「病識」の版間の差分

50 バイト追加 、 2012年2月9日 (木)
編集の要約なし
編集の要約なし
編集の要約なし
6行目: 6行目:
== 病識とは ==
== 病識とは ==
 病識の定義としては、[[wikipedia:JA:ヤスパース|Jaspers]]<ref name=ref1>'''Jaspers,K.(内村祐之、西丸四方、島崎敏樹、岡田敬蔵訳)'''<br>精神病理学総論<br>''岩波書店''、東京、1953</ref>の定義「人が(疾病についての)自己の体験に対し、観察し判断しながら立ち向かうことを疾病意識とし、そのうちの”正しい構えの理想的なもの”が病識とされる」(筆者による要約)や、Lewis<ref>'''Lewis, A.'''<br>The psychopathology of insight<br>''J Medical Phychology:'' 1934, 14:332-348</ref>の定義「自己の中におこった疾病による変化への正確な態度であり、直接知覚できるもの(変化が起こっている)と、二次的なデータに基づくもの(変化があるに違いない)がある」などがよく知られている。林<ref>'''林直樹'''<br>疾病認識の評価<br>''精リハ誌:'' 2001, 5:102-105</ref>はJaspersの定義にそって、患者一般の側から見た疾病認識がまずあり、その一部として病識(精神医学の立場から見た評価)があることを指摘した。Markovaら<ref><pubmed>1617369</pubmed></ref>は、病識はself-knowledge(自己に影響を与える事柄についての知識)の一部であるので、単に精神障害についての知識や罹患したことに関わる事実の知識があるだけでは不十分で、外界および内界からの情報によって自己全体に与える影響が組み立てられるとしている。
 病識の定義としては、[[wikipedia:JA:ヤスパース|Jaspers]]<ref name=ref1>'''Jaspers,K.(内村祐之、西丸四方、島崎敏樹、岡田敬蔵訳)'''<br>精神病理学総論<br>''岩波書店''、東京、1953</ref>の定義「人が(疾病についての)自己の体験に対し、観察し判断しながら立ち向かうことを疾病意識とし、そのうちの”正しい構えの理想的なもの”が病識とされる」(筆者による要約)や、Lewis<ref>'''Lewis, A.'''<br>The psychopathology of insight<br>''J Medical Phychology:'' 1934, 14:332-348</ref>の定義「自己の中におこった疾病による変化への正確な態度であり、直接知覚できるもの(変化が起こっている)と、二次的なデータに基づくもの(変化があるに違いない)がある」などがよく知られている。林<ref>'''林直樹'''<br>疾病認識の評価<br>''精リハ誌:'' 2001, 5:102-105</ref>はJaspersの定義にそって、患者一般の側から見た疾病認識がまずあり、その一部として病識(精神医学の立場から見た評価)があることを指摘した。Markovaら<ref><pubmed>1617369</pubmed></ref>は、病識はself-knowledge(自己に影響を与える事柄についての知識)の一部であるので、単に精神障害についての知識や罹患したことに関わる事実の知識があるだけでは不十分で、外界および内界からの情報によって自己全体に与える影響が組み立てられるとしている。
 こうした諸家の見解をもとに池淵<ref>'''池淵恵美'''<br>「病識」評価<br>''精神医学:'' 2004, 46:806-819</ref>は、「精神障害によってもたらされる何らかの変化の気づき」つまり主観的な変化の体験の自覚をひろく障害認識と呼び、障害認識についてそれが医学的に妥当であるかどうかを客観的評価したものを病識と呼んだ(図1)。障害認識や病識と専門家の認知に乖離が生ずる時に病識不十分、もしくは病識欠如と評価される。たとえば、「前よりも感情がわかず、喜怒哀楽が薄くなった」と感じるのは障害認識のレベルであり、それを何らかの精神障害に基づく症状として自覚できているかどうか、その正確さによって専門家が病識の程度を判定することになる。本論では上記の意味で「病識」を使っていくが、しかし文献によって「病識」という言葉が指し示す内容は異なることがあるので留意が必要である。


[[ファイル:障害認識と病識.png|thumb|400px|図1 障害認識と病識]]
[[ファイル:障害認識と病識.png|thumb|400px|図1 障害認識と病識]]
 こうした諸家の見解をもとに池淵<ref>'''池淵恵美'''<br>「病識」評価<br>''精神医学:'' 2004, 46:806-819</ref>は、「精神障害によってもたらされる何らかの変化の気づき」つまり主観的な変化の体験の自覚をひろく障害認識と呼び、障害認識についてそれが医学的に妥当であるかどうかを客観的評価したものを病識と呼んだ(図1)。障害認識や病識と専門家の認知に乖離が生ずる時に病識不十分、もしくは病識欠如と評価される。たとえば、「前よりも感情がわかず、喜怒哀楽が薄くなった」と感じるのは障害認識のレベルであり、それを何らかの精神障害に基づく症状として自覚できているかどうか、その正確さによって専門家が病識の程度を判定することになる。本論では上記の意味で「病識」を使っていくが、しかし文献によって「病識」という言葉が指し示す内容は異なることがあるので留意が必要である。


 障害認識及び病識は、異なる成因からなる多要因の概念であると近年は考えられるようになっている。たとえばDavid<ref name=David_J_Psychiatry><pubmed>2207510</pubmed></ref>,<ref name=David_J_Psychiatry1><pubmed>1422606</pubmed></ref>は病識の概念を二分して、「何らかの疾患に罹患しており、それが精神障害であること」と、「特定の精神的な変化の体験を病的であると認識できる能力」とした。また両概念とも、「あり」「なし」の二分法では記述できないこと、両概念の相互関連性は必ずしも高くないことを示した。そしてこれまでのさまざまな研究における病識欠如の出現率は評価方法と、評価している時期に依存していることを指摘した。Amadorら<ref name=amador_schizophr_bull><pubmed>2047782</pubmed></ref>,<ref name=amador_Am_J_Psychiatry><pubmed>8494061</pubmed></ref>は、病識はひとまとまりの症状群ごとに検討されるべき modality-specificなものであり、障害認識及び病識は少なくとも以下の4次元から成り立っていると主張している。
 障害認識及び病識は、異なる成因からなる多要因の概念であると近年は考えられるようになっている。たとえばDavid<ref name=David_J_Psychiatry><pubmed>2207510</pubmed></ref>,<ref name=David_J_Psychiatry1><pubmed>1422606</pubmed></ref>は病識の概念を二分して、「何らかの疾患に罹患しており、それが精神障害であること」と、「特定の精神的な変化の体験を病的であると認識できる能力」とした。また両概念とも、「あり」「なし」の二分法では記述できないこと、両概念の相互関連性は必ずしも高くないことを示した。そしてこれまでのさまざまな研究における病識欠如の出現率は評価方法と、評価している時期に依存していることを指摘した。Amadorら<ref name=amador_schizophr_bull><pubmed>2047782</pubmed></ref>,<ref name=amador_Am_J_Psychiatry><pubmed>8494061</pubmed></ref>は、病識はひとまとまりの症状群ごとに検討されるべき modality-specificなものであり、障害認識及び病識は少なくとも以下の4次元から成り立っていると主張している。
21行目: 21行目:
== 歴史的背景 ==
== 歴史的背景 ==


 19世紀に[[wikipedia:JA:クレペリン|Kraepelin]]が[[早発性痴呆]]について記載したときにすでに、疾患の重症度について自覚されないことが典型的であるとし、Bleuler,E.もSchizophrenienの呼称を定めた時点で、自己の病態の認識に欠けることを指摘している。1973年のWHOによる国際的な[[wikipedia:JA:コホート研究|コホート調査]]では、[[統合失調症]]と診断された者のうち病識の欠如が97% に認められた と報告されるなど、統合失調症の疾病特異的な病態であると認識されてきており、病識のことを述べるときにはまず統合失調症が連想される。[[双極性気分障害]]での報告など、他の精神障害についても病識の問題は見られるが、本文においてはもっとも研究報告が多い統合失調症における病識に的を絞って記載している。
 19世紀に[[wikipedia:JA:クレペリン|Kraepelin]]が[[早発性痴呆]]について記載したときにすでに、疾患の重症度について自覚されないことが典型的であるとし、Bleuler,E.もSchizophrenienの呼称を定めた時点で、自己の病態の認識に欠けることを指摘している。1973年のWHOによる国際的な[[wikipedia:JA:コホート研究|コホート調査]]では、[[統合失調症]]と診断された者のうち病識の欠如が97% に認められたと報告されるなど、統合失調症の疾病特異的な病態であると認識されてきており、病識のことを述べるときにはまず統合失調症が連想される。[[双極性気分障害]]での報告など、他の精神障害についても病識の問題は見られるが、本文においてはもっとも研究報告が多い統合失調症における病識に的を絞って記載している。


 1990年代になると病識についての操作的基準による量的・多次元的評価尺度が発達し、実証的研究が活発となった。Amadorら<ref name=amador_schizophr_bull><pubmed>2047782</pubmed></ref>やMarkovaら<ref name=Markova_comprehensive><pubmed>7497711</pubmed></ref>によれば、病識の評価方法は以下の5種類がある。
 1990年代になると病識についての操作的基準による量的・多次元的評価尺度が発達し、実証的研究が活発となった。Amadorら<ref name=amador_schizophr_bull><pubmed>2047782</pubmed></ref>やMarkovaら<ref name=Markova_comprehensive><pubmed>7497711</pubmed></ref>によれば、病識の評価方法は以下の5種類がある。
40行目: 40行目:
 以上のように器質疾患でも観察されることから、病識欠如の成因として[[認知機能障害]]を想定することが近年行われるようになっている。
 以上のように器質疾患でも観察されることから、病識欠如の成因として[[認知機能障害]]を想定することが近年行われるようになっている。


 病識欠如という現象をセルフモニターの障害として想定する考え方がある。自分の状態を意識する(メタ表象)ためには、ある行動を行うときに一定の目標を自覚しつつ、途中経過を評価し修正することができる(現実の一次表象の照合作業)ことが前提とされ、[[作動記憶]]の[[中央実行系]]の機能であると考えられている<ref>'''川崎康弘'''<br>統合失調症の認知障害と前頭葉<br>''臨床精神医学:'' 2003, 32:369-375</ref>。そして中央実行系が障害されると、自発性の減少、保続、場当たり的な行動の増加がおこることが知られ、両側の背外側[[前頭前野]]の関与が大きいと考えられている。Amadorら<ref name=amador_Am_J_Psychiatry><pubmed>8494061</pubmed></ref>は、障害認識は modality-specificなものであるので、ある特定の高次連合野の障害というよりは、[[言語]]、[[知覚]]、[[記憶]]などの機能の各単位と、[[作動記憶]]のような中心的な[[意識野]]との[[連合]]が不十分ではないかと推論している。
 病識欠如という現象をセルフモニタリングの障害として想定する考え方がある。自分の状態を意識する(メタ表象)ためには、ある行動を行うときに一定の目標を自覚しつつ、途中経過を評価し修正することができる(現実の一次表象の照合作業)ことが前提とされ、[[作動記憶]]の[[中央実行系]]の機能であると考えられている<ref>'''川崎康弘'''<br>統合失調症の認知障害と前頭葉<br>''臨床精神医学:'' 2003, 32:369-375</ref>。そして中央実行系が障害されると、自発性の減少、保続、場当たり的な行動の増加がおこることが知られ、両側の背外側[[前頭前野]]の関与が大きいと考えられている。Amadorら<ref name=amador_Am_J_Psychiatry><pubmed>8494061</pubmed></ref>は、障害認識は modality-specificなものであるので、ある特定の高次連合野の障害というよりは、[[言語]]、[[知覚]]、[[記憶]]などの機能の各単位と、[[作動記憶]]のような中心的な[[意識野]]との[[連合]]が不十分ではないかと推論している。


 一方、[[前頭前野]]内側部が自己の感情状態、[[思考]]、自己の性格特性など自分自身の主観的状態を含む[[内的表象]]と密接に関連していることから<ref>'''十一元三'''<br>広汎性発達障害と前頭葉<br>''臨床精神医学:'' 2003, 32:395-404</ref>、この部位の関与も推定できる。なお Parelladaら<ref><pubmed>20884756</pubmed></ref>は初回エピソード精神病患者(統合失調症圏53例、それ以外57例)を踏査し、[[前頭葉]]および[[頭頂葉]]の[[灰白質]]の減少が2年後の精神病症状についての病識と有意に相関することを報告している。
 一方、[[前頭前野]]内側部が自己の感情状態、[[思考]]、自己の性格特性など自分自身の主観的状態を含む[[内的表象]]と密接に関連していることから<ref>'''十一元三'''<br>広汎性発達障害と前頭葉<br>''臨床精神医学:'' 2003, 32:395-404</ref>、この部位の関与も推定できる。なお Parelladaら<ref><pubmed>20884756</pubmed></ref>は初回エピソード精神病患者(統合失調症圏53例、それ以外57例)を踏査し、[[前頭葉]]および[[頭頂葉]]の[[灰白質]]の減少が2年後の精神病症状についての病識と有意に相関することを報告している。
61行目: 61行目:
=== 多要因・複数成因モデル ===
=== 多要因・複数成因モデル ===


 障害認識及び病識はいくつかの要因から成り立っている概念であり、すでに述べてきた複数の成因の相互作用によって形成されるのではないかと考えられる。しかしどのような要因があるのか、またそれぞれの要因についてどのような成因が考えられるのか、さらにはこれらがどのように関連し合っているのかなどについてはまだ十分な研究報告がなく、これからの検討にゆだねられている。Gillenら<ref><pubmed>20851850</pubmed></ref>は31例の統合失調症の患者を調査して、障害認識の程度は要因によって異なり、神経認知機能障害のほうが、精神症状よりも障害認識が保たれているとしたが、その逆の報告<ref><pubmed>19840898</pubmed></ref>も見られるなど、まだ一定しない。
 障害認識及び病識はいくつかの要因から成り立っている概念であり、すでに述べてきた複数の成因の相互作用によって形成されるのではないかと考えられる。しかしどのような要因があるのか、またそれぞれの要因についてどのような成因が考えられるのか、さらにはこれらがどのように関連し合っているのかなどについてはまだ十分な研究報告がなく、これからの検討にゆだねられている。Gillenら<ref><pubmed>20851850</pubmed></ref>は31例の統合失調症の患者を調査して、障害認識の程度、認識の対象となる症状によって異なり、神経認知機能障害に対する認識のほうが、精神症状に対する認識よりも保たれているとしたが、その逆の報告<ref><pubmed>19840898</pubmed></ref>も見られるなど、まだ一定しない。