「放出確率」の版間の差分

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 放出確率とは、シナプス前終末への活動電位(インパルス)の到達に伴ってシナプス小胞が開口して小胞内に貯蔵されていた神経伝達物質がシナプス間隙に放出される確率であるが、次に記述するような2つの異なる事象を対象としている用語であるので、注意を要する。Bernard Katz によって提唱された素量的(量子的)放出確率quantum release probability (1954)は、神経筋接合部での物理的現象を指標として解析された小胞開口放出確率である。その後、中枢神経シナプスで生理的現象を指標としての解析から計算された放出確率release probabilityはインパルスによって駆動される神経伝達物質放出確率である。数多くの研究から、神経筋接合部終板シナプスとはシナプス形態が異なる中枢神経や自律神経のシナプスには、素量的放出確率を適用できないと考えられている(Stevens, 2003)。
 放出確率とは、シナプス前終末への活動電位(インパルス)の到達に伴ってシナプス小胞が開口して小胞内に貯蔵されていた神経伝達物質がシナプス間隙に放出される確率であるが、次に記述するような2つの異なる事象を対象としている用語であるので、注意を要する。Bernard Katz によって提唱された素量的(量子的)放出確率quantum release probability<ref name=ref1><pubmed>13175199</pubmed></ref>は、神経筋接合部での物理的現象を指標として解析された小胞開口放出確率である。その後、中枢神経シナプスで生理的現象を指標としての解析から計算された放出確率release probabilityはインパルスによって駆動される神経伝達物質放出確率である。数多くの研究から、神経筋接合部終板シナプスとはシナプス形態が異なる中枢神経や自律神経のシナプスには、素量的放出確率を適用できないと考えられている<ref name=ref2><pubmed>14556715</pubmed></ref>。
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#シナプス前細胞とシナプス後細胞とのペアに形成されているシナプスの数(シナプス後細胞に接合するシナプス前終末ボタンの数)
#シナプス前細胞とシナプス後細胞とのペアに形成されているシナプスの数(シナプス後細胞に接合するシナプス前終末ボタンの数)
#それぞれの[[シナプス終末]]ボタンの活性帯Active zoneの数
#それぞれの[[シナプス終末]]ボタンの活性帯Active zoneの数
#1つの活性帯において、インパルスがシナプス前細胞から1つあるいはそれ以上のシナプス小胞に含まれる伝達物質素量の放出を引き起こす確率、という3つの要因に依存している (カンデル神経科学5版、ニューロンの生理学)
#1つの活性帯において、インパルスがシナプス前細胞から1つあるいはそれ以上のシナプス小胞に含まれる伝達物質素量の放出を引き起こす確率、という3つの要因に依存している <ref name=ref3>カンデル神経科学第5版<br>12章伝達物質放出<br>持田澄子訳<br>''メデフィカル・サイエンス・インターナショナル出版''</ref> <ref name=ref4>ニューロンの生理学<br>17章伝達物質放出<br>持田澄子訳<br>''京都大学学術出版会''</ref>


==神経筋接合部終板の構造と素量的(量子的)放出確率==
==神経筋接合部終板の構造と素量的(量子的)放出確率==
===神経筋接合部終板の構造===
===神経筋接合部終板の構造===
[[image:放出確率1.png|thumb|350px|'''図1.神経筋接合部終板の構造図(左)と電子顕微鏡像(右)'''<br>運動神経が骨格筋にシナプスを形成する際、終板という特殊構造をとる。(左)運動神経終末は40 μmほどに膨大し、シュワン細胞 Schwann cellに取り囲まれた終板End plateを形成する。神経終末には活性帯Active zoneと[[カルシウムチャネル]]が並列する(Robitaille, Adler, and Charlton, 1990)。50 nmほどのシナプス間隙Synaptic cleftを挟んで[[骨格筋]]は接合部ひだJunctional fold構造をとる。(右)運動[[神経終末]]内に多数存在するシナプス小胞のうち、いくつかが活性帯active zoneに接合している (Hirsh, 2007)。]]
[[image:放出確率1.png|thumb|350px|'''図1.神経筋接合部終板の構造図(左)と電子顕微鏡像(右)'''<br>運動神経が骨格筋にシナプスを形成する際、終板という特殊構造をとる。(左)運動神経終末は40 μmほどに膨大し、シュワン細胞 Schwann cellに取り囲まれた終板End plateを形成する。神経終末には活性帯Active zoneと[[カルシウムチャネル]]が並列する<ref name=ref5><pubmed>1980068</pubmed></ref>。50 nmほどのシナプス間隙Synaptic cleftを挟んで[[骨格筋]]は接合部ひだJunctional fold構造をとる。(右)運動[[神経終末]]内に多数存在するシナプス小胞のうち、いくつかが活性帯active zoneに接合している<ref name=ref6><pubmed>17573397</pubmed></ref>。]]


===神経筋接合部終板の素量的放出確率(Katzの素量的放出確率)===
===神経筋接合部終板の素量的放出確率(Katzの素量的放出確率)===
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===神経筋接合部とシナプスでの違い===
===神経筋接合部とシナプスでの違い===
 mの値にはばらつきがあり、[[脊椎動物]]神経筋接合部、[[ヤリイカ]]巨大シナプスやアメフラシ中枢神経では100~300にもなるが、脊椎[[動物]]の交感神経や脊髄シナプスではわずか1~4である。放出確率 p にもばらつきがあり、高い例としては[[カエル]]神経筋接合部の0.7、毛ガニ神経筋接合部の0.9、低い例としては一部の中枢シナプスの0.1という値まで、広範にわたって計測されている (カンデル神経科学5版)
 mの値にはばらつきがあり、[[脊椎動物]]神経筋接合部、[[ヤリイカ]]巨大シナプスやアメフラシ中枢神経では100~300にもなるが、脊椎[[動物]]の交感神経や脊髄シナプスではわずか1~4である。放出確率 p にもばらつきがあり、高い例としては[[カエル]]神経筋接合部の0.7、毛ガニ神経筋接合部の0.9、低い例としては一部の中枢シナプスの0.1という値まで、広範にわたって計測されている<ref name=ref3 />


 [[海馬]]などの中枢シナプスでは活性帯に多数の小胞がドッキングしているが、単発インパルスは1つの活性帯ごとにせいぜい1個のシナプス小胞の開口放出しか誘起しないと報告されている。また、活性帯の数は決まっているが、小胞が集積する部位は変化すると考えられている (Stevens, 2003)
 [[海馬]]などの中枢シナプスでは活性帯に多数の小胞がドッキングしているが、単発インパルスは1つの活性帯ごとにせいぜい1個のシナプス小胞の開口放出しか誘起しないと報告されている。また、活性帯の数は決まっているが、小胞が集積する部位は変化すると考えられている<ref name=ref2 />


==中枢シナプスの構造と神経伝達物質放出確率==
==中枢シナプスの構造と神経伝達物質放出確率==
===中枢シナプスの構造===
===中枢シナプスの構造===
[[image:放出確率2.png|thumb|350px|'''図2.中枢シナプスの電子顕微鏡像(左)と構造図(右)'''<br>興奮性神経は樹状突起スパインにシナプスを形成する。(左)海馬CA1領域のシナプス前終末には250 nμmほどの活性帯Active zoneにシナプス小胞を繋ぎ止める三角錐状構造物が認められる。シナプス間隙Synaptic cleftを挟んで樹状突起スパインはPSD [[Postsynaptic density]]構造をとる。(右)シナプス前終末内に存在するシナプス小胞のいくつかが活性帯に接合(青い小胞し、三角錐状構造物(ピンク)に繋ぎ止められている(黄色い小胞)(Lisman, Raghavachari, and Tsien, 2007)。]]
[[image:放出確率2.png|thumb|350px|'''図2.中枢シナプスの電子顕微鏡像(左)と構造図(右)'''<br>興奮性神経は樹状突起スパインにシナプスを形成する。(左)海馬CA1領域のシナプス前終末には250 nμmほどの活性帯Active zoneにシナプス小胞を繋ぎ止める三角錐状構造物が認められる。シナプス間隙Synaptic cleftを挟んで樹状突起スパインはPSD [[Postsynaptic density]]構造をとる。(右)シナプス前終末内に存在するシナプス小胞のいくつかが活性帯に接合(青い小胞し、三角錐状構造物(ピンク)に繋ぎ止められている(黄色い小胞)<ref name=ref7><pubmed>17573397</pubmed></ref>。]]


===中枢シナプスでの伝達物質放出確率===
===中枢シナプスでの伝達物質放出確率===
 中枢神経系では、ほとんどのシナプス前終末に活性帯が1つしかなく、単発インパルスは、多くとも1つのシナプス小胞から1素量の伝達物質を「全か無か」で放出する。しかし、カリックス構造をとるシナプス前終末には、多数の活性帯があり、単発インパルスに応答して多数のシナプス小胞から多くの素量を放出することができる。また、シナプス後細胞へのシナプス前細胞のシナプス形成の数にばらつきがある。さらに、1つの活性帯からの伝達物質の平均確率は、シナプス前終末ごとにばらつきがあり、0.1未満から0.9以上までさまざまである (カンデル神経科学, 5版)
 中枢神経系では、ほとんどのシナプス前終末に活性帯が1つしかなく、単発インパルスは、多くとも1つのシナプス小胞から1素量の伝達物質を「全か無か」で放出する。しかし、カリックス構造をとるシナプス前終末には、多数の活性帯があり、単発インパルスに応答して多数のシナプス小胞から多くの素量を放出することができる。また、シナプス後細胞へのシナプス前細胞のシナプス形成の数にばらつきがある。さらに、1つの活性帯からの伝達物質の平均確率は、シナプス前終末ごとにばらつきがあり、0.1未満から0.9以上までさまざまである<ref name=ref3 />


 このように中枢神経のシナプス伝達効率には大きなばらつきがあり、シナプス伝達の信頼性 (reliability)は、シナプス前細胞での単発インパルスが1素量以上の伝達物質を放出する確率として定義される一方、シナプス伝達の効率 (efficacy) は、シナプス応答の平均振幅を意味し、その値はシナプス伝達の信頼性とシナプス応答の大きさの両方に依存する。
 このように中枢神経のシナプス伝達効率には大きなばらつきがあり、シナプス伝達の信頼性 (reliability)は、シナプス前細胞での単発インパルスが1素量以上の伝達物質を放出する確率として定義される一方、シナプス伝達の効率 (efficacy) は、シナプス応答の平均振幅を意味し、その値はシナプス伝達の信頼性とシナプス応答の大きさの両方に依存する。
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 Katzが提唱した素量的放出確率では、単発インパルスで多数のシナプスが活性化されることを前提としている。ところが、その放出部位が、[[膜融合]]可能な1つの小胞か、1つの活性帯か、多数の活性帯をもつ1つのシナプスかが特定されていない。仮に放出部位が1つの活性帯であれば、放出確率とは複数の放出可能な小胞のうちの1つの小胞が放出される確率である。すなわち、ドッキング・プライミングした小胞の数に依存する。一方、放出部位が放出可能な小胞release-ready vesicle であるとすれば、放出確率とはその小胞の膜への融合確率を意味する。
 Katzが提唱した素量的放出確率では、単発インパルスで多数のシナプスが活性化されることを前提としている。ところが、その放出部位が、[[膜融合]]可能な1つの小胞か、1つの活性帯か、多数の活性帯をもつ1つのシナプスかが特定されていない。仮に放出部位が1つの活性帯であれば、放出確率とは複数の放出可能な小胞のうちの1つの小胞が放出される確率である。すなわち、ドッキング・プライミングした小胞の数に依存する。一方、放出部位が放出可能な小胞release-ready vesicle であるとすれば、放出確率とはその小胞の膜への融合確率を意味する。
*なぜ放出確率は変化する?
*なぜ放出確率は変化する?
 放出確率は[[カルシウムイオン]]の流入量により変化し、神経活動歴によっても変化する。これらの現象は、[[カルシウム]][[イオン]]が放出確率を制御することを示唆し、短期シナプス前可塑性を説明する。カルシウムイオンに加えて、膜融合マシナリータンパク質や活性帯タンパク質の機能がシナプス活動依存的にリン酸化酵素などの調節をうけ、放出確率を変化させることが示され(Mochida et al., 2016)、今後の詳細な解析が期待される。
 放出確率は[[カルシウムイオン]]の流入量により変化し、神経活動歴によっても変化する。これらの現象は、[[カルシウム]][[イオン]]が放出確率を制御することを示唆し、短期シナプス前可塑性を説明する。カルシウムイオンに加えて、膜融合マシナリータンパク質や活性帯タンパク質の機能がシナプス活動依存的にリン酸化酵素などの調節をうけ、放出確率を変化させることが示され<ref name=ref8>'''Mochida, S. et al.,'''<br>SAD-B phosphorylation of CAST controls active zone vesicle recycling for synaptic depression. <br>''Cell reports'' in press. 2016</ref>、今後の詳細な解析が期待される。
*なぜ放出確率は1でないのか?
*なぜ放出確率は1でないのか?
 Katzが提唱した素量的放出確率は、シナプス小胞の放出部位への衝突確率を前提として考案された。しかし、その後のシナプス前終末タンパク質の機能解析の結果、シナプス小胞の開口放出に備えてrelease-ready vesicleは活性帯に様々なタンパク質複合体を介してドッキイング・プライミンしており、カルシウムイオンの流入によってカルシウムセンサータンパク質と、膜融合マシナリー (SNARE) タンパク質複合体の働きによって、開口放出が駆動されると考えられる。インパルスが一本の神経[[軸索]]の分岐した終末、あるいはバリコシティシナプスの放出部位を一様にカルシウム濃度上昇の起こすとしたら、1つの活性帯であるか、多数の活性帯であるかにかかわらず、1の確率で放出されるはずである。なぜ放出確率は1でないのか?放出確率を制御する未知のタンパク質が存在するのか?
 Katzが提唱した素量的放出確率は、シナプス小胞の放出部位への衝突確率を前提として考案された。しかし、その後のシナプス前終末タンパク質の機能解析の結果、シナプス小胞の開口放出に備えてrelease-ready vesicleは活性帯に様々なタンパク質複合体を介してドッキイング・プライミンしており、カルシウムイオンの流入によってカルシウムセンサータンパク質と、膜融合マシナリー (SNARE) タンパク質複合体の働きによって、開口放出が駆動されると考えられる。インパルスが一本の神経[[軸索]]の分岐した終末、あるいはバリコシティシナプスの放出部位を一様にカルシウム濃度上昇の起こすとしたら、1つの活性帯であるか、多数の活性帯であるかにかかわらず、1の確率で放出されるはずである。なぜ放出確率は1でないのか?放出確率を制御する未知のタンパク質が存在するのか?