「外傷後ストレス障害」の版間の差分

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同義語:[[心的外傷後ストレス障害]]  
同義語:[[心的外傷後ストレス障害]]  


{{box|text= 外傷後ストレス障害は犯罪被害、災害などが契機となり起きる精神障害である。症状は[[侵入(再体験)]]、[[回避]]、[[認知と気分の陰性の変化]]、[[覚醒度と反応性の著しい変化]]の4つの症状クラスターに大別される。「侵入(再体験)」はフラッシュバック、悪夢、解離性フラッシュバック、[[想起]]刺激による心理的苦痛・身体生理反応、「回避」はトラウマ体験に関連する記憶、思考、感情やそれらを呼び起こす人・会話・場所・物事・状況への回避、「認知と気分の陰性の変化」は解離性健忘、自分自身や他者、世界に対する持続的で過剰に否定的な信念や予想、自分自身や他者への非難につながるトラウマ体験の原因や結果についての持続的で歪んだ認識、持続的な陰性の感情状態(恐怖、戦慄、怒り、罪悪感、恥など)、重要な活動への関心または参加の著しい減退、他者から孤立しているまたは疎遠になっている感覚、陽性の情動を体験することが持続的にできないこと(幸福や満足、愛情を感じることができないことなど)、「覚醒度と反応性の著しい変化」はイライラ感、無謀または自己破壊的な行動、過度の警戒心、過剰な驚愕反応、集中困難、[[睡眠]]障害からなる。症状評価は[[自記式質問紙法]]と[[構造化面接法]]があり、目的により使い分ける。治療は大きく[[薬物療法]]と[[心理療法]]に大別される。薬物療法では[[選択的セロトニン再取り込み阻害薬]] がランダム化比較試験の結果から第一選択薬として推奨され、本邦ではパロキセチンのみが適応を認可されている。 心理療法では[[トラウマ焦点化認知行動療法]](PE療法など)や[[EMDR]]([[Eye Movement Desensitization and Reprocessing]],[[眼球運動による脱感作と再処理法]])がランダム化比較試験で有効性が示されている。2005年の全米疫学調査では生涯有病率は男性3.6%、女性9.7%だった。トラウマ体験の違いによりPTSD発症率に差があること、PTSDに他の精神障害が併存しやすいことが知られている。病態メカニズムについて神経生理、神経内分泌、脳画像、遺伝子などの研究が行われている。[[恐怖条件付け]]に関連した[[扁桃体]]、[[内側前頭前野]]と[[海馬]]を含むfear-circuitが症状発生メカニズムに関連した神経回路として想定されており、それを支持する脳画像研究結果が存在する。遺伝子研究においては現時点でPTSDに決定的な影響を与える遺伝子は同定されていない。}}
{{box|text= 外傷後ストレス障害は犯罪被害、災害などが契機となり起きる精神障害である。症状は[[侵入(再体験)]]、[[回避]]、[[認知と気分の陰性の変化]]、[[覚醒度と反応性の著しい変化]]の4つの症状クラスターに大別される。「侵入(再体験)」はフラッシュバック、悪夢、解離性フラッシュバック、[[想起]]刺激による心理的苦痛・身体生理反応、「回避」はトラウマ体験に関連する記憶、思考、感情やそれらを呼び起こす人・会話・場所・物事・状況への回避、「認知と気分の陰性の変化」は解離性健忘、自分自身や他者、世界に対する持続的で過剰に否定的な信念や予想、自分自身や他者への非難につながるトラウマ体験の原因や結果についての持続的で歪んだ認識、持続的な陰性の感情状態(恐怖、戦慄、怒り、罪悪感、恥など)、重要な活動への関心または参加の著しい減退、他者から孤立しているまたは疎遠になっている感覚、陽性の情動を体験することが持続的にできないこと(幸福や満足、愛情を感じることができないことなど)、「覚醒度と反応性の著しい変化」はイライラ感、無謀または自己破壊的な行動、過度の警戒心、過剰な驚愕反応、集中困難、[[睡眠]]障害からなる。症状評価は[[自記式質問紙法]]と[[構造化面接法]]があり、目的により使い分ける。治療は大きく[[薬物療法]]と[[心理療法]]に大別される。薬物療法では[[選択的セロトニン再取り込み阻害薬]] がランダム化比較試験の結果から第一選択薬として推奨され、本邦ではパロキセチンのみが適応を認可されている。 心理療法では[[トラウマ焦点化認知行動療法]](PE療法など)や[[EMDR]]([[Eye Movement Desensitization and Reprocessing]],[[眼球運動による脱感作と再処理法]])がランダム化比較試験で有効性が示されている。2005年の全米疫学調査では生涯有病率は男性3.6%、女性9.7%だった。トラウマ体験の違いによりPTSD発症率に差があること、PTSDに他の精神障害が併存しやすいことが知られている。病態メカニズムについて神経生理、神経内分泌、脳画像、遺伝子などの研究が行われている。[[恐怖条件づけ]]に関連した[[扁桃体]]、[[内側前頭前野]]と[[海馬]]を含むfear-circuitが症状発生メカニズムに関連した神経回路として想定されており、それを支持する脳画像研究結果が存在する。遺伝子研究においては現時点でPTSDに決定的な影響を与える遺伝子は同定されていない。}}


==PTSDとは==
==PTSDとは==
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=== 神経生理学的知見  ===
=== 神経生理学的知見  ===


 PTSDの侵入(再体験)、覚醒度と反応性の著しい変化は トラウマ体験に対する[[恐怖条件づけ|恐怖条件付け]]とみなすと理解しやすく、曝露療法が有効であることも恐怖条件付けの[[消去]]現象と考えると理解しやすい。恐怖条件付けを司る[[扁桃体]]と[[内側前頭前野]]との連絡についての解剖学的知見や内側[[前頭前野]]の破壊が恐怖の消去を阻害することを示した動物実験からの知見などが集積され、現在は扁桃体、内側前頭前野、[[海馬]]などを含んだ神経回路(fear-circuit)モデルが想定されている(右図)。神経回路モデルに関して形態学的な研究も行われている。PTSDと診断された者の[[海馬体積]]が小さいという報告と差を認めないとする報告がある。CAPS>65の重症PTSD患者とその一卵性双生児(トラウマ体験に曝露されていない)における海馬が共に小さいことが示され、海馬体積はPTSDの病態に影響を与えている[[脆弱因子]]である可能性も示唆されている<ref><pubmed>12379862</pubmed></ref>。また、同様の一卵性双生児の研究で、PTSDの影響によるpregenual anterior cingulate cortexの体積減少の可能性も示唆されている<ref><pubmed>17825801</pubmed></ref>。   
 PTSDの侵入(再体験)、覚醒度と反応性の著しい変化は トラウマ体験に対する[[恐怖条件づけ|恐怖条件づけ]]とみなすと理解しやすく、曝露療法が有効であることも恐怖条件づけの[[消去]]現象と考えると理解しやすい。恐怖条件づけを司る[[扁桃体]]と[[内側前頭前野]]との連絡についての解剖学的知見や内側[[前頭前野]]の破壊が恐怖の消去を阻害することを示した動物実験からの知見などが集積され、現在は扁桃体、内側前頭前野、[[海馬]]などを含んだ神経回路(fear-circuit)モデルが想定されている(右図)。神経回路モデルに関して形態学的な研究も行われている。PTSDと診断された者の[[海馬体積]]が小さいという報告と差を認めないとする報告がある。CAPS>65の重症PTSD患者とその一卵性双生児(トラウマ体験に曝露されていない)における海馬が共に小さいことが示され、海馬体積はPTSDの病態に影響を与えている[[脆弱因子]]である可能性も示唆されている<ref><pubmed>12379862</pubmed></ref>。また、同様の一卵性双生児の研究で、PTSDの影響によるpregenual anterior cingulate cortexの体積減少の可能性も示唆されている<ref><pubmed>17825801</pubmed></ref>。   


 その他、PTSDが[[ストレス反応]]であるとの観点からストレスホルモンについての研究がなされている。24時間血漿[[コルチゾール]]値で夜間と早朝のベースラインレベルがうつ病患者や健常対照群と比較して有意に低く、[[視床下部-下垂体-副腎皮質系]](hypothalamic-pituitary-adrenal:HPA系)機能の調節異常が示唆されている。また、デキサメタゾン抑制試験によるコルチゾール分泌の過剰抑制、リンパ球[[グルココルチコイド]][[受容体]]の数の増加と感受性亢進、および[[視床下部]]における[[コルチコトロピン放出因子]]の分泌亢進が示唆されている。  
 その他、PTSDが[[ストレス反応]]であるとの観点からストレスホルモンについての研究がなされている。24時間血漿[[コルチゾール]]値で夜間と早朝のベースラインレベルがうつ病患者や健常対照群と比較して有意に低く、[[視床下部-下垂体-副腎皮質系]](hypothalamic-pituitary-adrenal:HPA系)機能の調節異常が示唆されている。また、デキサメタゾン抑制試験によるコルチゾール分泌の過剰抑制、リンパ球[[グルココルチコイド]][[受容体]]の数の増加と感受性亢進、および[[視床下部]]における[[コルチコトロピン放出因子]]の分泌亢進が示唆されている。  
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=== 遺伝子研究  ===
=== 遺伝子研究  ===


 恐怖条件付けの消去現象と[[NMDA型グルタミン酸受容体]]、[[GABA受容体]]、[[BDNF]]など分子レベルの因子と関連があることが知られており、さらにそれらの因子と関連する遺伝子レベルの研究も行われている。しかし、現時点でPTSDに決定的な影響を与える遺伝子は同定されていない。遺伝子研究については[[Gene environment interaction]] の観点からも研究がおこなわれており、[[グルココルチコイド受容体]]の関連遺伝子である[[FKBP5]]の4つの多型のうち1つが幼少期の被虐待歴のある者でPTSDのリスクを上昇させるという報告がある<ref><pubmed>18349090</pubmed></ref>。  
 恐怖条件づけの消去現象と[[NMDA型グルタミン酸受容体]]、[[GABA受容体]]、[[BDNF]]など分子レベルの因子と関連があることが知られており、さらにそれらの因子と関連する遺伝子レベルの研究も行われている。しかし、現時点でPTSDに決定的な影響を与える遺伝子は同定されていない。遺伝子研究については[[Gene environment interaction]] の観点からも研究がおこなわれており、[[グルココルチコイド受容体]]の関連遺伝子である[[FKBP5]]の4つの多型のうち1つが幼少期の被虐待歴のある者でPTSDのリスクを上昇させるという報告がある<ref><pubmed>18349090</pubmed></ref>。  


== 関連項目  ==
== 関連項目  ==
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*[[解離性障害]]
*[[解離性障害]]


*[[恐怖条件づけ|恐怖条件付け]]
*[[恐怖条件づけ]]


== 参考文献  ==
== 参考文献  ==


<references />
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