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3)地誌的見当識障害
3)地誌的見当識障害
認知症の方が道に迷ってしまい、家に帰れないことがある。これは全般的な知的機能の低下からと説明される。また、半側空間無視があっても道に迷ってしまうことがあろうが、
認知症の方が道に迷ってしまい、家に帰れないことがある。これは全般的な知的機能の低下からと説明される。また、半側空間無視があっても道に迷ってしまうことがあろうが、その際は、半側空間無視による地誌的情報の処理障害による迷いと説明できる。これらは二次的に生じた症候であるが、しかし、道に迷ってしまう原因となる一次的な要因がないにも関わらず、慣れた道で迷ってしまうとすれば、「道に迷ってしまう」という特別な症候が存在することになる。そして、実際に、他の症候から二次的に発生したとは考えにくく、地誌的な情報の処理が特別に強く障害されている症例が報告されてきた。本邦の高橋[23]がこの症候につき解析を深めた。症候を分類し、熟知しているはずの街並をみても何の建物かどこの風景かわからない街並失認と、一度に見通せない比較的広い範囲内において自己や他の地点の空間的位置を定位することが困難である道順障害に分けている。責任病巣として、街並失認例では海馬傍回後部、舌状回前部とこれに隣接する紡錘状回損傷が、道順障害は脳梁膨大後域から頭頂葉内側部にかけての損傷が重視されている。
風景によって賦活される脳部位として、海馬傍回後部から舌状回前部の紡錘状回場所領域と、脳梁膨大後皮質と後帯状皮質が報告されている。地誌的見当識障害の損傷部位と重なり、これらの部位が地誌的見当識と関連することを支持する報告である。[24] [25]
 
4、聴覚関連の失認[26]
 聴力は保たれており聞こえているはずなのに、音を聞いても何かわからないが、見たり触ったりすると何かがわかるのが聴覚失認である。環境音、言語、音楽などの聴覚刺激での「失認」症候が報告されてきたが、これらの症例研究より聴覚刺激の脳機能処理過程を検討することがなされてきた。
1)聴覚失認(auditory agnosia)
狭義には言語・音楽を除く有意味な聴覚刺激の認知障害である。この意味で聴覚失認の用語を使用するときには、言語性聴覚刺激の認知障害を純粋語聾(pure word deafness)という。広義には、言語性、非言語性を含めた有意味な聴覚刺激の認知障害である。狭義の聴覚失認と純粋語聾が独立して存在することにより、聴入力は言語性、非言語性が別途に処理されるとの説が受け入れられているが、広義の聴覚失認から狭義の聴覚失認への移行例の報告もあり、高次の聴覚認知障害は、スペクトラムを示すとの説も提出されている。
 
2)純粋語聾(pure word deafness)
言語刺激に限定された聴覚認知障害である。ウェルニッケ領が聴力入力から両側性に離断されたものとの説が強い。時間分解能の障害との考察もあるが、それのみでは説明できないとの報告もある。通常は両側性病変でヘシュル回を幾分残し、両側の上側頭回の前方の皮質・皮質下の病巣で出現の報告がある。一側性でも言語優位側の側頭葉皮質下病変で出現するともされる。一次聴覚皮質の両側性の病変で、純粋語聾が生じたが狭義の聴覚失認は生じなかった症例より、言語には一次聴皮質が必要で、非言語性は聴覚連合野が重要との報告がある。
 
3)狭義の聴覚失認
非言語性有意味の聴覚認知障害であり、言語音認知は正常である。右視床・頭頂葉損傷例や右側頭・頭頂・後頭接合部の損傷例が述べられている。右の上・中側頭回の後方に位置する一側性の小出血例の報告もある。右半球が非言語性有意味音の認知に優位とされ、その損傷により生ずると考察されている。また。言語性・非言語性両方の聴覚刺激認知障害は両側性の皮質下病変例で散見される。
 
5、身体部位に関連して失認の用語が付されている症候
何かを認知できないことを指して、「失・認知」つまり「失認」の用語が使われる。身体部位の認知や手指認知、左右認知に困難をきたす症例の報告が蓄積されてきた。それぞれ、身体部位失認、手指失認、左右失認と記述されている。
1)ゲルストマン症候群に含まれる手指失認と左右失認[27]
ゲルストマン症候群とは、手指失認・左右失認・計算障害・失書を示すものであり、二つの「失認」が構成要素となっている。これらの4つの症候が共通する基盤をもつため症候群として出現するとしたのがゲルストマン[28]である。ゲルストマンは指の個別性の識別能力が左右弁別、計算能力、書字能力成立の共通の基盤であると考え、その障害が基本障害であるとした。しかしゲルストマン症候群の臨床的独立性の意義を問うPoeckら[29]は、何らかの特異な基本障害があるのではなく、失語症がゲルストマン症候群をおこすのであろうとしている。しかし、それぞれの症候の純粋例の報告またみられている。
手指失認とは、個々の指を手で掴んだり、呈示したり、前に出したり、名称を言うように指示されてもできない手指の指示障害、手指の呼称障害などがあるときに下される症候名である。この症候を説明する概念が、身体図式・身体イメージである。身体図式は、再帰的な意識、自覚を必要とせずに、身体運動を意識下で調整している主体であるとされる。一方、身体イメージとは、顕在的な自己身体に関する知識を指す。身体イメージが障害され、身体図式が保たれるというパターンを示した手指失認の純粋例をAnemaらが報告している[30]。
左右障害では、患者および検者の右側および左側に対する左右位置づけ障害を、交叉二重命令・交叉性単純命令障害・同側性二重命令・同側性単純命令などで検査されてきた。
 
2)身体部位失認
身体部位失認は、 ①命令に従って、身体部位を指し示すことができず、迷い、誤り、身体 外空間を探ったりする。②しかし、個々の身体の部分に関する知識の障害ではない。③検者が身体の部分を指し示したら呼称できることより失語によるものでもない。④一般的な空間的能力は比較的保たれている、という特徴を持っている[31]。 De Renzらは[32]、身体部位失認の患者が、身体部位ばかりではなく、自転車の部品の指示に関しても同様の障害を有することを示し、全体から部分を抽出する能力の障害を考えている。しかし、Siriguらの症例[33]では身体部位の同定のみが著明に障害されており、身体部位失認が独立して存在することを支持する報告である。一般的には、身体部位失認は、失語や知能障害などに二次的症候とする説が受け入れられているが、感覚運動・視空間・語義などの多数のレベルの表象が関係する身体意識の統合が障害されるとの考察もある。病巣は、左半球後半、頭頂・後頭・側頭葉領域が重視されている。
 
6、触覚失認(tactile agnosia)[34] [35]
基本的感覚(触覚、痛覚、温度覚、深部知覚など)に障害がなく、素材もわかるが、触ることでは物品を認知できない病態である。病巣と反対側の手にみられることが多いが、両側性の報告もある。また、立体覚障害(astereognosis)は基本的感覚(触覚、痛覚、温度覚、深部知覚など)に障害がないにもかかわらず、手のなかに与えられた素材がわからない病態であり、これは痛覚失認の統覚型ともみることができる。左下頭頂小頭の限局性損傷例や、左角回と右頭頂、側頭、後頭葉の損傷例がある。感覚連合野の損傷で触覚失認が生じるとも報告されている。感覚連合野が下側頭葉と断離されたために生じたと考察されている。
 
7、病態失認
脳損傷では、種々の行動・認知障害が生じ、日常生活が明らかに制限されたり、誰の目にも明らかな障害が出現することも多い。そういった他者からみて明確な症状があるにも関わらず、患者自身はその障害に気付いていなかったり、その障害を軽く見積っていたりすることがある。このような 症候に対し病態失認、病態否認、疾病無認知などの用語が用いられている。
1) 片麻痺の無認知
患者は麻痺について何も知らない様に、また麻痺が存在しないかのように振舞う。「手足は動きますか?」等と問いかけると、「両方ともちゃんと動きます」、「今は 動かしたくないので・・・」、等と答える。「動かしてみせて下さい」との求めに、いいほうの手足を動かして「はい、動きました」とか、動いていないのにちゃんと動かした様な表情をしたりもする。片麻痺の無認知は右半球損傷・左片麻痺で起こりやすい。運動麻痺の程度と麻痺の無認知の程度は必ずしも並行しない。麻痺の無認知の例では深部知覚障害がみられることがほとんどである。片麻痺の無認知は非優位側縁上回もしくは視床ー頭頂葉連絡線維の損傷で生じる可能性が指摘されている。急性期に見られることが多く、心的防御によるとの説明もある[36]。また、運動意図が発動されたにも関わらず、麻痺によって運動が引き起こされなかった状況があれば、運動意図だけで運動をおこなったと認知をするが、しかし実際には動いていないという片麻痺の病態失認が発生するとの仮説もある[37]。病態失認の重症度と関連の強い症候を検討したVocatらの研究[38]では、固有知覚の低下、失見当識、半側空間無視を抽出しており、これらが複合的に関連することで症候が出現すると考察されている。
 
 
 
文献
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