「外傷後ストレス障害」の版間の差分

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<font size="+1">筒井 卓実、[http://researchmap.jp/read0002517 飛鳥井 望]</font><br>
<font size="+1">[http://researchmap.jp/takumi_tsutsui 筒井 卓実]、[http://researchmap.jp/read0002517 飛鳥井 望]</font><br>
''公益財団法人東京都医学研究機構 東京都医学総合研究所 心の健康プロジェクト<br>
''公益財団法人東京都医学総合研究所 心の健康プロジェクト<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年10月11日 原稿完成日:2012年11月17日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年10月11日 原稿完成日:2012年11月17日 更新日::2014年10月6日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
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英語:posttraumatic stress disorder 英略語:[[PTSD]]  
英:posttraumatic stress disorder 英略語:[[PTSD]] 独:posttraumatische Belastungsstörung 仏:trouble de stress post-traumatique


同義語:[[心的外傷後ストレス障害]]  
同義語:[[心的外傷後ストレス障害]]  


{{box|text= 外傷後ストレス障害は犯罪被害、災害などが契機となり起きる精神障害である。症状は[[侵入(再体験)]]、[[回避]]、[[認知と気分の陰性の変化]]、[[過覚醒]]の4つの症状クラスターに大別される。「侵入(再体験)」はフラッシュバック、悪夢、解離性フラッシュバック、[[想起]]刺激による心理的苦痛・身体生理反応、「回避」はトラウマ体験に関連する記憶、思考、感情やそれらを呼び起こす人・会話・場所・物事・状況への回避、「認知と気分の陰性の変化」は解離性健忘、持続的で歪んだ信念・予想・認識、陽性の情動の消失、陰性の感情の持続、他者との疎遠・孤立感、社会参加・社会への関心の減退、「覚醒度と反応性の著しい変化」は[[睡眠]]障害、集中困難、驚愕反応、過度の警戒心、イライラ感、無謀・自己破壊的な行動からなる。症状評価は[[自記式質問紙法]]と[[構造化面接法]]があり、目的により使い分ける。治療は大きく[[薬物療法]]と[[心理療法]]に大別される。薬物療法では[[選択的セロトニン再取り込み阻害薬]] がランダム化比較試験の結果から第一選択薬として推奨され、本邦ではパロキセチンのみが適応を認可されている。 心理療法では[[トラウマ焦点化心理療法]](PE療法など)や[[EMDR]]([[Eye Movement Desensitization and Reprocessing]],[[眼球運動による脱感作と再処理法]])がランダム化比較試験で有効性が示されている。全米疫学調査では生涯有病率は男性5.0%、女性10.4%だった。トラウマ体験の違いによりPTSD発症率に差があること、PTSDに他の精神障害が併発しやすいことが知られている。病態メカニズムについて神経生理、神経内分泌、脳画像、遺伝子などの研究が行われている。[[恐怖条件付け]]に関連した[[扁桃体]]、[[内側前頭前野]]と[[海馬]]を含むfear-circuitが症状発生メカニズムに関連した神経回路として想定されており、それを支持する脳画像研究結果が存在する。遺伝子研究においては現時点でPTSDに決定的な影響を与える遺伝子は同定されていない。}}
{{box|text= 外傷後ストレス障害は犯罪被害、災害などが契機となり起きる精神障害である。症状は[[侵入(再体験)]]、[[回避]]、[[認知と気分の陰性の変化]]、[[覚醒度と反応性の著しい変化]]の4つの症状クラスターに大別される。「侵入(再体験)」はフラッシュバック、悪夢、解離性フラッシュバック、[[想起]]刺激による心理的苦痛・身体生理反応、「回避」はトラウマ体験に関連する記憶、思考、感情やそれらを呼び起こす人・会話・場所・物事・状況への回避、「認知と気分の陰性の変化」は解離性健忘、自分自身や他者、世界に対する持続的で過剰に否定的な信念や予想、自分自身や他者への非難につながるトラウマ体験の原因や結果についての持続的で歪んだ認識、持続的な陰性の感情状態(恐怖、戦慄、怒り、罪悪感、恥など)、重要な活動への関心または参加の著しい減退、他者から孤立しているまたは疎遠になっている感覚、陽性の情動を体験することが持続的にできないこと(幸福や満足、愛情を感じることができないことなど)、「覚醒度と反応性の著しい変化」はイライラ感、無謀または自己破壊的な行動、過度の警戒心、過剰な驚愕反応、集中困難、[[睡眠]]障害からなる。症状評価は[[自記式質問紙法]]と[[構造化面接法]]があり、目的により使い分ける。治療は大きく[[薬物療法]]と[[心理療法]]に大別される。薬物療法では[[選択的セロトニン再取り込み阻害薬]] がランダム化比較試験の結果から第一選択薬として推奨され、本邦ではパロキセチンのみが適応を認可されている。 心理療法では[[トラウマ焦点化認知行動療法]](PE療法など)や[[EMDR]]([[Eye Movement Desensitization and Reprocessing]],[[眼球運動による脱感作と再処理法]])がランダム化比較試験で有効性が示されている。2005年の全米疫学調査では生涯有病率は男性3.6%、女性9.7%だった。トラウマ体験の違いによりPTSD発症率に差があること、PTSDに他の精神障害が併存しやすいことが知られている。病態メカニズムについて神経生理、神経内分泌、脳画像、遺伝子などの研究が行われている。[[恐怖条件づけ]]に関連した[[扁桃体]]、[[内側前頭前野]]と[[海馬]]を含むfear-circuitが症状発生メカニズムに関連した神経回路として想定されており、それを支持する脳画像研究結果が存在する。遺伝子研究においては現時点でPTSDに決定的な影響を与える遺伝子は同定されていない。}}


==PTSDとは==
==PTSDとは==


 外傷後ストレス障害とは生命にかかわるような危険や深刻な怪我、あるいは性的暴力などを体験したり、そのような光景を目撃したり、身近な人に起きたことを知ること([[トラウマ体験]])が契機となり特徴的なストレス症状が生じる障害のことである。 PTSDは殺人、暴行、傷害、レイプなどの犯罪被害、交通事故、地震、津波などの自然災害、戦争やテロ、虐待、ドメスティックバイオレンスなど様々な原因で起こることが知られている。[[wikipedia:ja:アメリカ精神医学会|アメリカ精神医学会]](American Psychiatric Association)の[[精神疾患の診断と統計の手引き]](Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, [[DSM]])と[[wikipedia:ja:世界保健機関|世界保健機関]](WHO)の[[wikipedia:ja:国際疾病分類|国際疾病分類]](International Statistical Classification of Disease: [[wikipedia:ICD|ICD]])に診断基準が示されている。&nbsp;  
 外傷後ストレス障害とは生命にかかわるような危険や深刻な怪我、あるいは性的暴力などを体験したり、そのような光景を目撃したり、身近な人に起きたことを知ること([[トラウマ体験]])が契機となり特徴的なストレス症状が生じる障害のことである。DSM-5には暴行(身体への攻撃、強盗、ひったくり、幼児期の身体的虐待)、性的暴力(無理強いされた性交、アルコールや薬物で興奮を高めた性交、虐待的な性的接触、身体接触を伴わない性的虐待、性的目的のための人身売買)、交通事故、天災・人災、誘拐、人質、テロ攻撃、拷問、戦争への参加・捕虜となること、外傷的医療事象(術中覚醒、アナフィラキシーショックなど)が例示されている。[[wikipedia:ja:アメリカ精神医学会|アメリカ精神医学会]](American Psychiatric Association)の[[精神疾患の診断と統計の手引き]](Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, [[DSM]])と[[wikipedia:ja:世界保健機関|世界保健機関]](WHO)の[[wikipedia:ja:国際疾病分類|国際疾病分類]](International Statistical Classification of Disease: [[wikipedia:ICD|ICD]])に診断基準が示されている。&nbsp;  
 
 症状は[[侵入(再体験)]]、[[回避]]、[[認知と気分の陰性の変化]]、[[覚醒度と反応性の著しい変化]]の4つの症状クラスターに大別される。「侵入(再体験)」はフラッシュバック、悪夢、解離性フラッシュバック、[[想起]]刺激による心理的苦痛・身体生理反応、「回避」はトラウマ体験に関連する記憶、思考、感情やそれらを呼び起こす人・会話・場所・物事・状況への回避、「認知と気分の陰性の変化」は解離性健忘、自分自身や他者、世界に対する持続的で過剰に否定的な信念や予想、自分自身や他者への非難につながるトラウマ体験の原因や結果についての持続的で歪んだ認識、持続的な陰性の感情状態(恐怖、戦慄、怒り、罪悪感、恥など)、重要な活動への関心または参加の著しい減退、他者から孤立しているまたは疎遠になっている感覚、陽性の情動を体験することが持続的にできないこと(幸福や満足、愛情を感じることができないことなど)、「覚醒度と反応性の著しい変化」はイライラ感、無謀または自己破壊的な行動、過度の警戒心、過剰な驚愕反応、集中困難、[[睡眠]]障害からなる。DSM‐5では侵入(再体験)症状1項目以上、回避症状1項目以上、認知と気分の陰性の変化から2項目以上、覚醒度と反応性の著しい変化2項目以上が1ヶ月以上持続し、強い苦痛ないし生活上の機能障害を伴うとPTSDと診断される。
 
 尚、6歳以下の小児の基準が設けられており、自身または養育者に起こったトラウマ体験により、「侵入(再体験)」:フラッシュバック、解離性フラッシュバック(再演される遊びとして表現されることがある)、悪夢(恐ろしい内容がトラウマ体験と関連していることを確認できないことがある)、[[想起]]刺激による心理的苦痛・身体生理反応、「回避」:トラウマ体験に関連する記憶、思考、感情やそれらを呼び起こす人・会話・場所・物事・状況への回避、「認知と気分の陰性の変化」:陰性の情動状態(恐怖、罪悪感、悲しみ、恥、混乱)の大幅な増加、遊びの抑制を含め、重要な活動への関心または参加の減退、社会的な引きこもり行動、陽性の情動の表出の持続的減少、「覚醒度と反応性の著しい変化」:イライラ感、過度の警戒心、過剰な驚愕反応、集中困難、[[睡眠]]障害が生じる。侵入(再体験)症状1項目以上、回避症状または認知と気分の陰性の変化から1項目以上、覚醒度と反応性の著しい変化2項目以上が1ヶ月以上持続し、強い苦痛ないし両親・同胞・養育者・友人などとの関係や学校活動における機能障害を伴うとPTSDと診断される。


 症状は[[侵入(再体験)]]、[[回避]]、[[認知と気分の陰性の変化]]、[覚醒度と反応性の著しい変化]]の4つの症状クラスターに大別される。「侵入(再体験)」はフラッシュバック、悪夢、解離性フラッシュバック、[[想起]]刺激による心理的苦痛・身体生理反応、「回避」はトラウマ体験に関連する記憶、思考、感情やそれらを呼び起こす人・会話・場所・物事・状況への回避、「認知と気分の陰性の変化」は解離性健忘、持続的で歪んだ信念・予想・認識、陽性の情動の消失、陰性の感情の持続、他者との疎遠・孤立感、社会参加・社会への関心の減退、「覚醒度と反応性の著しい変化」は[[睡眠]]障害、集中困難、驚愕反応、過度の警戒心、イライラ感、無謀・自己破壊的な行動からなる。DSM‐5では侵入(再体験)症状1項目以上、回避症状1項目以上、認知と気分の陰性の変化から2項目以上、覚醒度と反応性の著しい変化2項目以上が1ヶ月以上持続し、強い苦痛ないし生活上の機能障害を伴うとPTSDと診断される。


== 症状と診断  ==
== 症状と診断  ==


 診断基準はDSMと[[ICD]]共に収載されているが、研究では前者の診断基準が用いられることが多い。
 診断基準はDSMと[[ICD]]共に収載されているが、研究では前者の診断基準が用いられることが多い。DSMの最新版はDSM-5であるが、著作権の問題があり診断基準を示すことができない。このため、前版であるDSM-IV-TR(表参照)からの改訂について下記に述べる。
 DSMの最新版はDSM-5であるが、著作権の問題があり診断基準を示すことができない。このため、前版であるDSM-IV-TR(表参照)からの改訂について下記に述べる。


 尚、PTSDは他の[[精神障害]]とは異なり、診断基準に外傷的出来事への曝露が含まれている。症状が診断基準を満たしても、出来事がA基準を満たさなければ、[[適応障害]]と診断するようにDSM‐5では教示されている。その一方で、出来事がA基準を満たしていても、出現した症状が他の精神障害の診断基準を満たしたときはその診断を下す、もしくはPTSDと併記しなければならない。 <br>  
 尚、PTSDは他の[[精神障害]]とは異なり、診断基準に外傷的出来事への曝露が含まれている。症状が診断基準を満たしても、出来事がA基準を満たさなければ、[[適応障害]]と診断するようにDSM‐5では教示されている。その一方で、出来事がA基準を満たしていても、出現した症状が他の精神障害の診断基準を満たしたときはその診断を下す、もしくはPTSDと併記しなければならない。 <br>  
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#症状が3クラスター(B,C,D)17症状から4クラスター(B,C,D,E)20症状に改訂された
#症状が3クラスター(B,C,D) 17症状から4クラスター(B,C,D,E) 20症状に改訂された
#不安障害から心的外傷およびストレス因関連障害として新たなカテゴリーに移った 
#不安障害から心的外傷およびストレス因関連障害として新たなカテゴリーに移った 
#6歳以下の小児の基準が示された
#6歳以下の小児の基準が示された
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== 治療  ==
== 治療  ==


 PTSD患者では、上記症状や合併障害などのためにトラウマ体験以後の生活がしばしば大きく変化する。例えば、再体験症状、回避症状、認知と気分の陰性の変化、過覚醒症状のためにそれまで可能であった活動の遂行が困難になったり、周囲から孤立する、引きこもるなどして社会的活動が障害されたりする。そのような変化が「異常な体験をした人に現れる正常な反応」であることを伝え、支持的・受容的・共感的な態度で接することはどのような治療を選択する場合にも重要である。また、周囲の言動による二次被害を防止しそのサポートを得るために、周囲に対してのアプローチも同様に重要である。
 PTSD患者では、上記症状や併存障害などのためにトラウマ体験以後の生活がしばしば大きく変化する。例えば、侵入(再体験)、回避、認知と気分の陰性の変化、覚醒度と反応性の著しい変化のためにそれまで可能であった活動の遂行が困難になったり、周囲から孤立する、引きこもるなどして社会的活動が障害されたりする。そのような変化が「異常な体験をした人に現れる正常な反応」であることを伝え、支持的・受容的・共感的な態度で接することはどのような治療を選択する場合にも重要である。また、周囲の言動による二次被害を防止しそのサポートを得るために、周囲に対してのアプローチも同様に重要である。


 PTSDに対して、これまでさまざまな治療法が試みられてきた。ランダム化比較試験(Randomized Contorolled Trial:RCT)で有効性を証明された治療法に[[認知行動療法]]([[Cognitive Behavioral Therapy]]:[[CBT]])、[[EMDR]]([[眼球運動による脱感作と再処理法]]:[[Eye Movement Desensitization and Reprocessing]])、薬物療法がある。2007年の全米アカデミーズ医学院PTSD治療評価委員のレポートでは、PTSDへの治療的有効性が確立されているのは曝露療法のみで、その他の心理療法、薬物療法の有効性に関するエビデンスは不十分と結論づけられている。また、2013年のCochrane Reviewでもトラウマ焦点化認知行動療法とEMDRが他の治療より有効であったとしている<ref>'''Bisson JI, Roberts NP, Andrew M, Cooper R, Lewis C'''<br>Psychological therapies for chronic post-traumatic stress disorder (PTSD) in adults<br>''The Cochrane Library'':2013</ref>。2005年のNICE(英国国立医療技術評価機構:National Institute for Health and Clinical Excellence)のガイドラインでは、心理療法(CBTないしはEMDR)を基本的な第一選択として、心理療法を患者が望まない時や実施が困難は場合に薬物療法を推奨している。但し、実際にはPTSDのためのCBT等を実施できる治療者数が限られていることから、多くの患者は薬物と支持的[[カウンセリング]]により治療を受けているのが現状である。   
 PTSDに対して、これまでさまざまな治療法が試みられてきた。ランダム化比較試験(Randomized Contorolled Trial:RCT)で有効性を証明された治療法に[[認知行動療法]]([[Cognitive Behavioral Therapy]]:[[CBT]])、[[EMDR]]([[眼球運動による脱感作と再処理法]]:[[Eye Movement Desensitization and Reprocessing]])、薬物療法がある。2007年の全米アカデミーズ医学院PTSD治療評価委員のレポートでは、PTSDへの治療的有効性が確立されているのは曝露療法のみで、その他の心理療法、薬物療法の有効性に関するエビデンスは不十分と結論づけられている。また、2013年のCochrane Reviewではトラウマ焦点化認知行動療法とEMDRが他の治療より有効であったとしている<ref>'''Bisson JI, Roberts NP, Andrew M, Cooper R, Lewis C'''<br>Psychological therapies for chronic post-traumatic stress disorder (PTSD) in adults<br>''The Cochrane Library'':2013</ref>。2005年のNICE(英国国立医療技術評価機構:National Institute for Health and Clinical Excellence)のガイドラインでは、心理療法(CBTないしはEMDR)を基本的な第一選択として、心理療法を患者が望まない時や実施が困難は場合に薬物療法を推奨している。但し、実際にはPTSDのためのCBT等を実施できる治療者数が限られていることから、多くの患者は薬物と支持的[[カウンセリング]]により治療を受けているのが現状である。   


=== 薬物療法  ===
=== 薬物療法  ===
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==== モノアミン酸化酵素阻害薬  ====
==== モノアミン酸化酵素阻害薬  ====


 [[モノアミン酸化酵素阻害薬]](monoamine oxidase inhibitor:MAOI)は食事制限などを厳密に遵守する必要がある薬剤で、[[フェネルジン]]の再体験および過覚醒症状への効果が示されている<ref name="ref1" />。フェネルジンは日本では[[wikipedia:ja:厚生労働省|厚生労働省]]に承認されていない。  
 [[モノアミン酸化酵素阻害薬]](monoamine oxidase inhibitor:MAOI)は食事制限などを厳密に遵守する必要がある薬剤で、[[フェネルジン]]の侵入(再体験)症状および覚醒度と反応性の著しい変化への効果が示されている<ref name="ref1" />。フェネルジンは日本では[[wikipedia:ja:厚生労働省|厚生労働省]]に承認されていない。  


==== アドレナリン阻害薬  ====
==== アドレナリン阻害薬  ====


 [[アドレナリン]]阻害薬には[[プラゾシン]]、[[プロプラノロール]]、[[クロニジン]]、[[グアンファシン]]が含まれる。このうち、グアンファシンは日本国内では2005年に製造が中止されている。これらの薬剤は一般的に安全性の高い薬剤であるが[[wikipedia:ja:血圧|血圧]]の低下などの可能性に留意する必要がある。プラゾシンは不眠と悪夢への有効性が小規模のRCTで示されている<ref name="ref1" />。プロプラノロールは小児を対象とした試験で[[過覚醒]]と[[再体験]]への有効性が示されている<ref name="ref1" />。クロニジンはオープン試験で[[解離症状]]に有効である可能性が報告されている<ref name="ref1" />。  
 [[アドレナリン]]阻害薬には[[プラゾシン]]、[[プロプラノロール]]、[[クロニジン]]、[[グアンファシン]]が含まれる。このうち、グアンファシンは日本国内では2005年に製造が中止されている。これらの薬剤は一般的に安全性の高い薬剤であるが[[wikipedia:ja:血圧|血圧]]の低下などの可能性に留意する必要がある。プラゾシンは不眠と悪夢への有効性が小規模のRCTで示されている<ref name="ref1" />。プロプラノロールは小児を対象とした試験で[[侵入(再体験)]]と[[覚醒度と反応性の著しい変化]]への有効性が示されている<ref name="ref1" />。クロニジンはオープン試験で[[解離症状]]に有効である可能性が報告されている<ref name="ref1" />。  


==== 非定型抗精神病薬  ====
==== 非定型抗精神病薬  ====


 [[非定型抗精神病薬]]である[[リスペリドン]]、[[オランザピン]]、[[クエチアピン]]はSSRIで症状が残存した時、治療抵抗性のPTSD患者への増強療法として複数の小規模なランダム化比較試験で有効性が報告されている<ref name="ref1" />。過覚醒、[[攻撃行動]]、[[妄想]]や精神病性の症状を呈するPTSD患者への効果も期待されている。
 [[非定型抗精神病薬]]である[[リスペリドン]]、[[オランザピン]]、[[クエチアピン]]はSSRIで症状が残存した時、治療抵抗性のPTSD患者への増強療法として複数の小規模なランダム化比較試験で有効性が報告されている<ref name="ref1" />。[[覚醒度と反応性の著しい変化]]、[[攻撃行動]]、[[妄想]]や精神病性の症状を呈するPTSD患者への効果も期待されている。


==== その他  ====
==== その他  ====
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Prolonged exposure therapy  
Prolonged exposure therapy  


:Foaが開発したPE療法は感情処理理論に基づいたPTSDの治療法である。週1回90-120分のセッションを10-15週で、 心理教育、不安に対するための呼吸法、実生活内曝露(回避的状況に徐々に接近し馴化を図る)、イメージ曝露(トラウマ体験記憶の想起陳述)、プロセッシング(非機能的認知の修正)を行う。多数のランダム化比較試験で有効性が証明されており、飛鳥井らが行った日本国内のランダム化比較試験においても有効性が証明されている<ref><pubmed>21171135</pubmed></ref>
:Foaが開発したPE療法は情動処理理論に基づいたPTSDの治療法である。週1回90-120分のセッションを10-15週で、 心理教育、不安に対するための呼吸法、実生活内曝露(回避的状況に徐々に接近し馴化を図る)、イメージ曝露(トラウマ体験記憶の想起陳述)、プロセッシング(非機能的認知の修正)を行う。多数のランダム化比較試験で有効性が証明されており<ref><pubmed>20546985</pubmed></ref>、Asukaiらが行った日本国内のランダム化比較試験においても有効性が証明されている<ref><pubmed>21171135</pubmed></ref>。治療の効果量に関する日本におけるデータは海外の先行研究に匹敵するものであった。


===== 認知処理療法  =====
===== 認知処理療法  =====
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== 疫学  ==
== 疫学  ==


[[Image:PTSD Kessler USA.jpg|thumb|350px|'''図1.原因による有病率の違い'''<br>Kesslerらによる全米疫学調査:1995より]]  2005年にKesslerらが行った全米疫学調査<ref><pubmed>7492257</pubmed></ref>ではPTSDの生涯有病率は6.8%(男性3.6%、女性9.7%)、12か月有病率は3.6%(男性1.8%、女性5.2%)だった。また、レイプなどの犯罪被害者のPTSD発症率が自然災害被災者よりも高いことが示された(右図)。  
[[Image:PTSD Kessler USA.jpg|thumb|350px|'''図1.原因による有病率の違い'''<br>Kesslerらによる全米疫学調査:1995より]]  1995年にKesslerらが行った全米疫学調査<ref><pubmed>7492257</pubmed></ref>ではレイプなどの犯罪被害者のPTSD発症率が自然災害被災者よりも高いことが示された(右図)。その後、2005年に公表された全米疫学調査ではPTSDの生涯有病率は6.8%(男性3.6%、女性9.7%)、12か月有病率は3.6%(男性1.8%、女性5.2%)と1995年の結果と同様の結果だった<ref>''National Comorbidity Survey'': 2005'''' Natinal Comorbidity Survey HPより</ref>


 日本国内のデータでは、川上が9つの市町村の住民を対象に調査を行い、12か月有病率0.70%、生涯有病率1.27%と報告している<ref>'''川上憲人'''<br>トラウマティックイベントと心的外傷後ストレス障害のリスク:閾値下PTSDの頻度とイベントとの関連.大規模災害や犯罪被害等による精神科疾患の実態把握と介入方法の開発に関する研究<br>''平成21年度厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業)分担研究報告書'':17-25,2010</ref>。  
 日本国内のデータでは、川上が9つの市町村の住民を対象に調査を行い、生涯有病率1.27%、12か月有病率0.70%と報告している<ref>'''川上憲人'''<br>トラウマティックイベントと心的外傷後ストレス障害のリスク:閾値下PTSDの頻度とイベントとの関連.大規模災害や犯罪被害等による精神科疾患の実態把握と介入方法の開発に関する研究<br>''平成21年度厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業)分担研究報告書'':17-25,2010</ref>。  


 発症の危険因子については、生命的危険の認知、社会的サポートの認知、トラウマ体験時の感情反応(恐怖、孤立無援感、戦慄、自責、羞恥など)、トラウマ体験時の解離反応、トラウマ体験後の生活ストレス、過去の精神的問題、過去のトラウマ体験、家族の精神的問題、女性、若年者、低学歴、[[wikipedia:ja:IQ|IQ]]、[[wikipedia:ja:人種|人種]]がある <ref>'''飛鳥井望'''<br>PTSDになる人とならない人<br>''臨床精神医学'':157-162,2012</ref>。  
 発症の危険因子については、生命的危険の認知、社会的サポートの認知、トラウマ体験時の感情反応(恐怖、孤立無援感、戦慄、自責、羞恥など)、トラウマ体験時の解離反応、トラウマ体験後の生活ストレス、過去の精神的問題、過去のトラウマ体験、家族の精神的問題、女性、若年者、低学歴、[[wikipedia:ja:IQ|IQ]]、[[wikipedia:ja:人種|人種]]がある <ref>'''飛鳥井望'''<br>PTSDになる人とならない人<br>''臨床精神医学'':157-162,2012</ref>。  
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=== 併存障害  ===
=== 併存障害  ===


 PTSDには[[抑うつ]]、[[不安障害]]、[[物質関連障害]]など[[精神疾患]]の併存が多いことが知られている。Kesslerの調査<ref><pubmed>7492257</pubmed></ref>では男性の88%、女性の79%に精神障害が併存していた。男性では[[アルコール関連疾患]]52%、[[うつ病]]48%、[[行為障害]]43%、[[薬物依存]]35%、[[恐怖症]]31%であり、女性ではうつ病49%、アルコール関連疾患30%、薬物依存27%、恐怖症29%、行為障害15%だったとしている。  
 PTSDには[[抑うつ]]、[[不安障害]]、[[物質関連障害]]など[[精神疾患]]の併存が多いことが知られている。Kesslerの調査<ref><pubmed>7492257</pubmed></ref>では男性の88%、女性の79%に精神障害が併存していた。男性では[[アルコール関連疾患]]52%、[[うつ病]]48%、[[行為障害]]43%、[[薬物依存]]35%、[[恐怖症]]31%であり、女性ではうつ病49%、アルコール関連疾患30%、薬物依存27%、恐怖症29%、行為障害15%だったとしている。


== 病態メカニズム  ==
== 病態メカニズム  ==
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=== 神経生理学的知見  ===
=== 神経生理学的知見  ===


 PTSDの再体験、過覚醒症状は トラウマ体験に対する[[恐怖条件づけ|恐怖条件付け]]とみなすと理解しやすく、曝露療法が有効であることも恐怖条件付けの[[消去]]現象と考えると理解しやすい。恐怖条件付けを司る[[扁桃体]]と[[内側前頭前野]]との連絡についての解剖学的知見や内側[[前頭前野]]の破壊が恐怖の消去を阻害することを示した動物実験からの知見などが集積され、現在は扁桃体、内側前頭前野、[[海馬]]などを含んだ神経回路(fear-circuit)モデルが想定されている(右図)。神経回路モデルに関して形態学的な研究も行われている。PTSDと診断された者の[[海馬体]]積が小さいという報告と差を認めないとする報告がある。CAPS>65の重症PTSD患者とその一卵性双生児(トラウマ体験に曝露されていない)における海馬が共に小さいことが示され、海馬体積はPTSDの病態に影響を与えている[[脆弱因子]]である可能性も示唆されている<ref><pubmed>12379862</pubmed></ref>。また、同様の一卵性双生児の研究で、PTSDの影響によるpregenual anterior cingulate cortexの体積減少の可能性も示唆されている<ref><pubmed>17825801</pubmed></ref>。   
 PTSDの侵入(再体験)、覚醒度と反応性の著しい変化は トラウマ体験に対する[[恐怖条件づけ|恐怖条件づけ]]とみなすと理解しやすく、曝露療法が有効であることも恐怖条件づけの[[消去]]現象と考えると理解しやすい。恐怖条件づけを司る[[扁桃体]]と[[内側前頭前野]]との連絡についての解剖学的知見や内側[[前頭前野]]の破壊が恐怖の消去を阻害することを示した動物実験からの知見などが集積され、現在は扁桃体、内側前頭前野、[[海馬]]などを含んだ神経回路(fear-circuit)モデルが想定されている(右図)。神経回路モデルに関して形態学的な研究も行われている。PTSDと診断された者の[[海馬体積]]が小さいという報告と差を認めないとする報告がある。CAPS>65の重症PTSD患者とその一卵性双生児(トラウマ体験に曝露されていない)における海馬が共に小さいことが示され、海馬体積はPTSDの病態に影響を与えている[[脆弱因子]]である可能性も示唆されている<ref><pubmed>12379862</pubmed></ref>。また、同様の一卵性双生児の研究で、PTSDの影響によるpregenual anterior cingulate cortexの体積減少の可能性も示唆されている<ref><pubmed>17825801</pubmed></ref>。   


 その他、PTSDが[[ストレス反応]]であるとの観点からストレスホルモンについての研究がなされている。24時間血漿[[コルチゾール]]値で夜間と早朝のベースラインレベルがうつ病患者や健常対照群と比較して有意に低く、[[視床下部-下垂体-副腎皮質系]](hypothalamic-pituitary-adrenal:HPA系)機能の調節異常が示唆されている。また、デキサメタゾン抑制試験によるコルチゾール分泌の過剰抑制、リンパ球[[グルココルチコイド]][[受容体]]の数の増加と感受性亢進、および[[視床下部]]における[[コルチコトロピン放出因子]]の分泌亢進が示唆されている。  
 その他、PTSDが[[ストレス反応]]であるとの観点からストレスホルモンについての研究がなされている。24時間血漿[[コルチゾール]]値で夜間と早朝のベースラインレベルがうつ病患者や健常対照群と比較して有意に低く、[[視床下部-下垂体-副腎皮質系]](hypothalamic-pituitary-adrenal:HPA系)機能の調節異常が示唆されている。また、デキサメタゾン抑制試験によるコルチゾール分泌の過剰抑制、リンパ球[[グルココルチコイド]][[受容体]]の数の増加と感受性亢進、および[[視床下部]]における[[コルチコトロピン放出因子]]の分泌亢進が示唆されている。  
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=== 遺伝子研究  ===
=== 遺伝子研究  ===


 恐怖条件付けの消去現象と[[NMDA型グルタミン酸受容体]]、[[GABA受容体]]、[[BDNF]]など分子レベルの因子と関連があることが知られており、さらにそれらの因子と関連する遺伝子レベルの研究も行われている。しかし、現時点でPTSDに決定的な影響を与える遺伝子は同定されていない。遺伝子研究については[[Gene environment interaction]] の観点からも研究がおこなわれており、[[グルココルチコイド受容体]]の関連遺伝子である[[FKBP5]]の4つの多型のうち1つが幼少期の被虐待歴のある者でPTSDのリスクを上昇させるという報告がある<ref><pubmed>18349090</pubmed></ref>。  
 恐怖条件づけの消去現象と[[NMDA型グルタミン酸受容体]]、[[GABA受容体]]、[[BDNF]]など分子レベルの因子と関連があることが知られており、さらにそれらの因子と関連する遺伝子レベルの研究も行われている。しかし、現時点でPTSDに決定的な影響を与える遺伝子は同定されていない。遺伝子研究については[[Gene environment interaction]] の観点からも研究がおこなわれており、[[グルココルチコイド受容体]]の関連遺伝子である[[FKBP5]]の4つの多型のうち1つが幼少期の被虐待歴のある者でPTSDのリスクを上昇させるという報告がある<ref><pubmed>18349090</pubmed></ref>。  


== 関連項目  ==
== 関連項目  ==
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*[[解離性障害]]
*[[解離性障害]]


*[[恐怖条件づけ|恐怖条件付け]]
*[[恐怖条件づけ]]


== 参考文献  ==
== 参考文献  ==


<references />
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