「病識」の版間の差分

364 バイト追加 、 2012年1月16日 (月)
編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
31行目: 31行目:
 以上のように器質疾患でも観察されることから、病識欠如の成因として認知機能障害を想定することが近年行われるようになっている。
 以上のように器質疾患でも観察されることから、病識欠如の成因として認知機能障害を想定することが近年行われるようになっている。
病識欠如という現象をセルフモニターの障害として想定する考え方がある。自分の状態を意識する(メタ表象)ためには、ある行動を行うときに一定の目標を自覚しつつ、途中経過を評価し修正することができる(現実の一次表象の照合作業)ことが前提とされ、作動記憶の中央実行系の機能であると考えられている<ref>'''川崎康弘'''<br>統合失調症の認知障害と前頭葉<br>''臨床精神医学:'' 2003, 32:369-375</ref>。そして中央実行系が障害されると、自発性の減少、保続、場当たり的な行動の増加がおこることが知られ、両側の背外側前頭前野の関与が大きいと考えられている。Amadorら<ref name=amador_Am_J_Psychiatry><pubmed>8494061</pubmed></ref>は、障害認識は modality-specificなものであるので、ある特定の高次連合野の障害というよりは、言語、知覚、記憶などの機能の各単位と、作動記憶のような中心的な意識野との連合が不十分ではないかと推論している。
病識欠如という現象をセルフモニターの障害として想定する考え方がある。自分の状態を意識する(メタ表象)ためには、ある行動を行うときに一定の目標を自覚しつつ、途中経過を評価し修正することができる(現実の一次表象の照合作業)ことが前提とされ、作動記憶の中央実行系の機能であると考えられている<ref>'''川崎康弘'''<br>統合失調症の認知障害と前頭葉<br>''臨床精神医学:'' 2003, 32:369-375</ref>。そして中央実行系が障害されると、自発性の減少、保続、場当たり的な行動の増加がおこることが知られ、両側の背外側前頭前野の関与が大きいと考えられている。Amadorら<ref name=amador_Am_J_Psychiatry><pubmed>8494061</pubmed></ref>は、障害認識は modality-specificなものであるので、ある特定の高次連合野の障害というよりは、言語、知覚、記憶などの機能の各単位と、作動記憶のような中心的な意識野との連合が不十分ではないかと推論している。
一方、前頭前野内側部が自己の感情状態、思考、自己の性格特性など自分自身の主観的状態を含む内的表象と密接に関連していることから26)、この部位の関与も推定できる。なお Parelladaら<ref><pubmed>20884756</pubmed></ref>は初回エピソード精神病患者(統合失調症圏53例、それ以外57例)を踏査し、前頭葉および頭頂葉の灰白質の減少が2年後の精神病症状についての病識と有意に相関することを報告している。
一方、前頭前野内側部が自己の感情状態、思考、自己の性格特性など自分自身の主観的状態を含む内的表象と密接に関連していることから<ref>'''十一元三'''<br>広汎性発達障害と前頭葉<br>''臨床精神医学:'' 2003, 32:395-404</ref>、この部位の関与も推定できる。なお Parelladaら<ref><pubmed>20884756</pubmed></ref>は初回エピソード精神病患者(統合失調症圏53例、それ以外57例)を踏査し、前頭葉および頭頂葉の灰白質の減少が2年後の精神病症状についての病識と有意に相関することを報告している。
これまでの実証的研究では、Youngら28)は、31例の統合失調症患者を対象に、前頭葉機能を反映すると考えられるWisconsin Card Sorting Test (WCST), verbal fluency test, trail   making testを実施し、現在の症状に対する認識と誤った帰属(SUMDによる評価)とが、 WCSTの成績低下と相関していたことを報告しているなど、前頭葉機能と病識との関連を報告したものが多くみられる。
これまでの実証的研究では、Youngら<ref><pubmed>8398943</pubmed></ref>は、31例の統合失調症患者を対象に、前頭葉機能を反映すると考えられるWisconsin Card Sorting Test (WCST), verbal fluency test, trail   making testを実施し、現在の症状に対する認識と誤った帰属(SUMDによる評価)とが、 WCSTの成績低下と相関していたことを報告しているなど、前頭葉機能と病識との関連を報告したものが多くみられる。
Queeら<ref><pubmed>21097989</pubmed></ref>は270例の非感情病圏の精神病患者を調査し、神経認知機能よりも社会的認知機能のほうが病識との関連性が高いことを報告し、情動認識や相手の心を推測する機能が関連している可能性について述べているなど、社会的認知の脳科学の発展に伴い、それとの関連で病識欠如の成因を想定しようとする考え方が見られるようになっている。
Queeら<ref><pubmed>21097989</pubmed></ref>は270例の非感情病圏の精神病患者を調査し、神経認知機能よりも社会的認知機能のほうが病識との関連性が高いことを報告し、情動認識や相手の心を推測する機能が関連している可能性について述べているなど、社会的認知の脳科学の発展に伴い、それとの関連で病識欠如の成因を想定しようとする考え方が見られるようになっている。


44行目: 44行目:


精神障害についての知識が不十分であるときに、自己の中に疾病のために起こってきた変化に対して誤った対応や態度をとることが起こりうる。特に精神障害への根強い偏見がある場合には、自己に起こった事柄は容易には精神障害として認識されえないだろう。ここでわかるように、気づかないことと、誤った知識を持つことと、否認など気づきを抑制することとは互いに反する事柄ではなく、相互に関連を持っている。Macpherson ら<ref><pubmed>8773813</pubmed></ref>は64例の統合失調症患者に調査を行い、SAIにより評価した障害認識を従属変数とした重回帰分析を行ったところ、治療についての知識とこれまでの教育年数とが有意な寄与を示した。
精神障害についての知識が不十分であるときに、自己の中に疾病のために起こってきた変化に対して誤った対応や態度をとることが起こりうる。特に精神障害への根強い偏見がある場合には、自己に起こった事柄は容易には精神障害として認識されえないだろう。ここでわかるように、気づかないことと、誤った知識を持つことと、否認など気づきを抑制することとは互いに反する事柄ではなく、相互に関連を持っている。Macpherson ら<ref><pubmed>8773813</pubmed></ref>は64例の統合失調症患者に調査を行い、SAIにより評価した障害認識を従属変数とした重回帰分析を行ったところ、治療についての知識とこれまでの教育年数とが有意な寄与を示した。
 認知療法では「誤った認知」モデルが仮定されている。幻覚や妄想への誤った認知がその後の不快な感情や問題行動をもたらすというものである25)。幻聴については、まず幻覚が体験され、それについての認知(悪意的な解釈と善意的な解釈の双方がある)があるが、幻覚と認知との関連はそれほど強くない一方で、認知に引き続いて引き起こされた感情と行動には密接な連関があるという。Birchwood<ref><pubmed>9403906</pubmed></ref>,<ref><pubmed>10824654</pubmed></ref>は、幻覚によって生じる行動や感情は、幻覚の形式や内容ではなく、患者が幻覚に対して抱いている信念ー特に幻覚の力や権威に対してのものーによっており、この信念は幻覚への適応過程の一部であり、個人の自己価値や対人関係についてのスキーマに影響を受けること、幻覚への従属は患者の社会関係におけるふるまい方と関連していることを報告している。妄想についても同様に、きっかけとなる出来事についての誤った認知、すなわち妄想的思考が問題であり、その誤った推論や誤った理由づけに対して治療的アプローチが可能と考えられている。
 認知療法では「誤った認知」モデルが仮定されている。幻覚や妄想への誤った認知がその後の不快な感情や問題行動をもたらすというものである<ref>'''丹野義彦'''編著<br>認知行動療法の臨床ワークショップ<br>''金子書房、東京'' 2002</ref>。幻聴については、まず幻覚が体験され、それについての認知(悪意的な解釈と善意的な解釈の双方がある)があるが、幻覚と認知との関連はそれほど強くない一方で、認知に引き続いて引き起こされた感情と行動には密接な連関があるという。Birchwood<ref><pubmed>9403906</pubmed></ref>,<ref><pubmed>10824654</pubmed></ref>は、幻覚によって生じる行動や感情は、幻覚の形式や内容ではなく、患者が幻覚に対して抱いている信念ー特に幻覚の力や権威に対してのものーによっており、この信念は幻覚への適応過程の一部であり、個人の自己価値や対人関係についてのスキーマに影響を受けること、幻覚への従属は患者の社会関係におけるふるまい方と関連していることを報告している。妄想についても同様に、きっかけとなる出来事についての誤った認知、すなわち妄想的思考が問題であり、その誤った推論や誤った理由づけに対して治療的アプローチが可能と考えられている。


=== 多要因・複数成因モデル ===
=== 多要因・複数成因モデル ===
59行目: 59行目:
精神障害の症状や経過や治療法についての正確な情報を提供し、それが受けいれられるように援助する心理教育のアプローチは病識を育てる上で重要であろう。Jaspers<ref name=Jaspers_精神病理学総論>'''Jaspers,K.(内村裕之、西丸四方、島崎敏樹、岡田敬蔵訳)'''<br>''精神病理学総論'': 岩波書店、東京、1953</ref>は"pseudo-insight"、すなわち「病気の説明をさまざまな理論から単に受け売りしている状態」を指摘した。しかしDavid5)は、「こうしたpseudo-insightも、混乱した患者の中に何らかの秩序を見いだし、本来の疾病の自覚へと導くプロセスを開始する可能性がある」と指摘している。個人精神療法の役割が、安永に習って「自分のみのうちにある何らかのもの」への気づきを高めていくことにあるとすれば、心理教育はそれを客体化し、他者と共有可能なものとし、対処方法を見つけていくことを可能にするアプローチといえよう。
精神障害の症状や経過や治療法についての正確な情報を提供し、それが受けいれられるように援助する心理教育のアプローチは病識を育てる上で重要であろう。Jaspers<ref name=Jaspers_精神病理学総論>'''Jaspers,K.(内村裕之、西丸四方、島崎敏樹、岡田敬蔵訳)'''<br>''精神病理学総論'': 岩波書店、東京、1953</ref>は"pseudo-insight"、すなわち「病気の説明をさまざまな理論から単に受け売りしている状態」を指摘した。しかしDavid5)は、「こうしたpseudo-insightも、混乱した患者の中に何らかの秩序を見いだし、本来の疾病の自覚へと導くプロセスを開始する可能性がある」と指摘している。個人精神療法の役割が、安永に習って「自分のみのうちにある何らかのもの」への気づきを高めていくことにあるとすれば、心理教育はそれを客体化し、他者と共有可能なものとし、対処方法を見つけていくことを可能にするアプローチといえよう。
持続的な精神症状や後遺障害への対処スキルや、薬物療法と協同していくためのさまざまなスキル形成をねらう認知行動療法のアプローチや、近年研究報告の増えている幻覚や妄想への認知療法によって、障害認識や病識を認知・行動のレベルで形成していくアプローチも有用と思われる。認知行動療法の視点からは、病識欠如をより具体的かつ観察可能な対処行動のレベルでとらえ、ひとつひとつの対処行動を改善の標的とする。たとえば服薬を中断してしまうことを取り上げても、さまざまな対処スキルが関係する。
持続的な精神症状や後遺障害への対処スキルや、薬物療法と協同していくためのさまざまなスキル形成をねらう認知行動療法のアプローチや、近年研究報告の増えている幻覚や妄想への認知療法によって、障害認識や病識を認知・行動のレベルで形成していくアプローチも有用と思われる。認知行動療法の視点からは、病識欠如をより具体的かつ観察可能な対処行動のレベルでとらえ、ひとつひとつの対処行動を改善の標的とする。たとえば服薬を中断してしまうことを取り上げても、さまざまな対処スキルが関係する。
 仲間体験を通して、精神障害やそれに伴うさまざまなハンディの受容をはぐくむ集団アプローチや、セルフヘルプの体験も有用であろう。心理教育や認知行動療法はしばしば集団で行われ、そのために集団であることによるさまざまな治療的要因が活用できる。安永27)は、障害認識を姿勢覚になぞらえた上で、他者との交流のもたらす治療的要因を以下のように述べている。「この機能が多少とも進歩、分化するためには、他者の運動観察とその取り入れ(同一化と再同一化)がきわめて重要である」「意識の目を他者に移してみること、他者(の身)になってみること、他者を「了解」しようと努力することである。それらがことごとく、実は同時に自己内部を見ていることになっていく」と述べている。集団の治療的要因についての、精神療法の側面からの視点といえるだろう。
 仲間体験を通して、精神障害やそれに伴うさまざまなハンディの受容をはぐくむ集団アプローチや、セルフヘルプの体験も有用であろう。心理教育や認知行動療法はしばしば集団で行われ、そのために集団であることによるさまざまな治療的要因が活用できる。安永<ref>'''安永浩'''<br>いわゆる病識から"姿勢"覚へ<br>''精神科学治療学:'' 1988, 3:43-50</ref>は、障害認識を姿勢覚になぞらえた上で、他者との交流のもたらす治療的要因を以下のように述べている。「この機能が多少とも進歩、分化するためには、他者の運動観察とその取り入れ(同一化と再同一化)がきわめて重要である」「意識の目を他者に移してみること、他者(の身)になってみること、他者を「了解」しようと努力することである。それらがことごとく、実は同時に自己内部を見ていることになっていく」と述べている。集団の治療的要因についての、精神療法の側面からの視点といえるだろう。
Rommeら<ref>'''Romme, M.A.J., Escher,A.D.M.A.C.'''<br>Hearing voices.<br>''Schizophr Bull:'' 1989, 15:209-216</ref>,<ref>'''Romme, M.A.J., Escher,A.D.M.A.C.'''<br>Empowering people who hear voicesHearing voices.<br>''G. Haddock,P.D.Slade eds. Cognitive-Behavioural Interventions with Psychotic Disorders.:'' 1996, pp137-150</ref>は人々(患者とは限らない)の「幻聴とのつきあい方」を調査し、34%が「幻聴とうまくつきあえている」と答えていたが、これらの人の多くは幻聴を病気としてのサインではなく、その人の人生の中で必然的に生じた個性の一部としてとらえ、共存していこうとする見方をとっていた。社会のスティグマがないところでは、障害認識や病識はより形成されやすいと彼らは考えている。したがって社会のスティグマを減らす努力が求められているし、精神障害の程度にかかわらず仲間に受け入れられ、精神病体験も共感をもって受け止められる体験の中で、自身の体験を受容し対処していく中で、障害認識・病識ははぐくまれると考えられる。
Rommeら<ref>'''Romme, M.A.J., Escher,A.D.M.A.C.'''<br>Hearing voices.<br>''Schizophr Bull:'' 1989, 15:209-216</ref>,<ref>'''Romme, M.A.J., Escher,A.D.M.A.C.'''<br>Empowering people who hear voicesHearing voices.<br>''G. Haddock,P.D.Slade eds. Cognitive-Behavioural Interventions with Psychotic Disorders.:'' 1996, pp137-150</ref>は人々(患者とは限らない)の「幻聴とのつきあい方」を調査し、34%が「幻聴とうまくつきあえている」と答えていたが、これらの人の多くは幻聴を病気としてのサインではなく、その人の人生の中で必然的に生じた個性の一部としてとらえ、共存していこうとする見方をとっていた。社会のスティグマがないところでは、障害認識や病識はより形成されやすいと彼らは考えている。したがって社会のスティグマを減らす努力が求められているし、精神障害の程度にかかわらず仲間に受け入れられ、精神病体験も共感をもって受け止められる体験の中で、自身の体験を受容し対処していく中で、障害認識・病識ははぐくまれると考えられる。