「瞬目反射条件づけ」の版間の差分

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== 遅延(delay)課題と痕跡(trace)課題 ==
== 遅延(delay)課題と痕跡(trace)課題 ==
 前述したように、瞬目反射条件づけではUSの開始前にCSが提示されるが、この学習には、主に両刺激の時間特性の違いによって、遅延(delay)課題と痕跡(trace)課題の2種類の行動パラダイムが存在する(図2)。遅延課題は、CSとUSに時間的な重なりがあり、かつ同時に終了するようなパラダイムである(図2A)。一方、痕跡課題では、CSが終了してからUSが提示される。言いかえれば、痕跡課題では、CSとUSの間に無刺激の期間(痕跡間隔)が挿入される(図2B)。両課題ともその記憶獲得に小脳が必要であるが、痕跡課題においては、その痕跡間隔が十分に大きい場合、記憶の獲得に小脳に加えて海馬が必須となる。例えば、ウサギやマウスでは痕跡間隔が500 ms以上の場合、ラットでは250 ms以上の場合、痕跡課題が海馬依存性学習になることが示されている[16] [17] [18]。なお、遅延課題の場合、海馬を除去しても学習は成立するが、海馬ニューロンの活動を電気的に、あるいはスコポラミンの投与などで薬理学的に撹乱させると、CRの獲得が遅くなることが知られている[19]。従って、遅延課題の成立に海馬は不要であるものの、海馬の異常は遅延課題に影響を与えるという意味において両者は関連性を持っているわけである。実際70年代までは、遅延課題を対象とした研究でも、小脳より海馬ニューロン活動との関連が興味の中心とされていた。小脳と遅延課題との関係が実験的に検討され始めたのは80年代になってからである。ところで、小脳は痕跡課題においても必要であると先述したが、小脳皮質のシナプス可塑性に障害を持つノックアウトマウスや小脳皮質の唯一の出力細胞であるプルキンエ細胞(PC)が消失したpcd (Purkinje cell deficient) マウスでは、痕跡課題の学習能力が正常に保たれていることが発見されてから、痕跡課題には小脳皮質は必須ではないという同意が得られつつある[20] [21]。つまり、小脳核は、遅延、痕跡両課題に必須であるものの、小脳皮質は遅延課題のみで重要な役割を担っている可能性がある。
 前述したように、瞬目反射条件づけではUSの開始前にCSが提示されるが、この学習には、主に両刺激の時間特性の違いによって、遅延(delay)課題と痕跡(trace)課題の2種類の行動パラダイムが存在する(図2)。遅延課題は、CSとUSに時間的な重なりがあり、かつ同時に終了するようなパラダイムである(図2A)。一方、痕跡課題では、CSが終了してからUSが提示される。言いかえれば、痕跡課題では、CSとUSの間に無刺激の期間(痕跡間隔)が挿入される(図2B)。両課題ともその記憶獲得に小脳が必要であるが、痕跡課題においては、その痕跡間隔が十分に大きい場合、記憶の獲得に小脳に加えて海馬が必須となる。例えば、ウサギやマウスでは痕跡間隔が500 ms以上の場合、ラットでは250 ms以上の場合、痕跡課題が海馬依存性学習になることが示されている[16] [17] [18]。なお、遅延課題の場合、海馬を除去しても学習は成立するが、海馬ニューロンの活動を電気的に、あるいはスコポラミンの投与などで薬理学的に撹乱させると、CRの獲得が遅くなることが知られている[19]。従って、遅延課題の成立に海馬は不要であるものの、海馬の異常は遅延課題に影響を与えるという意味において両者は関連性を持っているわけである。実際70年代までは、遅延課題を対象とした研究でも、小脳より海馬ニューロン活動との関連が興味の中心とされていた。小脳と遅延課題との関係が実験的に検討され始めたのは80年代になってからである。ところで、小脳は痕跡課題においても必要であると先述したが、小脳皮質のシナプス可塑性に障害を持つノックアウトマウスや小脳皮質の唯一の出力細胞であるプルキンエ細胞(PC)が消失した''pcd'' (Purkinje cell deficient) マウスでは、痕跡課題の学習能力が正常に保たれていることが発見されてから、痕跡課題には小脳皮質は必須ではないという同意が得られつつある[20] [21]。つまり、小脳核は、遅延、痕跡両課題に必須であるものの、小脳皮質は遅延課題のみで重要な役割を担っている可能性がある。


[[ファイル:Ykishimoto_fig_2.jpg|サムネイル|300px|右|'''図2. 瞬目反射条件づけの遅延課題と痕跡課題におけるCSとUSの時間的関係'''<br>(A) 遅延課題におけるCSとUSの時間的関係、(B) 痕跡課題におけるCSとUSの時間的関係。遅延課題と痕跡課題の違いは、前者ではCSとUSの時間的重なりがあるのに対し、後者ではCSとUSの間に空白時間(痕跡間隔)が存在することである。CSとUSの長さや刺激間隔は、実験動物種や実験の用途によって変化する。遅延課題が一般的に小脳依存性の運動学習として記述されるのに対し、痕跡課題は、その痕跡間隔が十分に長い場合、海馬依存性の課題になることが知られている。]]
[[ファイル:Ykishimoto_fig_2.jpg|サムネイル|300px|右|'''図2. 瞬目反射条件づけの遅延課題と痕跡課題におけるCSとUSの時間的関係'''<br>(A) 遅延課題におけるCSとUSの時間的関係、(B) 痕跡課題におけるCSとUSの時間的関係。遅延課題と痕跡課題の違いは、前者ではCSとUSの時間的重なりがあるのに対し、後者ではCSとUSの間に空白時間(痕跡間隔)が存在することである。CSとUSの長さや刺激間隔は、実験動物種や実験の用途によって変化する。遅延課題が一般的に小脳依存性の運動学習として記述されるのに対し、痕跡課題は、その痕跡間隔が十分に長い場合、海馬依存性の課題になることが知られている。]]
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=== 小脳におけるCS-US入力の統合と長期抑圧===  
=== 小脳におけるCS-US入力の統合と長期抑圧===  
 CSとUSの情報は、小脳において2つの部位、小脳皮質と小脳核で連合される(図3)。小脳核の中でも、瞬目反射条件づけに殊に重要とされる領域は中位核(interpositus nucleus)である。橋核と下オリーブ核からそれぞれ運ばれてきたCSとUS情報の統合に加え、中位核のニューロンは小脳皮質のPCから強力なGABA作動性の抑制性入力を受けている。中位核から出力された情報は、赤核を経て、瞬目の運動出力を担う顔面神経核や外転神経核へと投射される。すなわち、小脳核は、CSとUSの収斂の場であるだけでなく、小脳からの情報出力を担う構造でもある。
 CSとUSの情報は、小脳において2つの部位、小脳皮質と小脳核で連合される(図3)。小脳核の中でも、瞬目反射条件づけに殊に重要とされる領域は中位核(interpositus nucleus)である。橋核と下オリーブ核からそれぞれ運ばれてきたCSとUS情報の統合に加え、中位核のニューロンは小脳皮質のPCから強力なGAB<sub>A</sub>作動性の抑制性入力を受けている。中位核から出力された情報は、赤核を経て、瞬目の運動出力を担う顔面神経核や外転神経核へと投射される。すなわち、小脳核は、CSとUSの収斂の場であるだけでなく、小脳からの情報出力を担う構造でもある。


 なお、平行線維とPC間にはシナプス伝達効率の長期抑圧(LTD)が生じることが知られている(図3)。PCの抑制性の出力が解除されることで、驚愕反射としても知られる「音を聴いて瞬きが起こる経路」が顕れるという説明がこのモデルの眼目である[22] 。第1 項で前述したように、これまでにLTDに欠損があるマウス系統の多くで瞬目反射条件づけ(遅延課題)の記憶形成に重篤な障害が起きていることが示されてきた。これは、小脳LTDと瞬目反射条件づけが少なくとも同じ分子基盤を共有していることを強く示す証左であった。ところが、近年小脳LTDが障害されているミュータントマウスでも、前庭動眼反射とともに瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習能力も正常であったと主張する報告が提出された [23]。また、小脳LTDは、運動記憶の形成そのものよりも、学習の表出のタイミングを担っているとする論調も目立つようになってきたが、これらの研究も遺伝子改変マウスにおける行動とシナプス機能の相関関係を論じたものであり、因果関係を必ずしも明確にしたものではない。
 なお、平行線維とPC間にはシナプス伝達効率の長期抑圧(LTD)が生じることが知られている(図3)。PCの抑制性の出力が解除されることで、驚愕反射としても知られる「音を聴いて瞬きが起こる経路」が顕れるという説明がこのモデルの眼目である[22] 。第1 項で前述したように、これまでにLTDに欠損があるマウス系統の多くで瞬目反射条件づけ(遅延課題)の記憶形成に重篤な障害が起きていることが示されてきた。これは、小脳LTDと瞬目反射条件づけが少なくとも同じ分子基盤を共有していることを強く示す証左であった。ところが、近年小脳LTDが障害されているミュータントマウスでも、前庭動眼反射とともに瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習能力も正常であったと主張する報告が提出された [23]。また、小脳LTDは、運動記憶の形成そのものよりも、学習の表出のタイミングを担っているとする論調も目立つようになってきたが、これらの研究も遺伝子改変マウスにおける行動とシナプス機能の相関関係を論じたものであり、因果関係を必ずしも明確にしたものではない。
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=== 小脳皮質の重要性についての議論 ===
=== 小脳皮質の重要性についての議論 ===
 小脳皮質の中でも特に重要な領域とされるのが、第VI半球小葉と前葉である。これらの部位の損傷•除去、不活性化、もしくは発現分子の欠損によって、瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習が阻害されるとの多くの報告がある。Lavond and Steinmetzは、小脳核を残したまま、第VI半球小葉と小脳前葉を含む大きな領域を吸引除去したところ、瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習が著明に障害されることを示した[27]。ただし、一度学習が成立した後に、こうした領域を除去してもCRの発現に大きな影響は見られないことから、学習の保持には重要ではないとされた。また、GABAA受容体アゴニストであるムシモルやAMPA受容体アンタゴニストCNQXを小脳第VI半球小葉に注入しても、同様に瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習が阻害される[6]。ただし、こうした方法論も、小脳核の機能を完全に保持したままでの実行が難しい可能性があり、小脳皮質の小脳核に対する相対的優位性については未だに評価が定まっていない。なお、小脳皮質の唯一の出力細胞であるPCが欠落したpcdマウスでも、小脳皮質除去動物と同様に、瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習獲得が著明に障害されていた [28]。とはいえ、この実験結果も、学習が完全に抑制されるわけではなかったことから、むしろ小脳皮質が遅延課題の記憶形成に必須ではないとの文脈で参照されることが多いようである。また、平行線維からPCに対する神経伝達物質の放出を可逆的に阻害できるマウスを利用した研究によれば、小脳皮質における神経伝達が瞬目反射条件づけの記憶成立には必須でなく、CRの表出に重要であることが示唆されている[15]。
 小脳皮質の中でも特に重要な領域とされるのが、第VI半球小葉と前葉である。これらの部位の損傷•除去、不活性化、もしくは発現分子の欠損によって、瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習が阻害されるとの多くの報告がある。Lavond and Steinmetzは、小脳核を残したまま、第VI半球小葉と小脳前葉を含む大きな領域を吸引除去したところ、瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習が著明に障害されることを示した[27]。ただし、一度学習が成立した後に、こうした領域を除去してもCRの発現に大きな影響は見られないことから、学習の保持には重要ではないとされた。また、GABA<sub>A</sub>受容体アゴニストであるムシモルやAMPA受容体アンタゴニストCNQXを小脳第VI半球小葉に注入しても、同様に瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習が阻害される[6]。ただし、こうした方法論も、小脳核の機能を完全に保持したままでの実行が難しい可能性があり、小脳皮質の小脳核に対する相対的優位性については未だに評価が定まっていない。なお、小脳皮質の唯一の出力細胞であるPCが欠落した''pcd''マウスでも、小脳皮質除去動物と同様に、瞬目反射条件づけ(遅延課題)の学習獲得が著明に障害されていた [28]。とはいえ、この実験結果も、学習が完全に抑制されるわけではなかったことから、むしろ小脳皮質が遅延課題の記憶形成に必須ではないとの文脈で参照されることが多いようである。また、平行線維からPCに対する神経伝達物質の放出を可逆的に阻害できるマウスを利用した研究によれば、小脳皮質における神経伝達が瞬目反射条件づけの記憶成立には必須でなく、CRの表出に重要であることが示唆されている[15]。


=== 小脳核(中位核)の重要性についての議論 ===
=== 小脳核(中位核)の重要性についての議論 ===
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