摂食制御の神経回路

2012年5月14日 (月) 17:12時点におけるHfunato (トーク | 投稿記録)による版

概要
摂食行動は視床下部を中心とした神経ネットワークによって制御されている。神経ネットワークの中核にはニューロペプチドY(NPY)産生細胞に代表される摂食行動を促進する神経細胞と、POMC産生細胞に代表される摂食行動を抑制する神経細胞が存在している。グルコースの他、グレリン、コレシストキニン、レプチンなど個体の栄養状態を反映するホルモンは、この神経ネットワークを介して、摂食行動の開始と終止、1日の摂食量、短期的または長期的な体重変動を制御している。


歴史
ネコを用いた破壊実験から、腹内側核に満腹中枢satiety centerがあり、外側野に空腹中枢feeding centerがあると考えられてきた。しかし、過去の破壊実験の多くは近傍の神経線維の破壊を伴うため、単純には解釈できない。例えば、外側野の破壊時には内側前脳束medial forebrain bundleも損傷するが、内側前脳束には摂食行動や報酬行動に重要なドパミン神経線維が豊富に存在する。腹内側核を破壊すると、弓状核からの腹内側核や室傍核への投射線維も破壊されるため、観察される摂食行動変化の原因が腹内側核と弓状核のどちらにあるかを決めることができない。しかし、Cre-loxPシステムを利用した遺伝子改変マウスをの開発により、特定の神経細胞集団での遺伝子発現変化が摂食行動や体重制御に与える影響を検討することが可能となり、この10年で摂食制御の神経ネットワークについての理解が大きく進展した。

摂食制御に関わる神経核

大脳
 島insula (島皮質)
島には味覚、嗅覚を含めたすべての感覚情報が集まるほか、情動、疼痛、恐怖に重要である。空腹時に島の活動が高まることから、摂食行動促進に関与していると考えられている。

 眼窩前頭皮質orbitofrontal cortex OFC
眼窩前島皮質には味覚情報が島周辺を経て集まる他、嗅覚や口腔感覚が集まる。つまり、摂食時の感覚がここで統合される。さらに、眼窩前島皮質は、側坐核や扁桃体と密な線維連絡を持ち、機能的も報酬行動、意思決定に重要な役割を果たすことが知られている。空腹時に活性化する部位である(Rolls 205)。

 側坐核
側坐核は腹側被蓋野からドパミン神経の投射を受ける。側坐核はMCH受容体を豊富に発現し、MCH神経の密な投射がある。側坐核にGABA受容体作動薬やグルタミン酸受容体拮抗薬を投与すると摂食行動が促進するが、とくに甘みや脂質に富んだ餌の摂取量が増加する。側坐核は、眼窩前頭皮質や島とも線維連絡があり、摂食の快さ、報酬行動的側面に基づいた摂食行動の促進に関与していると考えられている(Saper 2002)。

視床下部
 弓状核arcuate nucleus
弓状核は摂食行動制御の中心に位置すると考えられている。弓状核には、摂食行動を促進するニューロペプチドY(NPY)およびアグーチ関連ペプチドAgRPを産生する神経細胞と、摂食行動を抑制するαメラノサイト刺激ホルモン(α-MSH)を産生する細胞が存在する。NPY産生神経細胞とAgRP産生神経細胞はほぼ同一の細胞集団であることからNPY/AgRP神経細胞と記載されることもある。α-MSH はプロオピオメラノコルチンproopiomelanocortin POMC 神経細胞が産生するPOMCがプロセスされてα-MSHを産生する。POMC神経はCocaine-and amphetamineregulated transcript(CART)も産生することからPOMC/CART神経と記載されることもある。NPY、AgRP、α-MSHに加えて、摂食行動抑制作用を示すガラニン様ペプチドgalanin-like peptide (GALP) は視床下部では弓状核のみに発現している。また、弓状核はレプチン受容体やグレリン受容体が最も豊富に発現している部位である。
NPY/AgRP神経細胞はGABA作動性である。NPY/AgRP神経はレプチン受容体およびグレリン受容体を発現し、レプチンにより抑制性に、グレリンにより興奮性に制御される。NPY/AgRP神経細胞を(AgRPDTR/+にジフテリアトキシン投与)急性に脱落させると、摂食行動が低下する(Gropp et al., 2005)
POMC神経細胞の大部分はGABA作動性ではない。POMC神経はレプチン受容体を発現しレプチンにより興奮性に制御される。オレキシンの摂食、体重制御に重要なオレキシン2型受容体も豊富に発現している(Funato 2009)。POMC神経とオレキシン神経は双方向性に投射している。また、ATP感受性Kチャネルの変異型サブユニットをPOMC神経細胞に発現させ、POMC神経細胞のグルコースの感知が正常に機能しないマウスは、全身的に耐糖能が低下する(Parton et al 2007)。POMC神経細胞が摂食行動だけでなく糖代謝制御にも重要な役割を果たしている。
NPY/AgRP, POMC神経共に、細胞内エネルギーが負の状態で活性化するAMPKを発現しており、これらの細胞のAMPKはレプチンやインスリン、グルコースによって活性が落ちる(Minokoshi 2004)。POMC神経細胞のAMPK機能を低下させたマウスは軽度の肥満を示すが、AgRP神経細胞のAMPK機能を低下させたマウスの体重や摂食量はほぼ正常である(Claret 2007)。エストロゲンは摂食行動を抑制するが、エストロゲン受容体は弓状核に豊富に発現しており、エストロゲンによってPOMCの発現が増加する()。

Stat3 Socs


 腹内側核ventromedial nucleus
歴史的には満腹中枢とされてきたが、現在では支持されていない。腹内側核の一部の細胞に限局して発現するsteroidogenic factor-1 (SF-1)遺伝子を利用した遺伝子改変マウスの研究から、腹内側核のSF1神経特異的にレプチン受容体を欠失させると摂食量の増大や肥満を生じることが報告されている(Dhilllon Neuron2006)。内在性カンナビノイド系を活性化すると摂食行動促進、体重増加を引き起こす。カンナビノイド受容体CB1は腹内側核に豊富に存在している。

 背内側核
ラット、マウスは夜行性であるが、明期の一定時間に給餌するとその時間に覚醒するように成る。このような摂食行動に関連する概日リズムの調節時に視交叉上核の時計遺伝子の発現は変化しないことから、視交叉上核からの出力が途中で修飾を受けて特定の時間の覚醒行動を引き起こす。この修飾には背内側核が重要であると報告されている。

 室傍核
弓状核のNPY/AgRP神経およびPOMC神経の投射先として重要である。室傍核はα-MSHの受容体であるメラノコルチン4型受容体MC4Rが豊富であり、室傍核でのメラノコルチン4型受容体発現を低下させると肥満する(Balthasar et al Cell 2005)。つまり弓状核のOMC神経は室傍核に投射してα-MSH を分泌し、室傍核のメラノコルチン4型受容体に作用して摂食行動を抑制する。AgRPはMC4Rの逆作動薬inverse agonistとして作用し、摂食行動を促進する。NPYによる摂食行動促進には、Y1受容体とY5受容体が重要である。細胞内エネルギー状態のセンサーとしての役割を持つAMPKが存在し、メラノコルチン4型受容体シグナルによってAMPK活性が低下する(Minokoshi 2008)。ストレス応答時に分泌更新する副腎皮質ホルモン放出ホルモンCRHは室傍核内側の小細胞領域で産生される。CRHは摂食行動を抑制する効果がある。また、摂食抑制物質として報告されたネスファチン1も室傍核に発現している(Maejima et al 2009)。

 外側野
解剖学的境界が不明瞭であることから、外側核ではなく外側野と呼ばれる。従来の空腹中枢という考えは否定されているものの、外側野には摂食行動を促進するオレキシン、MCH、QRFPが発現している。オレキシンorexinは摂食行動を促進する物質として報告された。その後の研究からオレキシンの主な役割は覚醒を促進することであり、ラット、マウスでの摂食行動促進が明期に限局することから、覚醒行動促進に伴う効果としても説明ができる。メラニン凝集ホルモンMCHも(弱いながら)摂食行動を促進する。QRFP (Polyglutamylated arginine-phenylalanineamide peptide)は、急性投与で摂食行動を促進する。オレキシン、MCH、QRFPはそれぞれ異なる細胞集団が産生する。オレキシン神経、MCH神経とも弓状核、腹内側核、室傍核などの視床下部内への投射のほか、腹側被蓋野や縫線核などのモノアミン神経、交感神経系へ投射する。MCH神経やQRFP神経は側坐核へ投射する。

中脳
腹側被蓋野
ドパミンを産生しないマウスは摂食量が少なく生後数週で死亡する(Szczypka 1999)。摂食のヘドニックな価値を制御しており、ドパミン神経を活性化の程度と高めると、摂取するものへの嗜好性が高まる。ドパミン神経はレプチン受容体を発現しており、レプチンは摂取するものへの嗜好性を低下させる。(Domingos 2011)


 背側縫線核
背側縫線核に代表されるセロトニン神経も摂食や体重制御に関与しており、その作用機序としては5-HT2Cが重要と考えられており、5-HT2C作動薬は摂食行動を抑制する。背側縫線核にはレプチン受容体も豊富に発現しており、セロトニン神経のみでレプチン受容体の発現を無くすと、レプチン受容体欠損マウスと同様の著しい肥満を呈することから、レプチンによる摂食・体重制御の主な標的がセロトニン神経であるという報告もある。この場合、セロトニン神経は弓状核の5-HT1A, 2Bを介して摂食行動を抑制する (Yadav et al Cell 2009)。

 結合腕傍核parabrachial nucleus
結合腕傍核の活性化により悪心、嘔気、食思不振を引き起こす。
結合腕傍核は孤束核からの味覚情報の投射を受ける。
結合腕傍核は弓状核のNPY/AgRP神経の投射を受ける。このNPY/AgRP神経のGABAによる抑制性の作用によって結合腕傍核の摂食行動抑制作用が抑えられている(Wu, Cell2009)。孤束核からグルタミン酸作動性興奮性入力、縫線核からセロトニン作動性興奮性入力が入る(Wu Nature2012) 。
結合腕傍核から視床下部弓状核、腹内側核、室傍核へ上行性投射がある(Saper 2002)。

延髄
 孤束核nucleus tractus solitarius, solitary nucleus, NTS
味覚は摂食行動に影響を与える。味覚の1次感覚ニューロンは顔面神経、舌咽神経および迷走神経を経て孤束核に終止する。孤束核の2次ニューロンは結合腕傍核で線維を変え内側毛帯を上行して視床後内側腹側核小細胞部を経て、大脳皮質(43野、前頭弁蓋部島移行部など)へ投射する。ほかに前頭葉や扁桃体中心核へも投射がある。
孤束核にはNPY/AgRP神経の投射がある。大縫線核nucleus raphe magnusや不確縫線核nucleus raphe obscurusからのセロトニン作動性入力がセロトニン2C受容体を介して孤束核神経を興奮させ、次いで孤束核神経から結合腕傍核へのグルタミン酸作動性入力により摂食行動を抑制する。

 最後野area postrema
第四脳室壁に接する最後野は、脳室周囲器官circumventricular organの1つであり、脳血管関門を欠いているため血液中の物質、コレシストキニンcholecystokinin CCKやglucagon-like peptide GLP-1などを感知し摂食行動抑制(終止に関わる)することができる。迷走神経へて消化管からの入力を受ける。

末梢からの摂食神経回路制御
脂肪組織から分泌されるアディポサイトカインは摂食行動に影響をあたえる。特にレプチンは摂食行動抑制、体重減少を引き起こすことが知られており、レプチン機能低下により著しい肥満を生じる。摂食行動に関するレプチンの作用部位は弓状核、腹内側核、外側野、腹側被蓋野、背側縫線核などである。
グルコースやインスリンも摂食神経回路の活動に変化を与える。弓状核への影響が知られている。主に胃から分泌されるグレリンは、摂食前に血中濃度が上昇し、直接または迷走神経を介して視床下部に作用し摂食行動の開始を促す。
コレシストキニンは十二指腸、空腸に脂肪に富んだ食物が移行すると、小腸のI細胞から分泌される。中枢への作用は、迷走神経を介して摂食行動の抑制、特に一回の食事の終止に関わると考えられている。
腸管の拡張は迷走神経を刺激し摂食行動を抑制する。

PYY


摂食行動制御の時間的多階層性
摂食行動は複数のフィードバックループによって制御されていると考えられ、急性の効果はすぐに抑制される。グレリンは急性投与で非常に強い摂食行動促進効果を示すが、グレリンやその受容体を欠損したマウスの摂食行動はほぼ正常である。グレリンを持続的に投与した場合、摂食行動が増大するのは最初の数日である。同様にレプチンを持続的に投与した場合、摂食行動が低下し体重減少が続くのは最初の数日であり、その後は投与前よりは低い体重で安定する。摂食行動を制御する神経回路の働きは体重を安定的に保とうとする機構によって制御を受けている。

摂食行動制御神経回路の種差
神経回路の研究は遺伝子改変マウスなどの齧歯類での研究が大部分であるが、摂食という動物の生存に不可欠な行動を制御する回路は、進化上脳の形成とともに古く、NPY, AgRP, POMC, MCHオレキシンなどの神経ペプチドはzebrafishの視床下部に存在している。鳥類の視床下部には漏斗核(哺乳類の弓状核に相当)、腹内側核、背内側核、外側野が区別され、漏斗核にはNPY, AgRP, POMCを産生する神経細胞が存在する。NPYやAgRPによる摂食行動促進やレプチン、インスリン、コレシストキニンによる摂食行動抑制はchickenやzebrafishでも認められている。しかし、種による違いもあり、グレリンはchickenの摂食行動を抑制する(Volkoff 2006; Richards 2007)。
ヒトの摂食行動制御も脳幹部から視床下部までの基本的な神経回路は同様であると考えられているが、大脳皮質からの制御には違いがあると考えられ、摂食障害の病態にはこの点が必要である。

摂食行動研究の方法論的課題
摂食行動は実験施設でのマウス、ラットで定量的持続的に測定しやすいが、二次的な変化を見ていることを否定することは難しい。例えば、覚醒時間を増やす物質は二次的に摂食量増加をもたらす。より評価が難しいのは摂食量の低下であり、動物が不健康な状態になれば摂食量は低下するので、物質の投与による摂食量の低下が、生理的な意義を持つかどうかは、発現部位や関連する行動変化、絶食での発現変化などの検討が必要になる。