「局所タンパク質合成」の版間の差分

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== イントロダクション ==
== イントロダクション ==


 神経細胞は軸索・細胞体・樹状突起等のいくつかの細胞区分・部位に分かれている。細胞核は細胞体に存在し、ゲノムからの転写によりメッセンジャーRNA(mRNA)を産生する。核内から細胞体へ輸送されたmRNAは多くの場合細胞体に限局し、細胞体の細胞質に数多く存在する蛋白質合成の場であるリボソームに取り込まれて翻訳される。しかしながら、一部の遺伝子のmRNAは、細胞体から輸送され樹状突起や軸索に運ばれる。この細胞体から離れた部位において蛋白質合成が行われることを神経細胞における”局所蛋白質合成”と呼ぶ。哺乳類の神経細胞では樹状突起における蛋白質合成を指すことが多い<ref name=ref1><pubmed></pubmed></ref>。実際、海馬錐体細胞等の中枢神経細胞ではリボソームが樹状突起に存在することが電子顕微鏡を用いた研究により明らかになっている<ref name=ref2><pubmed></pubmed></ref>。さらに、膜蛋白質の合成や様々な翻訳後修飾の場である粗面小胞体(rER)およびゴルジ装置も細胞体から離れた樹状突起に存在する<ref name=ref3><pubmed></pubmed></ref>。樹状突起に輸送されるmRNAの代表的なものとして細胞骨格蛋白質をコードするβ-actinやmap2、リン酸化酵素をコードするCaMKIIα、シナプス可塑性蛋白質をコードするArcなどが挙げられる。
 神経細胞は軸索・細胞体・樹状突起等のいくつかの細胞区分・部位に分かれている。細胞核は細胞体に存在し、ゲノムからの転写によりメッセンジャーRNA(mRNA)を産生する。核内から細胞体へ輸送されたmRNAは多くの場合細胞体に限局し、細胞体の細胞質に数多く存在する蛋白質合成の場であるリボソームに取り込まれて翻訳される。しかしながら、一部の遺伝子のmRNAは、細胞体から輸送され樹状突起や軸索に運ばれる。この細胞体から離れた部位において蛋白質合成が行われることを神経細胞における”局所蛋白質合成”と呼ぶ。哺乳類の神経細胞では樹状突起における蛋白質合成を指すことが多い<ref name=ref1><pubmed>11283313</pubmed></ref>。実際、海馬錐体細胞等の中枢神経細胞ではリボソームが樹状突起に存在することが電子顕微鏡を用いた研究により明らかになっている<ref name=ref2><pubmed>7062109</pubmed></ref>。さらに、膜蛋白質の合成や様々な翻訳後修飾の場である粗面小胞体(rER)およびゴルジ装置も細胞体から離れた樹状突起に存在する<ref name=ref3><pubmed>16337914</pubmed></ref>。樹状突起に輸送されるmRNAの代表的なものとして細胞骨格蛋白質をコードするβ-actinやmap2、リン酸化酵素をコードするCaMKIIα、シナプス可塑性蛋白質をコードするArcなどが挙げられる。


== mRNAの輸送の制御 ==
== mRNAの輸送の制御 ==


 神経細胞で産生されるmRNAの内、特定の種類のmRNAのみが樹状突起に輸送されるため、拡散等の受動的な輸送ではなく、選択的な能動的輸送であると考えられている。β-actin mRNAの3'非翻訳領域にはZBP(zip-binding protein)と呼ばれるRNA結合蛋白質が結合し、選択的樹状突起輸送に関わることが示されている<ref name=ref4><pubmed></pubmed></ref>。また、その他の樹状突起mRNAも配列特異的なRNA結合蛋白質やCPEBやFMRP等の翻訳制御RNA結合蛋白質を含む様々な蛋白質と複合体(messenger ribonucleoprotein complex, mRNP)を形成して顆粒状に存在する。このRNA顆粒はキネシン分子等のモーター蛋白質により樹状突起を遠位方向に能動的に運ばれている<ref name=ref5><pubmed></pubmed></ref>。RNA顆粒の樹状突起内輸送および輸送終了(荷降ろし、unloading)は神経活動やシナプス活動によって制御されていると考えられるが、その制御様式についての詳細は現在のところ不明である。
 神経細胞で産生されるmRNAの内、特定の種類のmRNAのみが樹状突起に輸送されるため、拡散等の受動的な輸送ではなく、選択的な能動的輸送であると考えられている。β-actin mRNAの3'非翻訳領域にはZBP(zip-binding protein)と呼ばれるRNA結合蛋白質が結合し、選択的樹状突起輸送に関わることが示されている<ref name=ref4><pubmed>11416185</pubmed></ref>。また、その他の樹状突起mRNAも配列特異的なRNA結合蛋白質やCPEBやFMRP等の翻訳制御RNA結合蛋白質を含む様々な蛋白質と複合体(messenger ribonucleoprotein complex, mRNP)を形成して顆粒状に存在する。このRNA顆粒はキネシン分子等のモーター蛋白質により樹状突起を遠位方向に能動的に運ばれている<ref name=ref5><pubmed>15312650</pubmed></ref>。RNA顆粒の樹状突起内輸送および輸送終了(荷降ろし、unloading)は神経活動やシナプス活動によって制御されていると考えられるが、その制御様式についての詳細は現在のところ不明である。


== 蛋白質合成の制御 ==
== 蛋白質合成の制御 ==


 樹状突起に運ばれたmRNAは樹状突起に存在するリボソームによって蛋白質へ翻訳されるが、この過程はシナプス活動や脳由来神経栄養因子(BDNF)等のシグナルによって正に制御されている。シナプス活動やシグナルの入力がない状態においては、樹状突起mRNAはCPEBや4E-BP等のRNA結合タンパクにより翻訳の開始が抑制されている<ref name=ref6><pubmed></pubmed></ref>。シナプス活動等によってmTOR複合体が活性化されると翻訳の脱抑制が起こり、蛋白質合成が開始される。また、別のRNA結合タンパクであるFMRP(脆弱X症候群の原因遺伝子のfmr1の遺伝子産物)は翻訳伸長抑制に関与していると考えられているが、その脱抑制の様式は不明である。
 樹状突起に運ばれたmRNAは樹状突起に存在するリボソームによって蛋白質へ翻訳されるが、この過程はシナプス活動や脳由来神経栄養因子(BDNF)等のシグナルによって正に制御されている。シナプス活動やシグナルの入力がない状態においては、樹状突起mRNAはCPEBや4E-BP等のRNA結合タンパクにより翻訳の開始が抑制されている<ref name=ref6><pubmed>15450160</pubmed></ref>。シナプス活動等によってmTOR複合体が活性化されると翻訳の脱抑制が起こり、蛋白質合成が開始される。また、別のRNA結合タンパクであるFMRP(脆弱X症候群の原因遺伝子のfmr1の遺伝子産物)は翻訳伸長抑制に関与していると考えられているが、その脱抑制の様式は不明である。


== 樹状突起における局所蛋白質合成の機能 ==
== 樹状突起における局所蛋白質合成の機能 ==


 樹状突起における局所蛋白質合成の機能としてシナプス可塑性における入力特異性への関与が考えられている。すなわち、シナプス長期増強(LTP)においては、高頻度のシナプス入力を受けた後シナプス部位だけに選択的なシナプス伝達効率上昇が引き起こされるが、このメカニズムの一つとして、LTP(の成立および維持)に必要な蛋白質が局所蛋白質合成よって入力を受けたシナプス選択的に供給される、という仮説が提唱されている。また同様に、シナプス長期抑性(LTD)においても、低頻度シナプス入力や代謝型グルタミン酸を介したシグナルによりシナプス抑性に必要な蛋白質が局所蛋白質合成により供給されることにより、LTDの入力特異性・部位特異性が成立するという可能性が示唆されている<ref name=ref7><pubmed></pubmed></ref>。しかしながら、実際にどのような蛋白質が局所翻訳により制御され、どのようにシナプス可塑性に機能しているのかについては、現在のところ不明な点が多い。また、病態との関連において、局所蛋白合成の破綻は精神遅滞を引き起こす原因である可能性が指摘されている<ref name=ref8><pubmed></pubmed></ref>。
 樹状突起における局所蛋白質合成の機能としてシナプス可塑性における入力特異性への関与が考えられている。すなわち、シナプス長期増強(LTP)においては、高頻度のシナプス入力を受けた後シナプス部位だけに選択的なシナプス伝達効率上昇が引き起こされるが、このメカニズムの一つとして、LTP(の成立および維持)に必要な蛋白質が局所蛋白質合成よって入力を受けたシナプス選択的に供給される、という仮説が提唱されている。また同様に、シナプス長期抑性(LTD)においても、低頻度シナプス入力や代謝型グルタミン酸を介したシグナルによりシナプス抑性に必要な蛋白質が局所蛋白質合成により供給されることにより、LTDの入力特異性・部位特異性が成立するという可能性が示唆されている<ref name=ref7><pubmed>19411173</pubmed></ref>。しかしながら、実際にどのような蛋白質が局所翻訳により制御され、どのようにシナプス可塑性に機能しているのかについては、現在のところ不明な点が多い。また、病態との関連において、局所蛋白合成の破綻は精神遅滞を引き起こす原因である可能性が指摘されている<ref name=ref8><pubmed>22017584</pubmed></ref>。
 


== 軸索における局所蛋白質合成の機能 ==
== 軸索における局所蛋白質合成の機能 ==


 軸索では発達期の成長円錐で局所蛋白質合成が行われることが報告されており、軸索伸展やガイダンスへの関与が示唆されている<ref name=ref9><pubmed></pubmed></ref>。発達期神経細胞の軸索において局所翻訳される蛋白質として、RhoA等の細胞骨格制御因子のほかミトコンドリア機能の調節因子等が報告されている。一方、成熟神経細胞の軸策においては平常時における局所蛋白合成の役割は明らかではないが、例えば軸索損傷からの回復時期などの状況においては局所蛋白質合成が重要な役割を果たしている可能性がある。
 軸索では発達期の成長円錐で局所蛋白質合成が行われることが報告されており、軸索伸展やガイダンスへの関与が示唆されている<ref name=ref9><pubmed>15194110</pubmed></ref>。発達期神経細胞の軸索において局所翻訳される蛋白質として、RhoA等の細胞骨格制御因子のほかミトコンドリア機能の調節因子等が報告されている。一方、成熟神経細胞の軸策においては平常時における局所蛋白合成の役割は明らかではないが、例えば軸索損傷からの回復時期などの状況においては局所蛋白質合成が重要な役割を果たしている可能性がある。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
<references />
<references />
1. Steward, O. & Schuman, E.M. Protein synthesis at synaptic sites on dendrites. Annual review of neuroscience 24, 299-325 (2001).
2. Steward, O. & Levy, W.B. Preferential localization of polyribosomes under the base of dendritic spines in granule cells of the dentate gyrus. J Neurosci 2, 284-291 (1982).
3. Horton, A.C., et al. Polarized secretory trafficking directs cargo for asymmetric dendrite growth and morphogenesis. Neuron 48, 757-771 (2005).
4. Shestakova, E.A., Singer, R.H. & Condeelis, J. The physiological significance of beta -actin mRNA localization in determining cell polarity and directional motility. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 98, 7045-7050 (2001).
5. Kanai, Y., Dohmae, N. & Hirokawa, N. Kinesin transports RNA: isolation and characterization of an RNA-transporting granule. Neuron 43, 513-525 (2004).
6. Kelleher, R.J., 3rd, Govindarajan, A. & Tonegawa, S. Translational regulatory mechanisms in persistent forms of synaptic plasticity. Neuron 44, 59-73 (2004).
7. Waung, M.W. & Huber, K.M. Protein translation in synaptic plasticity: mGluR-LTD, Fragile X. Current opinion in neurobiology 19, 319-326 (2009).
8. Santoro, M.R., Bray, S.M. & Warren, S.T. Molecular mechanisms of fragile X syndrome: a twenty-year perspective. Annual review of pathology 7, 219-245 (2012).
9. Martin, K.C. Local protein synthesis during axon guidance and synaptic plasticity. Current opinion in neurobiology 14, 305-310 (2004).




(執筆者:奥野浩行 担当編集委員:河西春朗)
(執筆者:奥野浩行 担当編集委員:河西春朗)