「産褥期精神障害」の版間の差分

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<div align="right"> 
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0124787 國本 正子]、中村 由嘉子、久保田 智香、[http://researchmap.jp/norioozaki 尾崎 紀夫]</font><br>
''名古屋大学 大学院医学系研究科''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年5月25日 原稿完成日:2012年6月12日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
</div>
英語名:postpartum mental disorders、puerperal mental disorders  独:postpartale psychische Störungen 仏:trouble mental de la puerpéralité
英語名:postpartum mental disorders、puerperal mental disorders  独:postpartale psychische Störungen 仏:trouble mental de la puerpéralité


同義語:産後精神障害
同義語:産後精神障害


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 産褥期精神障害は、[[wikipedia:ja:出産|出産]]後の[[wikipedia:ja:産婦|産婦]]にみられる[[精神障害]]であり、正常範囲の反応である[[マタニティ・ブルーズ]]から、[[産褥期うつ病]]、[[産褥期精神病]]まで、さまざまな場合がある。その発症頻度は高く、我が国の場合、産褥期女性の15-35%がマタニティ・ブルーズを、10-15%が産褥期うつ病を経験すると報告されている。治療法としては、薬物療法の他に、[[認知行動療法]]や[[対人関係療法]]といった[[心理社会的治療]]がある。産褥期精神障害(特に産褥期うつ病やマタニティーブルーズ)に関して、これまで様々な研究が行われてきたが、いまだ充分とは言えず、病態や診療のあり方について、統一見解が得られていない部分も多い。今後のさらなる研究により、産褥期精神障害の病態解明と、より安全で効果的な治療と予防法の確立が期待される。
 産褥期精神障害は、[[wikipedia:ja:出産|出産]]後の[[wikipedia:ja:産婦|産婦]]にみられる[[精神障害]]であり、正常範囲の反応である[[マタニティ・ブルーズ]]から、[[産褥期うつ病]]、[[産褥期精神病]]まで、さまざまな場合がある。その発症頻度は高く、我が国の場合、産褥期女性の15-35%がマタニティ・ブルーズを、10-15%が産褥期うつ病を経験すると報告されている。治療法としては、薬物療法の他に、[[認知行動療法]]や[[対人関係療法]]といった[[心理社会的治療]]がある。産褥期精神障害(特に産褥期うつ病やマタニティーブルーズ)に関して、これまで様々な研究が行われてきたが、いまだ充分とは言えず、病態や診療のあり方について、統一見解が得られていない部分も多い。今後のさらなる研究により、産褥期精神障害の病態解明と、より安全で効果的な治療と予防法の確立が期待される。
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== 産褥期精神障害とは ==
== 産褥期精神障害とは ==
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=== 卵巣ホルモン、モノアミン神経伝達物質 ===
=== 卵巣ホルモン、モノアミン神経伝達物質 ===


 [[卵巣ホルモン]]の一種、[[エストロゲン]](Estrogen)や[[プロゲステロン]](Progesterone)は妊娠中に多く産生され、妊娠経過とともに増加し、妊娠の維持や安全な出産のためだけでなく、水分と[[電解質]]バランス、[[ストレス応答]]など妊娠に有利に働くような生理的な変化を引き起こす<ref><pubmed>20869351</pubmed></ref>一方で、産後急激に減少することがストレス脆弱性に繋がると考えられている。エストロゲン受容体の1つ、ERβは、不安や抑うつ、[[記憶学習]]に関わる領域([[海馬]]、[[扁桃体]])や、[[背側縫線核]]の[[セロトニン神経|セロトニン作動性ニューロン]]に分布している<ref name=ref22><pubmed>20646931</pubmed></ref>こと、エストロゲンのうち、[[エストロゲン|エストラジオール]](estradiol)(E2)は、[[セロトニン]]の放出、[[代謝]]、[[セロトニン#セロトニントランスポーター|再取込み]]、[セロトニン#生合成[生合成]]、[[セロトニン#受容体|受容体]]修飾などに影響を及ぼす<ref><pubmed>19900508</pubmed></ref>ことから、産褥期うつ病にも関係があると考えられる<ref name=ref22/>。
 [[卵巣ホルモン]]の一種、[[エストロゲン]](Estrogen)や[[プロゲステロン]](Progesterone)は妊娠中に多く産生され、妊娠経過とともに増加し、妊娠の維持や安全な出産のためだけでなく、水分と[[電解質]]バランス、[[ストレス応答]]など妊娠に有利に働くような生理的な変化を引き起こす<ref><pubmed>20869351</pubmed></ref>一方で、産後急激に減少することがストレス脆弱性に繋がると考えられている。エストロゲン受容体の1つ、ERβは、不安や抑うつ、[[記憶学習]]に関わる領域([[海馬]]、[[扁桃体]])や、[[背側縫線核]]の[[セロトニン神経|セロトニン作動性ニューロン]]に分布している<ref name=ref22><pubmed>20646931</pubmed></ref>こと、エストロゲンのうち、[[エストロゲン|エストラジオール]](estradiol)(E2)は、[[セロトニン]]の放出、[[代謝]]、[[セロトニン#セロトニントランスポーター|再取込み]]、[[セロトニン#生合成|生合成]]、[[セロトニン#受容体|受容体]]修飾などに影響を及ぼす<ref><pubmed>19900508</pubmed></ref>ことから、産褥期うつ病にも関係があると考えられる<ref name=ref22/>。


 また、セロトニンや[[ドーパミン]]、[[ノルアドレナリン]]などの神経伝達物質によって、卵巣ホルモン系、ストレス応答、HPA軸、気分障害を関連づけることができる。これまでは、[[前頭前野]]、[[辺縁系]]、[[下垂体]]活性、性行動など多岐に渡って影響を及ぼすセロトニン系と気分変動との関連が主に注目されてきた。例えば、[[wikipedia:ja:トリプトファン|トリプトファン]]供給の低下に伴う、妊娠後期のセロトニン神経細胞の電気的活動の急激な低下は、出産後の気分低下に寄与することが示されている<ref><pubmed>16303256</pubmed></ref>。また、セロトニン受容体[[セロトニン受容体#5-HT1受容体|5HT<sub>1A</sub>]]への結合が産褥期うつ病の女性で低下していること<ref><pubmed>17543959</pubmed></ref>、産後のセロトニン活性低下とallopregnanoloneの消失が合わさって、産褥期うつ病を引き起こすことが示唆されている。
 また、セロトニンや[[ドーパミン]]、[[ノルアドレナリン]]などの神経伝達物質によって、卵巣ホルモン系、ストレス応答、HPA軸、気分障害を関連づけることができる。これまでは、[[前頭前野]]、[[辺縁系]]、[[下垂体]]活性、性行動など多岐に渡って影響を及ぼすセロトニン系と気分変動との関連が主に注目されてきた。例えば、[[wikipedia:ja:トリプトファン|トリプトファン]]供給の低下に伴う、妊娠後期のセロトニン神経細胞の電気的活動の急激な低下は、出産後の気分低下に寄与することが示されている<ref><pubmed>16303256</pubmed></ref>。また、セロトニン受容体[[セロトニン受容体#5-HT1受容体|5HT<sub>1A</sub>]]への結合が産褥期うつ病の女性で低下していること<ref><pubmed>17543959</pubmed></ref>、産後のセロトニン活性低下とallopregnanoloneの消失が合わさって、産褥期うつ病を引き起こすことが示唆されている。
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=== 神経活性ステロイド===  
=== 神経活性ステロイド===  


 近年、[[allopregnanolone]]、[[3α,5α-tetrahydoprogesterone]] (3α,5α-THP)、 [[3α,5α-tetrahydrodeoxycorticosterone]] (3α,5α-THDOC)などの向神経活性代謝物や[[プロゲステロン]]前駆体と気分変動との関連が注目されている<ref><pubmed>2539888</pubmed></ref>。これらのステロイドは神経細胞の活動に応じて産生され、膜内の神経伝達物質受容体の調節や[[MAP2]](微小管結合タンパク質2:microtubule-associated protein 2)への作用を介して[[微小管]]のダイナミクスを変化させることが示されている。
 近年、[[allopregnanolone]]、[[3α,5α-tetrahydoprogesterone]] (3α,5α-THP)、 [[3α,5α-tetrahydrodeoxycorticosterone]] (3α,5α-THDOC)などの向神経活性代謝物や[[プロゲステロン]]前駆体と気分変動との関連が注目されている<ref><pubmed>2539888</pubmed></ref>。これらのステロイドは神経細胞の活動に応じて産生され、膜内の神経伝達物質受容体の調節や[[微小管結合タンパク質2]] ([[microtubule-associated protein 2]], [[MAP2]])への作用を介して[[微小管]]のダイナミクスを変化させることが示されている。
 
 
 神経活性ステロイドのレベルはエストロゲンやプロゲステロンといったprimary hormoneのレベルによって変動し、感情変化に寄与する。また、神経活性ステロイドは[[GABA<sub>A</sub>]]受容体の[[アロステリックモジュレーター]]として機能し、その抑制作用を増強することで神経細胞の興奮性を弱めるとされる。さらに、大うつ病性障害の患者では、3β,5α-THPレベルが上昇するにつれて、3α,5α-THPや3α,5β-THPレベルが低下すること、これらのレベルは抗うつ薬投与により正常化することも示されている。以上の知見から、神経活性ステロイドの平衡障害は、うつ病の病態生理に関わる因子として提唱されており<ref><pubmed>9659856</pubmed></ref>、そのレベルは性ホルモンの影響をうけることを鑑みると、産褥期うつ病にも関与することが予想される。
 神経活性ステロイドのレベルはエストロゲンやプロゲステロンといったprimary hormoneのレベルによって変動し、感情変化に寄与する。また、神経活性ステロイドは[[GABA受容体|GABA<sub>A</sub>受容体]][[アロステリックモジュレーター]]として機能し、その抑制作用を増強することで神経細胞の興奮性を弱めるとされる。さらに、大うつ病性障害の患者では、3β,5α-THPレベルが上昇するにつれて、3α,5α-THPや3α,5β-THPレベルが低下すること、これらのレベルは抗うつ薬投与により正常化することも示されている。以上の知見から、神経活性ステロイドの平衡障害は、うつ病の病態生理に関わる因子として提唱されており<ref><pubmed>9659856</pubmed></ref>、そのレベルは性ホルモンの影響をうけることを鑑みると、産褥期うつ病にも関与することが予想される。


=== オキシトシン ===  
=== オキシトシン ===  
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<references />
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(執筆者: 國本正子、中村由嘉子、久保田智香、尾崎紀夫  担当編集委員:加藤忠史)

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