想像される。ウマ・ヒツジの鋤鼻器もヤギとほとんど同じ形態である。[[ウマ]]・[[ヒツジ]]・ヤギなどに特徴的に現れる[[wikipedia:ja:フレーメン|フレーメン]]がこの機能を担っているという説がある<ref name=ref013><pubmed>4095186</pubmed></ref>。


 ラット・マウスの感覚上皮は鋤鼻受容細胞が何重にもなって存在しているのにくらべて、ヤギでは、その数が少ない。従って感覚上皮の厚さが薄く、非感覚上皮との区別がつけにくい。しかしながら、一つ一つの細胞の形態にはラット・マウスとヤギの間では大きな差はなく、ヤギの鋤鼻受容細胞も双極型をしており鋤鼻腔に接した面にたくさんの微絨毛を持っている。
 ラット・マウスの感覚上皮は鋤鼻受容細胞が何重にもなって存在しているのにくらべて、ヤギでは、その数が少ない。従って感覚上皮の厚さが薄く、非感覚上皮との区別がつけにくい。しかしながら、一つ一つの細胞の形態にはラット・マウスとヤギの間では大きな差はなく、ヤギの鋤鼻受容細胞も双極型をしており鋤鼻腔に接した面にたくさんの微絨毛を持っている。
60行目: 60行目:
 ラット・マウスの鋤鼻器と他の哺乳類の鋤鼻器との間で、形態や鋤鼻受容細胞におけるフェロモン受容体の発現パターンが異なることが明らかになった。しかし、機能が“大きく”異なるのかは不明である、さきに、鋤鼻ポンプとフレーメンの相違を述べたが、フェロモンの受容機能で大きな差があるのかどうか?まだ不確かな点が多い。
 ラット・マウスの鋤鼻器と他の哺乳類の鋤鼻器との間で、形態や鋤鼻受容細胞におけるフェロモン受容体の発現パターンが異なることが明らかになった。しかし、機能が“大きく”異なるのかは不明である、さきに、鋤鼻ポンプとフレーメンの相違を述べたが、フェロモンの受容機能で大きな差があるのかどうか?まだ不確かな点が多い。


 分類上重要で、調べてないのが[[海獣目]]の[[アザラシ]]や[[オットセイ]]などと、[[有袋類]]の[[カンガルー]]などである。[[鯨目]]([[クジラ]]や[[イルカ]])は嗅覚器もないと言われているが、本当なのかどうかも確認する必要がある。
 分類上重要で、調べてないのが[[海獣目]]の[[アザラシ]]や[[オットセイ]]などと、[[有袋類]]の[[カンガルー]]などである。[[鯨目]]([[クジラ]]や[[イルカ]])は鋤鼻器だけでなく嗅覚器もないと言われているが、本当なのかどうかも確認する必要がある。


== 副嗅球 ==
== 副嗅球 ==
70行目: 70行目:
 ラット・マウスにおいて、鋤鼻受容細胞は鋤鼻感覚上皮の浅層に位置しI型フェロモン受容体を有しGタンパク質αサブユニットGi2を共有するもの(V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞)と深層に位置しII型受容体とGoを共有するもの(V2R-Go型鋤鼻受容細胞)が存在する。これらが、副嗅球の異なる部位に終止している。すなわち、V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞が副嗅球の吻側に、V2R-Go型鋤鼻受容細胞が尾側に終止する(図4左)。このように分割して投射することが機能的には何を意味するのかまだわからない。おそらく、特定の機能に関わる部位、いわゆる[[機能局在]]があるのだろう。
 ラット・マウスにおいて、鋤鼻受容細胞は鋤鼻感覚上皮の浅層に位置しI型フェロモン受容体を有しGタンパク質αサブユニットGi2を共有するもの(V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞)と深層に位置しII型受容体とGoを共有するもの(V2R-Go型鋤鼻受容細胞)が存在する。これらが、副嗅球の異なる部位に終止している。すなわち、V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞が副嗅球の吻側に、V2R-Go型鋤鼻受容細胞が尾側に終止する(図4左)。このように分割して投射することが機能的には何を意味するのかまだわからない。おそらく、特定の機能に関わる部位、いわゆる[[機能局在]]があるのだろう。


 ViR-Gi2型鋤鼻受容細胞およびV2R-Go型鋤鼻受容細胞に発現するフェロモン受容体のそれぞれがどのようなフェロモンを受容するのかが明らかになれば、それぞれの機能が明らかになり、分割して投射する意味はわかってくるだろう。この鋤鼻受容細胞の副嗅球への分割投射は、実験動物としてよく用いられるラットやマウスの齧歯類の他、有胎類の[[オポッサム]]で明らかにされている。
 V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞およびV2R-Go型鋤鼻受容細胞に発現するフェロモン受容体のそれぞれがどのようなフェロモンを受容するのかが明らかになれば、それぞれの機能が明らかになり、分割して投射する意味はわかってくるだろう。この鋤鼻受容細胞の副嗅球への分割投射は、実験動物としてよく用いられるラットやマウスの齧歯類の他、有胎類の[[オポッサム]]で明らかにされている。


 V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞のみを有する動物の投射様式は、軸索もV1R-Gi2型タイプのもののみであり、副嗅球ではこの[[軸索終末]]で副嗅球全体を覆われていて吻側尾側の分割パターンを示さないのである(図4右)。この結果は、哺乳類は非分割型投射パターンが一般的であり、分割投射を示すラットやマウスの方が特殊である<ref name=ref6 />。分割、非分割の投射パターンが機能的に何を意味するのかいまだ不明であるが、フェロモン受容体を2タイプ有するか1タイプのみ持っているのかの相違も含めて、動物の生活行動パターンあるいは動物の進化などと関わりがあると推察される。
 V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞のみを有する動物の投射様式は、軸索もV1R-Gi2型タイプのもののみであり、副嗅球ではこの[[軸索終末]]で副嗅球全体を覆われていて吻側尾側の分割パターンを示さないのである(図4右)。この結果は、哺乳類は非分割型投射パターンが一般的であり、分割投射を示すラットやマウスの方が特殊である<ref name=ref6 />。分割、非分割の投射パターンが機能的に何を意味するのかいまだ不明であるが、フェロモン受容体を2タイプ有するか1タイプのみ持っているのかの相違も含めて、動物の生活行動パターンあるいは動物の進化などと関わりがあると推察される。


[[ファイル:副嗅覚系5.jpg|サムネイル|350px|右|'''図5.副嗅球の組織図および神経回路'''<br>(左)嗅球の矢状断面図 副嗅球(AOB)は嗅球の後背部に位置する。(中)副嗅球の組織像。層構造が確認できる。表層から、鋤鼻神経層(VNL)糸球体層(GL)、僧帽房飾細胞層(MTL)、[[有髄神経]]層(LOT)、顆粒細胞層(GRL)。(右)副嗅球の神経回路図。鋤鼻受容細胞の軸索である鋤鼻神経(VN)は、副嗅球へ進入し糸球体(glomerulus)で僧帽房飾細胞(MTC)とシナプスを形成し、高次中枢(Higher CNS)に軸索を投射している。またその樹状突起は顆粒細胞(gc)の樹状突起と相反性シナプス(Reciprocal synapse)を形成する。pgc:糸球体周辺細胞、CF:遠心性線維]]
[[ファイル:副嗅覚系5.jpg|サムネイル|350px|右|'''図5.副嗅球の組織図および神経回路'''<br>(左)嗅球の矢状断面図 副嗅球(AOB)は嗅球の後背部に位置する。MOB:主嗅球、CC:大脳皮質<br>(中)副嗅球の組織像。層構造が確認できる。表層から、鋤鼻神経層(VNL)糸球体層(GL)、僧帽房飾細胞層(MTL)、[[有髄神経]]層(LOT)、顆粒細胞層(GRL)。<br>(右)副嗅球の神経回路図。鋤鼻受容細胞の軸索である鋤鼻神経(VN)は、副嗅球へ進入し糸球体(glomerulus)で僧帽房飾細胞(MTC)とシナプスを形成し、高次中枢(Higher CNS)に軸索を投射している。またその樹状突起は顆粒細胞(gc)の樹状突起と相反性シナプス(Reciprocal synapse)を形成する。pgc:糸球体周辺細胞、CF:遠心性線維]]
 
[[ファイル:副嗅覚系6.jpg|サムネイル|250px|右|'''図6.相反性シナプスの概念図'''<br>僧帽房飾(MT)細胞の樹状突起から顆粒細胞樹状突起の方向性を有しグルタミン酸(glutamate)を伝達物質とするシナプスと顆粒細胞から僧帽房飾細胞への方向性を有しGABAを伝達物質とするシナプスが隣接して存在している。]]
[[ファイル:副嗅覚系6.jpg|サムネイル|250px|右|'''図6.相反性シナプスの概念図'''<br>僧帽房飾(MT)細胞の樹状突起から顆粒細胞樹状突起の方向性を有しグルタミン酸(glutamate)を伝達物質とするシナプスと顆粒細胞から僧帽房飾細胞への方向性を有しGABAを伝達物質とするシナプスが隣接して存在している。]]


80行目: 81行目:
 鋤鼻器に存在する鋤鼻受容細胞が投射する副嗅球は大脳皮質や[[小脳皮質]]と同様層構造を示す。また、存在する主なニューロンは3種類である。
 鋤鼻器に存在する鋤鼻受容細胞が投射する副嗅球は大脳皮質や[[小脳皮質]]と同様層構造を示す。また、存在する主なニューロンは3種類である。
==== 層構造 ====
==== 層構造 ====
 図5左はラット脳の矢状断組織像の嗅球部位を示す。嗅覚器からの軸索が投射する主嗅球(MOB)の後背側にじょび器から軸索が投射する副嗅球(AOB)が位置する。図5中央の副嗅球組織像で表層からやや白く見える部分、ここは鋤鼻受容細胞の軸索が副嗅球に侵入して、表面を走行している部位である。鋤鼻受容細胞の軸索を鋤鼻神経と呼ぶことから、この層を鋤鼻神経層と呼ぶ。
 図5左はラット脳の矢状断組織像の嗅球部位を示す。嗅覚器からの軸索が投射する主嗅球(MOB)の後背側に鋤鼻器から軸索が投射する副嗅球(AOB)が位置する。図5中央の副嗅球組織像で表層からやや白く見える部分、ここは鋤鼻受容細胞の軸索が副嗅球に侵入して、表面を走行している部位である。鋤鼻受容細胞の軸索を鋤鼻神経と呼ぶことから、この層を鋤鼻神経層と呼ぶ。


 鋤鼻受容細胞からの情報をうけ、さらに高次中枢にその情報を送る投射ニューロンとしての役目をする比較的大型の[[僧帽房飾細胞]]は、表面から比較的深い3番目の層に存在する。この層を、局在するニューロンの名前から僧帽房飾細胞層と呼ぶ。鋤鼻受容細胞から僧帽房飾細胞の樹状突起が情報を受けるため[[シナプス]]を形成する部位が[[糸球体]](glomerulus)と呼ばれる構造で、鋤鼻神経層と僧帽房飾細胞層の間にあり、この部分を[[糸球体層]]と呼ぶ。僧帽房飾細胞はさらに高次の中枢に軸索を送るとともに、自身の樹状突起と顆粒細胞の樹状突起との間でシナプスを形成する(図5右)。顆粒細胞は小型で[[介在ニューロン]]としての役目をする。細胞体はもっとも深い位置にあり、この部位を[[顆粒細胞層]]と呼ぶ。
 鋤鼻受容細胞からの情報をうけ、さらに高次中枢にその情報を送る投射ニューロンとしての役目をする比較的大型の[[僧帽房飾細胞]]は、表面から比較的深い3番目の層に存在する。この層を、局在するニューロンの名前から僧帽房飾細胞層と呼ぶ。鋤鼻受容細胞から僧帽房飾細胞の樹状突起が情報を受けるため[[シナプス]]を形成する部位が[[糸球体]](glomerulus)と呼ばれる構造で、鋤鼻神経層と僧帽房飾細胞層の間にあり、この部分を[[糸球体層]]と呼ぶ。僧帽房飾細胞はさらに高次の中枢に軸索を送るとともに、自身の樹状突起と顆粒細胞の樹状突起との間でシナプスを形成する(図5右)。顆粒細胞は小型で[[介在ニューロン]]としての役目をする。細胞体はもっとも深い位置にあり、この部位を[[顆粒細胞層]]と呼ぶ。