「生命倫理」の版間の差分

編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目: 1行目:
生命倫理(Bioethics)
英語名:bioethics


 生命倫理(バイオエシックス)とは、文字通り生命に関する倫理的問題を扱う分野であることは間違いない。しかし、扱う範囲はかなり幅広い。生命倫理研究の代表的な機関の一つであるジョージタウン大学・ケネディ倫理研究所が編集した『生命倫理百科事典』の序文によれば、生命倫理とは「学際的状況において様々な倫理的方法論を用いて行う、生命科学と保健医療の道徳的諸次元―道徳的展望、意思決定、行為、政策を含む―に関する体系的研究」(改定第2版)である。また、1992年の国際バイオエシックス学会では、生命倫理は「医療や生命科学に関する倫理的、哲学的、社会的問題や、それに関する問題をめぐり学際的に研究する学問」と定義されている。学際性が大きな特徴であり、哲学、法学、社会政策等々、様々な分野と関係していることがよくわかる。  
 生命倫理(バイオエシックス)とは、文字通り生命に関する倫理的問題を扱う分野であることは間違いない。しかし、扱う範囲はかなり幅広い。生命倫理研究の代表的な機関の一つであるジョージタウン大学・ケネディ倫理研究所が編集した『生命倫理百科事典』の序文によれば、生命倫理とは「学際的状況において様々な倫理的方法論を用いて行う、生命科学と保健医療の道徳的諸次元―道徳的展望、意思決定、行為、政策を含む―に関する体系的研究」(改定第2版)である。また、1992年の国際バイオエシックス学会では、生命倫理は「医療や生命科学に関する倫理的、哲学的、社会的問題や、それに関する問題をめぐり学際的に研究する学問」と定義されている。学際性が大きな特徴であり、哲学、法学、社会政策等々、様々な分野と関係していることがよくわかる。  
5行目: 5行目:
 こうした生命倫理という分野を生み出すきっかけとなったものは、下記の三つにまとめることができると思われる。
 こうした生命倫理という分野を生み出すきっかけとなったものは、下記の三つにまとめることができると思われる。


1.ナチズムによる人体実験の問題  
#ナチズムによる人体実験の問題  
 
#個人の権利意識の台頭及び医事訴訟の問題
2.個人の権利意識の台頭及び医事訴訟の問題
#技術の発展と新しい医療の出現
 
3.技術の発展と新しい医療の出現


 ナチズムによる残虐な人体実験が世界に衝撃を与え、それに対する反省から、ニュールンベルク綱領が生まれ、被験者の自発的同意等々、医学的実験を行う際の条件や原則が提示された。この流れは、1964年のヘルシンキ宣言(世界医師会)、1973年の患者の権利章典(アメリカ病院協会)、1981年の患者の権利に関するリスボン宣言(世界医師会)等々へと引き継がれていく。
 ナチズムによる残虐な人体実験が世界に衝撃を与え、それに対する反省から、ニュールンベルク綱領が生まれ、被験者の自発的同意等々、医学的実験を行う際の条件や原則が提示された。この流れは、1964年のヘルシンキ宣言(世界医師会)、1973年の患者の権利章典(アメリカ病院協会)、1981年の患者の権利に関するリスボン宣言(世界医師会)等々へと引き継がれていく。
31行目: 29行目:
 また、脳の膨大なプロセスが意識にのぼらない形で進んでいることも明らかになりつつある。感覚や知覚などの領域に限らず、人間の意志決定や意識的な選択の場面においても、脳の無意識的な処理が重要な役割を演じていることが判明しつつあるのである。このことは、人間が自由意志をもつことの否定にもつながりかねない問題である。事実、脳科学に携わる科学者のなかには、自由意志を否定する者が少なくない。自由意志をもっているという実感は否定しないが、客観的には自由意志は存在しないというのである。もちろん、科学者、哲学者に限らず、様々な形で自由意志を弁護する者も少なくはない。自由意志の範囲をかなり狭めることで自由意志を救おうとする者もいれば、自由意志を否定していると思われる実験への解釈の仕方に疑念を差し挟む者もいる。脳のプロセスを多面的で多層的なものと考えることで自由意志を救おうとする者もいれば、道徳の言語や理論は脳科学の言語や理論に還元され得ないと考えることで自由意志を救おうとする者も、量子力学における非決定性とつなげて自由を守ろうとする者もいる。また、脳科学の発展は、脳の特定部位の役割を明らかにしただけでなく、脳が大きな柔軟性をもっていることも明らかにしているため、ここから人間の自由を守ろうという方向もある。脳の特定部位が損傷を受けても、その部位が担っていた機能を脳の他の部位が引き受けることができるし、体のあり方がかわるだけで脳のあり方がかわることも明らかになりつつある。このことは、外部から脳のあり方やプロセスに影響を与えられる可能性を示していることになり、脳が一方的に身心のプロセスを支配しているのではないとも考えられる。いずれにしても、脳科学が、自由意志の位置づけの再検討、つまり責任能力や倫理的判断の土台となるものの位置づけの再検討、我々の人間観の再検討を迫っているのである。さらに、脳科学の成果を特定の能力を高めるために使おうという試みもあり、これも我々の人間観や社会観の再検討を促している。例えば、頭をよくする薬(スマートドラッグ)を使用することはどこまで許されるかという問題、治療の域を超えた能力の増強(エンハンスメント)が人間には許されるかという問題が生じている。治療とエンハンスメントの区別は徐々に難しくなってきていて、どこまで人間の能力を変更ないし改造して良いのかは、判断の難しい問題となっている。ここでも、脳科学は生命倫理に関する様々な問題を投げかけているのである。
 また、脳の膨大なプロセスが意識にのぼらない形で進んでいることも明らかになりつつある。感覚や知覚などの領域に限らず、人間の意志決定や意識的な選択の場面においても、脳の無意識的な処理が重要な役割を演じていることが判明しつつあるのである。このことは、人間が自由意志をもつことの否定にもつながりかねない問題である。事実、脳科学に携わる科学者のなかには、自由意志を否定する者が少なくない。自由意志をもっているという実感は否定しないが、客観的には自由意志は存在しないというのである。もちろん、科学者、哲学者に限らず、様々な形で自由意志を弁護する者も少なくはない。自由意志の範囲をかなり狭めることで自由意志を救おうとする者もいれば、自由意志を否定していると思われる実験への解釈の仕方に疑念を差し挟む者もいる。脳のプロセスを多面的で多層的なものと考えることで自由意志を救おうとする者もいれば、道徳の言語や理論は脳科学の言語や理論に還元され得ないと考えることで自由意志を救おうとする者も、量子力学における非決定性とつなげて自由を守ろうとする者もいる。また、脳科学の発展は、脳の特定部位の役割を明らかにしただけでなく、脳が大きな柔軟性をもっていることも明らかにしているため、ここから人間の自由を守ろうという方向もある。脳の特定部位が損傷を受けても、その部位が担っていた機能を脳の他の部位が引き受けることができるし、体のあり方がかわるだけで脳のあり方がかわることも明らかになりつつある。このことは、外部から脳のあり方やプロセスに影響を与えられる可能性を示していることになり、脳が一方的に身心のプロセスを支配しているのではないとも考えられる。いずれにしても、脳科学が、自由意志の位置づけの再検討、つまり責任能力や倫理的判断の土台となるものの位置づけの再検討、我々の人間観の再検討を迫っているのである。さらに、脳科学の成果を特定の能力を高めるために使おうという試みもあり、これも我々の人間観や社会観の再検討を促している。例えば、頭をよくする薬(スマートドラッグ)を使用することはどこまで許されるかという問題、治療の域を超えた能力の増強(エンハンスメント)が人間には許されるかという問題が生じている。治療とエンハンスメントの区別は徐々に難しくなってきていて、どこまで人間の能力を変更ないし改造して良いのかは、判断の難しい問題となっている。ここでも、脳科学は生命倫理に関する様々な問題を投げかけているのである。


(執筆者:浅見昇吾、担当編集委員:加藤忠史先生)
(執筆者:浅見昇吾 担当編集委員:加藤忠史)