「心身症」の版間の差分

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 心身症(psychosomatic disorder)とは、「身体症状・身体疾患において、その発症や経過に心理社会的因子が密接に関与し、器質的・機能的障害が認められる病態」である<ref>'''日本心身医学会教育研修委員会編'''<br>心身医学の新しい診療指針<br>''心身医学, 1991. 31: p. 537-576'':1991</ref>。心身症は独立した疾患単位ではなく、病態名であり、特定の疾患、特定の診療科にしばられるものではない。この心身症の枠組みに入る疾患としては、表1[[Image:Yoshiyamoriguchi_fig_1.png|thumb|300px|'''表1.心身症の病態を考えることのできる疾患'''<br>]]<ref>'''日本線維筋痛症学会「線維筋痛症診療ガイドライン」作成委員会'''<br>線維筋痛症診療ガイドライン2013<br>''日本医事新報社'':2013</ref>にあげられるようなものがあり、病名を記載するに当たっては、例えば高血圧(心身症),十二指腸潰瘍(心身症),気管支喘息(心身症)と記載される。多軸評定を用いていた[[DSM-IV-TR]]においては、心身症は第1軸にpsychological factors affecting medical condition (身体疾患に影響を与えている心理的要因)を、第3軸には身体疾患や身体症状を記載することになっており、身体疾患に影響を与える心理的要因について詳細に述べられていた(表2)[[Image:Yoshiyamoriguchi_fig_2.png|thumb|300px|'''表2.心身症に相当する DSM-IV-TR の記載'''<br>]]。2013年に発表されたDSM-5では、多軸診断は廃止されたが、引き続き心身症はpsychological factors affecting other medical conditionsと位置づけられている。[[ICD-10]]では、F5 (”behavioural syndromes associated with physiological disturbances and physical factors 生理的障害および身体的要因に関連した行動症候群)”の中に、[[摂食障害]](F50)、[[wj:性機能不全|性機能不全]](F52)、他に分類される障害あるいは疾患に関連した心理的および行動的要因(F54)などであり、F54の例として、[[wj:喘息|喘息]]、[[wj:皮膚炎|皮膚炎]]と[[wj:湿疹|湿疹]]、[[wj:胃潰瘍|胃潰瘍]]、[[wj:粘液性大腸炎|粘液性大腸炎]]、[[wj:潰瘍性大腸炎|潰瘍性大腸炎]]、[[wj:じんましん|じんましん]]などがあげられているが、もちろんこの操作的定義にしばられるものではない。
 心身症(psychosomatic disorder)とは、「身体症状・身体疾患において、その発症や経過に心理社会的因子が密接に関与し、器質的・機能的障害が認められる病態」である<ref>'''日本心身医学会教育研修委員会編'''<br>心身医学の新しい診療指針<br>''心身医学, 1991. 31: p. 537-576'':1991</ref>。心身症は独立した疾患単位ではなく、病態名であり、特定の疾患、特定の診療科にしばられるものではない。この心身症の枠組みに入る疾患としては、表1<ref>'''日本線維筋痛症学会「線維筋痛症診療ガイドライン」作成委員会'''<br>線維筋痛症診療ガイドライン2013<br>''日本医事新報社'':2013</ref>にあげられるようなものがあり、病名を記載するに当たっては、例えば高血圧(心身症),十二指腸潰瘍(心身症),気管支喘息(心身症)と記載される。多軸評定を用いていた[[DSM-IV-TR]]においては、心身症は第1軸にpsychological factors affecting medical condition (身体疾患に影響を与えている心理的要因)を、第3軸には身体疾患や身体症状を記載することになっており、身体疾患に影響を与える心理的要因について詳細に述べられていた(表2)[[Image:Yoshiyamoriguchi_fig_2.png|thumb|300px|'''表2.心身症に相当する DSM-IV-TR の記載'''<br>]]。2013年に発表されたDSM-5では、多軸診断は廃止されたが、引き続き心身症はpsychological factors affecting other medical conditionsと位置づけられている。[[ICD-10]]では、F5 (”behavioural syndromes associated with physiological disturbances and physical factors 生理的障害および身体的要因に関連した行動症候群)”の中に、[[摂食障害]](F50)、[[wj:性機能不全|性機能不全]](F52)、他に分類される障害あるいは疾患に関連した心理的および行動的要因(F54)などであり、F54の例として、[[wj:喘息|喘息]]、[[wj:皮膚炎|皮膚炎]]と[[wj:湿疹|湿疹]]、[[wj:胃潰瘍|胃潰瘍]]、[[wj:粘液性大腸炎|粘液性大腸炎]]、[[wj:潰瘍性大腸炎|潰瘍性大腸炎]]、[[wj:じんましん|じんましん]]などがあげられているが、もちろんこの操作的定義にしばられるものではない。


 心身症について、日本心身医学会による定義(1991年)では、冒頭の定義に加え、「[[神経症]]や[[うつ病]]など他の[[精神障害]]にともなう身体症状は除外する。」という文章があるが、実際の臨床では[[神経症]]・[[うつ]]・[[不安障害]]・[[人格障害]]などの精神障害が、身体症状の背景にある例は極めて多く、これを除くのは一般臨床では非現実的で、批判も多い。この「他の精神障害に伴う身体症状を除外」したものは極めて狭義の心身症であり、現実的な心身症は、冒頭の定義にあるように、心理社会的な問題を背景にして出現する身体症状として広くとらえられている。特定のカテゴリ化した診断名をそこに当てはめるのは誤りである。
 心身症について、日本心身医学会による定義(1991年)では、冒頭の定義に加え、「[[神経症]]や[[うつ病]]など他の[[精神障害]]にともなう身体症状は除外する。」という文章があるが、実際の臨床では[[神経症]]・[[うつ]]・[[不安障害]]・[[人格障害]]などの精神障害が、身体症状の背景にある例は極めて多く、これを除くのは一般臨床では非現実的で、批判も多い。この「他の精神障害に伴う身体症状を除外」したものは極めて狭義の心身症であり、現実的な心身症は、冒頭の定義にあるように、心理社会的な問題を背景にして出現する身体症状として広くとらえられている。特定のカテゴリ化した診断名をそこに当てはめるのは誤りである。
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===ストレス===
===ストレス===
{| class="wikitable" style="float:right"
|+表4.Daily Hassles (日常いらだちごと)
|-
| 自分の将来のことについて<br>家族の将来のことについて<br>自分の健康(体力の衰えや目・耳の衰えを含む)について<br>家族の健康について<br>出費がかさんで負担であることについて<br>借金やローンをかかえて苦しいことについて<br>家族に対する責任が重すぎることについて<br>仕事(家事・勉強等を含む)の量が多すぎて負担であることについて<br>異性関係について<br>職場(学生の場合学校)や取引先の人とうまくやっていけないことについて<br>家族とうまくやっていけないことについて<br>親戚や友人とうまくやっていけないことについて<br>近所とうまくやっていけないことについて<br>家事や育児が大変であることについて<br>いつ解雇(学生の場合退学)させられるかということについて<br>退職後の生活について<br>今の仕事(家事・勉学等を含む)が好きでないことについて<br>他人に妨害されたり、足をひっぱられることについて<br>義理のつき合いで負担であることについて<br>暇をもてあましがちであることについて<br>どうしてもやり遂げなければならないことをひかえていることについて<br>自分の外見や容姿に自信がもてないことについて<br>生活していく上で性差別を感じることについて<br>不規則な生活がつづいていることについて<br>まわりからの期待が高すぎて負担を感じることについて<br>陰口をたたかれたり、うわさ話をせれるのが辛いことについて<br>過去のことで深く公開しつづけていることについて<br>公害(大気汚染や近隣騒音など)があることについて<br>コンピューターなどの新しい機械についていけないことについて<br>朝夕のラッシュや遠距離通勤(通学を含む)に負担を感じることについて<br>
|-
|}
 ストレス研究の歴史で最も大きな意味を持つのは、Selyeのストレス学説<ref>''' Selye, H '''<br> A syndrome produced by diverse nocuous agents.<br>'' Nature, 1936. 138: p. 32'':1936</ref> <ref><pubmed> 9722327 </pubmed></ref>である。Selyeは、ストレスによって起こる生体の非特異的な生体防御反応としての「[[一般適応症候群]]」を提唱し、ストレス後のステージとして、段階的に警告反応期(ショック相、反ショック相)、抵抗期、症憊期と進行し、[[wj:副腎皮質|副腎皮質]]の肥大、[[wj:胸腺|胸腺]]萎縮、[[wj:胃・十二指腸潰瘍|胃・十二指腸潰瘍]]の3つの症状が起こるとした。ここで重要なのは、物理的・科学的・生物学的ストレッサーと同様に、心理的ストレッサーも同じような反応が起きるということを提唱したことである。
 ストレス研究の歴史で最も大きな意味を持つのは、Selyeのストレス学説<ref>''' Selye, H '''<br> A syndrome produced by diverse nocuous agents.<br>'' Nature, 1936. 138: p. 32'':1936</ref> <ref><pubmed> 9722327 </pubmed></ref>である。Selyeは、ストレスによって起こる生体の非特異的な生体防御反応としての「[[一般適応症候群]]」を提唱し、ストレス後のステージとして、段階的に警告反応期(ショック相、反ショック相)、抵抗期、症憊期と進行し、[[wj:副腎皮質|副腎皮質]]の肥大、[[wj:胸腺|胸腺]]萎縮、[[wj:胃・十二指腸潰瘍|胃・十二指腸潰瘍]]の3つの症状が起こるとした。ここで重要なのは、物理的・科学的・生物学的ストレッサーと同様に、心理的ストレッサーも同じような反応が起きるということを提唱したことである。


 心理社会的ストレスの研究として有名なものとして、Holmes and Raheによるライフイベントによるストレスモデルがある。彼らはストレスを「日常生活上の様々な変化(ライフイベント)に再適応するために必要な努力」と定義して、その努力によってエネルギーが費やされ蓄積し、個人の対応能力を超えた際に疾患が生じると考え、表のような尺度を作成した(表3)[[Image:Yoshiyamoriguchi_fig_3.png|thumb|300px|'''表3.社会的再適応評価尺度'''<br>]] <ref><pubmed> 6059863 </pubmed></ref><ref><pubmed> 6059865 </pubmed></ref>。対してLazarus <ref>''' Lazarus, R. S. '''<br> Psychological stress and the coping process.<br>'' McGraw-Hill, New York'':1966</ref>は、「日常生活の些事により、常に長期間繰り返され、かつ意識されないうちに経験されるストレス」の重要性を強調した(表4)。[[Image:Yoshiyamoriguchi_fig_4.png|thumb|300px|'''表4.Daily Hassles (日常いらだちごと)'''<br>]]重大なライフイベントであれ日常のいらだちの蓄積であれ、彼らが提言したことは、人間であれば誰もが遭遇する可能性のある出来事が、[[ストレス反応]]を引き起こし、心身症につながる可能性があるということである。また、突発的な急性のストレス反応でも、それが繰り返され蓄積し慢性化することにより、その身体症状が遷延化することにつながる。もちろん、大きなストレス反応であれば、一回の急性のストレス反応が重大な心身の問題を引き起こすことになる。
 心理社会的ストレスの研究として有名なものとして、Holmes and Raheによるライフイベントによるストレスモデルがある。彼らはストレスを「日常生活上の様々な変化(ライフイベント)に再適応するために必要な努力」と定義して、その努力によってエネルギーが費やされ蓄積し、個人の対応能力を超えた際に疾患が生じると考え、表のような尺度を作成した(表3)[[Image:Yoshiyamoriguchi_fig_3.png|thumb|300px|'''表3.社会的再適応評価尺度'''<br>]] <ref><pubmed> 6059863 </pubmed></ref><ref><pubmed> 6059865 </pubmed></ref>。対してLazarus <ref>''' Lazarus, R. S. '''<br> Psychological stress and the coping process.<br>'' McGraw-Hill, New York'':1966</ref>は、「日常生活の些事により、常に長期間繰り返され、かつ意識されないうちに経験されるストレス」の重要性を強調した(表4)。重大なライフイベントであれ日常のいらだちの蓄積であれ、彼らが提言したことは、人間であれば誰もが遭遇する可能性のある出来事が、[[ストレス反応]]を引き起こし、心身症につながる可能性があるということである。また、突発的な急性のストレス反応でも、それが繰り返され蓄積し慢性化することにより、その身体症状が遷延化することにつながる。もちろん、大きなストレス反応であれば、一回の急性のストレス反応が重大な心身の問題を引き起こすことになる。


 また、外からみると同じにみえるストレスでも、個人によってストレスとして感じやすい傾向は違う。この個体差を説明するために、疾病発症のモデルとして語られるものとして、ストレス脆弱性モデルがある(図1)[[Image:Yoshiyamoriguchi_fig_5.png|thumb|300px|'''図1.ストレス脆弱性モデル '''<br>]]。これは、何らかの脳機能不全として語られる内因に、ストレス(外因)が加わり、疾病を発症するとするものである。この文脈で語られる脆弱性(内因)としては、遺伝的素因を含むが、後天的に獲得されたものも個体の脆弱性となり得る。
 また、外からみると同じにみえるストレスでも、個人によってストレスとして感じやすい傾向は違う。この個体差を説明するために、疾病発症のモデルとして語られるものとして、ストレス脆弱性モデルがある(図1)[[Image:Yoshiyamoriguchi_fig_5.png|thumb|300px|'''図1.ストレス脆弱性モデル '''<br>]]。これは、何らかの脳機能不全として語られる内因に、ストレス(外因)が加わり、疾病を発症するとするものである。この文脈で語られる脆弱性(内因)としては、遺伝的素因を含むが、後天的に獲得されたものも個体の脆弱性となり得る。