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<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0069012 横川 博一]</font><br>
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0069012 横川 博一]</font><br>
''神戸大学''<br>
''神戸大学 大学教育推進機構 国際コミュニケーションセンター''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年3月9日 原稿完成日:2016年月日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年3月9日 原稿完成日:2018年1月18日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構生理学研究所 大脳皮質機能研究系)<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構生理学研究所 大脳皮質機能研究系)<br>
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英語名:foreign language learning
英語名:foreign language learning 独:Fremdsprachenlernen 仏:apprentissage des langues étrangères


{{box|text=
{{box|text= 外国語学習は、母語とは別の言語を何らかの形で身につけようとする営みである。外国語習得に対する観念、学習プロセスの捉え方、学習者要因などは、教授法・指導法および外国語学習に大きく影響を及ぼす。とりわけ、外国語の獲得・処理・学習の認知メカニズムを解明することは、言語運用能力の熟達化のプロセスを明らかにすることであると同時に、外国語学習のあり方や発展にも貢献するものである。}}
 外国語学習は、母語とは別の言語を何らかの形で身につけようとする営みである。外国語習得に対する観念、学習プロセスの捉え方、学習者要因などは、教授法・指導法および外国語学習に大きく影響を及ぼす。とりわけ、外国語の獲得・処理・学習の認知メカニズムを解明することは、言語運用能力の熟達化のプロセスを明らかにすることであると同時に、外国語学習のあり方や発展にも貢献するものである。
}}


== 定義 ==
== 定義 ==
 [[外国語]](foreign language)とは、生得的に獲得する[[母語]](mother tongue、もしくは[[第一言語]](first language、[[L1]])とも言う)に対して、母語に加えて後天的に学習される言語を指す。また、母語ではないが[[wikipedia:ja:公用語|公用語]]として用いられている環境に生まれ育ったため獲得される言語は「[[第二言語]]」(second language、L2)と呼び、狭義には、日本における英語のように、公用語として使われてはおらず公教育などで学習する「外国語」と区別して用いることもある。しかし、両者を区別せずにいずれも包含する用語として用いることもある。本稿では、第二言語を含めて「外国語」という用語を用いる。
 [[外国語]](foreign language)とは、生得的に獲得する[[母語]](mother tongue、もしくは[[第一言語]](first language、L1)とも言う)に対して、母語に加えて後天的に学習される言語を指す。また、母語ではないが[[wikipedia:ja:公用語|公用語]]として用いられている環境に生まれ育ったため獲得される言語は「[[第二言語]]」(second language、L2)と呼び、狭義には、日本における英語のように、公用語として使われてはおらず公教育などで学習する「外国語」と区別して用いることもある。しかし、両者を区別せずにいずれも包含する用語として用いることもある。本稿では、第二言語を含めて「外国語」という用語を用いる。


 また、しばしば「[[習得]](修得、獲得)」(acquisition)と「[[学習]]」(learning)を区別し、前者は、母語の場合で、後者は外国語の場合に用いることがある。第二言語習得研究では、学習された知識は習得された知識とは異なる性質のものであり、学習された知識が習得につながることはないとする[[ノン・インターフェイス仮説]]<ref name=ref1>'''Krashen, S.'''<br>Principles and Practice in Second Language Acquisition<br>''Oxford: Pergamon'': 1982</ref>と処理の自動化によって学習と習得が結びつき2種類の知識を仮定する必要はないとする[[インターフェイス仮説]]<ref name=ref02>'''McLaughlin, B.'''<br>The Monitor Model: some methodological consideration<br>''Language Learning, 28, 309-332'': 1978</ref>の立場があるが、本稿では、原則として、両者を区別せずに「学習」という用語を用いる。
 また、しばしば「[[習得]](修得、獲得)」(acquisition)と「[[学習]]」(learning)を区別し、前者は、母語の場合で、後者は外国語の場合に用いることがある。第二言語習得研究では、学習された知識は習得された知識とは異なる性質のものであり、学習された知識が習得につながることはないとする[[ノン・インターフェイス仮説]]<ref name=ref1>'''Krashen, S.'''<br>Principles and Practice in Second Language Acquisition<br>''Oxford: Pergamon'': 1982</ref>と処理の自動化によって学習と習得が結びつき2種類の知識を仮定する必要はないとする[[インターフェイス仮説]]<ref name=ref02>'''McLaughlin, B.'''<br>The Monitor Model: some methodological consideration<br>''Language Learning, 28, 309-332'': 1978</ref>の立場があるが、本稿では、原則として、両者を区別せずに用いる。


== 主な理論 ==
== 主な理論 ==
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 外国語学習や授業実践は、言語や言語習得に関する考え方の影響を受けて、常に揺り動かされてきたという歴史を持つ。[[アメリカ構造主義言語学]]、[[生成言語理論]]などの言語理論、[[行動主義心理学]]、[[認知心理学]]などの心理学理論が外国語教授法に影響を与えてきた。これまでに提唱されてきた主な教授法(指導法とも言う)には次のようなものがある。なお、外国語教授法の詳細は、<ref>'''伊藤嘉一'''<br>英語教授法のすべて<br>''大修館書店'': 1984</ref> <ref>'''Larsen-Freeman, D.'''<br>Techniques and Principles in Language Teaching, 3rd ed.<br>''Oxford University Press'': 2011</ref> <ref>'''Richards, J. C. and Rogers, T. S.'''<br>Approaches and Methods in Language Teaching, 2nd ed.<br>''Cambridge University Press'': 2001</ref>などを参照されたい。
 外国語学習や授業実践は、言語や言語習得に関する考え方の影響を受けて、常に揺り動かされてきたという歴史を持つ。[[アメリカ構造主義言語学]]、[[生成言語理論]]などの言語理論、[[行動主義心理学]]、[[認知心理学]]などの心理学理論が外国語教授法に影響を与えてきた。これまでに提唱されてきた主な教授法(指導法とも言う)には次のようなものがある。なお、外国語教授法の詳細は、<ref>'''伊藤嘉一'''<br>英語教授法のすべて<br>''大修館書店'': 1984</ref> <ref>'''Larsen-Freeman, D.'''<br>Techniques and Principles in Language Teaching, 3rd ed.<br>''Oxford University Press'': 2011</ref> <ref>'''Richards, J. C. and Rogers, T. S.'''<br>Approaches and Methods in Language Teaching, 2nd ed.<br>''Cambridge University Press'': 2001</ref>などを参照されたい。


* 19世紀後半から20世紀前半まで、[[wikipedia:ja:ヨーロッパ|ヨーロッパ]]における主流の教授法は'''[[文法翻訳教授法]]'''(the grammar-translation method)であった。[[wikipedia:ja:ギリシャ語|ギリシャ語]]、[[wikipedia:ja:ラテン語|ラテン語]]などの古典語を教える際に、単語リストと文法規則を暗記し、その知識を活用して母語に正確に翻訳する指導法で、教養涵養、知的訓練の性質が強い。文学作品を理解することが目的であったため、読み書きが中心で、理論的基盤を持たない。日本では、[[wikipedia:ja:漢文|漢文]]の訓読に用いられ、その後も現在に至るまで広く[[wikipedia:ja:英語|英語]]教育現場で用いられている。
==== 文法翻訳教授法 ====
 19世紀後半から20世紀前半まで、[[wikipedia:ja:ヨーロッパ|ヨーロッパ]]における主流の教授法は'''[[文法翻訳教授法]]'''(the grammar-translation method)であった。[[wikipedia:ja:ギリシャ語|ギリシャ語]]、[[wikipedia:ja:ラテン語|ラテン語]]などの古典語を教える際に、単語リストと文法規則を暗記し、その知識を活用して母語に正確に翻訳する指導法で、教養涵養、知的訓練の性質が強い。文学作品を理解することが目的であったため、読み書きが中心で、理論的基盤を持たない。日本では、[[wikipedia:ja:漢文|漢文]]の訓読に用いられ、その後も現在に至るまで広く[[wikipedia:ja:英語|英語]]教育現場で用いられている。


* 19世紀後半になると異文化間の交易や交流が盛んになり、コミュニケーション能力の育成に対する関心が高まった。文法翻訳教授法に対する反動として、幼児の言語習得と同じくできるだけ自然な方法で外国語を身につけるのがよいと考えられ、母語の使用を禁じた'''[[ナチュラル・メソッド]]'''(the natural method)が台頭する。この時期には、音声学の知見を基盤とする「'''[[フォネティック・メソッド]]'''」(the phonetic method)や外国語の音声・文字と意味の直接連合を目指す'''[[ダイレクト・メソッド]]'''(the direct method)なども提唱された。
==== ナチュラル・メソッド ====
 19世紀後半になると異文化間の交易や交流が盛んになり、コミュニケーション能力の育成に対する関心が高まった。文法翻訳教授法に対する反動として、幼児の言語習得と同じくできるだけ自然な方法で外国語を身につけるのがよいと考えられ、母語の使用を禁じた'''[[ナチュラル・メソッド]]'''(the natural method)が台頭する。この時期には、音声学の知見を基盤とする「'''[[フォネティック・メソッド]]'''」(the phonetic method)や外国語の音声・文字と意味の直接連合を目指す'''[[ダイレクト・メソッド]]'''(the direct method)なども提唱された。


* 教える際の効率性などの観点から母語の使用も認め、折衷的な方法論として[[wikipedia:ja:ハロルド・E・パーマー|ハロルド・パーマー]](H. E. Palmer, 1877-1949)によって提唱され、日本で発展した教授法が'''[[オーラル・メソッド]]'''(the natural method)である。言語習得についても生得的、習慣形成的側面のいずれも認めており、初級の段階では口頭での練習を重視し、コミュニケーションを通して外国語学習を行うことが基本的な考え方である。オーラル・メソッドと同じ時期に、アメリカ構造主義言語学および行動主義心理学を背景として、[[wikipedia:ja:チャールズ・フリーズ|チャールズ・フリーズ]](C.C. Fries, 1887-1969)によって'''[[オーラル・アプローチ]]'''(the oral approach)('''[[オーディオ・リンガル・アプローチ]]'''(the audio-lingual approach)とも呼ばれる)が提唱された。耳と口による音声重視の訓練が重視され、文型・文法のパターン・プラクティスに特徴がある。
==== オーラル・メソッド ====
 教える際の効率性などの観点から母語の使用も認め、折衷的な方法論として[[wikipedia:ja:ハロルド・E・パーマー|ハロルド・パーマー]](H. E. Palmer, 1877-1949)によって提唱され、日本で発展した教授法が'''[[オーラル・メソッド]]'''(the natural method)である。言語習得についても生得的、習慣形成的側面のいずれも認めており、初級の段階では口頭での練習を重視し、コミュニケーションを通して外国語学習を行うことが基本的な考え方である。オーラル・メソッドと同じ時期に、アメリカ構造主義言語学および行動主義心理学を背景として、[[wikipedia:ja:チャールズ・フリーズ|チャールズ・フリーズ]](C.C. Fries, 1887-1969)によって'''[[オーラル・アプローチ]]'''(the oral approach)('''[[オーディオ・リンガル・アプローチ]]'''(the audio-lingual approach)とも呼ばれる)が提唱された。耳と口による音声重視の訓練が重視され、文型・文法のパターン・プラクティスに特徴がある。


* 20世紀後半に入って、言語能力は生得的なものであるとした[[生成文法]](generative grammar)が[[wikipedia:ja:ノーム・チョムスキー|Chomsky]](1928-)によって提唱されたのを境に、オーラル・アプローチやオーラル・メソッドは勢いを失った。1960~70年代には、[[ヒューマニスティック・アプローチ]](humanistic approach)を理論的基盤として、学習者の認知能力に最大限に働きかけ、情意面への配慮も重視する、'''[[TPR]]'''(the total physical response method)、'''[[サイレント・ウェイ]]'''(the silent way)、'''[[CLL]]'''(community language learning)、'''[[サジェストペディア]]'''(suggestopedia)といった教授法が提唱された。
==== ヒューマニスティック・アプローチ ====
 20世紀後半に入って、言語能力は生得的なものであるとした[[生成文法]](generative grammar)が[[wikipedia:ja:ノーム・チョムスキー|チョムスキー]](1928-)によって提唱されたのを境に、オーラル・アプローチやオーラル・メソッドは勢いを失った。1960~70年代には、[[ヒューマニスティック・アプローチ]](humanistic approach)を理論的基盤として、学習者の認知能力に最大限に働きかけ、情意面への配慮も重視する、'''[[TPR]]'''(the total physical response method)、'''[[サイレント・ウェイ]]'''(the silent way)、'''[[CLL]]'''(community language learning)、'''[[サジェストペディア]]'''(suggestopedia)といった教授法が提唱された。


* 1980年代前後から、[[wikipedia:ja:EU|EU]]統合なども背景として、コミュニケーション能力の育成に対する関心が高まり、文法的能力だけでなく、社会言語学的能力、談話的能力、方略的能力も重要であると考えられるようになり、'''[[コミュニカティブ・アプローチ]]'''(communicative approach)の考え方が現れた。
==== コミュニカティブ・アプローチ ====
 1980年代前後から、[[wikipedia:ja:EU|EU]]統合なども背景として、コミュニケーション能力の育成に対する関心が高まり、文法的能力だけでなく、社会言語学的能力、談話的能力、方略的能力も重要であると考えられるようになり、'''[[コミュニカティブ・アプローチ]]'''(communicative approach)の考え方が現れた。


=== 第二言語習得理論 ===
=== 第二言語習得理論 ===
 外国語運用能力の育成には、運用能力の基盤となる知識の形成と運用スキルの習熟を図ることが必要であり、言語処理の'''自動化'''(automatization)が外国運用能力の熟達化にとって重要な役割を果たすことは広く認識されてきている。しかし、その認知メカニズムは十分に明らかにされているとは言い難く、言語情報のインプットを効率的に処理できる形式に変換して理解したり、概念化や発話計画からアウトプットに到るプロセスにおいて、音韻、形態、統語、意味などの脳内処理がどの程度自動的・[[無意識]]的に行われているのか、そのプロセスを解明することが、外国語運用能力育成の鍵ともなる。なお、脳科学的視点からの第二言語習得研究については大石<ref>'''大石晴美'''<br>脳科学からの第二言語習得論:英語学習と教授法開発<br>''昭和堂'': 2006</ref>、外国語学習者の言語情報処理の自動化については横川ら<ref>'''横川博一・定藤規弘・吉田晴世編'''<br>外国語運用能力はいかに熟達化するか:言語情報処理の自動化プロセスを探る<br>''松柏社'': 2014</ref>を参照されたい。
 外国語運用能力の育成には、運用能力の基盤となる知識の形成と運用スキルの習熟を図ることが必要であり、言語処理の'''[[自動化]]'''(automatization)が外国運用能力の熟達化にとって重要な役割を果たすことは広く認識されてきている。しかし、その認知メカニズムは十分に明らかにされているとは言い難く、言語情報のインプットを効率的に処理できる形式に変換して理解したり、概念化や発話計画からアウトプットに到るプロセスにおいて、音韻、形態、統語、意味などの脳内処理がどの程度自動的・[[無意識]]的に行われているのか、そのプロセスを解明することが、外国語運用能力育成の鍵ともなる。なお、脳科学的視点からの第二言語習得研究については大石<ref>'''大石晴美'''<br>脳科学からの第二言語習得論:英語学習と教授法開発<br>''昭和堂'': 2006</ref>、外国語学習者の言語情報処理の自動化については横川ら<ref>'''横川博一・定藤規弘・吉田晴世編'''<br>外国語運用能力はいかに熟達化するか:言語情報処理の自動化プロセスを探る<br>''松柏社'': 2014</ref>を参照されたい。


 こうした外国語学習者の心理的プロセスに焦点をあてる第二言語習得研究は、Coder, P.“The significance of learners’ errors”(学習者の誤用の意義)によって始まったとされる<ref>'''Coder, S. P.'''<br>The significance of learners' errors<br>''IRAL: International Review of Applied Linguistics in Language Teaching, 5, 161-170'': 1967</ref>。その後、学習者が目標言語を学習するにつれて変容していく'''[[中間言語]]'''(interlanguage)<ref>'''Selinker, L.'''<br>Interlanguage<br>''IRAL: International Review of Applied Linguistics in Language Teaching, 10, 209-231'': 1972</ref>のシステムを解明することが中心的課題となっている。主な第二言語習得の理論には次のようなものがある。
 こうした外国語学習者の心理的プロセスに焦点をあてる第二言語習得研究は、Coder(1967)の“The significance of learners’errors”(「学習者の誤用の重要性」)によって始まったとされる<ref>'''Coder, S. P.'''<br>The significance of learners' errors<br>''IRAL: International Review of Applied Linguistics in Language Teaching, 5, 161-170'': 1967</ref>。その後、学習者が目標言語を学習するにつれて変容していく'''[[中間言語]]'''(interlanguage)<ref>'''Selinker, L.'''<br>Interlanguage<br>''IRAL: International Review of Applied Linguistics in Language Teaching, 10, 209-231'': 1972</ref>のシステムを解明することが中心的課題となっている。主な第二言語習得の理論には次のようなものがある。


* '''[[インプット仮説]]'''(the input hypothesis):Krashen<ref name=ref1 />によって提唱された理論で、言語習得は「理解可能なインプット」(comprehensible input)を理解することによって起こり、学習者の熟達度(i)よりも少し上のレベルのもの(i+1)が適切であるとされる。また、情意フィルター(affective filter)、つまり不安度(anxiety)は低いほうがよく、文法知識の役割は小さいと考えている。この考え方では目標言語で教授することを重視しており、後に「ナチュラル・アプローチ」(the natural approach)へと発展した<ref>'''Krashen, S. D. & Terrell, T. D.'''<br>The natural approach: Language acquisition in the classroom.<br>''Oxford: Pergamon'': 1983</ref>、<ref>'''Krashen, S. D.'''<br>The input hypothesis: Issues and implications <br>''Oxford: Pergamon'': 1985</ref>。
==== インプット仮説 ====
The input hypothesis


* '''[[自動化理論]]''':McLaughlinらによって提唱された理論で<ref name=ref02 />、学習された知識は、最初はさまざまな点に注意を向けることができずに誤りを犯したり、うまく使えなかったりするが、繰り返しによって自動化が進むと、習得につながると考えている。
 Krashen<ref name=ref1 />によって提唱された理論で、言語習得は「理解可能なインプット」(comprehensible input)を理解することによって起こり、学習者の熟達度(i)よりも少し上のレベルのもの(i+1)が適切であるとされる。また、情意フィルター(affective filter)、つまり不安度(anxiety)は低いほうがよく、文法知識の役割は小さいと考えている。この考え方では目標言語で教授することを重視しており、後に「ナチュラル・アプローチ」(the natural approach)へと発展した<ref>'''Krashen, S. D. & Terrell, T. D.'''<br>The natural approach: Language acquisition in the classroom.<br>''Oxford: Pergamon'': 1983</ref>、<ref>'''Krashen, S. D.'''<br>The input hypothesis: Issues and implications <br>''Oxford: Pergamon'': 1985</ref>


* '''[[インターラクション仮説]]'''(the interaction hypothesis):Krashenのインプット仮説ではアウトプットの役割は軽視されていたが、Longらによって提唱された理論では<ref>'''Long, M. H.'''<br>Input, interaction and second language acquisition. In H. Winitz (ed). Native language and foreign language acquisition and the negotiation of comprehensible input.<br>''Annuals of the New York Academy of Science, 379, 259-279'': 1981</ref>、学習者は他者と意味のあるやりとり(interaction)をすることによって、そのプロセスにおいて繰り返しや問い返し、言いかえなどが行われ、言語習得が促進されるとした。
 一般に、第二言語の環境では、言語インプットの量は多く、常にそのインプットに浸された状態にあるが、日本のような外国語の環境ではインプットの量はきわめて限られており、接触量が決定的に異なる。また、インプットの重要性は日本の英語教育でも認識され、できるだけ多くの外国語に触れるような工夫が試みられているが、インプットされる言語と意識・注意の関係についてはほとんど明らかにされておらず、言語のどのような側面に意識や注意が向けられることで外国語が習得されるのかなどについて、今後の研究が待たれる。


* '''[[アウトプット仮説]]'''(the output hypothesis):アウトプットの果たす役割を明確に打ち出したのが、Swainである<ref>'''Swain, M.'''<br>Communicative competence: Some roles of comprehensible input and comprehensible output in its development<br>''In S. M. Gass & C. G. Madden (eds.). Input in second language acquisition, (pp.235-253) Rowley, MA: Newbury House'': 1985</ref>。話したり書いたりするためには文法的正確さや社会言語学的能力が必要であり、アウトプットによって自身の現在の能力と目標言語とのギャップに'''[[気づき]]'''(noticing a gap)、それが正確な言語習得につながると考えている。意味のやり取りを重視した伝達中心の言語学習の方法論は、外国語教授法のひとつである'''コミュニカティブ・アプローチ'''と共通する。
==== 自動化理論 ====
 McLaughlinらによって提唱された理論で<ref name=ref02 />、学習された知識は、最初はさまざまな点に注意を向けることができずに誤りを犯したり、うまく使えなかったりするが、繰り返しによって自動化が進むと、習得につながると考えている。
 
==== インターラクション仮説 ====
The interaction hypothesis
 
 Krashenのインプット仮説ではアウトプットの役割は軽視されていたが、Longらによって提唱された理論では<ref>'''Long, M. H.'''<br>Input, interaction and second language acquisition. In H. Winitz (ed). Native language and foreign language acquisition and the negotiation of comprehensible input.<br>''Annuals of the New York Academy of Science, 379, 259-279'': 1981</ref>、学習者は他者と意味のあるやりとり(interaction)をすることによって、そのプロセスにおいて繰り返しや問い返し、言いかえなどが行われ、言語習得が促進されるとした。
 
==== アウトプット仮説 ====
The output hypothesis
 
 アウトプットの果たす役割を明確に打ち出したのが、Swainである<ref>'''Swain, M.'''<br>Communicative competence: Some roles of comprehensible input and comprehensible output in its development<br>''In S. M. Gass & C. G. Madden (eds.). Input in second language acquisition, (pp.235-253) Rowley, MA: Newbury House'': 1985</ref>。話したり書いたりするためには文法的正確さや社会言語学的能力が必要であり、アウトプットによって自身の現在の能力と目標言語とのギャップに'''[[気づき]]'''(noticing a gap)、それが正確な言語習得につながると考えている。意味のやり取りを重視した伝達中心の言語学習の方法論は、外国語教授法のひとつである'''コミュニカティブ・アプローチ'''と共通する。


=== 学習者要因 ===
=== 学習者要因 ===
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 日本の中学校学習指導要領(2008年文部科学省告示、2012年施行)<ref>'''文部科学省'''<br>中学校学習指導要領解説 外国語編<br>''開隆堂'': 2008</ref>では1,200語程度、高等学校学習指導要領(2009年告示、2013年施行)<ref>'''文部科学省'''<br>高等学校学習指導要領解説 外国語編<br>''開隆堂'': 2009</ref>では、1,800語程度、あわせて3,000語程度を学習することとなっているが、語彙の選択は教科書によって異なる。
 日本の中学校学習指導要領(2008年文部科学省告示、2012年施行)<ref>'''文部科学省'''<br>中学校学習指導要領解説 外国語編<br>''開隆堂'': 2008</ref>では1,200語程度、高等学校学習指導要領(2009年告示、2013年施行)<ref>'''文部科学省'''<br>高等学校学習指導要領解説 外国語編<br>''開隆堂'': 2009</ref>では、1,800語程度、あわせて3,000語程度を学習することとなっているが、語彙の選択は教科書によって異なる。


 言語運用を可能にする語彙知識は、人間の脳内に存在すると仮定されている[[メンタルレキシコン]](mental lexicon; [[心内辞書]])に格納されている。Leveltによれば、語の形態(morphology)および音韻(phonology)に関する情報が保存されている[[レキシーム]](lexeme)と語の[[統語]](syntax)および[[意味]](semantics)に関する情報が保存されているレマ(lemma)という二層構造をもつと仮定されている<ref>'''Levelt, W.J. M.'''<br>Speaking: from intention to articulation<br>''Cambridge, MA: MIT Press'': 1989</ref>。母語も外国語の場合も同様に、ある語彙項目(lexical item)についてさまざまな語彙情報が符号化され(encoding)、獲得される。これらの語彙情報は、一度に獲得されるものではなく、言語経験によって少しずつ情報が付加され、ときには修正・更新されていく性質のものである。このようにして、脳内に貯蔵(storage)された語彙情報は、言語理解や言語産出のプロセスにおいて、[[検索]]され(retrieval)、利用される。こうしたプロセスは、外国語の場合も同じである<ref>'''門田修平編著'''<br>英語のメンタルレキシコン:語彙の獲得・処理・学習(第3版)<br>''松柏社'': 2014</ref>。
 言語運用を可能にする語彙知識は、人間の脳内に存在すると仮定されている[[メンタルレキシコン]](mental lexicon; [[心内辞書]])に格納されている。Leveltによれば、語の形態(morphology)および音韻(phonology)に関する情報が保存されている[[レキシーム]](lexeme)と語の[[統語]](syntax)および[[意味]](semantics)に関する情報が保存されている[[レマ]](lemma)という二層構造をもつと仮定されている<ref>'''Levelt, W.J. M.'''<br>Speaking: from intention to articulation<br>''Cambridge, MA: MIT Press'': 1989</ref>。母語も外国語の場合も同様に、ある語彙項目(lexical item)についてさまざまな語彙情報が符号化され(encoding)、獲得される。これらの語彙情報は、一度に獲得されるものではなく、言語経験によって少しずつ情報が付加され、ときには修正・更新されていく性質のものである。このようにして、脳内に貯蔵(storage)された語彙情報は、言語理解や言語産出のプロセスにおいて、[[検索]]され(retrieval)、利用される。こうしたプロセスは、外国語の場合も同じである<ref>'''門田修平編著'''<br>英語のメンタルレキシコン:語彙の獲得・処理・学習(第3版)<br>''松柏社'': 2014</ref>。


 言語刺激は、音韻的、[[視覚]]的、意味的に符号化され、貯蔵されることが知られているが、外国語学習の環境においては、音韻・形態・統語・意味などの語彙情報が必ずしもバランスよく獲得される保証はない。たとえば、よく言われることであるが、語彙項目の中には、文字として見れば理解できるが、音声として聞いたときには理解できないものがある。このようなことが生じる一つの可能性としては、メンタルレキシコンに形態と意味の表象は登録(entry)されたが、音韻の表象は登録されなかったか、または 音韻表象が不正確に登録されたと考えることができる。もう一つの可能性は、音韻・形態・意味の表象は正しく登録されており、文字としてはよく見る語であるので検索が容易であったが、音声としては聞き慣れていないために検索に時間がかかり、リスニングという時間的制約が強い言語処理プロセスにおいては検索に時間がかかり、結果として聞いて理解することに失敗したという可能性が考えられる。他にも、いくつかの可能性が考えられるだろう。
 言語刺激は、音韻的、[[視覚]]的、意味的に符号化され、貯蔵されることが知られているが、外国語学習の環境においては、音韻・形態・統語・意味などの語彙情報が必ずしもバランスよく獲得される保証はない。たとえば、よく言われることであるが、語彙項目の中には、文字として見れば理解できるが、音声として聞いたときには理解できないものがある。このようなことが生じる一つの可能性としては、メンタルレキシコンに形態と意味の表象は登録(entry)されたが、音韻の表象は登録されなかったか、または 音韻表象が不正確に登録されたと考えることができる。もう一つの可能性は、音韻・形態・意味の表象は正しく登録されており、文字としてはよく見る語であるので検索が容易であったが、音声としては聞き慣れていないために検索に時間がかかり、リスニングという時間的制約が強い言語処理プロセスにおいては検索に時間がかかり、結果として聞いて理解することに失敗したという可能性が考えられる。他にも、いくつかの可能性が考えられるだろう。
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==== 新規の音韻の学習 ====
==== 新規の音韻の学習 ====
 [[ワーキングメモリ]]の[[音韻ループ]]で操作される音韻情報はすぐに衰退してしまうが、'''[[構音リハーサル]]'''で反復することによって[[長期記憶]]への移行を可能にする。新規の音韻パターンをもつ外国語の学習にも貢献しており、音韻ループが言語習得装置(language learning device)と言われる所以である<ref><pubmed>9450375</pubmed></ref>。音韻ループにおける音韻情報の保持には、'''[[左下前頭回]]'''<ref><pubmed>8551361</pubmed></ref> <ref><pubmed>11590114</pubmed></ref>、'''[[小脳]]'''が関与していると報告されている<ref><pubmed>18342342</pubmed></ref> <ref><pubmed>15627576</pubmed></ref>。また、口頭での繰り返しによって外国語のような新規の音韻情報が強固な[[手続き記憶]]として脳内に形成されることも示されている<ref>'''Makita, K., Yamazaki, M., Tanabe, C. H., Koike, T., Kochiyama, T., Yokokawa, H., Yoshida, H., & Sadato, N.'''<br>A Functional Magnetic Resonance Imaging Study of Foreign-Language Vocabulary Learning Enhanced by Phonological Rehearsal: The Role of the Right Cerebellum and Left Fusiform Gyrus<br>''Mind, Brain and Education, 7(4), 213-224'': 2013</ref>。
 [[ワーキングメモリー]]の[[音韻ループ]]で操作される音韻情報はすぐに衰退してしまうが、'''[[構音リハーサル]]'''で反復することによって[[長期記憶]]への移行を可能にする。新規の音韻パターンをもつ外国語の学習にも貢献しており、音韻ループが言語習得装置(language learning device)と言われる所以である<ref><pubmed>9450375</pubmed></ref>。音韻ループにおける音韻情報の保持には、'''[[下前頭回]]'''<ref><pubmed>8551361</pubmed></ref> <ref><pubmed>11590114</pubmed></ref>、'''[[小脳]]'''が関与していると報告されている<ref><pubmed>18342342</pubmed></ref> <ref><pubmed>15627576</pubmed></ref>。また、口頭での繰り返しによって外国語のような新規の音韻情報が強固な[[手続き記憶]]として脳内に形成されることも示されている<ref>'''Makita, K., Yamazaki, M., Tanabe, C. H., Koike, T., Kochiyama, T., Yokokawa, H., Yoshida, H., & Sadato, N.'''<br>A Functional Magnetic Resonance Imaging Study of Foreign-Language Vocabulary Learning Enhanced by Phonological Rehearsal: The Role of the Right Cerebellum and Left Fusiform Gyrus<br>''Mind, Brain and Education, 7(4), 213-224'': 2013</ref>。


==== 語彙の長期記憶への保存:語彙化 ====
==== 語彙の長期記憶への保存:語彙化 ====
 外国語の語彙の記憶には、記憶容量、母語などの被験者要因、語の長さ<ref>'''Baddeley, A. D., Thomson, A., & Buchanan, M.'''<br>Word length and the structure of short-term memory<br>''Journal of Verbal Learning and Verbal Behavior, 14, 575-589'': 1975</ref>、音韻親密度<ref>'''Kovács, G. &, Racsmány M.'''<br> Handling L2 input in phonological STM: The effect of non-L1 phonetics on nonword repetition<br>''Language Learning, 58, 597-624'': 2008</ref>など語の要因が影響を及ぼすことが知られている。
 外国語の語彙の記憶には、記憶容量、母語などの被験者要因、語の長さ<ref>'''Baddeley, A. D., Thomson, A., & Buchanan, M.'''<br>Word length and the structure of short-term memory<br>''Journal of Verbal Learning and Verbal Behavior, 14, 575-589'': 1975</ref>、音韻親密度<ref>'''Kovács, G. &, Racsmány M.'''<br> Handling L2 input in phonological STM: The effect of non-L1 phonetics on nonword repetition<br>''Language Learning, 58, 597-624'': 2008</ref>など語の要因が影響を及ぼすことが知られている。


 新規の語(未知語)がメンタルレキシコンに登録された状態を'''語彙化'''(lexicalization)と呼ぶが、その経時的変化は、'''語彙競合効果'''(lexical completion effect)を指標として捉えられる<ref><pubmed>12915296</pubmed></ref>。語彙競合効果とは、類似する語がある単語の認知に影響を与えるというもので、たとえば、新規語 wooz が語彙化した状態になれば、woof, wool, woodなどの類似した語が単語認知に影響を与え、'''[[語彙判断課題]]'''(lexical decision task; 当該語が実在後であるか否かを即座に判断する課題)において判断時間が遅延する。
 新規の語(未知語)がメンタルレキシコンに登録された状態を'''語彙化'''(lexicalization)と呼ぶが、その経時的変化は、'''語彙競合効果'''(lexical completion effect)を指標として捉えられる<ref><pubmed>12915296</pubmed></ref>。語彙競合効果とは、類似する語がある単語の認知に影響を与えるというもので、たとえば、新規語 wooz が語彙化した状態になれば、woof, wool, woodなどの類似した語が単語認知に影響を与え、'''[[語彙判断課題]]'''(lexical decision task; 当該語が実在語であるか否かを即座に判断する課題)において判断時間が遅延する。


 この語彙競合効果は、学習後1日以内に出現するとする研究もあるが<ref><pubmed>22774854</pubmed></ref>、[[睡眠]]を経た24時間後に出現するとする研究もあり<ref>'''Bakker, I., Takashima, A., van Hell, J. G., Gabriele, J., & McQueen, J. M.'''<br>Competition from unseen or unheard novel words: Lexical consolidation across modalities<br>''Journal of Memory and Language, 73, 116-130'': 2014</ref> <ref>'''Brown, H., & Gaskell, M. G.'''<br>The time-course of talker-specificity and lexical competition effects during word learning Language<br>''Cognition and Neuroscience, 29, 1163-1179'': 2014</ref>、語彙競合効果の出現には睡眠を含むオフラインでの記憶統合が必要であるとされる。しかし、外国語学習者の語彙化プロセスはほとんど明らかにされていない。なお、脳における[[宣言的記憶]]の形成について、[[海馬]]と[[大脳皮質]]において相補的に学習が行われるとする[[Complementary Learning System]](CLS)も参照されたい<ref><pubmed>18578598</pubmed></ref>。
 この語彙競合効果は、学習後1日以内に出現するとする研究もあるが<ref><pubmed>22774854</pubmed></ref>、[[睡眠]]を経た24時間後に出現するとする研究もあり<ref>'''Bakker, I., Takashima, A., van Hell, J. G., Gabriele, J., & McQueen, J. M.'''<br>Competition from unseen or unheard novel words: Lexical consolidation across modalities<br>''Journal of Memory and Language, 73, 116-130'': 2014</ref> <ref>'''Brown, H., & Gaskell, M. G.'''<br>The time-course of talker-specificity and lexical competition effects during word learning Language<br>''Cognition and Neuroscience, 29, 1163-1179'': 2014</ref>、語彙競合効果の出現には睡眠を含むオフラインでの記憶統合が必要であるとされる。しかし、外国語学習者の語彙化プロセスはほとんど明らかにされていない。なお、脳における[[宣言的記憶]]の形成について、[[海馬]]と[[大脳皮質]]において相補的に学習が行われるとする[[Complementary Learning System]](CLS)も参照されたい<ref><pubmed>18578598</pubmed></ref>。
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==== 言語理解のプロセス ====
==== 言語理解のプロセス ====
 音声言語による文理解のプロセスは、Friederici & Kotzの認知神経科学的モデルによれば、①入力音声の音響分析([[聴覚野]])にもとづく音素の同定([[上側頭回]]中間部)、音韻の[[分節化]]・音節化の処理(ブロードマン44野上後部)、②語の形態処理(上側頭回後部)、統語範疇の同定(上側頭回前部)にもとづく局所的統語構造の構築(ブロードマン44野下部)、③語の統語・形態情報の同定(上・中側頭回後部)にもとづく意味情報と統語情報の統合(上・[[中側頭回]]後部)、意味役割付与(ブロードマン44野、45野、47野)、④さまざまな情報の統合([[基底核]])や再分析および修復(上側頭回後部)といった4つの段階に大別される<ref><pubmed>14597292</pubmed></ref>。書き言葉の処理もこれに準じる。
 音声言語による文理解のプロセスは、Friederici & Kotz の認知神経科学的モデルによれば、①入力音声の音響分析([[聴覚野]](BA41, 42))にもとづく音素の同定([[上側頭回]](BA22)の中間部)、音韻の[[分節化]]・[[音節化]]の処理([[下側頭回]](BA44)の上後部)、②語形の同定([[上側頭回]](BA22)の後部)、統語範疇の同定([[上側頭回]](BA22)の前部)にもとづく局所的統語構造の構築([[下前頭回]](BA44)の下部)、③語のレマ(統語)・形態情報の同定(上・[[中側頭回]](BA20, 22)の後部)にもとづく意味情報と統語情報の統合(上・[[中側頭回]](BA20, 22)の後部)および意味役割付与(下前頭回 (BA44, 45, 47))、④さまざまな情報の統合([[基底核]])や再分析および修復(上側頭回(BA22)の後部)といった4つの段階に大別される<ref><pubmed>14597292</pubmed></ref>。書き言葉の処理もこれに準じる。
 
 外国語学習におけるリスニングの困難点は、①音声の連続体の中から単語を切り出すこと(分節化)、②統語構造を構築すること、③話者の話すスピードで理解すること、などにある。また、リーディングの困難点は、①語彙知識の不足、②文法知識の不足、③母語と語順が異なる場合は、語順通りに理解すること、などにある。いずれの場合にも、話題についての背景知識が内容理解に影響を及ぼすことも知られている。
 外国語学習におけるリスニングの困難点は、①音声の連続体の中から単語を切り出すこと(分節化)、②統語構造を構築すること、③話者の話すスピードで理解すること、などにある。また、リーディングの困難点は、①語彙知識の不足、②文法知識の不足、③母語と語順が異なる場合は、語順通りに理解すること、などにある。いずれの場合にも、話題についての背景知識が内容理解に影響を及ぼすことも知られている。


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==== 言語情報の脳内処理 ====
==== 言語情報の脳内処理 ====
 Ojimaらは<ref><pubmed>16197679</pubmed></ref>、英語の母語話者と上級・中級程度の外国語学習者を対象に、[[事象関連電位]]の手法を用いて、言語情報に対する敏感さ(sensitivity)を調査した。たとえば、Mike listened to Max’s *orange about war.といった意味的に不適格な文(*は違反が起こっている箇所を示す)に対しては、[[N400]]という成分が出現することがわかっているが、外国語学習者の場合にも同様の現象が見られた。一方、Yesterday he *play a guitar.のような形態統語違反(正しくはplayed)、Susan liked Jack’s *about joke the man.のような句構造違反(正しくはJack’s joke about the man)に対しては、Left anterior negativity([[LAN]])と呼ばれる早期に行われる文法判断にかかわる成分と[[P600]]と呼ばれる後期における情報の統合や修正にかかわる成分が出現するはずであるが<ref><pubmed>15866191</pubmed></ref>、外国語学習者では、上級熟達度のみにLANに近い成分の出現が観察されただけであったと報告している。これらの研究結果は、外国語学習者にとって、文法を操作することに関わる処理が困難であることを示唆しており、Shallow Structure Hypothesis<ref name=ref2 />にも一致する。
 Ojimaらは<ref><pubmed>16197679</pubmed></ref>、英語の母語話者と上級・中級程度の外国語学習者を対象に、[[事象関連電位]]の手法を用いて、言語情報に対する敏感さ(sensitivity)を調査した。たとえば、Mike listened to Max’s *orange about war.といった意味的に不適格な文(*は違反が起こっている箇所を示す)に対しては、[[N400]]という成分が出現することがわかっているが、外国語学習者の場合にも同様の現象が見られた。一方、Yesterday he *play a guitar.のような形態統語違反(正しくはplayed)、Susan liked Jack’s *about joke the man.のような句構造違反(正しくはJack’s joke about the man)に対しては、[[left anterior negativity]]([[LAN]])と呼ばれる早期に行われる文法判断にかかわる成分と[[P600]]と呼ばれる後期における情報の統合や修正にかかわる成分が出現するはずであるが<ref><pubmed>15866191</pubmed></ref>、外国語学習者では、上級熟達度のみにLANに近い成分の出現が観察されただけであったと報告している。これらの研究結果は、外国語学習者にとって、文法を操作することに関わる処理が困難であることを示唆しており、Shallow Structure Hypothesis<ref name=ref2 />にも一致する。


==== 言語情報処理の熟達度依存性 ====
==== 言語情報処理の熟達度依存性 ====
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==== 言語産出のプロセス ====
==== 言語産出のプロセス ====
 音声を中心としたコミュニケーションの心理言語学的モデルの一つに、Levelt<ref name=ref2 />の言語の理解と生成における'''[[語彙仮説モデル]]'''がある。このモデルでは、まず、スピーキングのプロセスとして、'''[[概念化装置]]'''(CONCEPTUALIZER)でプラニングされた発話すべきメッセージは、'''[[形式化装置]]'''(FORMULARTOR)で文法コード化(grammatical encoding)および音韻コード化(phonological encoding)の操作が施される。このとき、メンタルレキシコン(mental lexicon)に格納されているレマ(lemma)情報によって統語的表象を構築し、レキシーム(lexeme)情報によって音韻表象が構築される。最終的に'''[[調音]]'''(ARTICULATION)がなされて、発話(アウトプット)に至るプロセスが示されている。
 音声を中心としたコミュニケーションの心理言語学的モデルの一つに、Leveltら<ref name=ref2 />の言語の理解と生成における'''[[語彙仮説モデル]]'''がある。このモデルでは、まず、スピーキングのプロセスとして、'''[[概念化装置]]'''(CONCEPTUALIZER)でプラニングされた発話すべきメッセージは、'''[[形式化装置]]'''(FORMULARTOR)で文法符号化(grammatical encoding)および音韻符号化(phonological encoding)の操作が施される。文法符号化の処理では、メンタルレキシコン(mental lexicon)に格納されているレマ(lemma)情報を選択し(左中側頭回の中間部)、統語的表象が構築される(左下前頭回)。音韻符号化の処理では、レキシコンに格納されているレキシーム(lexeme)情報にアクセスし(左上・中側頭回の後部)、音韻表象が構築される(左下前頭回の後部)。最終的に、音声的符号化が行われ、'''[[調音]]'''(ARTICULATION)がなされて(両側運動野、体性感覚野腹側部など)、発話(アウトプット)に至るとされている。


 外国語のスピーキングにおける困難点は、①発音を知らない、発音の仕方が分からない、②言いたいことを伝える語や表現がすぐに[[想起]]できない、③文法知識の欠如、文をすぐに構築できない、④正確さを気にしすぎて、間違いを犯すことを[[恐れ]]る、⑤母語で考えて、それを外国語に置き換えようとする、などが挙げられる。
 外国語のスピーキングにおける困難点は、①発音を知らない、発音の仕方が分からない、②言いたいことを伝える語や表現がすぐに[[想起]]できない、③文法知識の欠如、文をすぐに構築できない、④正確さを気にしすぎて、間違いを犯すことを[[恐れ]]る、⑤母語で考えて、それを外国語に置き換えようとする、などが挙げられる。
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==== 脳内の統語表象 ====
==== 脳内の統語表象 ====
 言語運用の基盤となる言語知識、とりわけ統語知識は脳内にどう表象されているのであろうか。Bockらは、(1)のような文(プライム文)を音読した後、(2)の断片に続けて自由に文を完成してもらう実験を行った<ref><pubmed>2340711</pubmed></ref>。
 言語運用の基盤となる言語知識、とりわけ統語知識は脳内にどう表象されているのであろうか。Bockらは、(1)のような文(プライム文)を音読した後、(2)の断片に続けて自由に文を完成してもらう実験を行った<ref><pubmed>2340711</pubmed></ref>。
*(1)a. Susan brought Stella a book.
(1)a. Susan brought Stella a book.
*   b. Susan brought a book to Stella.
   b. Susan brought a book to Stella.
*(2)The children showed …
(2)The children showed …
*(3)a. The children showed a man a picture.
(3)a. The children showed a man a picture.
*   b. The children showed a picture to a man.
   b. The children showed a picture to a man.
 その結果、(1a)の後では(3a)、(1b)の後では(3b)のような文を多く産出した。このようにプライム文と同じ文構造を使用して文を産出する現象を'''「[[統語的プライミング]]」(syntactic priming)'''と呼ぶ。
 その結果、(1a)の後では(3a)、(1b)の後では(3b)のような文を多く産出した。このようにプライム文と同じ文構造を使用して文を産出する現象を'''「[[統語的プライミング]]」(syntactic priming)'''と呼ぶ。


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=== 繰り返し接触による潜在学習 ===
=== 繰り返し接触による潜在学習 ===
 外国語学習においては、'''[[模倣]]'''(imitation)や'''[[繰り返し]]'''(repetition)が言語習得に重要であるということは昔から言われていることである。反復接触が、上で述べた統語的プライミングに及ぼす影響について調査した実験がある。Kaschakらは<ref><pubmed>16115618</pubmed></ref>、Pickering and Braniganの文完成課題を用いて、刺激文への接触回数がプライミング効果に与える影響を調査した<ref name=ref50 />。その結果、英語母語話者の場合、刺激への接触回数が増えるにつれてプライミング率が高くなった。また、Morishita and Yokokawaも日本人英語学習者を対象に同様の実験を行ったところ<ref>'''Morishita, M., & Yokokawa, H.'''<br>The cumulative effects of syntactic priming in written sentence production by Japanese EFL learners<br>''Poster session presented at the annual conference of the American Association for Applied Linguistics (AAAL), Boston, MA'': 2012</ref>、全体として、母語話者と同様、自動的(automatic)で無意識的(implicit)なプロセスであるというPickering and Braniganの主張<ref><pubmed>10322467</pubmed></ref>を支持する結果となった。しかし、20回程度の接触では、低熟達度群には大きな影響は見られなかったと報告しており、学習者の熟達度が統語表象の内在化に影響することが示唆される。
 外国語学習においては、'''[[模倣]]'''(imitation)や'''[[繰り返し]]'''(repetition)が言語習得に重要であるということは昔から言われていることである。反復接触が、上で述べた統語的プライミングに及ぼす影響について調査した実験がある。Kaschakらは、Pickering and Braniganの文完成課題を用いて、刺激文への接触回数がプライミング効果に与える影響を調査した<ref><pubmed>16115618</pubmed></ref><ref name=ref50 />。その結果、英語母語話者の場合、刺激への接触回数が増えるにつれてプライミング率が高くなった。また、Morishita and Yokokawaも日本人英語学習者を対象に同様の実験を行ったところ<ref>'''Morishita, M., & Yokokawa, H.'''<br>The cumulative effects of syntactic priming in written sentence production by Japanese EFL learners<br>''Poster session presented at the annual conference of the American Association for Applied Linguistics (AAAL), Boston, MA'': 2012</ref>、全体として、母語話者と同様、自動的(automatic)で無意識的(implicit)なプロセスであるというPickering and Braniganの主張<ref><pubmed>10322467</pubmed></ref>を支持する結果となった。しかし、20回程度の接触では、低熟達度群には大きな影響は見られなかったと報告しており、学習者の熟達度が統語表象の内在化に影響することが示唆される。


 先行する文の処理が同じ構造を持つ後の文の処理に影響する[[統語的プライミング現象]]は、言語産出のみならず、言語理解においても見られる<ref><pubmed>24678136</pubmed></ref>。繰り返し同じ構造に接触することで、その構造への[[潜在学習]](implicit learning)が進み、オンラインでの処理促進が起こると言われている<ref><pubmed>18922516</pubmed></ref>。外国語学習においては、'''[[明示的指導]]'''(明示的に言語知識を説明し、教えること)の有効性も主張されていると同時に、言語項目によっては非明示的な反復接触によって言語知識の内在化と運用スキルの強化を図ったり、'''[[宣言的知識]]'''(declarative knowledge)を'''[[手続き知識]]'''(procedural knowledge)に変容させることも可能であるように思われるが、今後の研究が望まれるところである。
 先行する文の処理が同じ構造を持つ後の文の処理に影響する[[統語的プライミング現象]]は、言語産出のみならず、言語理解においても見られる<ref><pubmed>24678136</pubmed></ref>。繰り返し同じ構造に接触することで、その構造への[[潜在学習]](implicit learning)が進み、オンラインでの処理促進が起こると言われている<ref><pubmed>18922516</pubmed></ref>。外国語学習においては、'''[[明示的指導]]'''(明示的に言語知識を説明し、教えること)の有効性も主張されていると同時に、言語項目によっては非明示的な反復接触によって言語知識の内在化と運用スキルの強化を図ったり、'''[[宣言的知識]]'''(declarative knowledge)を'''[[手続き知識]]'''(procedural knowledge)に変容させることも可能であるように思われるが、今後の研究が望まれるところである。

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