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<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0102345 上北朋子、 イラスト:奥村紗音美]</font><br>
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0102345 上北 朋子] イラスト:奥村 紗音美</font><br>
''同志社大学 心理学部心理学科''<br>
''同志社大学 心理学部心理学科''<br>
DOI [[XXXX]]/XXXX 原稿受付日:2012年5月2日 原稿完成日:2013年X月XX日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年3月13日 原稿完成日:2013年7月2日 一部改訂:2021年6月3日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/atsushiiriki 入來篤史](独立行政法人理化学研究所)
担当編集委員:[http://researchmap.jp/atsushiiriki 入來篤史](独立行政法人理化学研究所)
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英語名:object exploration  
英語名:object exploration  


{{box|text= (動物は環境を自発的に探索することにより、環境内にある物体そのものの情報や複数の物体の配置に関する知識を獲得し、環境の変化を察知することができる。物体探索行動に関わる物体の認知や空間および環境の認知は、異なる神経基盤によって支えられていることが、損傷研究や薬理学的研究から明らかになっている。}}  
{{box|text= 動物が環境を探索する時、目新しい物体に対しては時間をかけて探索を行い、何度も探索を繰り返すことにより馴化が生じる。馴化の後、新しい物体を提示することや、物体の位置を変化させることによって、探索行動は増加する。このように物体探索は、環境内に生じた変化に対して、動物が自発的に接近する行動であり、動物のもつ新奇な事象に対する好奇心が動機づけとなっている。物体自体の認知と物体の空間的配置の認知は、異なる神経基盤によって支えられている。}}  


== 物体探索とは  ==
== 物体探索とは  ==


 動物が環境を探索する時、目新しい物体に対しては時間をかけて探索を行い、すでに探索が行われ馴染んだ物体には探索量が減少する。しかし、馴染んだ物体であっても、物体間の位置関係が変化した場合や、物体の置かれた環境が変化した場合に探索行動が増加する。このように物体探索行動は、環境内に生じた新たな変化に対して、動物が自発的に接近する行動であり、動物のもつ新奇な事象に対する[[嗜好性]](novelty preference)<ref><pubmed>20060020</pubmed></ref>や[[好奇心]](curiosity)<ref><pubmed>5328120</pubmed></ref>が動機づけとなっている。
 動物が環境を探索する時、目新しい物体に対しては時間をかけて探索を行い、何度も探索を繰り返すことにより馴化(habituation)が生じ、探索量が減少する。しかし、すでに馴化が生じた馴染物体であっても、物体間の位置関係が変化した場合や、物体の置かれた環境が変化した場合に探索行動が増加する。このように物体探索行動は、環境内に生じた新たな変化に対して、動物が自発的に接近する行動であり、動物のもつ新奇な事象に対する[[嗜好性]](novelty preference)<ref><pubmed>20060020</pubmed></ref>や[[好奇心]](curiosity)<ref><pubmed>5328120</pubmed></ref>が動機づけとなっている。


 物体や物体の位置、物体の置かれた環境を実験的に操作し、探索行動に及ぼす局所的脳破壊や薬物投与の効果を調べることにより、物体の[[認知]]、位置の認知、および環境の認知に関わる脳領域を明らかにすることができる。  
 物体や物体の位置、物体の置かれた環境を実験的に操作し、探索行動に及ぼす局所的脳破壊や薬物投与の効果を調べることにより、物体の[[認知]]、位置の認知、および環境の認知に関わる脳領域を明らかにすることができる。  
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== 物体探索課題  ==
== 物体探索課題  ==


 この課題は、主として物体そのものの認知や位置および環境の認知を測定するために使用される。物体探索課題では、実験アリーナに複数の物体を配置し、これを動物に探索させる。実験場面や物体への馴染みが生じた後に、物体や物体の配置および環境を変化させ、これらの変化に対して、探索行動が増加するかを検討する。この課題は、食餌制限による動機づけの操作や、課題のルールに関する先行訓練が必要でなく、簡便な行動課題として広く使用されている。
 この課題は、主として物体の認知や位置および環境の認知を測定するために使用される。物体探索課題では、実験アリーナに複数の物体を配置し、これを動物に探索させる。実験場面や物体への馴化が生じた後に、物体や物体の配置および環境を変化させ、これらの変化に対して、探索行動が増加するかを検討する。この課題は、食餌制限による動機づけの操作や、課題のルールに関する先行訓練が必要でなく、簡便な行動課題として広く使用されている。


=== 物体探索行動の定義  ===
=== 物体探索行動の定義  ===
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==== 位置の変化 ====
==== 位置の変化 ====


[[Image:Uekita Ob Fig.2.jpg|thumb|350px|'''図2.位置(場所)認知を調べる課題''']]
[[Image:Uekita Ob Fig.2.jpg|thumb|350px|'''図2.位置認知を調べる課題''']]


[[Image:Uekita Ob Fig.3.jpg|thumb|350px|'''図3.場所認知と物体認知の複合課題'''<br> (<ref name=ref100 />をもとに作成)]]
[[Image:Uekita Ob Fig.3 new.jpg|thumb|350px|'''図3 位置認知と物体認知の複合課題'''<br> (<ref name=ref100 />をもとに作成)]]


 あらかじめ探索させた複数の物体の配置を変化させると、正常な動物では配置の変化した物体に対して探索行動が増加する<ref name="Dix" />。
 あらかじめ探索させた複数の物体の配置を変化させると、正常な動物では配置の変化した物体に対して探索行動が増加する<ref name="Dix" />。
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 4つの物体の配置を4角形から3角形へと幾何学的に変化させると、配置が変わった物体と変わっていない物体いずれに対しても探索量が増加した。興味深いことに、幾何学的配置を保ったまま、物体間の距離のみが変わった場合には探索時間の増加はみられなかった。また、1つの物体を取り除くと、残った物体への探索量が増加した。  
 4つの物体の配置を4角形から3角形へと幾何学的に変化させると、配置が変わった物体と変わっていない物体いずれに対しても探索量が増加した。興味深いことに、幾何学的配置を保ったまま、物体間の距離のみが変わった場合には探索時間の増加はみられなかった。また、1つの物体を取り除くと、残った物体への探索量が増加した。  


 物体の位置関係の認知と物体そのものの認知やこれらに関わる神経基盤は、物体馴致セッション、空間認識テスト、物体認識テストを含む一連の手続きによって同時に検討することができる(図3)。Save, Poucet, Foreman, &amp; Buhot (1992)<ref name=ref100><pubmed>1616611</pubmed></ref> は、円形の実験アリーナに5つの異なる物体を配置し、6分間これをラットに探索させた。全ての物体に対して馴染みを形成するため、物体馴致を3セッション繰り返した後、空間認識テストにおいて2個の物体を移動させた。
 物体の位置関係の認知と物体の認知に関わる神経基盤は、物体馴致セッション、位置認知テスト、物体認知テストを含む一連の手続きによって同時に検討することができる(図3)。Save, Poucet, Foreman, &amp; Buhot (1992)<ref name=ref100><pubmed>1616611</pubmed></ref> は、円形の実験アリーナに5つの異なる物体を配置し、ラットに探索させた。物体馴致として6分間の探索を3セッション繰り返した後、位置認知テストにおいて2個の物体を移動させた。


 統制群と前部[[頭頂皮質]]損傷群のラットは配置の変化した物体に対して変化していない物体よりも多く探索行動を示したが、[[海馬]]損傷群と後部頭頂皮質損傷群のラットではこのような傾向が見られず、物体の位置関係の認知に失敗した。次の物体認識テストでは、一つの物体を新しい物体に置き換えたところ、全ての群のラットが新しい物体に対して探索行動が増加した。これらの結果は、海馬や後部頭頂皮質が物体の位置関係の認知に関与するが、物体自体の認知には関与しない事を示している。位置関係の認知に選択的な障害は、[[wikipedia:ja:げっ歯類|げっ歯類]][[デグー]]の海馬破壊<ref><pubmed>21291914</pubmed></ref>やラット[[NMDA型グルタミン酸受容体]]の薬理学的阻害<ref>'''関口理久子'''<br>ラットの空間探索行動に及ぼすNMDAアンタゴニスト,MK-801の効果''<br>''心理学研究'':1997,68,88-94</ref>によっても生じることが報告されている。
 統制群と前部[[頭頂皮質]]損傷群のラットは配置の変化した物体に対して変化していない物体よりも多く探索行動を示したが、[[海馬]]損傷群と後部頭頂皮質損傷群のラットではこのような傾向が見られず、物体の位置関係の認知に失敗した。次の物体認知テストでは、一つの物体を新しい物体に置き換えたところ、全ての群のラットが新しい物体に対して探索行動が増加した。これらの結果は、海馬や後部頭頂皮質が物体の位置関係の認知に関与するが、物体自体の認知には関与しない事を示している。位置関係の認知に選択的な障害は、[[wikipedia:ja:げっ歯類|げっ歯類]][[デグー]]の海馬破壊<ref><pubmed>21291914</pubmed></ref>やラット[[NMDA型グルタミン酸受容体]]の薬理学的阻害<ref>'''関口理久子'''<br>ラットの空間探索行動に及ぼすNMDAアンタゴニスト,MK-801の効果''<br>''心理学研究'':1997,68,88-94</ref>によっても生じることが報告されている。


==== 環境の変化 ====
==== 環境の変化 ====
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===物体の永続性===
===物体の永続性===
 指標が注視時間か探索行動かによる結論の不一致は、永続性の概念についての一連の研究においても議論となった<ref>'''J・ ヴォークレール 著 明和政子 監訳/鈴木光太郎 訳'''<br>乳幼児の発達 運動・知覚・認知<br>''新曜社(東京)'':2012</ref> <ref>''''U・ゴスワミ 著 岩男 卓実, 上淵 寿, 古池 若葉, 富山 尚子, 中島 伸子訳'''<br>子どもの認知発達<br>''新曜社(東京)'':2003</ref>。物体認知発達心理学者であるPiaget(1896年-1980年)は、ヒトの誕生から2年間の期間を感覚運動段階と呼び、この期間に乳幼児は自己の運動と外界に存在する物体との関係を学習していくと考えた。その代表的な認知として物体の永続性(object permanence)が挙げられる。永続性とは物体が見えなくなっても存在し続けることの認知であり、隠された物体の探索行動が生じる場合に永続性が確立されたとみなされる。この物体探索行動は発達とともに段階的に変化していく。誕生から2カ月までは物体が視界から消えても反応しない。4カ月から8カ月の乳児では物体が視界から消えると驚く反応を見せるものの探索行動は生じない。しかし、8カ月から12ケ月の乳児では、布や衝立で隠された物体を積極的に探索するようになる。したがって、物体の永続性の概念の獲得には1年程度を要するのであると考えられた。ところが、注視時間を指標とするBaillargeonの実験「跳ね橋実験」<ref>'''R Baillargeon'''<br>Object permanence in 3 l/2- and 4 l/2-month-old Infants.<br>''Developmental Psychology'':1987,23,655-664</ref>では、物体の永続性の認知そのものは3.5カ月で獲得されることが示された。この実験では、物体とそれに向かって移動する衝立の映像が“ありえる条件”と“ありえない条件”の2条件で提示され、それぞれに対する注視時間が測定された。“ありえる条件”では、衝立が物体にぶつかって止まるのに対して、“ありえない条件”では衝立が物体を通り越して移動を続ける。3.5カ月齢の乳児において“ありえない条件”での注視時間が“ありえる条件”よりも長くなったことから、3.5カ月ですでに物体が存在し続けるという永続性の認知が可能であることを示している。したがって、物体の永続性の認知と消えた物体に対する探索行動の発現の時期は必ずしも対応するわけでない。
 指標が注視時間か探索行動かによる遂行成績の不一致は、永続性の概念についての一連の研究において議論となった<ref>'''J・ ヴォークレール 著 明和政子 監訳/鈴木光太郎 訳'''<br>乳幼児の発達 運動・知覚・認知<br>''新曜社(東京)'':2012</ref> <ref>''''U・ゴスワミ 著 岩男 卓実, 上淵 寿, 古池 若葉, 富山 尚子, 中島 伸子訳'''<br>子どもの認知発達<br>''新曜社(東京)'':2003</ref>。物体認知発達心理学者であるPiaget(1896年-1980年)は、ヒトの誕生から2年間の期間を感覚運動段階と呼び、この期間に乳幼児は自己の運動と外界に存在する物体との関係を学習していくと考えた。その代表的な認知として物体の永続性(object permanence)が挙げられる。永続性とは物体が見えなくなっても存在し続けることの認知であり、隠された物体の探索行動が生じる場合に永続性が確立されたとみなされる。この物体探索行動は発達とともに段階的に変化していく。誕生から2カ月までは物体が視界から消えても反応しない。4カ月から8カ月の乳児では物体が視界から消えると驚く反応を見せるものの探索行動は生じない。しかし、8カ月から12ケ月の乳児では、布や衝立で隠された物体を積極的に探索するようになる。したがって、物体の永続性の概念の獲得には1年程度を要するのであると考えられた。ところが、注視時間を指標とするBaillargeonの実験「跳ね橋実験」<ref>'''R Baillargeon'''<br>Object permanence in 3 l/2- and 4 l/2-month-old Infants.<br>''Developmental Psychology'':1987,23,655-664</ref>では、物体の永続性の認知そのものは3.5カ月で獲得されることが示された。この実験では、物体とそれに向かって移動する衝立の映像が“ありえる条件”と“ありえない条件”の2条件で提示され、それぞれに対する注視時間が測定された。“ありえる条件”では、衝立が物体にぶつかって止まるのに対して、“ありえない条件”では衝立が物体を通り越して移動を続ける。3.5カ月齢の乳児において“ありえない条件”での注視時間が“ありえる条件”よりも長くなったことから、3.5カ月ですでに物体が存在し続けるという永続性の認知が可能であることを示している。したがって、物体の永続性の認知と消えた物体に対する探索行動の発現の時期は必ずしも対応するわけでない。


===探索エラー===
===探索エラー===
 物体探索行動が開始された後も、しばしば探索エラーが生じる。Piagetは9月齢前後の乳児では、物体が目の前で衝立Aから衝立Bの後ろに移動しても、衝立Aの後ろを探し続ける「A-not-Bエラー」が生じることを指摘した。Diamondによるサルの前頭皮質損傷や研究やヒトの前頭皮質損傷患者を対象とした一連の研究により、「A-not-Bエラー」は[[前頭前野]]の未成熟によると考えられている。
 物体探索行動が開始された後も、しばしば探索エラーが生じる。Piagetは9月齢前後の乳児では、物体が目の前で衝立Aから衝立Bの後ろに移動しても、衝立Aの後ろを探し続ける「A-not-Bエラー」が生じることを指摘した。Diamondによるサルの前頭皮質損傷や研究やヒトの前頭皮質損傷患者を対象とした一連の研究により、「A-not-Bエラー」は[[前頭前野]]の未成熟によると考えられている。
 物体の特性を知覚レベルでは認識しているにもかかわらず、実際の探索行動が成功しない例は落下する物体の探索行動にも見られる。選好注視法を用いた実験では、物体が障害物によって妨げられている軌跡上を通過しないという固体性(solidity)の概念は、生後3,4カ月で獲得されることが確認されている。しかし、落下する物体を探索させる課題では2歳児でも探索エラーが多く見られた。この探索エラーは、固執傾向というよりむしろ、物体と障害物との空間的位置の表象を形成することの困難さや障害物に対する注意の欠如により生じると考えられている<ref>'''大杉 佳美・内山伊知郎'''<br>2,3歳児における固体性の認識に関する探索行動について<br>''行動科学'':2013,51,81-89</ref>。
 物体の特性を知覚レベルでは認知しているにもかかわらず、実際の探索行動が成功しない例は落下する物体の探索行動にも見られる。選好注視法を用いた実験では、物体が障害物によって妨げられている軌跡上を通過しないという固体性(solidity)の概念は、生後3,4カ月で獲得されることが確認されている。しかし、落下する物体を探索させる課題では2歳児でも探索エラーが多く見られた。この探索エラーは、固執傾向というよりむしろ、物体と障害物との位置関係の表象を形成することの困難さや障害物に対する注意の欠如により生じると考えられている<ref>'''大杉 佳美・内山伊知郎'''<br>2,3歳児における固体性の認知に関する探索行動について<br>''行動科学'':2013,51,81-89</ref>。
==神経基盤  ==
==神経基盤  ==
 物体探索行動は新奇な物体の出現や物体の配置の変化など、環境内に生じた新たな変化によって引き起こされる行動である。この時、新奇な事象が行動の誘因であり、いわば報酬の役割をもつといえる。神経細胞レベルにおいても、新奇刺激が報酬系すなわち[[ドーパミン]]ニューロンの活動を引き起こすことが報告されている<ref><pubmed>9658025</pubmed></ref>。新奇刺激のインパクトによって反応の強度や持続性は異なるが、刺激が繰り返し提示されると、その活動は鎮静化していく。ドーパミンニューロンの障害によるおこるパーキンソン病の患者では新奇探索傾向が減少し、危険回避傾向が増加する<ref><pubmed>15201352</pubmed></ref>。同様の行動傾向を、ドーパミンD4受容体ノックアウトマウスが示すことが報告されている<ref><pubmed>10531457</pubmed></ref>。
 物体探索行動は新奇な物体の出現や物体の配置の変化など、環境内に生じた新たな変化によって引き起こされる行動である。この時、新奇な事象が行動の誘因であり、いわば報酬の役割をもつといえる。神経細胞レベルにおいても、新奇刺激が報酬系すなわち[[ドーパミン]]ニューロンの活動を引き起こすことが報告されている<ref><pubmed>9658025</pubmed></ref>。新奇刺激のインパクトによって反応の強度や持続性は異なるが、刺激が繰り返し提示されると、その活動は鎮静化していく。ドーパミンニューロンの障害によるおこるパーキンソン病の患者では新奇探索傾向が減少し、危険回避傾向が増加する<ref><pubmed>15201352</pubmed></ref>。同様の行動傾向を、ドーパミンD4受容体ノックアウトマウスが示すことが報告されている<ref><pubmed>10531457</pubmed></ref>。


 これまで、物体探索行動を指標として測定された物体認知の神経基盤としては、海馬が物体の空間的情報処理に関与するが、物体認知そのものには重要でないという一致した見解が得られてきた。主にげっ歯類を対象とする物体探索課題では、物体認知に関わる脳領域についての積極的な結果が得られていない。霊長類では非見本合わせ(nonmatching to sample)という手続きにより物体認知が測定されてきた。この課題の物体認識テストでは、見本試行において、テーブル上に見本物体が短時間提示され、選択試行では見本物体と同じ物体が新奇物体とともに提示される。動物が新奇物体を選択すると報酬が与えられる。この課題の空間認識テストでは、テーブル上の左右におかれたふた付の報酬ケースのうち、ランドマークとなる物体により近い方を選択すると報酬が得られる。下側頭葉 TE 野を損傷されたサルは、物体認識テストにおいて著しい障害を示したが、空間認識テストでは障害を示さなかった。一方、下頭頂酔葉PG野を損傷されたサルは、空間認識テストで障害を示したが、物体認識テストでは障害を示さなかった。このような結果から、Mishkinらは、同一の物体の情報処理が、処理内容によって異なる経路を介することを主張した<ref><pubmed>7126325</pubmed></ref> 。すなわち、視覚的に提示された物体について、空間的情報は一次視覚野から背側に流れる経路「where patyway」で処理され、物体認知は一次視覚野から腹側に流れる経路「what pathway」で処理されるとした。
 これまで、物体探索行動を指標として測定された物体認知の神経基盤としては、海馬が物体の空間的な位置情報処理に関与するが、物体認知そのものには重要でないという一致した見解が得られてきた。主にげっ歯類を対象とする物体探索課題では、物体認知に関わる脳領域についての積極的な結果が得られていない。霊長類では非見本合わせ(nonmatching to sample)という手続きにより物体認知が測定されてきた。この課題の物体認知テストでは、見本試行において、テーブル上に見本物体が短時間提示され、選択試行では見本物体と同じ物体が新奇物体とともに提示される。動物が新奇物体を選択すると報酬が与えられる。この課題の位置認知テストでは、テーブル上の左右におかれたふた付の報酬ケースのうち、ランドマークとなる物体により近い方を選択すると報酬が得られる。下側頭葉 TE 野を損傷されたサルは、物体認知テストにおいて著しい障害を示したが、位置認知テストでは障害を示さなかった。一方、下頭頂酔葉PG野を損傷されたサルは、位置認知テストで障害を示したが、物体認知テストでは障害を示さなかった。このような結果から、Mishkinらは、同一の物体の情報処理が、処理内容によって異なる経路を介することを主張した<ref><pubmed>7126325</pubmed></ref> 。すなわち、視覚的に提示された物体について、空間的位置情報は一次視覚野から背側に流れる経路「where pathway」で処理され、物体認知は一次視覚野から腹側に流れる経路「what pathway」で処理されるとした。


 また側頭葉内側部と物体記憶の関連について、見本試行と選択試行の間に遅延時間を設定する[[遅延非見本合わせ課題]](delayed nonmatching to sample)によって検討されてきた。この課題を用いた初期の実験<ref><pubmed>418358</pubmed></ref>では、[[wikipedia:ja:マカクザル|マカクザル]]の海馬と[[扁桃体]]を含む側頭葉内側部の損傷の効果が検討された。見本試行と選択試行の遅延時間が10秒以内である場合、この課題の遂行に損傷の影響はなかったが、それよりも長い遅延時間が挿入されると、その時間依存的に課題の正答率が低くなった。後に同研究者によって損傷の精度を高めて追試が行われた結果、この障害は海馬や扁桃体単独の損傷では生じず、むしろそれらの近辺領域にある嗅皮質の損傷が障害を引き起こしたことが明らかになった<ref><pubmed>9698344</pubmed></ref>。したがって、物体認知記憶には海馬や扁桃体ではなく[[嗅皮質]]が関与すると考えられる。
 また側頭葉内側部と物体記憶の関連について、見本試行と選択試行の間に遅延時間を設定する[[遅延非見本合わせ課題]](delayed nonmatching to sample)によって検討されてきた。この課題を用いた初期の実験<ref><pubmed>418358</pubmed></ref>では、[[wikipedia:ja:マカクザル|マカクザル]]の海馬と[[扁桃体]]を含む側頭葉内側部の損傷の効果が検討された。見本試行と選択試行の遅延時間が10秒以内である場合、この課題の遂行に損傷の影響はなかったが、それよりも長い遅延時間が挿入されると、その時間依存的に課題の正答率が低くなった。後に同研究者によって損傷の精度を高めて追試が行われた結果、この障害は海馬や扁桃体単独の損傷では生じず、むしろそれらの近辺領域にある嗅皮質の損傷が障害を引き起こしたことが明らかになった<ref><pubmed>9698344</pubmed></ref>。したがって、物体認知記憶には海馬や扁桃体ではなく[[嗅皮質]]が関与すると考えられる。

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