「神経性過食症」の版間の差分

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<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0020533 切池 信夫]、[http://rdbsv02.osaka-cu.ac.jp/profile/ja.qJu-wSoOdGN8wRaZZhtFiQ==.html 岩﨑 進一]</font><[[br]]>
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0020533 切池 信夫]、[http://rdbsv02.osaka-cu.ac.jp/profile/ja.qJu-wSoOdGN8wRaZZhtFiQ==.html 岩﨑 進一]</font><br>
''大阪市立大学大学 大学院医学研究科 臨床医科学専攻(臓器器官病態内科学大講座)''<br>
''大阪市立大学大学 大学院医学研究科 臨床医科学専攻(臓器器官病態内科学大講座)''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年3月12日 原稿完成日:2013年2月15日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年3月12日 原稿完成日:2013年2月15日<br>
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英語名:bulimia nervosa 独:Essstörung 仏:Trouble des conduites alimentaires
英語名:bulimia nervosa 独:Bulimia nervosa 仏:bulimia nervosa


同義語:神経性大食症
同義語:神経性大食症
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== 概念と歴史  ==
== 概念と歴史  ==
 神経性過食症は、自制困難な摂食の要求を生じて、短時間に大量の食物を強迫的に摂取しては、その後嘔吐や下剤の乱用、翌日の摂食制限、不食などにより体重増加を防ぎ、体重は神経性食欲不振症ほど減少せず正常範囲内で変動し、過食後に無気力感、抑うつ気分、自己卑下をともなう一つの症候群である。1950年代頃から過食は肥満症との関連で研究されてきた。そして1970年代頃より体重が正常範囲内で、過食しては嘔吐や下剤を乱用する患者の存在に気づかれるようになった。1979年にイギリスのRussell<ref name="cit7"><[[pubmed]]>482466</pubmed></ref>が、1)自己抑制できない過食の衝動、2)過食後の自己誘発性嘔吐または下剤の使用、3)肥満に対して病的恐怖を示す患者の一群をbulimia nervosaと呼び、これらの患者の大部分が神経性食欲不振症の既往を有していたことから、神経性食欲不振症の予後不良の亜型と考えた。 アメリカでは、1980年に[[wj:DSM-Ⅲ|DSM-Ⅲ]]で過食症(bulimia)の診断基準をつくり神経性食欲不振症と区別した。そして1987年のDSM-ⅢRの診断基準では神経性過食症と改め、1994年のDSM-Ⅳ(2000年に[[DSM-Ⅳ]]-TR)の診断基準に至っている。一方WHOは1992年にICD-10の診断基準で、神経性過食症の診断基準を新たに設け現在に至っている。  
 神経性過食症は、自制困難な[[摂食]]の要求を生じて、短時間に大量の食物を強迫的に摂取しては、その後[[嘔吐]]や下剤の乱用、翌日の摂食制限、不食などにより体重増加を防ぎ、体重は[[神経性食欲不振症]]ほど減少せず正常範囲内で変動し、過食後に[[無気力感]]、[[抑うつ気分]]、[[自己卑下]]をともなう一つの症候群である。1950年代頃から過食は肥満症との関連で研究されてきた。そして1970年代頃より体重が正常範囲内で、過食しては嘔吐や下剤を乱用する患者の存在に気づかれるようになった。1979年にイギリスのRussell<ref name="cit7"><[[pubmed]]>482466</pubmed></ref>が、1)自己抑制できない過食の衝動、2)過食後の自己誘発性嘔吐または下剤の使用、3)肥満に対して病的恐怖を示す患者の一群をbulimia nervosaと呼び、これらの患者の大部分が神経性食欲不振症の既往を有していたことから、神経性食欲不振症の予後不良の亜型と考えた。 アメリカでは、1980年に[[wj:DSM-Ⅲ|DSM-Ⅲ]]で過食症(bulimia)の診断基準をつくり神経性食欲不振症と区別した。そして1987年のDSM-ⅢRの診断基準では神経性過食症と改め、1994年のDSM-Ⅳ(2000年に[[DSM-Ⅳ]]-TR)の診断基準に至っている。一方WHOは1992年にICD-10の診断基準で、神経性過食症の診断基準を新たに設け現在に至っている。  


== 疫学  ==
== 疫学  ==


 英国では若い女性の1.5~3.8%、米国では2.2~3.5%となり、 これらに欧米諸国の結果を平均すると約1%と報告されている 。これは我が国においてもほぼ同率である<ref name="cit1">'''切池信夫'''<br>[[摂食障害]]<br>''精神医学''、48:356—369, 2006</ref>。  
 英国では若い女性の1.5~3.8%、米国では2.2~3.5%となり、 これらに欧米諸国の結果を平均すると約1%と報告されている 。これは我が国においてもほぼ同率である<ref name="cit1">'''切池信夫'''<br>[[摂食障害]]<br>''精神医学''、48:356—369, 2006</ref>。  


== 症状  ==
== 症状  ==


 主な精神症状、行動異常、身体症状を表1に示した<ref name="cit2">'''切池信夫'''<br>さまざまな臨床像、「摂食障害-食べない、食べられない、食べたら止まらない」第2版<br>''医学書院''、東京、pp61-69、2009</ref>。  
 主な精神症状、行動異常、身体症状を'''表1'''に示した<ref name="cit2">'''切池信夫'''<br>さまざまな臨床像、「摂食障害-食べない、食べられない、食べたら止まらない」第2版<br>''医学書院''、東京、pp61-69、2009</ref>。  


=== 精神症状(表1)  ===
=== 精神症状===
{| class="wikitable"
|+ 表1 典型例にみられる精神症状
|-
!  
! 神経性無食欲症
! 神経性過食症
|-
! やせ願望
| 必発(強い)
| 必発(必ずしも強くない)
|-
! 肥満恐怖
| 必発
| 必発
|-
! 身体像の障害
| 伴う
| 伴う
|-
! 病識
| 病識が乏しい
| 病識を有する
|-
! その他の精神症状
| 抑うつ、不安、強迫症状、失感情症など
| 抑うつ、不安、強迫症状、失感情症など
|}


 やせ願望はそれほど強くないが、強い肥満恐怖を認める。したがって希望体重を尋ねれば、標準範囲の下限以内の体重を望む。身体像の障害について、これを伴わない場合もある。自ら症状に苦しみ病感を有しているが、恥ずかしいこと、自分がだらしないことと思い、真の病識は形成されていない場合が多い。その他抑うつ、不安、強迫症状、失感情症などをしばしば伴う。  
 やせ願望はそれほど強くないが、強い肥満恐怖を認める。したがって希望体重を尋ねれば、標準範囲の下限以内の体重を望む。身体像の障害について、これを伴わない場合もある。自ら症状に苦しみ病感を有しているが、恥ずかしいこと、自分がだらしないことと思い、真の病識は形成されていない場合が多い。その他抑うつ、不安、強迫症状、失感情症などをしばしば伴う。  


=== 行動異常(表2)  ===
=== 行動異常===
 主な行動異常を'''表2'''に示した。


{| class="wikitable"
|+ 表2 典型例にみられる行動異常
|-
!  
! 神経性無食欲症
! 神経性過食症
|-
! 摂食行動
| 食思不振、拒食、摂食制限、隠れ食い、盗み食い、過食
| 過食、だらだら食い、絶食、摂食制限、隠れ食い、盗み食い
|-
! 排出行動
| 嘔吐、下剤の乱用、[[wj:利尿薬|利尿薬]]の乱用
| 利尿薬の乱用
|-
! 活動性
| 過活動
| 低下
|-
! 問題行動
| [[自傷行為]]、[[自殺企図]]、[[wj:万引き|万引き]]、[[薬物乱用]]など
| 自傷行為、自殺企図、万引き、薬物乱用など
|}
*'''[[摂食行動]]''':過食、だらだら食い、絶食、摂食制限、隠れ食い、盗み食い、噛んで吐き出す(Chewing and spitting out food)などを示す。神経性過食症の中核症状は過食(binge eating)であり、bingeは「どんちゃん騒ぎ、酒宴、大騒ぎ、パ-ティ」などを意味し、binge eatingはこの様な際に大量の食物を無茶食いすることを云う。 しかし、これが摂食障害との関連で用いられる場合において、DSM-Ⅳ(-TR)では、1)一定の時間内(例えば2時間以内)に大部分の人が食べるより明らかに大量の食物を摂取し、2)その間、摂食を自制できないという感じをともなう(例えば、食べるのを途中で止められない感じや、何をどれだけ食べるかをコントロ-ルできない感じ)と定義されている。 過食と嘔吐の代理行動として、噛んで吐き出す行為がみられる。これは食物を噛んでは、そのエキスを吸い嚥下せずその残渣を吐き出して捨てる。  
*'''[[摂食行動]]''':過食、だらだら食い、絶食、摂食制限、隠れ食い、盗み食い、噛んで吐き出す(Chewing and spitting out food)などを示す。神経性過食症の中核症状は過食(binge eating)であり、bingeは「どんちゃん騒ぎ、酒宴、大騒ぎ、パ-ティ」などを意味し、binge eatingはこの様な際に大量の食物を無茶食いすることを云う。 しかし、これが摂食障害との関連で用いられる場合において、DSM-Ⅳ(-TR)では、1)一定の時間内(例えば2時間以内)に大部分の人が食べるより明らかに大量の食物を摂取し、2)その間、摂食を自制できないという感じをともなう(例えば、食べるのを途中で止められない感じや、何をどれだけ食べるかをコントロ-ルできない感じ)と定義されている。 過食と嘔吐の代理行動として、噛んで吐き出す行為がみられる。これは食物を噛んでは、そのエキスを吸い嚥下せずその残渣を吐き出して捨てる。  
*'''排出行動''':過食による体重増加を防いだり、減量するために自ら嘔吐を誘発したり、下剤や利尿剤を乱用する。自己誘発性嘔吐は過食後に気分が悪くて嘔吐したのがきっかけで、その後常習化したり、最初から過食による体重増加を防ぐために行なわれる。長期にわたり人差し指や中指を使って嘔吐していると、これらの指の背部のつけ根部にいわゆる「吐きダコ」ができる。 下剤乱用は、過食後に食物を体内から排出して、体重増加を防ぐために行われる。下剤で一日に5~10錠位から200錠を超える場合や、漢方薬では常用量をはるかに超えた量を用いる。毎日浣腸剤が用いられる場合もある。 利尿剤乱用について、入手が困難のため極めて少ない。しかし、医師から処方された利尿剤を密かに乱用される場合もある。 その他、サウナや風呂に長時間入り、発汗を促進して体重増加をふせぐ患者もいる。  
*'''排出行動''':過食による体重増加を防いだり、減量するために自ら嘔吐を誘発したり、下剤や利尿剤を乱用する。自己誘発性嘔吐は過食後に気分が悪くて嘔吐したのがきっかけで、その後常習化したり、最初から過食による体重増加を防ぐために行なわれる。長期にわたり人差し指や中指を使って嘔吐していると、これらの指の背部のつけ根部にいわゆる「吐きダコ」ができる。 下剤乱用は、過食後に食物を体内から排出して、体重増加を防ぐために行われる。下剤で一日に5~10錠位から200錠を超える場合や、漢方薬では常用量をはるかに超えた量を用いる。毎日浣腸剤が用いられる場合もある。 利尿剤乱用について、入手が困難のため極めて少ない。しかし、医師から処方された利尿剤を密かに乱用される場合もある。 その他、サウナや風呂に長時間入り、発汗を促進して体重増加をふせぐ患者もいる。  
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=== 身体症状(表3)  ===
=== 身体症状(表3)  ===
 主な身体症状を'''表3'''に示した。体重は標準範囲内かむしろ肥満に傾き、無月経や稀発月経、あるいは過剰月経などの月経異常をしばしば認める。


 体重は標準範囲内かむしろ肥満に傾き、無月経や稀発月経、あるいは過剰月経などの月経異常をしばしば認める。また、浮腫や過食後に微熱を生じたりする。
{| class="wikitable"
|+ 表3 典型例にみられる身体症状
|-
!  
! 神経性無食欲症
! 神経性過食症
|-
! 体重減少
| 低体重
| 標準体重〜肥満
|-
! 月経異常
| [[wj:無月経|無月経]]
| 一部は無月経
|-
! その他の身体症状
| [[wj:徐脈|徐脈]]、[[wj:低体温|低体温]]、[[wj:低血圧|低血圧]]、[[wj:浮腫|浮腫]]、うぶ毛の密生など
| 浮腫、過食後の微熱など
|}


=== 合併症  ===
=== 合併症  ===


 過食や嘔吐、下剤乱用による身体合併症の症状と徴候および検査デ-タを表6<ref name="cit3">'''切池信夫'''<br>さまざまな合併症、「摂食障害-食べない、食べられない、食べたら止まらない」第2版<br>''医学書院''、東京、pp125-149、2009</ref>に示した。 この中で最も注意を要するのは電解質異常で、低K血症により心機能異常を呈し致死性頻拍性[[wj:心室性不整脈|心室性不整脈]]を生じることである。 精神障害のcomorbidityとして、うつ病、強迫性障害、社会不安障害、恐慌性障害(パニック障害)などの不安障害、境界性、演技性、強迫性、回避性、依存性などの人格障害(パーソナリティー障害)、さらにアルコ-ルや薬物依存などを高率に認める。  
 過食や嘔吐、下剤乱用による身体合併症の症状と徴候および検査デ-タを'''表4'''に示した<ref name="cit3">'''切池信夫'''<br>さまざまな合併症、「摂食障害-食べない、食べられない、食べたら止まらない」第2版<br>''医学書院''、東京、pp125-149、2009</ref>この中で最も注意を要するのは電解質異常で、低K血症により心機能異常を呈し致死性頻拍性[[wj:心室性不整脈|心室性不整脈]]を生じることである。 精神障害のcomorbidityとして、うつ病、強迫性障害、社会不安障害、恐慌性障害(パニック障害)などの不安障害、境界性、演技性、強迫性、回避性、依存性などの人格障害(パーソナリティー障害)、さらにアルコ-ルや薬物依存などを高率に認める。  


{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
|+ 表6 過食や嘔吐、下剤乱用による身体合併症の症状と徴候および検査データ
|+ 表4 過食や嘔吐、下剤乱用による身体合併症の症状と徴候および検査データ
|-
|-
! 器官  
! 器官  
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== 成因と発症機序  ==
== 成因と発症機序  ==
 
[[Image:Pict1.png|thumb|300px|<b> 図2.摂食障害の発症機序</b>]]
 神経性食欲不振症と同様に生物学的、心理的、社会的要因の複雑な相互作用により生ずるものと考えられている。図1に示すように種々の要因により摂食量が低下した時、摂食障害に対する身体的素因を有する人の中枢性摂食調節機構に異常を生じ、神経性食欲不振症の項で説明したような悪循環に陥る場合や、種々のストレスが直接的に中枢性摂食調節機構に影響を及ぼし過食を生じ、「食べたら止まらない→食べない(排出行動も含む)→食べたら止まらない」の悪循環に陥る場合などが考えられる。
 神経性食欲不振症と同様に生物学的、心理的、社会的要因の複雑な相互作用により生ずるものと考えられている。'''図2'''に示すように種々の要因により摂食量が低下した時、摂食障害に対する身体的素因を有する人の中枢性摂食調節機構に異常を生じ、神経性食欲不振症の項で説明したような悪循環に陥る場合や、種々のストレスが直接的に中枢性摂食調節機構に影響を及ぼし過食を生じ、「食べたら止まらない→食べない(排出行動も含む)→食べたら止まらない」の悪循環に陥る場合などが考えられる。


== 診断  ==
== 診断  ==


 神経性過食症の診断について、表7にDSM-ⅣとICD-10の診断基準を示した。それぞれの診断基準ですべて満たす場合に神経性過食症と診断され、一部の項目を満たさない場合には、DSM-Ⅳで特定不能の摂食障害、ICD-10で非定型神経性過食症と診断される。DSM-Ⅳの診断基準では、さらに排出行動の有無により、排出型と非排出型に分けられている。  
 神経性過食症の診断について、表5にDSM-ⅣとICD-10の診断基準を示した。それぞれの診断基準ですべて満たす場合に神経性過食症と診断され、一部の項目を満たさない場合には、DSM-Ⅳで特定不能の摂食障害、ICD-10で非定型神経性過食症と診断される。DSM-Ⅳの診断基準では、さらに排出行動の有無により、排出型と非排出型に分けられている。  


{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
|+ 表7 神経性過食症の診断基準
|+ 表5 神経性過食症の診断基準
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|-
! DSM-IVの診断基準
! DSM-IVの診断基準