「性行動の神経回路」の版間の差分

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{{box|text= 一般に動物は、繁殖期になると、日長や温度などの外界の環境に依存して生殖腺(性腺)を発達させると共に、非繁殖期には示さない、求愛行動をはじめとする、生殖に関係した一連の性行動を行うようになる。この時、生殖腺の発達は、脳の情報処理システムが外界の環境の情報を適切に処理し、それを主に視床下部のニューロンに伝え、さらにその情報を脳下垂体という脳と内分泌系のインターフェースに伝えて、脳下垂体ホルモンを放出させ、末梢の生殖腺を刺激することにより起きる。一方、視床下部のニューロンは、繁殖期特有の性行動の賦活化にも極めて重要なはたらきをしている。この時に重要なのは、生殖腺の発達と性行動が、タイミング良く進むように協調的に調節されることである。さらに、いずれの現象においても、雌雄でそれらがうまく足並みを揃えて調節されることが生殖の成功に繋がり、無事に子孫を残すことができる。このようなしくみは、神経系と内分泌系の協調的な調節機能により実現されている。}}
{{box|text= 一般に動物は、繁殖期になると、日長や温度などの外界の環境に依存して生殖腺(性腺)を発達させると共に、非繁殖期には示さない、求愛行動をはじめとする、生殖に関係した一連の性行動を行うようになる。この時、生殖腺の発達は、脳の情報処理システムが外界の環境の情報を適切に処理し、それを主に視床下部のニューロンに伝え、さらにその情報を脳下垂体という脳と内分泌系のインターフェースに伝えて、脳下垂体ホルモンを放出させ、末梢の生殖腺を刺激することにより起きる。一方、視床下部のニューロンは、繁殖期特有の性行動の賦活化にも極めて重要なはたらきをしている。この時に重要なのは、生殖腺の発達と性行動が、タイミング良く進むように協調的に調節されることである。さらに、いずれの現象においても、雌雄でそれらがうまく足並みを揃えて調節されることが生殖の成功に繋がり、無事に子孫を残すことができる。このようなしくみは、神経系と内分泌系の協調的な調節機能により実現されている。}}
== 研究の歴史 ==
== 研究の歴史 ==
[[image:性行動の神経回路1.png|thumb|300px|'''図1.ステロイド取り込み細胞のオートラジオグラム'''<br>トリチウム標識エストラジオール17&beta;の結合するニューロンの脳内分布を、一般化したほ乳類脳の水平断面(上図)および矢状断面(下図)に丸印でプロットしたもの。文献<ref name=Morrel1978/>より改変。]]
[[image:性行動の神経回路1.png|thumb|300px|'''図1. ステロイド取り込み細胞のオートラジオグラム'''<br>トリチウム標識エストラジオール17&beta;の結合するニューロンの脳内分布を、一般化したほ乳類脳の水平断面(上図)および矢状断面(下図)に丸印でプロットしたもの。文献<ref name=Morrel1978/>より改変。]]
[[image:性行動の神経回路2A.png|thumb|300px|'''図2.キンギョにおけるエストロゲン感受性ニューロンの分布(オートラジオグラム)'''<br>トリチウム標識したエストラジオール17&beta;を結合した脳内のニューロンを丸印で示す。CA:前交連、PO:視索前野、CO:視交差、ep:脚間核。文献<ref name=ref3><pubmed>721971</pubmed></ref>より改変。]]
[[image:性行動の神経回路2A.png|thumb|300px|'''図2. キンギョにおけるエストロゲン感受性ニューロンの分布(オートラジオグラム)'''<br>トリチウム標識したエストラジオール17&beta;を結合した脳内のニューロンを丸印で示す。CA:前交連、PO:視索前野、CO:視交差、ep:脚間核。文献<ref name=ref3><pubmed>721971</pubmed></ref>より改変。]]


「性行動」と「生殖行動」は似ているが、後者が生殖の行為そのものを指すことが多いのに対して、前者は生殖に関わる一連のすべての行動パターンの連鎖を指す、より広義の用語として用いられることが多い。本項では、より広義の用語である「性行動」について解説する。[[性行動]]を引き起こす[[中枢神経系]]のしくみを科学的な研究の対象として考えるきっかけを作ったのは、1973年に[[wj:ノーベル医学生理学賞|ノーベル医学生理学賞]]を受賞した[[wj:カール・フォン・フリッシュ|フォン・フリッシュ]](K. von Frisch)、[[wj:コンラート・ローレンツ|ローレンツ]](K. Lorenz)、[[wj:ニコ・ティンバーゲン|ティンバーゲン]](N. Tinbergen)の3人の功績によるところが大きい。
「性行動」と「生殖行動」は似ているが、後者が生殖の行為そのものを指すことが多いのに対して、前者は生殖に関わる一連のすべての行動パターンの連鎖を指す、より広義の用語として用いられることが多い。本項では、より広義の用語である「性行動」について解説する。[[性行動]]を引き起こす[[中枢神経系]]のしくみを科学的な研究の対象として考えるきっかけを作ったのは、1973年に[[wj:ノーベル医学生理学賞|ノーベル医学生理学賞]]を受賞した[[wj:カール・フォン・フリッシュ|フォン・フリッシュ]](K. von Frisch)、[[wj:コンラート・ローレンツ|ローレンツ]](K. Lorenz)、[[wj:ニコ・ティンバーゲン|ティンバーゲン]](N. Tinbergen)の3人の功績によるところが大きい。
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 一方、ホルモンの機能を研究する内分泌学者の一部にも、動物が繁殖期に見せる性行動がホルモンによる調節を受けることに興味を寄せる研究者がいた。例えば、カエルにおいては次のような一連の研究がなされている。カエルは産卵期になると生息地から水辺の繁殖地へと移動し、つがいを形成するが、このとき、オスはメイティングコール(mating call, MC)とよばれる鳴き声を発し、メスをひきつける。メイティングコールに対する性ステロイド(生殖腺でコレステロールから合成される性ホルモン)の影響に関しては、脳内への性ステロイドの局所投与や生殖腺除去実験などの多数の研究が見られる<ref><pubmed> 301849 </pubmed></ref><ref><pubmed> 5933272 </pubmed></ref>。これらの実験から、性ホルモンの影響を受けて性行動を促進する脳部位としては脳の視索前野や視床下部が重要な脳部位である事がわかってきた。
 一方、ホルモンの機能を研究する内分泌学者の一部にも、動物が繁殖期に見せる性行動がホルモンによる調節を受けることに興味を寄せる研究者がいた。例えば、カエルにおいては次のような一連の研究がなされている。カエルは産卵期になると生息地から水辺の繁殖地へと移動し、つがいを形成するが、このとき、オスはメイティングコール(mating call, MC)とよばれる鳴き声を発し、メスをひきつける。メイティングコールに対する性ステロイド(生殖腺でコレステロールから合成される性ホルモン)の影響に関しては、脳内への性ステロイドの局所投与や生殖腺除去実験などの多数の研究が見られる<ref><pubmed> 301849 </pubmed></ref><ref><pubmed> 5933272 </pubmed></ref>。これらの実験から、性ホルモンの影響を受けて性行動を促進する脳部位としては脳の視索前野や視床下部が重要な脳部位である事がわかってきた。


 性ステロイドは、生殖腺で作られ、いわゆる二次性徴を促し生殖そのものを可能にするという生物学的作用をもつが、同じ性ステロイドが性行動を同時に促進的に調節することにより、生殖と性行動を同時に調節するという、理にかなった調節が可能となっている。このような性行動の研究において、ホルモンと神経系の関係が様々な角度から解析された好例としては、雌ラットが交尾時に示すロードシス行動(メスがオスのマウンティングをやりやすくするように背中を反らせる行動)がある<ref name=Morrel1978>'''Morrel, J.I., & Pfaff, D.W. (1978).'''<br>A Neuroendocrine Approach to Brain Function: Localization of Sex Steroid Concentrating Cells in Vertebrate Brains. American Zoologist, 18(3), 447-60.</ref>。さらに、2000年以降、社会行動の神経機構の研究が盛んになると同時に、光遺伝学やDREADDを用いた化学遺伝学などの手法の開発が進み、雌雄のマウスそれぞれに特異的な、性行動も含めた社会行動の神経機構についての研究もDulacらにより強力に推進されている<ref name=Li2018><pubmed> 30059820 </pubmed></ref>。
 性ステロイドは、生殖腺で作られ、いわゆる二次性徴を促し生殖そのものを可能にするという生物学的作用をもつが、同じ性ステロイドが性行動を同時に促進的に調節することにより、生殖と性行動を同時に調節するという、理にかなった調節が可能となっている。このような性行動の研究において、ホルモンと神経系の関係が様々な角度から解析された好例としては、雌ラットが交尾時に示すロードシス行動(メスがオスのマウンティングをやりやすくするように背中を反らせる行動)がある<ref name=Morrel1978>'''Morrel, J.I., & Pfaff, D.W. (1978).'''<br>A Neuroendocrine Approach to Brain Function: Localization of Sex Steroid Concentrating Cells in Vertebrate Brains. American Zoologist, 18(3), 447-60.</ref>。さらに、2000年以降、社会行動の神経機構の研究が盛んになると同時に、光遺伝学やdesigner receptor exclusively activated by designer drugs (DREADD)を用いた化学遺伝学などの手法の開発が進み、雌雄のマウスそれぞれに特異的な、性行動も含めた社会行動の神経機構についての研究もDulacらにより強力に推進されている<ref name=Li2018><pubmed> 30059820 </pubmed></ref>。


== 性ステロイドホルモンと性行動 ==
== 性ステロイドホルモンと性行動 ==
[[image:性行動の神経回路2B.png|thumb|300px|'''図3.オス・キンギョの脳局所破壊により性行動に有意な阻害のあった部位'''<br>局所破壊された脳部位をシェードで示す。終脳腹側野前交連上核(Vs)と終脳腹側野腹側部の後方部(pVv)、および視索前野脳室周囲部(NPP)の局所的脳破壊により、オスの性行動が有意に阻害された。数字は視索前野脳室周囲部の前端を0とした位置をµmで示す。<br>文献<ref name=ref4><pubmed> 6610412 </pubmed></ref>より改変]]
[[image:性行動の神経回路2B.png|thumb|300px|'''図3. オス・キンギョの脳局所破壊により性行動に有意な阻害のあった部位'''<br>局所破壊された脳部位をシェードで示す。終脳腹側野前交連上核(Vs)と終脳腹側野腹側部の後方部(pVv)、および視索前野脳室周囲部(NPP)の局所的脳破壊により、オスの性行動が有意に阻害された。数字は視索前野脳室周囲部の前端を0とした位置をµmで示す。<br>文献<ref name=Koyama1984></ref>より改変]]
[[image:性行動の神経回路2C.png|thumb|300px|'''図4. オス・ヒメマスの脳局所電気刺激により性行動が特異的に引き起こされた部位'''<br>脳の左側には求愛行動(アプローチA、アプローチ・クイバリングAQ、転位行動DA)が生じた脳の刺激部位が、刺激の閾値の大きさに応じた記号で示されている。脳の右側には放精行動(スポーニング・アクトSp.Act)が生じた脳の刺激部位が、刺激の閾値の大きさに応じた記号で示されている。求愛行動では■、▲、●が、放精行動では★が最も有効な部位であり、それらは終脳腹側野前交連上核(Vs)および視索前野脳室周囲部(NPP)に局在していた。<br>文献<ref name=Satou1984/>より改変]]
[[image:性行動の神経回路2C.png|thumb|300px|'''図4. オス・ヒメマスの脳局所電気刺激により性行動が特異的に引き起こされた部位'''<br>脳の左側には求愛行動(アプローチA、アプローチ・クイバリングAQ、転位行動DA)が生じた脳の刺激部位が、刺激の閾値の大きさに応じた記号で示されている。脳の右側には放精行動(スポーニング・アクトSp.Act)が生じた脳の刺激部位が、刺激の閾値の大きさに応じた記号で示されている。求愛行動では■、▲、●が、放精行動では★が最も有効な部位であり、それらは終脳腹側野前交連上核(Vs)および視索前野脳室周囲部(NPP)に局在していた。<br>文献<ref name=Satou1984/>より改変]]


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 一方、[[キンギョ]]などの魚類の脳においても[[エストロゲン]]などの性ステロイドを取り込むニューロンの分布が調べられたが('''図2''')<ref name=ref3><pubmed>721971</pubmed></ref>、多くのステロイド取り込み細胞の見られた[[終脳腹側野前交連上核]]Vsとよばれる部位や視索前野は、脳の局所破壊を行うことによってオスキンギョの性行動が阻害され('''図3''')<ref name=Koyama1984><pubmed> 6610412 </pubmed></ref>、電気刺激することによって雌雄の[[ヒメマス]]の性行動が促進される('''図4''')ような脳部位<ref name=Koyama1984 />と極めて似かよった部位であった。
 一方、[[キンギョ]]などの魚類の脳においても[[エストロゲン]]などの性ステロイドを取り込むニューロンの分布が調べられたが('''図2''')<ref name=ref3><pubmed>721971</pubmed></ref>、多くのステロイド取り込み細胞の見られた[[終脳腹側野前交連上核]]Vsとよばれる部位や視索前野は、脳の局所破壊を行うことによってオスキンギョの性行動が阻害され('''図3''')<ref name=Koyama1984><pubmed> 6610412 </pubmed></ref>、電気刺激することによって雌雄の[[ヒメマス]]の性行動が促進される('''図4''')ような脳部位<ref name=Koyama1984 />と極めて似かよった部位であった。


 メスの性ステロイドであるエストロゲンが中枢神経系に及ぼす影響については、従来多数の報告がある。エストロゲンは標的ニューロンの[[受容体]]に結合した後、核移行して標的遺伝子の転写活性を調節することによりゆっくりと効果を及ぼす遺伝子レベルの調節が主であると考えられていた。しかしながら、[[Gタンパク質共役型]]の膜レセプターを介する速いノンゲノミック作用も知られている。ロードシスなどの性行動に対する脳内性ステロイド感受性ニューロンの性行動への関与に関しても、まずは性ステロイドの遺伝子レベルの調節か非遺伝子レベルの調節かをまず厳密に区別し、この作用機構について分子・細胞生物学的観点から今一度見直す必要がある。性行動に関与する脳部位や、性ステロイドの性行動に対する影響などの研究は1970年代から1980年代にかけて比較的盛んに行われていたが、その後研究の大きな進展がないままになっていた。ところが、最近、[[光遺伝学]]の技術の発展により、上述の視床下部腹内側核ニューロンにおいて、エストロゲン受容体を発現する少数ニューロンの特異的活性化により、オスマウスのマウンティング様の行動が起きるが、それらの刺激を強くしていくと攻撃行動に転じていく、と言う興味ある研究結果が報告されている<ref><pubmed> 24739975 </pubmed></ref>(ただし、この場合、エストロゲン受容体発現ニューロンはニューロンのマーカーとして用いられているだけで、これらのオスの行動にエストロゲンが関わっているのかはよくわかっていない)。このように、遺伝学的技術をイメージングや電気生理学的・形態学的手法と組み合わせる事により、古くから興味を持たれていた問題に対して新たなアプローチが可能となり、性行動の神経回路に対する理解が飛躍的に進むことが期待される。
 メスの性ステロイドであるエストロゲンが中枢神経系に及ぼす影響については、従来多数の報告がある。エストロゲンは標的ニューロンの[[受容体]]に結合した後、核移行して標的遺伝子の転写活性を調節することによりゆっくりと効果を及ぼす遺伝子レベルの調節が主であると考えられていた。しかしながら、[[Gタンパク質共役型]]の膜レセプターを介する速いノンゲノミック作用も知られている。ロードシスなどの性行動に対する脳内性ステロイド感受性ニューロンの性行動への関与に関しても、まずは性ステロイドの遺伝子レベルの調節か非遺伝子レベルの調節かをまず厳密に区別し、この作用機構について分子・細胞生物学的観点から今一度見直す必要がある。性行動に関与する脳部位や、性ステロイドの性行動に対する影響などの研究は1970年代から1980年代にかけて比較的盛んに行われていたが、その後研究の大きな進展がないままになっていた。
 
 ところが、最近、[[光遺伝学]]の技術の発展により、上述の視床下部腹内側核ニューロンにおいて、エストロゲン受容体を発現する少数ニューロンの特異的活性化により、オスマウスのマウンティング様の行動が起きるが、それらの刺激を強くしていくと攻撃行動に転じていく、と言う興味ある研究結果が報告されている<ref><pubmed> 24739975 </pubmed></ref>(ただし、この場合、エストロゲン受容体発現ニューロンはニューロンのマーカーとして用いられているだけで、これらのオスの行動にエストロゲンが関わっているのかはよくわかっていない)。このように、遺伝学的技術をイメージングや電気生理学的・形態学的手法と組み合わせる事により、古くから興味を持たれていた問題に対して新たなアプローチが可能となり、性行動の神経回路に対する理解が飛躍的に進むことが期待される。


 以上のように、性行動が性ステロイドホルモンの影響を受ける事は、生殖腺の発達と性行動が協調的にタイミング良く調節されるのに、理にかなったしくみであると考えられる。この良い例として、ほ乳類において生殖の中枢制御に中心的なはたらきをするキスペプチンニューロンが、同時に雌マウスの性行動も制御している(RP3Vとよばれる部位に局在するキスペプチンニューロンは、正中隆起に投射するGnRHニューロンに入力してパルス状のGnRH放出を引き起こす事で、生殖腺の発達調節をすることが知られているが、一方で、そのニューロンがメスのオス選択、ひいてはロードシス行動に必須であることを実験的に示した)、と言う研究成果が報告されている<ref><pubmed> 29374161 </pubmed></ref>。
 以上のように、性行動が性ステロイドホルモンの影響を受ける事は、生殖腺の発達と性行動が協調的にタイミング良く調節されるのに、理にかなったしくみであると考えられる。この良い例として、ほ乳類において生殖の中枢制御に中心的なはたらきをするキスペプチンニューロンが、同時に雌マウスの性行動も制御している(RP3Vとよばれる部位に局在するキスペプチンニューロンは、正中隆起に投射するGnRHニューロンに入力してパルス状のGnRH放出を引き起こす事で、生殖腺の発達調節をすることが知られているが、一方で、そのニューロンがメスのオス選択、ひいてはロードシス行動に必須であることを実験的に示した)、と言う研究成果が報告されている<ref><pubmed> 29374161 </pubmed></ref>。


== ペプチドホルモンと性行動~GnRHを例として~ ==
== ペプチドホルモンと性行動~GnRHを例として~ ==
[[image:性行動の神経回路3.png|thumb|300px|'''図5.3つのGnRH系の電気生理学的特徴と形態学的特徴およびGnRHのアミノ酸配列'''<br>ここに示すシクリッドの一種ドワーフグーラミーにおいては、進化の過程において3つのGnRHパラログがすべて保存されており、それぞれ異なるニューロン群がそれらのパラログ遺伝子を発現し(赤丸;産物のアミノ酸配列の違いにも注目)、機能も異なっている(GnRH2とGnRH3は脳内で神経修飾作用、GnRH1は脳下垂体Pitに軸索投射をして下垂体の生殖腺刺激ホルモンの放出を促進する)。また、それらは、異なる電気生理学的特徴(電気活動のトレースは自発的活動電位発火パターンを示す;神経修飾作用をもつGnRH2とGnRH3では規則的ペースメーカー活動、神経分泌作用をもつGnRH1は不規則な活動)と軸索投射パターン(GnRH2とGnRH3では脳内への広範な軸索投射、GnRH1では脳下垂体への軸索投射)を示すことがわかっている<ref name=Karigo2013 />。<br>文献<ref name=Satou1984><pubmed> 6393162 </pubmed></ref><ref name=Karigo2013 /><ref name=Yamamoto1995><pubmed>7636018</pubmed></ref>より改変]]
[[image:性行動の神経回路3.png|thumb|300px|'''図5. 3つのGnRH系の電気生理学的特徴と形態学的特徴およびGnRHのアミノ酸配列'''<br>ここに示すシクリッドの一種ドワーフグーラミーにおいては、進化の過程において3つのGnRHパラログがすべて保存されており、それぞれ異なるニューロン群がそれらのパラログ遺伝子を発現し(赤丸;産物のアミノ酸配列の違いにも注目)、機能も異なっている(GnRH2とGnRH3は脳内で神経修飾作用、GnRH1は脳下垂体Pitに軸索投射をして下垂体の生殖腺刺激ホルモンの放出を促進する)。また、それらは、異なる電気生理学的特徴(電気活動のトレースは自発的活動電位発火パターンを示す;神経修飾作用をもつGnRH2とGnRH3では規則的ペースメーカー活動、神経分泌作用をもつGnRH1は不規則な活動)と軸索投射パターン(GnRH2とGnRH3では脳内への広範な軸索投射、GnRH1では脳下垂体への軸索投射)を示すことがわかっている<ref name=Karigo2013 />。<br>文献<ref name=Satou1984><pubmed> 6393162 </pubmed></ref><ref name=Karigo2013 /><ref name=Yamamoto1995><pubmed>7636018</pubmed></ref>より改変]]


 脳内の代表的なペプチドホルモンとして、視床下部ニューロンで産生され、脳底の[[正中隆起]]とよばれる部位の[[脳下垂体門脈]]血中に放出され、[[脳下垂体前葉]]に運ばれて[[脳下垂体ホルモン]]放出を促進・抑制する、いわゆる[[向下垂体ホルモン]](hypophysiotropic hormone)とよばれる一群のホルモンがある。
 脳内の代表的なペプチドホルモンとして、視床下部ニューロンで産生され、脳底の[[正中隆起]]とよばれる部位の[[脳下垂体門脈]]血中に放出され、[[脳下垂体前葉]]に運ばれて[[脳下垂体ホルモン]]放出を促進・抑制する、いわゆる[[向下垂体ホルモン]](hypophysiotropic hormone)とよばれる一群のホルモンがある。
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 この中で、性行動の神経回路と最も深い関わりを持つのが3)の終神経GnRH3ニューロンである。Okaらは'''図5'''に示すドワーフグーラミーやGFPトランスジェニックメダカを用いてこれらのニューロンの形態学的・電気生理学的特徴の解析を行うと同時に、これらのニューロンの細胞塊を破壊した熱帯魚の行動学的解析を行い、これらのニューロンが作るGnRH3ペプチドが、脳内に極めて広く張り巡らされた軸索から放出されて引き起こされる神経修飾作用が、熱帯魚の性行動レパートリーの一つである巣作り行動などの行動の動機付けを調節している、と言う説を提唱している<ref name=Karigo2013><pubmed> 24312079 </pubmed></ref><ref name=Yamamoto1997><pubmed>9208402</pubmed></ref>。最近、遺伝子改変メダカを用いた行動学的実験や電気生理学的実験を組み合わせた研究により、この作業仮説を支持するような実験結果が得られ、今後のさらなる研究が期待されている<ref><pubmed> 24385628 </pubmed></ref>。GnRH2とGnRH3は視床下部外GnRH系とも呼ばれるが、それらの機能については、文献を参照のこと<ref name=Umatani2019><pubmed>31367467</pubmed></ref>。ラットやウシガエルの交感神経節には、これらのGnRHの一部が投射していて、後期の遅いシナプス後電位(late slow synaptic potential)を発生させている、ということが知られており、同様の神経修飾作用が脳内でもはたらいているのではないかと考えられる。
 この中で、性行動の神経回路と最も深い関わりを持つのが3)の終神経GnRH3ニューロンである。Okaらは'''図5'''に示すドワーフグーラミーやGFPトランスジェニックメダカを用いてこれらのニューロンの形態学的・電気生理学的特徴の解析を行うと同時に、これらのニューロンの細胞塊を破壊した熱帯魚の行動学的解析を行い、これらのニューロンが作るGnRH3ペプチドが、脳内に極めて広く張り巡らされた軸索から放出されて引き起こされる神経修飾作用が、熱帯魚の性行動レパートリーの一つである巣作り行動などの行動の動機付けを調節している、と言う説を提唱している<ref name=Karigo2013><pubmed> 24312079 </pubmed></ref><ref name=Yamamoto1997><pubmed>9208402</pubmed></ref>。最近、遺伝子改変メダカを用いた行動学的実験や電気生理学的実験を組み合わせた研究により、この作業仮説を支持するような実験結果が得られ、今後のさらなる研究が期待されている<ref><pubmed> 24385628 </pubmed></ref>。GnRH2とGnRH3は視床下部外GnRH系とも呼ばれるが、それらの機能については、文献を参照のこと<ref name=Umatani2019><pubmed>31367467</pubmed></ref>。ラットやウシガエルの交感神経節には、これらのGnRHの一部が投射していて、後期の遅いシナプス後電位(late slow synaptic potential)を発生させている、ということが知られており、同様の神経修飾作用が脳内でもはたらいているのではないかと考えられる。


[[ファイル:Oka Sexual Behavior Fig6.jpg|サムネイル|'''図6.マウスにおいて、性特異的に社会的な信号を処理して行動を引き起こすのに関与する神経回路'''<br>
[[ファイル:Oka Sexual Behavior Fig6.jpg|サムネイル|'''図6. マウスにおいて、性特異的に社会的な信号を処理して行動を引き起こすのに関与する神経回路'''<br>
'''(a)'''性特異的な社会的信号および社会行動の制御に関わる脳部位。主に鋤鼻神経回路と神経修飾系より成る。<br>'''(b)'''オス(青)とメス(赤)における本能的社会行動の制御神経回路。攻撃行動、性行動、および子育て行動は、それぞれ異なる視床下部神経核によって制御される。腹内側核腹外側部(VMHvl)、内側視索前野(MPOA)等は雌雄で同じような社会性行動を、メスのVMHvll(VMHvlの外側部)やAVPVは雌雄で異なる行動を、それぞれ引き起こすことが知られている。それぞれの視床下部神経核は鋤鼻神経系(扁桃体内側核、分界条床核)からの入力を受け、異なる神経修飾物質(ホルモンや神経ペプチド)によって、性特異的な調節を受ける。略語:AOB副嗅球、AVPV前腹側室周囲核、BNST分界条床核、DR背側縫線核、MeA扁桃体内側核、MPOA内側視索前野、PVN室傍核、VMHvl視床下部腹内側核腹外側部、VMHvllおよびVMHvm VMHvlの外側部と内側部、VNO鋤鼻器官、VTA腹側被蓋野。文献<ref name=Li2018 />より[http://creativecommons.org/licenses/by/4.0/ CC BY license]に基づき引用]]
'''(a)'''性特異的な社会的信号および社会行動の制御に関わる脳部位。主に鋤鼻神経回路と神経修飾系より成る。<br>'''(b)'''オス(青)とメス(赤)における本能的社会行動の制御神経回路。攻撃行動、性行動、および子育て行動は、それぞれ異なる視床下部神経核によって制御される。腹内側核腹外側部(VMHvl)、内側視索前野(MPOA)等は雌雄で同じような社会性行動を、メスのVMHvll(VMHvlの外側部)やAVPVは雌雄で異なる行動を、それぞれ引き起こすことが知られている。それぞれの視床下部神経核は鋤鼻神経系(扁桃体内側核、分界条床核)からの入力を受け、異なる神経修飾物質(ホルモンや神経ペプチド)によって、性特異的な調節を受ける。<br>
略語:AOB副嗅球、AVPV前腹側室周囲核、BNST分界条床核、DR背側縫線核、MeA扁桃体内側核、MPOA内側視索前野、PVN室傍核、VMHvl視床下部腹内側核腹外側部、VMHvllおよびVMHvm VMHvlの外側部と内側部、VNO鋤鼻器官、VTA腹側被蓋野。<br>
文献<ref name=Li2018 />より[http://creativecommons.org/licenses/by/4.0/ CC BY license]に基づき引用]]


== フェロモンと性行動 ==
== フェロモンと性行動 ==