意味性認知症

2021年1月3日 (日) 23:03時点におけるWikiSysop (トーク | 投稿記録)による版 (→‎疫学)

横田修

小森憲治郎

1. きのこエスポアール病院 精神科 2. 岡山大学大学院 医歯薬学総合研究科 精神神経病態学 3. 十全ユリノキ病院 心理室


英語名:semantic dementia
英略語:SD
類義語:semantic variant primary progressive aphasia

 意味性認知症(semantic dementia: SD)とは、側頭葉に比較的限局する左右差のある萎縮を有し、臨床的には意味記憶障害が前景に立つ臨床症候群である。65歳未満で発症する事が多い。左優位萎縮では一般物品(例:蜜柑、桜など)についての意味記憶障害を呈し、右優位萎縮では人物についての意味記憶障害を呈しやすい。一般物品の意味記憶障害では、その名前が言えない、名称を聞いても、そのものが理解できないという失語症状に始まり、その後次第に物品を見ても、触っても同定できなくなる。自発語は流暢で、聴理解障害、物品呼称の障害があり、語の理解障害が中心である。人物の意味記憶障害では熟知相貌の認知障害から始まり、良く知っているはずの人の顔を見ても同定できず、声を聞いても名前を聞いても同定できない。エピソード記憶、視空間認知機能は保たれる。脱抑制、被影響性亢進で説明できる行動異常を経過中に認める事が多い。甘い物を多食するような食行動変化がしばしば出現する。運動機能は初期には保たれるが、進行すると脳萎縮の高度な側の反対側の上下肢に錐体路徴候や筋強剛が出現し、寝たきりとなって死亡する。病理学的にはTDP-43陽性封入体を有する前頭側頭葉変性症(FTLD-TDP)のタイプC病理の頻度が高い。根本的な治療法はなく、介護の関わりによる生活の工夫といった非薬物的介入と、選択的セロトニン再取り込み阻害剤を用いた対症療法的な薬物療法を試みる事が多い。平成27年から指定難病となっている。

概要

背景、歴史

 意味性認知症(semantic dementia: SD)とは、前頭葉と側頭葉の限局性の萎縮と、それに基づく行動異常や神経心理学的症状で特徴づけられる前頭側頭葉変性症のうち、脳萎縮の分布が側頭葉に限局するか、あるいは側頭葉と前頭葉に萎縮が認められるが側頭葉の方が優位で、臨床的には意味記憶障害が前景に立つ状態像を指す臨床症候群の名称である [1][2][3][1][2][3]。臨床概念であるので病理基盤の種類は問わない。

 脳の限局性萎縮に対応した症候群の分類名は歴史的変遷があり、SDの概念はその流れの中で理解できる。前頭葉と側頭葉に萎縮が限局し、それに対応した症状をきたす症例群は、歴史的には病理背景に関係なく「ピック病」と呼ばれてきた。側頭葉優位の萎縮を有す例は「側頭葉型ピック病」と呼ばれていた時期があるが、その症例報告には現在のSDの臨床症状がしばしば記載されていた。

 1994年にスウェーデンLund大学のGustafsonらと英国Manchester大学のNearyらのグループが前頭側頭型認知症(frontotemporal dementia: FTD)の概念をまとめ[4][4]、次いで1998年にNearyらがFTDに加えて、前頭側頭葉の萎縮と同部位の症状が前景に立つ症候群としてSDと進行性非流暢性失語(progressive non-fluent aphasia: PNFA)を合わせて前頭側頭葉変性症(frontotemporal lobar degeneration: FTLD)と呼ぶことを提唱した(図1) [5][5]。

 側頭葉優位の萎縮を呈するSD例ではその脳萎縮に左右差がある事が多い。左優位萎縮では一般物品についての意味記憶障害を呈する例、右優位萎縮では人物についての意味記憶障害、相貌認知障害、視覚対象認知障害を呈しやすく、SDの概念はこの両方を含む[3][3]。この様な意味記憶障害に沿った概念の整理と並行して、言語の障害に注目した臨床像の整理も進められた。まず初期に言語障害が前景に立ち認知症を欠く症例を緩徐進行性失語(slowly progressive aphasia without generalized dementia)とする概念が提唱され[6][6]、次いで、発症二年以内に言語以外の認知機能や行動に異常を認めないとする原発性進行性失語(primary progressive aphasia: PPA)とまとめた概念が提唱された[7][7]。PPAには三亜型としてnon-fluent progressive aphasia、logopenic progressive aphasiaとともにSDが設定されていたが[8][8]、その後、SDから物品呼称の障害と単語理解の障害を有する例だけを抽出して「意味性亜型PPA(semantic variant primary progressive aphasia: svPPA)」と設定しなおした。これが現在のPPAの分類である[9][9]。

 svPPAとSDとの違いは二点ある。一つは、SDには初期から人物の意味記憶障害による相貌認知障害を呈する例が含まれるが、svPPAでは初期から視知覚性の障害が顕著な例は含まれない。二つ目は、svPPAの診断は、原発性進行性失語(primary progressive aphasia)の診断基準を満たすことが前提となるため、病初期に失語が最も目立つ症状でなければならず、顕著な行動異常があった場合は除外される。そのため初期に行動異常がある程度目立つ場合は、SDと診断できてもsvPPAとは診断できない。これらの違いのためSD症例のうちsvPPAと診断される症例はごく一部である[10][10]。右優位側頭葉萎縮例では人物の意味記憶障害、相貌認知障害、視覚対象認知障害、行動異常を呈しやすいので、結果的にsvPPAの基準を満たしにくい。右側頭葉優位萎縮例の臨床像はright-temporal lobe syndrome(右側頭葉症候群)と呼ばれる[11][11]。

 SDとsvPPAという異なる用語があるのは、症状のどの側面に注目すべきと考えるかという研究者の見解の違いによる。SDは、意味記憶障害という中核の症状は言語的要素だけではなく、相貌や物体の認識における問題として出現し、それが言葉の意味の障害より先行する場合がある事などから、「言語」よりも本質的には「記憶」の障害と考える立場から提唱されている[3][3]。svPPAは、PPAという失語を中心に考える「言語の障害による認知症状態(language-based dementia [12] [12])」という概念の一亜型である。

診断

臨床症状

意味記憶障害

 意味性認知症で最も重要な症状である。意味記憶は、エピソード記憶、手続き記憶などと共にヒトの記憶システムを構成する[13][14][15][16][13][14][15][16]。SDにおいては一般物品と人物の意味記憶障害が含まれ、前者は後述の失語の側面から、後者は広く視覚対象の認知障害としても理解できる。

 一般物品とは、蜜柑、犬、コップ、鉛筆など目に見える様々な物体であり、例えば「ジャガイモ」に関する意味記憶を構成するのは、名称、形、色、硬さ、匂い、それらのバリエーション、カテゴリー(食べ物、野菜など)、それを使ってできた物(料理、菓子)、といった情報である。ある物品について完全にその意味記憶が失われている場合、それを見て呼称ができず、既視感すらないため「見た事がない」と述べ、その名前を聞いても「聞いたことがない」と述べ、実物を触っても、匂いを嗅いでも、食べられる物なら食べてみても、それが何であるかが分からず、「知らない」と述べる。健常者の物の認識は、それを見ただけで可能であるが(つまり視覚モダリティだけで同定できる)、更に、見ずに触る、においだけを感じる、味だけ確かめるといった、一つの感覚モダリティを用いるだけでも通常は可能である。例えばポテトサラダを食べると、ジャガイモの形がなくともジャガイモが使われていると分かり、昆布だしの汁は昆布の形がみえない液体でも味で昆布が使われていると分かる。しかし意味記憶障害では、どの知覚を用いてもその物を知っている感覚が得られない。その意味で意味記憶障害は、一つの感覚モダリティに限局した障害である通常の失認とは異なる。

 初期のSD患者は症状を自覚できるので、自分で身の回りの様々な物の写真を撮り、その名前を言う練習をすることがある。しかし、例えばあるカーテンの写真を見て「カーテン」と呼称できるようになっても、別の実際に他の窓にかかる異なる色・形のカーテンを見ると、「カーテン」とは呼称できず、カーテンと認識すること自体できないことがある。このため、一つの物を呼称できる様になる機能と、その物の概念として意味記憶を形成する機能は異なると考えられる。同様の現象はSD患者への言語訓練の過程で指摘されている[17][17]。通常、人が「カーテン」という物が何かという事を理解する時には、多種多様なカーテンを見て覚えるという作業をする事はない。例えば小さな子供が1、2種類のイヌの写真を使って「これがワンワン」と教えられると、道で全く見たことのない色、毛の長さ、顔立ち、体つきのイヌを見ても一瞬で指さして「ワンワン」と呼称できる。このことからも物品のバリエーションを記銘する積み上げ型の学習と意味概念を成立させる作業は本質的に異なると推測できる。意味記憶機能が正常の状態では、既にある物について意味記憶が成立し、概念のカテゴリーの境界が設定できているので、その後初めて見る外見の物でも既に保有しているカテゴリーの境界内の物であると認識できる。一方、SD患者では「キュウリを見て何か分からなくても、野菜という事は分かり、動物と間違えることはない」など、下位カテゴリーの境界の認識から低下する傾向がある。このようなことを踏まえると、意味記憶機能は概念の境界の設定に関係している様にも思われる。

 SD患者における物品についての意味記憶は、その人にとって親しみがあり使用頻度の高い物品について、より保たれる傾向がある[3] [3]。またそのカテゴリー内で典型的な対象物が残りやすい傾向があり、非典型的な対象を典型的に見誤るエラーが生じやすい(例:なすびの絵を緑色に塗る)[18][18]。 同じ物品でも、実物より写真、更に要素を簡略化した線画ほど認識しにくい。しかし、意味記憶機能が正常な人の場合、かなり誇張されたアニメを見ても(極端な場合は道具や建物の無機物に顔を描いて人の様なキャラクターにしたとしても)、元の物の種類が分からなくなることはない。一般物品についての意味記憶障害は全ての物品について一律に完全な障害を認めるわけではなく、既視感の全くない物品、カテゴリーだけ正答できる物品、かろうじて呼称までできる物品などが混ざる。

 SD患者では、アイコン、標識、マークの意味の理解が高度に不良である場合が多い。例えば赤信号の写真を見せて「これはどういう意味か」と訊くと、「赤い電気がついている」と述べるなど表面的な視覚情報の認識にとどまり、真の意味理解(例:赤信号なら「止まれ」)はできていない。「てまねき」など意味を含む動作の理解も障害される[19][19]。このような真の意味が人為的に付与された事柄の理解が難しい傾向がある。

 意味記憶は、一般物品や人物といった「見える物体」以外の「見えない抽象概念」に関してもある。これは暑い、寒いといった形容詞の概念や、助ける、掛けるといった動詞の概念、許可、禁止、思いやり、上品、下品、自分勝手、濡れ衣といった抽象名詞の概念である。これらの意味記憶機能が正常の場合は、今から自分が取る行動や態度が抽象概念に当てはまるもか否かを瞬時に判断できる(例:自分の行動が「厚かましい」か否かを判断する)。しかし抽象概念の意味記憶が障害されると、この判断はできなくなると推測される。SD患者では、一般常識に照らすと「無遠慮」、「下品」、「自分勝手」と見える行動が生活の中で頻発し、指摘しても本人は悪びれる様子がないという特異な反応を示すことがしばしばあるが、この様な行動には脱抑制だけでなく、遠慮、品、思いやりといった道徳に関する意味記憶が失われているために、それらを逸脱した行動をとっていることに気付けなくなっている可能性も推測される。これと類似すると思われる現象が慣用句の理解について観察されており、例えば身体部位はSDでも比較的良く保たれる概念だが、その身体部位を使った「腹が立つ」「足が出る」「耳が痛い」など、きわめて簡易な構造の複合語である慣用句はSDでは初期から障害される[20][20]。こうした具体的な対象物の意味から派生した概念の喪失は、SDの社会的判断に多くの支障を生じさせる一因として働いている可能性がある。

言語の症状

 左側頭葉優位の萎縮を有する症例で目立つ。聴理解の障害と物品呼称の障害がある。発語は流暢で、努力様ではなく、発音、プロソディー(韻律)、文法は正常で、復唱は保たれる。物品呼称の検査では既視感がないため、「これはなに? これは知らない。見たことがない」と述べやすい。意味記憶を失った物品を呼称しようとする時の反応は独特で、例えばヘリコプターの絵を見せて、ヒントを頭文字から一文字ずつ「へ、へり、へりこ」と教えていっても、「これは『へりこ』と言うんですか?」と誤った反応をして、語頭音効果がない[21][21]。進行すると意味記憶の喪失と共に語彙が減るため自発語は減少する。

 一般物品については、その語想起と、その語の理解障害があり、名称を聞いても、書かれた文字を見ても、その物を同定できない。文章の理解は比較的保たれ、語義理解の障害(語義失語)が中心である。語義は使用頻度の低い語ほど障害が目立つ。日本語では難読漢字(当て字)の読字について強い障害が観察され、煙草(タバコ)は「けむりぐさ」、親父(オヤジ)は「しんぷ」、三味線(シャミセン)は「さんみせん」、海老(エビ)は「かいろう」と誤読しやすい。これは類音的錯読と呼ばれるが、習慣的な読み方の規則が適用できない熟語で習慣的な音読をしてしまうことから説明される[22] [22]。

 自発語においては具体性のある単語が減少し、総称的な単語の使用が増える。近いカテゴリーの物の名称を別の物の名称として使い回す傾向がある(例:「靴下」を履くという時に「足袋」を履くと言う。「サイ」を見て「ウシ」と言う。「ラケット」を「テニス」と言う)。これは意味的に関連のある単語に置き換わっている意味性錯語で、呼称しにくい時に本人の中で意味的につながりのある単語で代用している状態と考えられるが、つながりの遠い名称で代用した際には、周囲からは関係が理解しにくい場合がある(例:学校の先生が吹く「ホイッスル」を見て、「ランドセル」と呼称する)。他の単語による代用は動詞でも認められる(例:「ひねる」を歩く、座る、立つなど全ての動作に用いる[3][3])。進行すると意味的に全く関係のない本人が発しやすい単語やフレーズによる代用が増える(例:食事はまだか、お茶が飲みたいなど、何らかの要求を表現したい全ての状況に、「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と言う)。音性錯語はない。

相貌認知障害、人物の意味記憶障害、視覚対象認知障害

 人物の意味記憶は名前、職業、性格、声、住所、自分との関係、人脈の中での位置づけ、等の要素が含まれる。通常の相貌認知障害では顔を見てわからなくても声を聴くと誰か分かるが、人物の意味記憶障害では、対面して顔を見ても誰かわからないのみならず、声を聴いても誰かわからない。この点は一般物品の意味記憶障害で全ての感覚モダリティから物品を同定できないことと同様である。右側頭葉優位萎縮例では初期から出現し、一般物品の意味記憶障害より先行する事が多い。 既視感がないので、知人と会っても挨拶せずに行き過ぎる。このため「無礼になった」と解釈される場合がある。自覚している場合はテレビドラマを見てストーリーを追いにくいと述べる事がある。既視感があるはずの有名人の顔写真を用いて障害の有無を評価できる。家族の顔の方が有名人より認識しやすい。

右優位萎縮例では人物の意味記憶障害だけでなく、有名な建造物や景色(例:東京タワー、富士山)の認知障害も出現しやすい[23][23]。

 右側頭葉優位萎縮例の臨床像はright-temporal lobe syndrome(右側頭葉症候群)と呼ばれることがあり、これを左側頭葉優位萎縮例とは異なる症候群であるとする見解がある。一方で、長期経過中に出現する症状を比較するとほとんどの症状は共通して出現する事から、両者は共に意味記憶障害を基盤としているとの指摘もある[24][24]。


自伝的記憶、エピソード記憶

 良好に保たれる。このため昨日の出来事を思い出したり、約束を思い出すことは可能である。新しい建物でのトイレ等の位置も容易に記憶する事が多い。意味記憶の顕著な障害と良好なエピソード記憶が対照的である[3] [3]。記憶に関する心理検査では教示が理解できないため成績は見かけ上低下しやすいが[3] [3]、次の受診の予約なども正確に記銘できる等、生活の様子と乖離している事が多い。

行動の異常

 初期から軽度の行動の変化を認める事が多い。前頭側頭型認知症より軽度とされる[3] [3]。聴覚や視覚刺激による強制的な行動発動、被影響性亢進、脱抑制で理解できる行動が多い。

 行動の例としては、毎日決まった時間に決まった行動をとろうとする、そのため時計を頻繁に見る、自分のこだわる時間ちょうどから食事を食べるために椅子に座って待つ、などがある。これは時刻表的行動と呼ばれる。時計を見ながらその時間が来るのを待つ様になるが、待ちきれずに行動を始めるタイミングが次第に早まることが多い。同じ行動をとるため行動のバリエーションも減る。

 行動が開始されるタイミングが早まるのはルーティーン化された行動以外でも認められる。例えば、待ち合わせの時間が17時と言われたのに15時から行って待ち、当然相手は来ないので帰ってくる、といった行動である。交差点で正面の信号が赤なので止まっても、横の信号が青になるのでそちらに進んで行ってしまうといった行動も認められる。人との約束といった意識による刺激や視覚刺激に対する被影響性亢進であり、本来の目的達成(人と会う、目的地へ向かうなど)のために、採るべきでない行動を抑制できていないと解釈できる。

 髪の毛など小さなものが床に落ちているのが目に入るとそのたびに拾い、それをごみ箱に捨てる、自分のこだわりの順序に家族が干した洗濯物を並べ替えるといった、強制的な行動は多い。不安を解消するために行っているわけではないので強迫性障害とは異なる。知り合いが勤めている店の系列という理由で、ある店で買い物を繰り返し始めるなど、行動が始まった当初は本人なりの理由がある事も多いが、家族旅行に行った先々でもその系列店でしか物を買おうしないなど、元々の理由に照らすと過剰と感じられる行動が増える。

 過度な節約行動も多い[3] [3]。例えば、ポイントがたまるという理由で遠くても特定のスーパーに買い物に行く、ポイントが多くつく曜日にしか買い物しない、といった過剰に合理的な行動を認める。経済的に余裕がある場合でも過度な節約行動は出現しうる。表面的な損得の情報に刺激されて単純に行動が決定されていると解釈できる。

 自分の本来の目標、道徳、理性に基づいて行動を制御する力が低下した状態やその結果起こった行動を脱抑制と呼ぶ。視覚刺激に対する抑制低下では、街を歩きながら目に入る文字を声に出しやすくなるので、表札を見て言わなくても良いのに「〇〇さんだね」と言いやすいと気づかれたり、車に本人を乗せていると道路の行き先表示の看板の地名を音読しやすい、他愛ない景色を食い入るように見つづけて振り返ってまで見るという事に気付かれるケースは多い。見たものについて想起したことを脈絡なく急に話したり(例:ある店の前を通ると「このお店は○○の店よ」といつも言う、等)、見た人についての感想を唐突に相手に聞こえてしまう声で言う行動も多い(例:あの人きれいだね、あの子うるさいね、等)。

 軽度の脱抑制は、親しい仲間といる時よりも、周囲の状況を見ながら行動を高度に制御しなければならない冠婚葬祭の場面だけで気づかれる事が多い。例えば、披露宴会場の扉が開いたら真っ先に会場に入室してしまった、故人との最後のお別れで棺に花を入れる際に他の人を押しのけて棺に近づく、法事で食事を一心不乱に食べて周囲の人と喋らない、披露宴で食事を食べ終わったら帰ろうと言うといった行動がある。

 脱抑制は近隣の家の庭の花を摘んで持って帰ったり、店で商品を持って店から出たりする行動で気づかれる場合もある。持ち出す物はしばしば小さめで、光沢があったり(化粧品、手鏡)、目を引く色(赤やピンクなど)であったりする場合が多い。変性疾患による脱抑制が万引き行動と異なるのは、上述の様な多彩で反社会的ではない被影響性亢進による行動が、店内だけではなく家庭内や道を歩いている時など生活全体にわたって認められるという点である。万引きだけを繰り返す状態が変性疾患のみで説明できることはない。

 これらの強制的な行動は繰り返されることが多いため常同行動とみなせる場合がある。

食行動の変化

 食行動異常を高頻度に認める[25][25]。食事を食べるスピードが速くなることが多い。甘い物やパンなど炭水化物を好んで食べるようになる例もある。食べ物をスプーン等で自分の口に運ぶ動作は疾患が進行して緘黙、歩行不能の状態となっても維持されることが多い。

視空間認知機能

 初期には良く保たれる[3] [3]。中期から末期に脳萎縮が高度な側の対側の上下肢に運動障害が出現する例で、運動障害と同側の空間無視が出現する例がある[26] [27] [26][27]。

神経症状・運動障害

 初期には運動機能は保たれ、神経学的異常を欠くことが多いとされるが[3] [3]、外見的に運動障害がないように見える例でも、診察により軽度の筋強剛や錐体路徴候(腱反射亢進や軽度のバビンスキー徴候など)が大脳萎縮の強い側の対側の上肢や下肢に認められることは稀ではない[28][28]。運動障害の軽微な症状は左右差のある明らかな上下肢の錐体路障害、パーキンソニズム、拘縮に移行する[26][26]。後方視的な検討では、SDを呈する代表的な疾患であるTDP-43陽性封入体を有するFTLD(FTLD-TDP)では、SDを呈する例の50%以上が脳萎縮の強い側の反対側に強調される左右差のある錐体路障害やパーキンソニズムを呈する[26][26]。このため最終的には歩行不能となり寝たきりとなる。四肢の運動障害の進行と共に、嚥下障害も出現し、誤嚥性肺炎を起こす。

検査所見

脳形態画像検査

CT(図2)、MRI(図3A)では側頭葉極に強い、左右差のある脳萎縮が認められる。扁桃核、海馬、島回も側頭葉萎縮の強い側と同側に強い萎縮を呈する[3] [3]。前頭葉皮質は側頭葉より萎縮が軽度で、左右差に関しては側頭葉と一致する。進行と共に側頭葉萎縮の強い側と同側の中心前回や下頭頂小葉の萎縮が出現する例がある[26][26]。

脳血流シンチグラフィー

 脳萎縮の左右差と一致して側頭葉に強い血流低下を認める(図3B) [3] [3]。前頭葉にはより軽度の血流低下を同じ左右差で認めることが多い。

診断基準

SDの診断基準 Nearyらが1998年に発表した診断基準[5][5]を表1に示す。

svPPAの診断基準 Gorno‐Tempiniらが2011年に発表した診断基準[9][10][9][10]を表2に示す。


鑑別診断

 意味記憶障害による物品呼称の障害や物を見て認識できない症状を、周囲が「物忘れ」と表現する事が多いためアルツハイマー病(Alzheimer’s disease: AD)と診断されることがある。海馬傍回に強い萎縮を認める事が多いため、側頭極の高度の萎縮を見慣れていないと、高度の海馬萎縮をADの支持的な所見と誤解しうる。SDでは側頭葉極は初期から左右差を持って萎縮するが、ADでは初期から同部位がそのような萎縮を呈することはない。SDでは扁桃核萎縮も初期から明らかで、側頭葉萎縮の左右差と一致した左右差を呈するが、これもADでは初期からは認められない。

SDは初期から意味記憶障害以外に前頭葉機能障害による軽度の行動異常を呈する例がしばしばある。このため意味記憶障害や言語の問題の存在を見落とすと行動異常型前頭側頭型認知症(behavioral variant frontotemporal dementia: bvFTD)と診断されうる。

bvFTDの最大50%はその診断の前に自閉症スペクトラム症、あるいは躁うつ病、統合失調症、強迫性疾患、嗜癖などの精神疾患と誤診されているが[29][29]、svPPAでも精神疾患と診断されている例が20%あるとの報告がある[11][11]。このようにFTLDは精神疾患と誤診されやすい。精神疾患とbvFTDの鑑別には、神経心理学的評価、MRIによる脳萎縮の評価(特に定量的統計解析)、18F-fluorodeoxyglucose PET、髄液中のニューロフィラメント軽鎖濃度が鑑別に有用で、C9orf72遺伝子におけるGGGGCCリピートの異常伸長の検索も重要と考えられているが[29][29]、SDと精神疾患の鑑別でも同様であると考えられる。

病因・病態

 SDでは側頭葉極に強い脳萎縮を認め、相対的に前頭葉は保たれ、側頭前頭型の萎縮を呈する。この萎縮分布パターンを取れば病理背景に関わらず臨床的にSDを呈しうると考えられるが、実際にはSDを呈する疾患で頻度が高いものはFTLD-TDPである。SD患者ではタウ陽性封入体が出現するタウオパチーの頻度が低い[30][30]。新皮質におけるTDP-43陽性病変は組織病理学的にtype Aからtype Dの4型がまず整理され(図4A~4C) [31][32][31][32]、後にtype Eが追加された[33][33]、SD患者のTDP-43病理学的サブタイプは長い変性神経突起を多く認めるtype C病理が高頻度である(図4C)。Manchester大のシリーズではSDを呈したFTLD-TDPの約90%を占め[30] [30]、本邦でのFTLD-TDPの剖検シリーズでも同様の傾向を認める[28] [26]。ただし、稀にtype A病理[30] [30]や、type B病理[28] [26]を有する例がある。特にtype B病理はTDP-43陽性封入体を有する筋萎縮性側索硬化症に強く関連する病理であるが、type BでSDを呈する例で経過中に四肢や舌の筋萎縮が出現し(図5A、 5B、 5C)、病理学的に上位・下位運動ニューロンの変性(図5D、 5E、 5F)と運動ニューロンにTDP-43陽性病変(図5G、 5H)を認める場合があるため、臨床実地では注意を要する。

 3Rタウ陽性4Rタウ陰性のピック小体を有するピック病でSDを呈する例はかなり稀であり、本邦の経過を追えた14例のシリーズではSDを呈した例はおらず[28] [26]、米国のブレインバンクのピック病21例でもSDを呈した例はいなかった[34][34]。英国のSDの剖検シリーズ24例においては、3例(12。5%)がPick小体を有するピック病、3例(12。5%)がADで、残りの18例(75%)がubiquitin陽性封入体を有するFTLDと報告されている(うち13例でTDP-43を検討し全例がFTLD-TDPであった) [35][35]。

 FTLD-TDPに関してはC9orf72遺伝子、valosin-containing protein(VCP)遺伝子、progranulin遺伝子の変異を有する例がある。

 嗜銀顆粒病は扁桃核や海馬といった辺縁系、それに連続する側頭葉皮質に病変が分布する疾患だが、SDを呈する例は極めて稀である。病理学的に皮質基底核変性症や進行性核上性麻痺と診断される例も生前にSDを呈することはなく、これも新皮質の萎縮が前頭葉穹隆面に強調され、側頭葉は極を含めて比較的よく保たれることと矛盾しない。

治療、経過、予後

 根本的治療薬はない。対症療法に関しては、選択的セロトニン再取り込み阻害剤(selective serotonin reuptake inhibitor)が脱抑制などの行動異常に有効であったとの報告があり、2017年の認知症疾患診療ガイドライン[36][36]では推奨されている(保険適応外使用)。

 非薬物的治療介入としては、エピソード記憶、手続き記憶、視空間認知機能が保たれることを利用した介入[37][37]、行動療法的な介入[38][38]、社会的に問題になる行動を別の行動に置き換える介入[39][39]の有効性が報告されている。介護の取り組みとして個別性の高い少人数ケアを行う事で精神症状、行動障害、生活の質が改善する可能性も報告されている[40][40]。比較的病初期から取りくんだ活動性は進行期にもルーチンとして保たれる場合が多く、福祉サービスの利用時に役立つ場合も少なくない[41][42][41][42]。SD例が好む個別の活動では、ジグソーパズルや数独などがあげられ、特異な方法で高い習熟を示す[43][43]。塗り絵などにも熱心な関心を示す例があり、言語機能が衰退した進行期にも、新たな創造性発現の可能性を秘めている[16][44][16][44]。

 SDは平成27年から指定難病の一つとなり、65歳未満の発症で重症度分類が3以上であるといった条件を満たした場合に医療助成が受けられるようになった。 SDの生命予後に関しては、平均死亡時年齢が69.7±5。8歳、50%生存期間は12.8年であったとの報告がある[35][35]。

疫学

 臨床診断SD100例の検討では、男女比は6:4、平均発症年齢が60.3±7.01歳、平均診断時年齢が64.24±7.1歳、平均施設入所時年齢が66.9±6.5歳であったとの報告がある[35] [35]。発症年齢については46%が65歳以上で診断され、7例は75歳以上で診断されていたとされる[35][35]。ただし、SDの代表的な病理であるFTLD-TDPの本邦の剖検シリーズの検討では、88.9%が65歳未満で発症しているため[28][26]、高齢発症のSDではFTLD-TDP以外の病理背景の頻度が高い可能性がある。萎縮の左右差がSDでは認められやすく、左優位萎縮例:右優位萎縮例が70:24であったとの報告があるが[35][35]、右優位例が多いシリーズの報告もある[45][45]。左優位萎縮例では失語を呈しやすいので脳神経内科を受診しやすく、右優位例は精神症状や行動異常が目立つ傾向があるため[35][35]、精神科を受診しやすいといった施設バイアスが生じやすいと推測され、左右差のデータの解釈には注意を要する[11][11]。

 欧米ではFTLDについて家族歴ある例が多く10~60%と高い頻度が報告される[46][46]。SD100連続例において2~7%の家族歴が推定されている[35][35]。一方、日本ではFTLDの家族例は極めて稀である[47][47]。

関連項目

参考文献

  1. Hodges, J.R., Patterson, K., Oxbury, S., & Funnell, E. (1992).
    Semantic dementia. Progressive fluent aphasia with temporal lobe atrophy. Brain : a journal of neurology, 115 ( Pt 6), 1783-806. [PubMed:1486461] [WorldCat] [DOI]
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