「健忘症候群」の版間の差分

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 HMは学用患者として現在も米国の某大学内で居住しており、半世紀を経た現在でも数年に一度、彼に関する論文が発表されている。現在も症状に変化はない。HMに鏡を見せると、映った自分の顔に驚愕する。なぜならHMの記憶に貯えられている自分の顔は、25歳時の顔だからだ。鏡が見ている人の容貌を映すということは知っているので、「この老人は誰だ!いったいどうなっているのだ!」と現在の自分の姿に非常なショックを受ける。しかし、鏡を取り除いて10分もするとHMは、さっきあれほどショックを受けたこと自体を覚えていない。
 HMは学用患者として現在も米国の某大学内で居住しており、半世紀を経た現在でも数年に一度、彼に関する論文が発表されている。現在も症状に変化はない。HMに鏡を見せると、映った自分の顔に驚愕する。なぜならHMの記憶に貯えられている自分の顔は、25歳時の顔だからだ。鏡が見ている人の容貌を映すということは知っているので、「この老人は誰だ!いったいどうなっているのだ!」と現在の自分の姿に非常なショックを受ける。しかし、鏡を取り除いて10分もするとHMは、さっきあれほどショックを受けたこと自体を覚えていない。


 HMの症状の詳細は、数年間にわたって彼を観察・取材した結果であるルポルタージュ「記憶の亡霊」(白揚社)に詳しい。HMの所見から、記憶には7秒くらいしか続かない短いものと、数年以上の長期間にわたって保持される長いものの最低でも2種類あること、記憶には両側側頭葉の内側部、特に海馬が重要であること、技能はそのほかの記憶とは異なる機序で脳内に蓄えられることが明らかになった。    
 HMの症状の詳細は、数年間にわたって彼を観察・取材した結果であるルポルタージュ<ref name=ref3>'''フィリップ・ヒルツ'''<br>記憶の亡霊:なぜヘンリー・Mの記憶は消えたのか<br>竹内和世訳、白揚社、東京、1997</ref>に詳しい。HMの所見から、記憶には7秒くらいしか続かない短いものと、数年以上の長期間にわたって保持される長いものの最低でも2種類あること、記憶には両側側頭葉の内側部、特に海馬が重要であること、技能はそのほかの記憶とは異なる機序で脳内に蓄えられることが明らかになった。    


 記憶に関係する部位は海馬だけではない。1960年22歳のNAは、フェンシングのサーベルが右鼻孔から脳まで突き刺さるという傷を負った。その後NAは、日々の出来事を記憶することができなくなった。[[言語性記憶]]の方が[[非言語性]]よりも障害が強かった。1960年以前の事柄は思いだせ、IQは124あった。頭部CTの結果、サーベルは右鼻孔から入り[[wikipedia:JA:篩骨洞|篩骨洞]]を経て中心線を超え、[[前頭眼窩皮質]]さらには[[脳梁吻]]、左[[側脳室前核]]、[[線条体]]を通り、最終的に視床背内側核に至ったと考えられた(Squire 1979)。脳弓や乳頭体も障害されている可能性があるが、著者はNAの記憶障害の主たる責任病巣を視床背内側核としている。NAの結果から、海馬以外の皮質下構造物の障害によっても記憶障害が生じること、障害の半球差により言語性/非言語性記憶障害の間に乖離が生じ得ることが明らかになった。  
 記憶に関係する部位は海馬だけではない。1960年22歳のNAは、フェンシングのサーベルが右鼻孔から脳まで突き刺さるという傷を負った。その後NAは、日々の出来事を記憶することができなくなった。[[言語性記憶]]の方が[[非言語性]]よりも障害が強かった。1960年以前の事柄は思いだせ、IQは124あった。頭部CTの結果、サーベルは右鼻孔から入り[[wikipedia:JA:篩骨洞|篩骨洞]]を経て中心線を超え、[[前頭眼窩皮質]]さらには[[脳梁吻]]、左[[側脳室前核]]、[[線条体]]を通り、最終的に視床背内側核に至ったと考えられた<ref name=ref4><pubmed>119481</pubmed></ref>。脳弓や乳頭体も障害されている可能性があるが、著者はNAの記憶障害の主たる責任病巣を視床背内側核としている。NAの結果から、海馬以外の皮質下構造物の障害によっても記憶障害が生じること、障害の半球差により言語性/非言語性記憶障害の間に乖離が生じ得ることが明らかになった。  


=== 記憶回路:PapezとYakovlev  ===
=== 記憶回路:PapezとYakovlev  ===
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== 記憶の分類  ==
== 記憶の分類  ==


[[Image:図3時間軸からみた記憶の分類.png|thumb|300px|<b>図3.時間軸からみた記憶の分類(三村 2012を引用)</b>]]  
[[Image:図3時間軸からみた記憶の分類.png|thumb|300px|<b>図3.時間軸からみた記憶の分類(三村 2012<ref name=ref6>'''三村 將'''<br>記憶障害<br>江藤文夫、武田克彦他編、高次脳機能障害のリハビリテーションVer.2.''医師薬出版''、東京、2004, pp.38-44. </ref>を引用)</b>]]  


[[Image:図4ワーキングメモリーのモデル.png|thumb|300px|<b>図4.ワーキングメモリーのモデル</b><br />2000年にBaddeleyは、それまでの[[視空間記銘メモ]]、[[音韻ループ]]に加え、[[エピソードバッファ]]を追加し、それぞれ視覚的意味、[[言語]]、[[エピソード長期記憶]]と対応するとした。図で白抜きの部分は注意や記憶の一時的な保持と関係している(Baddeley 2000を訳)。]]  
[[Image:図4ワーキングメモリーのモデル.png|thumb|300px|<b>図4.ワーキングメモリーのモデル</b><br />2000年にBaddeleyは、それまでの[[視空間記銘メモ]]、[[音韻ループ]]に加え、[[エピソードバッファ]]を追加し、それぞれ視覚的意味、[[言語]]、[[エピソード長期記憶]]と対応するとした。図で白抜きの部分は注意や記憶の一時的な保持と関係している(Baddeley 2000<ref name=ref8><pubmed>11058819</pubmed></ref>を訳)。]]  


[[Image:図5内容による記憶の分類.png|thumb|300px|<b>図5.内容による記憶の分類</b>]]  
[[Image:図5内容による記憶の分類.png|thumb|300px|<b>図5.内容による記憶の分類</b>]]  
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=== 時間の流れからみた記憶の分類  ===
=== 時間の流れからみた記憶の分類  ===


 記憶の分類として、記憶の時間的流れからみた分類と、記憶の内容から見た分類がある。記憶の脳内過程として、[[記銘]](encoding)、[[保持]](storage)、[[想起]](retrieval)が考えられている。時間的流れによる分類では、現在からみたある事象が保持されている長さ、あるいは発症時点を中心として記憶障害の及ぶ時間により分けられる(図3)。[[遠隔記憶]](remote memory)は、数週から何十年にも及ぶ、ほぼ永久的に保持される記憶を指す。[[近時記憶]](recent memory)は数日から数時間、[[即時記憶]](immediate memory)は数十秒以内の記憶を表す。近時記憶は、健常人でも急速に忘却が進む記憶であり、記憶障害の患者ではさらに顕著となる。即時記憶には容量制限があり、数列や無意味な文字列ならばほぼ7個(±2)である。この特性はマジカルナンバー7といわれ(Miller 1956)、記憶障害の患者でも保たれることが多い。心理学では、即時記憶を[[短期記憶]](short-term memory)、近時記憶と遠隔記憶を合わせて[[長期記憶]](long-term memory)と呼ぶ。  
 記憶の分類として、記憶の時間的流れからみた分類と、記憶の内容から見た分類がある。記憶の脳内過程として、[[記銘]](encoding)、[[保持]](storage)、[[想起]](retrieval)が考えられている。時間的流れによる分類では、現在からみたある事象が保持されている長さ、あるいは発症時点を中心として記憶障害の及ぶ時間により分けられる(図3)。[[遠隔記憶]](remote memory)は、数週から何十年にも及ぶ、ほぼ永久的に保持される記憶を指す。[[近時記憶]](recent memory)は数日から数時間、[[即時記憶]](immediate memory)は数十秒以内の記憶を表す。近時記憶は、健常人でも急速に忘却が進む記憶であり、記憶障害の患者ではさらに顕著となる。即時記憶には容量制限があり、数列や無意味な文字列ならばほぼ7個(±2)である。この特性はマジカルナンバー7といわれ<ref name=ref7><pubmed>13310704</pubmed></ref>、記憶障害の患者でも保たれることが多い。心理学では、即時記憶を[[短期記憶]](short-term memory)、近時記憶と遠隔記憶を合わせて[[長期記憶]](long-term memory)と呼ぶ。  


 [[ワーキングメモリー]]は、時間的区分では短期記憶から近時記憶の一部を含む。われわれは日常生活で、情報を単に保持するのではなく、保持した情報にいろいろな処理を加える。もっとも単純な例は繰り上がりのある計算である。15+17を行う時、まず一の位の5+7=12を行い、十の位への繰り上がりを記憶しつつ十の位の1+1=2を行い、さらにそこに繰り上がった分の1を加え3を導く。あるいは会話などでも、直前の話の内容を記憶しそれに基づいて自分の話を組み立てる。このようにワーキングメモリーとは、記憶と情報処理機能を併せ持った概念である。
 [[ワーキングメモリー]]は、時間的区分では短期記憶から近時記憶の一部を含む。われわれは日常生活で、情報を単に保持するのではなく、保持した情報にいろいろな処理を加える。もっとも単純な例は繰り上がりのある計算である。15+17を行う時、まず一の位の5+7=12を行い、十の位への繰り上がりを記憶しつつ十の位の1+1=2を行い、さらにそこに繰り上がった分の1を加え3を導く。あるいは会話などでも、直前の話の内容を記憶しそれに基づいて自分の話を組み立てる。このようにワーキングメモリーとは、記憶と情報処理機能を併せ持った概念である。


 ワーキングメモリーのモデルとして、Baddely(2000)のモデルが有名である(図4)。音韻ループは、会話や文章の理解などの際に言語的な情報を一時的に保持するものである。視空間記銘メモは、視覚イメージなど言語化できない情報を一時的に保持するもので、黒板やホワイトボードに譬えられる。[[中央実行系]]とは、音韻ループと視空間記銘メモの活動を調整し、仕事を割り振り、情報の流れを統御する。2000年に新たに加えられたエピソードバッファは、音韻ループや視空間記銘メモの情報を統合したり、意味に関する情報を担うとともに、長期記憶へのアクセスを可能とする。
 ワーキングメモリーのモデルとして、Baddely<ref name=ref8><pubmed>11058819</pubmed></ref>のモデルが有名である(図4)。音韻ループは、会話や文章の理解などの際に言語的な情報を一時的に保持するものである。視空間記銘メモは、視覚イメージなど言語化できない情報を一時的に保持するもので、黒板やホワイトボードに譬えられる。[[中央実行系]]とは、音韻ループと視空間記銘メモの活動を調整し、仕事を割り振り、情報の流れを統御する。2000年に新たに加えられたエピソードバッファは、音韻ループや視空間記銘メモの情報を統合したり、意味に関する情報を担うとともに、長期記憶へのアクセスを可能とする。


 1990年代以降に盛んになった[[脳賦活化実験]]の結果から、ワーキングメモリー、なかでも中央実行系には、前頭前野(Brodmann 9,10,46野)の関与が想定されている。ワーキングメモリー仮説は、記憶が単に事物を保存するための容れ物ではなく、注意や意識などを含むダイナミックな活動であることに研究者の目を向けさせた。しかし、Bladdeleyのモデルでは短期記憶が障害されているにも関らず長期記憶は保たれている症例の存在を説明できない。また、複雑なヒトの認知メカニズムをこのモデルだけで解釈するのは不可能である。現在のところ、ワーキングメモリーは機能的観念の域を超えてはいない。  
 1990年代以降に盛んになった[[脳賦活化実験]]の結果から、ワーキングメモリー、なかでも中央実行系には、前頭前野(Brodmann 9,10,46野)の関与が想定されている。ワーキングメモリー仮説は、記憶が単に事物を保存するための容れ物ではなく、注意や意識などを含むダイナミックな活動であることに研究者の目を向けさせた。しかし、Bladdeleyのモデルでは短期記憶が障害されているにも関らず長期記憶は保たれている症例の存在を説明できない。また、複雑なヒトの認知メカニズムをこのモデルだけで解釈するのは不可能である。現在のところ、ワーキングメモリーは機能的観念の域を超えてはいない。  
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 手続き記憶、プライミング、古典的条件付けは、言葉やイメージで表すことができないため[[非陳述記憶(non-declarative memory, 非宣言的記憶)と呼ばれる。またこれら3つと意味記憶は、それらを有していることを本人は自覚できないため潜在記憶に属している。]]  
 手続き記憶、プライミング、古典的条件付けは、言葉やイメージで表すことができないため[[非陳述記憶(non-declarative memory, 非宣言的記憶)と呼ばれる。またこれら3つと意味記憶は、それらを有していることを本人は自覚できないため潜在記憶に属している。]]  


 健忘患者では一般に、エピソード記憶の障害が目立つが、潜在記憶の障害は目立たない。特に手続き記憶は、重度の健忘患者でも保たれている。[[神経変性疾患]]のなかには、初期に意味記憶だけが顕著に障害されることがあり、意味性認知症(semantic dementia)と総称される。手続き記憶には、[[小脳]]や[[大脳基底核]]が関与しており、[[パーキンソン病]]や[[脊髄小脳変性症]]、[[ハンチントン病]]などで低下すると報告されている(望月 2008)。  
 健忘患者では一般に、エピソード記憶の障害が目立つが、潜在記憶の障害は目立たない。特に手続き記憶は、重度の健忘患者でも保たれている。[[神経変性疾患]]のなかには、初期に意味記憶だけが顕著に障害されることがあり、意味性認知症(semantic dementia)と総称される。手続き記憶には、[[小脳]]や[[大脳基底核]]が関与しており、[[パーキンソン病]]や[[脊髄小脳変性症]]、[[ハンチントン病]]などで低下すると報告されている<ref name=ref9>'''望月寛子'''<br>手続き記憶の神経基盤<br>''Brain and Nerve'', 60: 825-832, 2008.</ref> 。  


== 健忘症候群を来す主な疾患  ==
== 健忘症候群を来す主な疾患  ==


 記憶に関係する脳部位の障害による、記憶障害を主症状とする病態を総称して[[健忘症候群]]という。損傷された脳の部位や病変の大きさ、原因疾患により臨床症状はさまざまである(表1)。一般に損傷が優位半球(左半球)の場合は言語性記憶、劣位半球(右半球)の場合は視覚性記憶の障害が優勢となる。また、前脳基底部の障害による健忘と、それ以外の部位すなわち側頭葉や、乳頭体や視床などを含む間脳の障害による健忘のあいだに、質的相違を認めたとする報告もある(武田 1998)。Damasio (1985)は、前脳基底部の損傷による健忘の特徴として、①名前や顔などの個別の情報は覚えられるが、それらの統合ができない、②刺激を時間的に正しく配列して記銘することができず、仮にできたとしても適切に想起することができない、③再生課題の成績が手がかり・ヒントによりかなり改善する、としている。前脳基底部から脳内に広く投射するアセチルコリン神経の障害による健忘と、PapezやYakovlevの閉鎖回路の断絶により生じた健忘という機序の違いを鑑みると、両者の健忘に質的相違が存在することは十分考えられる。しかし、両者に特別な違いはないとする報告もあり(Gade 1990)、さらなる検討を要する。  
 記憶に関係する脳部位の障害による、記憶障害を主症状とする病態を総称して[[健忘症候群]]という。損傷された脳の部位や病変の大きさ、原因疾患により臨床症状はさまざまである(表1)。一般に損傷が優位半球(左半球)の場合は言語性記憶、劣位半球(右半球)の場合は視覚性記憶の障害が優勢となる。また、前脳基底部の障害による健忘と、それ以外の部位すなわち側頭葉や、乳頭体や視床などを含む間脳の障害による健忘のあいだに、質的相違を認めたとする報告もある<ref name=ref11>'''武田克彦、御園生 香'''<br>記憶と前脳基底部.In: 高倉公明、宮本忠雄監修<br>''記憶とその障害の最前線''、メディカル・ビュー社、東京、1998、pp.115-122.</ref>。Damasio <ref name=ref12><pubmed>3977657</pubmed></ref>は、前脳基底部の損傷による健忘の特徴として、①名前や顔などの個別の情報は覚えられるが、それらの統合ができない、②刺激を時間的に正しく配列して記銘することができず、仮にできたとしても適切に想起することができない、③再生課題の成績が手がかり・ヒントによりかなり改善する、としている。前脳基底部から脳内に広く投射するアセチルコリン神経の障害による健忘と、PapezやYakovlevの閉鎖回路の断絶により生じた健忘という機序の違いを鑑みると、両者の健忘に質的相違が存在することは十分考えられる。しかし、両者に特別な違いはないとする報告もあり<ref name=ref13><pubmed>2259428</pubmed></ref>、さらなる検討を要する。  


 以下、主な疾患について説明する。  
 以下、主な疾患について説明する。  


表1. 健忘症候群と主な症状 (Cummings 2003を訳)
表1. 健忘症候群と主な症状 (Cummings<ref name=ref10>'''Cummings JL, Mega MS.''',br>Memory disorders. In: Neuropsychiatry and behavioral neuroscience. <br>''Oxford University Press'', New York, 2003, pp.97-113.</ref>を訳)
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=== ウェルニッケ-コルサコフ症候群(Wernicke-Korsakoff syndrome)  ===
=== ウェルニッケ-コルサコフ症候群(Wernicke-Korsakoff syndrome)  ===


 [[間脳性]]の健忘の代表。ビタミンB1欠乏により、乳頭体や脳弓、視床に変性が生じ、Papez, Yakovlevの両回路が遮断されることにより健忘を生じる。意識障害、[[眼球運動障害]]、失調を示すウェルニッケ脳症が生じ、意識障害から回復してくるとコルサコフ症候群としての記憶障害が顕在化してくる(三村 2004)。[[見当識障害]]、前向性健忘、逆行性健忘、[[作話]]が特徴で、以前はアルコール多飲者の栄養不良が代表的原因とされた。今日では栄養状態の良くない患者にビタミンB1を含まないブドウ輸液の点滴を行ったことによる医原性もしばしばみられる。“ビタミンB1の補充が1時間遅れると、患者の回復は1日遅れる”と言われるほど、いかにこの疾患を疑いいち早くビタミンを補充するかが、患者の予後を大きく左右する。  
 [[間脳性]]の健忘の代表。ビタミンB1欠乏により、乳頭体や脳弓、視床に変性が生じ、Papez, Yakovlevの両回路が遮断されることにより健忘を生じる。意識障害、[[眼球運動障害]]、失調を示すウェルニッケ脳症が生じ、意識障害から回復してくるとコルサコフ症候群としての記憶障害が顕在化してくる<ref name=ref6>'''三村 將'''<br>記憶障害<br>江藤文夫、武田克彦他編、高次脳機能障害のリハビリテーションVer.2.''医師薬出版''、東京、2004, pp.38-44. </ref>。[[見当識障害]]、前向性健忘、逆行性健忘、[[作話]]が特徴で、以前はアルコール多飲者の栄養不良が代表的原因とされた。今日では栄養状態の良くない患者にビタミンB1を含まないブドウ輸液の点滴を行ったことによる医原性もしばしばみられる。“ビタミンB1の補充が1時間遅れると、患者の回復は1日遅れる”と言われるほど、いかにこの疾患を疑いいち早くビタミンを補充するかが、患者の予後を大きく左右する。  


=== 視床梗塞/出血  ===
=== 視床梗塞/出血  ===


 視床は脳梗塞、脳出血の好発部位で、その障害によって生じた健忘を視床性健忘という。視床は、血管性認知症のstrategic infarctionの責任病巣の一つで、脳底動脈の遠位部が閉塞すると両側視床が一度に障害され覚醒度の障害、健忘、眼球運動障害を呈する(Top of the basilar syndrome)。視床性健忘は普通、エピソード記憶の障害に限られ、意味記憶や手続き記憶は保たれる。前向性健忘が主体であるが、逆行性健忘も伴うこともある。側頭葉障害での健忘と視床性健忘とでは、前向性健忘の性質が異なるとされる(佐藤 2004)。すなわち、側頭葉障害の場合には記憶の貯蔵が障害され早い忘却率を示すのに対し、視床性健忘では時間をかけるとかなりの程度まで記憶が可能で忘却率も低いが、記憶した内容の時間的・空間的な文脈が障害される。これは視床性健忘では、記憶の符号化や記銘が主として障害されるのに対し、想起は比較的保たれていることを示唆する。  
 視床は脳梗塞、脳出血の好発部位で、その障害によって生じた健忘を視床性健忘という。視床は、血管性認知症のstrategic infarctionの責任病巣の一つで、脳底動脈の遠位部が閉塞すると両側視床が一度に障害され覚醒度の障害、健忘、眼球運動障害を呈する(Top of the basilar syndrome)。視床性健忘は普通、エピソード記憶の障害に限られ、意味記憶や手続き記憶は保たれる。前向性健忘が主体であるが、逆行性健忘も伴うこともある。側頭葉障害での健忘と視床性健忘とでは、前向性健忘の性質が異なるとされる<ref name=ref14>'''佐藤正之、葛原茂樹'''<br>視床性痴呆.神経内科、60: 28-32, 2004.</ref>。すなわち、側頭葉障害の場合には記憶の貯蔵が障害され早い忘却率を示すのに対し、視床性健忘では時間をかけるとかなりの程度まで記憶が可能で忘却率も低いが、記憶した内容の時間的・空間的な文脈が障害される。これは視床性健忘では、記憶の符号化や記銘が主として障害されるのに対し、想起は比較的保たれていることを示唆する。  


=== ヘルペス脳炎  ===
=== ヘルペス脳炎  ===
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=== 前脳基底部損傷(前交通動脈瘤破裂)  ===
=== 前脳基底部損傷(前交通動脈瘤破裂)  ===


 [[前交通動脈]]は、前脳基底部のすぐ下に位置する。前交通動脈瘤は、[[脳動脈瘤]]の約30%を占め、破裂するとしばしば前脳基底部を損傷し、後遺症として健忘を来す。出血による直接損傷の他に、動脈瘤のクリッピングにより同部を灌流する枝が閉塞されることもあるという(Gade 1982)。  
 [[前交通動脈]]は、前脳基底部のすぐ下に位置する。前交通動脈瘤は、[[脳動脈瘤]]の約30%を占め、破裂するとしばしば前脳基底部を損傷し、後遺症として健忘を来す。出血による直接損傷の他に、動脈瘤のクリッピングにより同部を灌流する枝が閉塞されることもあるという<ref name=ref15><pubmed>7112387</pubmed>(Gade 1982)。  


=== 初期のアルツハイマー病  ===
=== 初期のアルツハイマー病  ===
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== 参考文献  ==
== 参考文献  ==
<references/>


1. Loring DW. INS Dictionary of neuropsychology. Oxford University Press, New York, 1999.  
1. Loring DW. INS Dictionary of neuropsychology. Oxford University Press, New York, 1999.  
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15. 7112387  Gade A. Amnesia after operation on aneurysms of the anterior communicating artery. Surg Neurol, 18: 46-49, 1982.  
15. 7112387  Gade A. Amnesia after operation on aneurysms of the anterior communicating artery. Surg Neurol, 18: 46-49, 1982.  


<references/ >
 




(執筆者:佐藤正之、冨本秀和  編集委員:高橋良輔)
(執筆者:佐藤正之、冨本秀和  編集委員:高橋良輔)