「模倣」の版間の差分

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英語名imitation フランス語 ドイツ語 イタリア語 imitazione<br>同義語 mimicry mimic copy 真似 まね 物真似 ものまね 人真似 ひとまね マネ<br><br>  
英語名imitation フランス語 ドイツ語 イタリア語 imitazione<br>同義語 mimicry mimic copy emulation 真似 まね 物真似 ものまね 人真似 ひとまね マネ<br><br>  


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概要500語程度<br>  
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模倣は他者の運動を見てそれと同じ運動を行うことである。学習の一方法であり
模倣とは他者の運動を見てそれと同じ運動を行うことである。ヒトに普遍的にみられる文化的行為であり、観察学習の一方法として捉えられることもある 一方、ヒトは無目的、あるいは遊びとして模倣をすることもある。ヒト以外では鳴き鳥などの音声学習が模倣によるものと考えられている。神経心理学では1900年のLiepmannの観念運動失行の報告に始まり現在に至るまで模倣の脳基盤は左頭頂葉が最も重要とされている。模倣は他者の運動意図を理解するという社会的知性の現れとして見ることも可能であり、社会性の脳基盤研究の立場からも注目されている。これに関して サルのF5で発見されたミラーニューロンが他者の行為を理解する神経基盤であるとし、ヒトの模倣もF5ホモログであるブローカ野が重要な寄与をしていると する主張がある。模倣の脳基盤研究における問題点は模倣とはなにかという定義がなされていないということである。模倣には同一目的の達成から運動自体の正 確なコピーに至るまで様々なレベルが含まれうるし、各レベルでの模倣はその心理学的・神経学的本質が異なる可能性がある。脳機能画像法研究ではその差異 を明確に区別せずに脳基盤の研究が行われており、実験結果のみならずその解釈も多様である。
 
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動物における模倣<br>動物に模倣能力があることを示す科学的証拠はこれまで少なかった。チンパンジーではヒトと長く接することや訓練により任意の動作の模倣ができるようになったという報告がある(Custance, Whiten et al. 1995)。最近では共同注視(joint visual attention)によってニホンザルがヒトの運動の模倣をすることができたという報告(Kumashiro, Ishibashi et al. 2003)や、イヌにも限定的だが人の系列行動を模倣する能力があることを示した報告がある(Topal, Byrne et al. 2006)。ただし、サルや霊長類においては道具や食料およびそれらを結びつける因果関係に重点があり、他個体が得たのと同様の結果を得るための問題解決行動&lt;emulation&gt;であり、他個体の運動自体をコピーしようとする行為ではないという批判がある(Tomasello and Call 1997)。さらに批判するならば、動物に模倣が可能かという問は、即時的直接目的を持たない運動をコピーする、いわばコピー自体を目的とする運動をする、というゲームのルールが動物に了解されうるか、ということも問われねばならいのではないか。文化の伝播を模倣の範疇に入れるならば道具を使用する大型霊長類やイルカ(Krützen, Mann et al. 2005)、あるいはイモ洗い文化を持つ幸島のニホンザル(Kawai 1965)など模倣能力があると言える。鳴き鳥・オウム・ハチドリなどの鳥類、蝙蝠・クジラ目・象におけるv音声学習などは模倣による学習と考えられる(Jarvis 2006)。動物の模倣に関する最近の総説として(Bloch 2008)がある。  
動物における模倣<br>動物に模倣能力があることを示す科学的証拠はこれまで少なかった。チンパンジーではヒトと長く接することや訓練により任意の動作の模倣ができるようになったという報告がある(Custance, Whiten et al. 1995)。最近では共同注視(joint visual attention)によってニホンザルがヒトの運動の模倣をすることができたという報告(Kumashiro, Ishibashi et al. 2003)や、イヌにも限定的だが人の系列行動を模倣する能力があることを示した報告がある(Topal, Byrne et al. 2006)。ただし、サルや霊長類においては道具や食料およびそれらを結びつける因果関係に重点があり、他個体が得たのと同様の結果を得るための問題解決行動&lt;emulation&gt;であり、他個体の運動自体をコピーしようとする行為ではないという批判がある(Tomasello and Call 1997)。さらに批判するならば、動物に模倣が可能かという問は、即時的直接目的を持たない運動をコピーする、いわばコピー自体を目的とする運動をする、というゲームのルールが動物に了解されうるか、ということも問われねばならいのではないか。文化の伝播を模倣の範疇に入れるならば道具を使用する大型霊長類やイルカ(Krützen, Mann et al. 2005)、あるいはイモ洗い文化を持つ幸島のニホンザル(Kawai 1965)など模倣能力があると言える。鳴き鳥・オウム・ハチドリなどの鳥類、蝙蝠・クジラ目・象における音声学習などは模倣による学習と考えられる(Jarvis 2006)。動物の模倣に関する最近の総説として(Bloch 2008)がある。  


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2012年4月25日 (水) 10:05時点における版

英語名imitation フランス語 ドイツ語 イタリア語 imitazione
同義語 mimicry mimic copy emulation 真似 まね 物真似 ものまね 人真似 ひとまね マネ


概要500語程度

模倣とは他者の運動を見てそれと同じ運動を行うことである。ヒトに普遍的にみられる文化的行為であり、観察学習の一方法として捉えられることもある 一方、ヒトは無目的、あるいは遊びとして模倣をすることもある。ヒト以外では鳴き鳥などの音声学習が模倣によるものと考えられている。神経心理学では1900年のLiepmannの観念運動失行の報告に始まり現在に至るまで模倣の脳基盤は左頭頂葉が最も重要とされている。模倣は他者の運動意図を理解するという社会的知性の現れとして見ることも可能であり、社会性の脳基盤研究の立場からも注目されている。これに関して サルのF5で発見されたミラーニューロンが他者の行為を理解する神経基盤であるとし、ヒトの模倣もF5ホモログであるブローカ野が重要な寄与をしていると する主張がある。模倣の脳基盤研究における問題点は模倣とはなにかという定義がなされていないということである。模倣には同一目的の達成から運動自体の正 確なコピーに至るまで様々なレベルが含まれうるし、各レベルでの模倣はその心理学的・神経学的本質が異なる可能性がある。脳機能画像法研究ではその差異 を明確に区別せずに脳基盤の研究が行われており、実験結果のみならずその解釈も多様である。


定義

模倣の神経基盤を明らかにするには模倣とは何か明確な定義が必要だが、現状では共通の定義のないまま模倣という概念が使用されている。しかし模倣という概念は他者の行為を観察して学習するというレベルから運動そのもののコピーというレベルまで含み得るが、その神経基盤はレベルごとに異なる可能性があるので少なくとも研究ごとに模倣という概念を定義すべきである。認知心理学では観察対象の行為の結果と同じ結果が得られるように行為することを<emulation>と呼んで模倣<imitation>と区別することがある(Whiten, Horner et al. 2004)。Whitenらはimitationとemulationを社会学習の下位範疇として図1の様に分類した(Whiten, Horner et al. 2004)。運動のコピーにもいくつかのレベルがある。運動には効果器の選択や運動軌跡に加え、スピード・強度・リズムなど様々な時間的修飾成分もあり、どの成分をコピーしても文脈に応じて模倣と呼ぶことは可能であろう。例えば、音声言語の模倣では声色をまねること、話し方をまねること、同じ文を言うこと、同じ内容を言うこと、など全て模倣として認めてもよいだろう。ただしそれら各レベルでの模倣の神経基盤が共通であるとする根拠はない。
  明確な定義が与えられれば模倣運動の成否を判断する為の基準も得られるはずだが、客観的なパラメータを厳密に決定することは実際には難しい。成否を判断する必要があるのは、例えばサッカーのオーヴァーヘッドキックドや玉を4つ使うジャグリングなど難しい運動は真似をしても失敗したら真似したことにならないからである。厳密に評価をするならば、他者の運動そのものを忠実にコピーすることは、運動器の大きさが違うため不可能である。評価基準を緩めていけば成否の判断は可能であろうが、具体的に行うのは難しい。このことは模倣が運動学的には曖昧な概念であることを示している。むしろ他者の「模倣している」という意図を検出したり、「真似されている」と感じたりする社会心理学的現象ないしはそれを可能ならしめる社会的知性こそが模倣を存立せしめる要件であるといえる。他者の動きを真似することは運動意図を理解・共有したことを示し、仲間として共同運動が可能であることを示す。あるいは模倣は対象への注意深い観察を前提とするため、他者に模倣されることに敏感であることは社会的知性を持つことの一つの帰結であると考えることもできるだろう。


動物における模倣
動物に模倣能力があることを示す科学的証拠はこれまで少なかった。チンパンジーではヒトと長く接することや訓練により任意の動作の模倣ができるようになったという報告がある(Custance, Whiten et al. 1995)。最近では共同注視(joint visual attention)によってニホンザルがヒトの運動の模倣をすることができたという報告(Kumashiro, Ishibashi et al. 2003)や、イヌにも限定的だが人の系列行動を模倣する能力があることを示した報告がある(Topal, Byrne et al. 2006)。ただし、サルや霊長類においては道具や食料およびそれらを結びつける因果関係に重点があり、他個体が得たのと同様の結果を得るための問題解決行動<emulation>であり、他個体の運動自体をコピーしようとする行為ではないという批判がある(Tomasello and Call 1997)。さらに批判するならば、動物に模倣が可能かという問は、即時的直接目的を持たない運動をコピーする、いわばコピー自体を目的とする運動をする、というゲームのルールが動物に了解されうるか、ということも問われねばならいのではないか。文化の伝播を模倣の範疇に入れるならば道具を使用する大型霊長類やイルカ(Krützen, Mann et al. 2005)、あるいはイモ洗い文化を持つ幸島のニホンザル(Kawai 1965)など模倣能力があると言える。鳴き鳥・オウム・ハチドリなどの鳥類、蝙蝠・クジラ目・象における音声学習などは模倣による学習と考えられる(Jarvis 2006)。動物の模倣に関する最近の総説として(Bloch 2008)がある。


ヒトにおける模倣
未開社会における模倣
言語・音楽・舞踏などのように、模倣もいかなる人間集団にも見られる普遍的認知能力のようである。チャールズ・ダーウィンは「ビーグル号航海記」(1839)の第十章に、ダーウィン一行の咳や欠伸をフエゴ人がいちいち模倣し苛立ったと書いている(Darwin 1839)。一人の若いフエゴ人はダーウィンらの英語をそっくり真似することができ、ダーウィンはそのコピー能力に驚嘆している。またオーストラリア・アボリジニにおける歩行を真似することで個人を指示しうる能力についても触れ、未開状態の人類における観察の鋭さにその高い模倣能力の原因を求めている。

発達
新生児の模倣(Meltzoff and Moore 1977)は舌の突出運動のみに限られるため(図2)、一般的な模倣メカニズムとは違うと考えられる(Anisfeld 1996)。最近の総説によると2歳までは模倣は見られないという(Jones 2009)。また、自閉症者は様々な模倣課題において問題があるとされている(Rogers 1999)。


図2 新生児の模倣 Meltzoff & Moore (1977) 


神経メカニズム
神経心理学
模倣の神経メカニズムの研究は1900年のLiepmannの観念運動失行の症例報告を嚆矢とする(Liepmann 1900)。観念運動失行とは感覚や単純な運動には障害が存在しないのに動作の模倣や口頭命令による動作が出来ないという病態を指し、左頭頂葉に蓄えられた習熟行為の運動表象の記憶が破壊されることで生じると考えられている。近年のMRIやCTなどによって病巣が正確に同定された研究においても一貫して左頭頂葉が最も重要な病巣である。手指の型の模倣は左下前頭回、手の型の模倣は左下頭頂葉と分離しているという報告もある(Goldenberg and Karnath 2006)。


神経画像法
PET、fMRI、MEG等を使った神経画像法による模倣の神経メカニズムの研究ではIacoboni等による1999年のScience論文の影響が強い(図3)。この研究では指の上下運動をビデオで提示してそれを模倣させる条件と静止した手の画像上に動かすべき指を指示する条件とを比較し、ブローカ野(左半球ブロードマン皮質地図44野)の活動が模倣条件で高くなることが見出された。Iacoboni等はこの結果をサルにおけるブローカ野ホモローグであるF5がミラーニューロンを含むということと結び付け、ブローカ野が模倣の中枢であると主張した。その後、この仮説を支持する研究が多く発表された(Wohlschläger and Bekkering 2002) (Heiser, Iacoboni et al. 2003)。この実験では指の運動をヴィデオで提示してはいるが、被験者は指の上げ下げのタイミングを抽出しさえすれば十分であり、模倣の特徴を十分捉えた課題であったか疑問である。実際、模倣対象となる運動のパターンを増やした実験では、ブローカ野は運動タイミングのコントロールに関与するが、模倣そのものには関与しないという結果が得られた(Makuuchi 2005)。また、神経心理学研究の結果と一致して、模倣運動による左頭頂葉の賦活を見出した研究は多い(Hermsdoerfer, Goldenberg et al. 2001; Makuuchi, Kaminaga et al. 2005; Muehlau, Hermsdoerfer et al. 2005)。脳機能画像法データのメタ分析によっても模倣による脳賦活は下前頭回ではなく頭頂葉に集中することが明らかにされている(Molenberghs, Cunnington et al. 2009; Caspers, Zilles et al. 2010)。
ミラーニューロンが存在するサルのF5とヒトのブローカ野がホモログであるという仮説は、少なくともサルには自発的に模倣することは見られないし(Whiten and Ham 1992) (Visalberghi and Fragaszy 2002)、解剖学的に異説もある(Petrides, Cadoret et al. 2005)など模倣と直接関係付けるには証拠が弱い。また、サルのミラーニューロンのような性質はヒトの神経画像法データでは再現性に乏しいことがメタ分析で指摘された(Turella, Pierno et al. 2009)。以上より、ミラーニューロン的性質を持った皮質領域の存在を根拠に模倣の神経メカニズムを単純に説明することは難しいと思われる。ミラーニューロン仮説で想定される様に他者の運動の視覚像を観察者の運動へ変換する感覚運動(sensorimotor)仮説と、他者の運動視覚像が運動意図を惹起し、観察者に同じ運動を導くとする観念運動(ideomotor)仮説とを比較した場合、前者はどうやって運動視覚像を自己の運動指令に変換するのかという難問を解かねばらない。一方観念運動仮説は様々な実験観察を上手く説明できるとしている(Massen and Prinz 2009)。


(担当者 幕内 充 編集者 定藤規弘)