「意味性認知症」の版間の差分

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 左側頭葉優位の萎縮を有する症例で目立つ。聴理解の障害と物品呼称の障害がある。発語は流暢で、努力様ではなく、発音、プロソディー(韻律)、文法は正常で、復唱は保たれる。物品呼称の検査では既視感がないため、「これはなに? これは知らない。見たことがない」と述べやすい。意味記憶を失った物品を呼称しようとする時の反応は独特で、例えばヘリコプターの絵を見せて、ヒントを頭文字から一文字ずつ「へ、へり、へりこ」と教えていっても、「これは『へりこ』と言うんですか?」と誤った反応をして、語頭音効果がない<ref name=田辺敬貴1992>田辺敬貴、 池田学、 中川賀嗣、 山本晴子、 池尻義隆、数井裕光、原田貢士。語義失語と意味記憶障害。 失語症研究。 1992;12:153-167。 </ref>[21]。進行すると意味記憶の喪失と共に語彙が減るため自発語は減少する。
 左側頭葉優位の萎縮を有する症例で目立つ。聴理解の障害と物品呼称の障害がある。発語は流暢で、努力様ではなく、発音、プロソディー(韻律)、文法は正常で、復唱は保たれる。物品呼称の検査では既視感がないため、「これはなに? これは知らない。見たことがない」と述べやすい。意味記憶を失った物品を呼称しようとする時の反応は独特で、例えばヘリコプターの絵を見せて、ヒントを頭文字から一文字ずつ「へ、へり、へりこ」と教えていっても、「これは『へりこ』と言うんですか?」と誤った反応をして、語頭音効果がない<ref name=田辺敬貴1992>田辺敬貴、 池田学、 中川賀嗣、 山本晴子、 池尻義隆、数井裕光、原田貢士。語義失語と意味記憶障害。 失語症研究。 1992;12:153-167。 </ref>[21]。進行すると意味記憶の喪失と共に語彙が減るため自発語は減少する。


 一般物品については、その語想起と、その語の理解障害があり、名称を聞いても、書かれた文字を見ても、その物を同定できない。文章の理解は比較的保たれ、語義理解の障害(語義失語)が中心である。語義は使用頻度の低い語ほど障害が目立つ。日本語では難読漢字(当て字)の読字について強い障害が観察され、煙草(タバコ)は「けむりぐさ」、親父(オヤジ)は「しんぷ」、三味線(シャミセン)は「さんみせん」、海老(エビ)は「かいろう」と誤読しやすい。これは類音的錯読と呼ばれるが、習慣的な読み方の規則が適用できない熟語で習慣的な音読をしてしまうことから説明される<ref name=田辺敬貴1992>田辺敬貴、 池田学、 中川賀嗣、 山本晴子、 池尻義隆、数井裕光、原田貢士。語義失語と意味記憶障害。 失語症研究。 1992;12:153-167。 </ref>[22]。
 一般物品については、その語想起と、その語の理解障害があり、名称を聞いても、書かれた文字を見ても、その物を同定できない。文章の理解は比較的保たれ、語義理解の障害(語義失語)が中心である。語義は使用頻度の低い語ほど障害が目立つ。日本語では難読漢字(当て字)の読字について強い障害が観察され、煙草(タバコ)は「けむりぐさ」、親父(オヤジ)は「しんぷ」、三味線(シャミセン)は「さんみせん」、海老(エビ)は「かいろう」と誤読しやすい。これは類音的錯読と呼ばれるが、習慣的な読み方の規則が適用できない熟語で習慣的な音読をしてしまうことから説明される<ref name=Fushimi2009><pubmed>19162051</pubmed></ref>
[22]。


 自発語においては具体性のある単語が減少し、総称的な単語の使用が増える。近いカテゴリーの物の名称を別の物の名称として使い回す傾向がある(例:「靴下」を履くという時に「足袋」を履くと言う。「サイ」を見て「ウシ」と言う。「ラケット」を「テニス」と言う)。これは意味的に関連のある単語に置き換わっている意味性錯語で、呼称しにくい時に本人の中で意味的につながりのある単語で代用している状態と考えられるが、つながりの遠い名称で代用した際には、周囲からは関係が理解しにくい場合がある(例:学校の先生が吹く「ホイッスル」を見て、「ランドセル」と呼称する)。他の単語による代用は動詞でも認められる(例:「ひねる」を歩く、座る、立つなど全ての動作に用いる<ref name=Snowden1996></ref>[3])。進行すると意味的に全く関係のない本人が発しやすい単語やフレーズによる代用が増える(例:食事はまだか、お茶が飲みたいなど、何らかの要求を表現したい全ての状況に、「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と言う)。音性錯語はない。
 自発語においては具体性のある単語が減少し、総称的な単語の使用が増える。近いカテゴリーの物の名称を別の物の名称として使い回す傾向がある(例:「靴下」を履くという時に「足袋」を履くと言う。「サイ」を見て「ウシ」と言う。「ラケット」を「テニス」と言う)。これは意味的に関連のある単語に置き換わっている意味性錯語で、呼称しにくい時に本人の中で意味的につながりのある単語で代用している状態と考えられるが、つながりの遠い名称で代用した際には、周囲からは関係が理解しにくい場合がある(例:学校の先生が吹く「ホイッスル」を見て、「ランドセル」と呼称する)。他の単語による代用は動詞でも認められる(例:「ひねる」を歩く、座る、立つなど全ての動作に用いる<ref name=Snowden1996></ref>[3])。進行すると意味的に全く関係のない本人が発しやすい単語やフレーズによる代用が増える(例:食事はまだか、お茶が飲みたいなど、何らかの要求を表現したい全ての状況に、「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と言う)。音性錯語はない。