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精神科遺伝学は精神疾患や精神疾患に関わる心理、社会性、行動などの事象を主な対象とする行動神経遺伝学の分野である。
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<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0078290 有波 忠雄]</font><br>
''筑波大学 医学医療系''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年5月7日 原稿完成日:2013年5月14日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
</div>


== 精神科遺伝学が扱う精神疾患 ==
{{box|text=
すべての精神疾患を対象としているが、統合失調症、気分障害、依存症、認知症、自閉症スペクトラム障害が研究対象になる件数が多い。次いでPTSD、神経性無食欲症、パーソナリティ障害、注意欠陥多動障害などが続く。メンデル遺伝病の一部の症状として精神症状が現れる遺伝病も多くあり、それも対象とする。あるいはそれを手がかりに精神疾患の病態を追求する方法もある。さらに、ヒトの集団の行動の多様性も扱う。また、向精神薬に対する反応性や副作用とゲノム変異との関係も重要な対象となっており、予防法に利用できる遺伝情報に関する研究も進められている。
 精神科遺伝学は[[精神疾患]]やそれに関わる[[心理]]、[[社会性]]、[[行動]]などの事象を主な研究対象とする行動神経遺伝学の分野である。精神疾患は比較的高い遺伝率を示すものが多く、遺伝要因が部分的に発症に影響を与えている。治療に対する反応性や[[副作用]]、[[予後]]などにも遺伝要因は関わっている。関係する遺伝子の同定は病態解明と治療法の開発に必要な基礎データとなり、個別化医療につながる。分子レベルからの根拠に基づく予防法、治療法の開発を目的とする。
}}


== 精神科遺伝学の目的 ==
== 精神科遺伝学とは  ==
精神疾患は程度の差はあるが遺伝要因が部分的に発症に影響を与えており、治療に対する反応性や副作用、予後などにも遺伝要因は関わっていると推測されている。精神疾患にかかわる遺伝要因の検出、その病態関与や予後への関与のメカニズムの解明により、遺伝要因に基づく治療法の改善につなげることを目的とする。


== 遺伝学的に見た精神疾患の特徴 ==
 精神疾患は比較的高い遺伝率を示すものが多く、程度の差はあるが遺伝要因が部分的に発症に影響を与えている。治療に対する反応性や副作用、予後などにも遺伝要因は関わっていると推測されている。分子遺伝学的解析ができる以前から分離比分析などの遺伝疫学的解析は精神疾患を対象に数多く行われ、[[wikipedia:ja:双生児研究|双生児研究]]や[[wikipedia:ja:養子研究|養子研究]]など活発に行われてきた。遺伝疫学や分子遺伝学的解析など一般に遺伝学的解析で用いられる解析法が精神科遺伝学でも使われる。精神科遺伝学の国際的な学会として[http://www.ispg.net The International Society of Psychiatric Genetics (ISPG)]が1992年に組織され、研究の推進のみならず、社会の教育啓蒙活動、倫理問題の整備を目的に、毎年大会が米国とそれ以外の国とで交互に開催されている。
遺伝学的には精神疾患やそれに関連する行動などは多くのゲノム多様性や稀な変異と環境要因が発症、経過、治療予後に関係している多因子遺伝に分類され、多因子遺伝の法則が当てはまる。頻度の高い多型が強い影響力を持つことはないことは分かっているが、新生(de novo)突然変異のなかには比較的大きく易罹病性を高めるものがあることも知られている。


== 精神科遺伝学が使う解析法 ==
 1980年代に[[統合失調症]]や[[双極性障害]]の多発家系を対象に乏しい遺伝マーカーを使った[[連鎖解析]]が発表され、精神科遺伝学の分野における分子遺伝学時代のスタートとなった。
家系を対象とした分離比分析など遺伝疫学的解析、分子遺伝学的解析など遺伝学的解析で用いられる解析法が精神科遺伝学でも使用される。1980年代に統合失調症や双極性障害の多発家系を対象に制限酵素を使った少ない遺伝マーカーでの連鎖解析が発表され、精神科遺伝学の分野での分子遺伝学の時代のスタートとなった。1990年代の後半から2000年代前半はマイクロサテライトマーカーを用いて家族内複数患者家系を対象に連鎖解析が積極的に行われた。2000年代前半からは連鎖解析の結果を参考にして、連鎖領域の原因遺伝子変異/多様性を追求することにより、関連遺伝子を同定する位置的クローニング法や位置的候補遺伝子法が用いられるようになり、NRG1, DTNBP1, DAOAなどの遺伝子が重要な候補遺伝子として注目された。また、染色体転座と統合失調症、うつ病が連鎖していた会からDISC1がクローニングされた。2000年代後半からGWASの時代になり、2007年のWTCCCによる2000人の症例と3000人のコントロールによる解析結果その幕開けとなった1。続いて、DNAチップで検出できる比較的大きなコピー数変異 (CNV)に注目があつまり、さらにエクソームや全ゲノムリシークエンスが解析され、より低頻度の多型や稀な変異に注目が集まるようになり、民族特異的な変異にも注目が集まるようになった2。
 候補遺伝子解析は1990年代はじめから盛んに実施されている。


== 精神科遺伝学の主な所見 ==
 1990年代の後半から2000年代前半は[[マイクロサテライトマーカー]]を用いて家族内で複数の患者をもつ家系を対象に連鎖解析が積極的に行われた。
連鎖解析
大家系を用いた解析ではDISC1を除いて特定の原因遺伝子は同定されていない。DISC1に関しては染色体異常から発見されているが、1家系のみであり、遺伝学的証拠としては十分ではない。また、DISC1が連鎖している精神疾患は統合失調症とうつ病である。3
候補遺伝子解析
1,000以上の遺伝子内やその近傍のゲノム多様性と精神疾患の関連解析が実施されている。
ゲノムワイド関連解析
比較的頻度の高い主にSNPを使ったゲノムワイド関連解析が実施されている。
米国のNational Human Genome Research InstituteのGWASに関するデータベース[https://www.genome.gov/26525384#searchForm]によれば、2013年1月現在、統合失調症、気分障害に関するGWASの論文が24にのぼっている。このなかで、一般的に有意な関連とされているP値を示しているSNP数は8論文である。一方、依存症に関しては1編の論文のみであり、有意なSNPは検出されていない。自閉症に関しては6編の論文があり、2編が有意で、有意な関連を示しているのはAlzheimer病では31編の論文があり、6編の論文である。ただ、有意であってもいずれもオッズ比は小さく、比較的頻度の高い多型で大きな関連を示しているものはアルツハイマー病のApoE以外はない。
稀な遺伝子変異
精神疾患の病因に関係する頻度の高い多型はほとんどないらしくGWAS解析では特定の大きな影響力を持つ多様性は検出されていないのに対比して、稀な変異では精神疾患の病因としては関わっている可能性のものが発見されつつある。その代表はCNVである。4


== 精神科臨床に与えた影響 ==
 2000年代前半からは連鎖解析の結果を参考にして、連鎖領域の原因遺伝子変異/多様性を追求することにより、関連遺伝子を同定する[[位置的クローニング法]]や[[位置的候補遺伝子法]]が用いられるようになり、これまで注目されていなかった遺伝子が統合失調症の新たな候補遺伝子として注目された。これとは別に、統合失調症、[[うつ病]]が連鎖していた[[染色体転座]]の家系から[[DISC1]]遺伝子がクローニングされた。
診断基準
 
遺伝学的研究成果はDSM-Vの診断基準には大きな影響を与えていないが、今後は影響を与える可能性は残っている。Specifiersのひとつとして遺伝性疾患の記述は増えていくと推測される。例えば、脆弱X症候群による自閉症スペクトラム障害などである。
 2000年代後半から[[ゲノムワイド関連解析]] (GWAS)の時代になり、2007年のWellcome Trust Case Control Consortiumによる2000人の症例と3000人のコントロールによる解析の報告が精神科遺伝学のGWAS時代の幕開けとなった<ref><pubmed> 17554300 </pubmed></ref>。2010年代になるとGWASは万単位の被験者を対象とするようになり、遺伝統計学的手法の改良も続き、より確かな関連の所見が得られるようになっている。並行して、[[SNPチップ]]でも検出できる頻度の低い100 kb以上の大きな[[コピー数変異]] ([[CNV]])のなかに知的[[発達障害]]、[[自閉性障害]]、統合失調症、双極性障害、[[てんかん]]などのリスクを大きく高めるものがあることが発見され、これまで得られた精神科遺伝学の分子遺伝学研究成果の中で最も確実な発見となった。
日常臨床
 
以前より、遺伝負因は精神診断に参考にされてきた。分子遺伝学的研究成果は診断に影響を与えていない。薬理ゲノム学は日常臨床に利用されていくと推測される。
 2010年代は[[エクソームシークエンス|エクソーム]]や[[全ゲノムリシークエンス]]などによりより解析が容易になった低頻度の多型や稀な変異に注目が集まるようになり、[[wikipedia:ja:民族|民族]]特異的な変異にも注目が集まるようになっている<ref><pubmed> 23237318 </pubmed></ref>。
精神科遺伝学に対する批判
 
これまでの精神科関係の研究費の中で分子遺伝学的研究に費やされた研究費は数%程度で多くはないものの、現時点では日常臨床に影響をあたえるような影響を与えていないことから、費用対効果について批判的に見る目もある5。神経科学としては精神科遺伝学の知見は精神疾患の病態解明に非常に大きな影響をもっているが、それが日常臨床に反映されない限り、その治験が正しいという証明にはならない。
 候補遺伝子解析は1990年代はじめから盛んに実施されており、ターゲットリシークエンスの時代となり、精力的に研究が進められている。
 
 ゲノムの多様性や変異(遺伝型)と疾患や行動(表現型)との関連を追求する他に、遺伝子の発現調節に関係する[[エピゲノム解析]]、[[非コードRNA解析]]も2000年代に入ってから活発に行われている。<br>
 
== 遺伝学的に見た精神疾患の特徴  ==
 
 すべての精神疾患を対象としているが、統合失調症、[[気分障害]]、[[依存症]]、[[認知症]]、[[自閉症スペクトラム障害]]が研究対象になる件数が多い。次いで[[心的外傷後ストレス障害]]、[[神経性無食欲症]]、[[パーソナリティ障害]]、[[注意欠陥多動障害]]などが続く。メンデル遺伝病の一部の症状として精神症状が現れる遺伝病も多くあり、それも対象とする。あるいはそれを手がかりに精神疾患の病態を追求する方法もある。罹患の有無だけでなく、罹患と関連する解剖学的、生理学的、生化学的所見などのいわゆる[[エンドフェノタイプ]]も重要な研究対象である。パーソナリティや嗜好なども対象としている。[[向精神薬]]をはじめとする治療に対する反応性と副作用も重要な対象となっており、予防法に利用できる遺伝情報に関する研究も進められている。
 
 精神疾患やそれに関連する行動のほとんどは多くのゲノム多様性と稀な変異、環境要因が関わっている多因子遺伝に分類される。[[アルツハイマー病]]に対する[[APOE]]遺伝子多型、[[アルコール依存症]]に対する[[ADH]], [[ALDH]]遺伝子多型の他は頻度の高い多型が疾患のリスクに強い影響力を持つことはないことは分かっているが、頻度の低い変異、とくに、新生(de novo)突然変異のなかには比較的大きくリスクを高めるものがあることが知られつつある。
 
== 主なアプローチとその結果 ==
 
=== 連鎖解析 ===
 
 遺伝学的研究は連鎖解析が基本であるが、統合失調症とうつ病の大家系を用いた解析ではDISC1を除いて根拠のある原因遺伝子は同定されていない。そのDISC1に関しても、1家系のみでの所見であり、遺伝学的証拠としては十分ではない<ref><pubmed> 10814723 </pubmed></ref> 。
 
=== 候補遺伝子解析 ===
 
 1,000以上の遺伝子内やその近傍のゲノム多様性と精神疾患の関連解析が実施されている。疾患との関連の他に[[エンドフェノタイプ]]、治療反応性、副作用リスクとの関連解析もすすめられているが、日常臨床を変えるほどの所見には至っていない。
 
=== ゲノムワイド関連解析 ===
 
 ゲノムワイド関連解析は比較的頻度の高い主に[[SNP]]を使ったゲノムワイド関連解析が実施されている。 米国の[[wikipedia:National Human Genome Research Institute|National Human Genome Research Institute]]のGWASに関する[https://www.genome.gov/26525384#searchForm データベース]によれば、2013年1月現在、統合失調症、気分障害に関するGWASの論文が24にのぼっている。このなかで、一般的に有意な関連とされているP値を示しているSNP数は8論文である。一方、依存症に関しては1編の論文のみであり、有意なSNPは検出されていない。自閉症に関しては6編の論文があり、2編が有意で、アルツハイマー病では31編の論文があり、有意な関連を示しているのは6編の論文である。ただ、有意であってもいずれも[[wikipedia:ja:オッズ|オッズ]]比は小さく、比較的頻度の高い多型で大きな関連を示しているものはアルツハイマー病のApoE以外はない。
 
 稀な変異、とくにde novoの変異では、精神疾患の病因に大きく寄与している可能性のあるものが発見されつつある。その代表はCNVであり、11領域のCNVがとくに複数の精神疾患のリスクに関わっていることが知られている<ref><pubmed> 22424231 </pubmed></ref> 。
 
 精神疾患に対する効果量の大きい多型がほとんどないことから、遺伝疫学的解析により推定された比較的高い遺伝率を疑問視する見解もあるが、分子遺伝学的所見は以前推定されていた遺伝率を確認しつつあるとする見解もある<ref><pubmed> 23628988 </pubmed></ref>。
 
== 精神科臨床に与えた影響 ==
 
 診断基準に関しては、遺伝学的研究成果はDSM-Vの診断基準には大きな影響を与えていないが、今後は影響を与える可能性は残っている。診断中のSpecifiersのひとつとして遺伝性疾患の記述は増えていくと推測される。例えば、脆弱X症候群による[[自閉症スペクトラム障害]]などである。
 
 日常臨床では以前より遺伝負因は精神科診断の参考にされてきたものの、分子遺伝学的研究成果はこれまでのところ診断に大きな影響を与えていない。一方、薬理ゲノム学の所見は今後日常臨床に利用されていく可能性がある。
 
 [[wikipedia:ja:ヒトゲノムプロジェクト|ヒトゲノムプロジェクト]]において期待されていた成果の一つに多因子疾患の画期的な治療法、予防法の開発がある。しかし、[[wikipedia:ja:がん|がん]]を除けば、現時点ではまだ期待通りになっておらず、精神疾患の研究も例外ではない。[[wikipedia:ja:アメリカ国立衛生研究所|NIH]]の支出した精神科関係の研究費の中で分子遺伝学的研究に費やされた研究費は数%程度で多くはないものの、現時点では研究成果が日常臨床に影響をあたえるような影響を与えていないことから、費用対効果について批判的に見る目もある<ref><pubmed> 21625325 </pubmed></ref>。
 
== 参考文献  ==
 
<references />

2014年6月18日 (水) 17:03時点における最新版

有波 忠雄
筑波大学 医学医療系
DOI:10.14931/bsd.3757 原稿受付日:2013年5月7日 原稿完成日:2013年5月14日
担当編集委員:加藤 忠史(独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)

 精神科遺伝学は精神疾患やそれに関わる心理社会性行動などの事象を主な研究対象とする行動神経遺伝学の分野である。精神疾患は比較的高い遺伝率を示すものが多く、遺伝要因が部分的に発症に影響を与えている。治療に対する反応性や副作用予後などにも遺伝要因は関わっている。関係する遺伝子の同定は病態解明と治療法の開発に必要な基礎データとなり、個別化医療につながる。分子レベルからの根拠に基づく予防法、治療法の開発を目的とする。

精神科遺伝学とは

 精神疾患は比較的高い遺伝率を示すものが多く、程度の差はあるが遺伝要因が部分的に発症に影響を与えている。治療に対する反応性や副作用、予後などにも遺伝要因は関わっていると推測されている。分子遺伝学的解析ができる以前から分離比分析などの遺伝疫学的解析は精神疾患を対象に数多く行われ、双生児研究養子研究など活発に行われてきた。遺伝疫学や分子遺伝学的解析など一般に遺伝学的解析で用いられる解析法が精神科遺伝学でも使われる。精神科遺伝学の国際的な学会としてThe International Society of Psychiatric Genetics (ISPG)が1992年に組織され、研究の推進のみならず、社会の教育啓蒙活動、倫理問題の整備を目的に、毎年大会が米国とそれ以外の国とで交互に開催されている。

 1980年代に統合失調症双極性障害の多発家系を対象に乏しい遺伝マーカーを使った連鎖解析が発表され、精神科遺伝学の分野における分子遺伝学時代のスタートとなった。

 1990年代の後半から2000年代前半はマイクロサテライトマーカーを用いて家族内で複数の患者をもつ家系を対象に連鎖解析が積極的に行われた。

 2000年代前半からは連鎖解析の結果を参考にして、連鎖領域の原因遺伝子変異/多様性を追求することにより、関連遺伝子を同定する位置的クローニング法位置的候補遺伝子法が用いられるようになり、これまで注目されていなかった遺伝子が統合失調症の新たな候補遺伝子として注目された。これとは別に、統合失調症、うつ病が連鎖していた染色体転座の家系からDISC1遺伝子がクローニングされた。

 2000年代後半からゲノムワイド関連解析 (GWAS)の時代になり、2007年のWellcome Trust Case Control Consortiumによる2000人の症例と3000人のコントロールによる解析の報告が精神科遺伝学のGWAS時代の幕開けとなった[1]。2010年代になるとGWASは万単位の被験者を対象とするようになり、遺伝統計学的手法の改良も続き、より確かな関連の所見が得られるようになっている。並行して、SNPチップでも検出できる頻度の低い100 kb以上の大きなコピー数変異 (CNV)のなかに知的発達障害自閉性障害、統合失調症、双極性障害、てんかんなどのリスクを大きく高めるものがあることが発見され、これまで得られた精神科遺伝学の分子遺伝学研究成果の中で最も確実な発見となった。

 2010年代はエクソーム全ゲノムリシークエンスなどによりより解析が容易になった低頻度の多型や稀な変異に注目が集まるようになり、民族特異的な変異にも注目が集まるようになっている[2]

 候補遺伝子解析は1990年代はじめから盛んに実施されており、ターゲットリシークエンスの時代となり、精力的に研究が進められている。

 ゲノムの多様性や変異(遺伝型)と疾患や行動(表現型)との関連を追求する他に、遺伝子の発現調節に関係するエピゲノム解析非コードRNA解析も2000年代に入ってから活発に行われている。

遺伝学的に見た精神疾患の特徴

 すべての精神疾患を対象としているが、統合失調症、気分障害依存症認知症自閉症スペクトラム障害が研究対象になる件数が多い。次いで心的外傷後ストレス障害神経性無食欲症パーソナリティ障害注意欠陥多動障害などが続く。メンデル遺伝病の一部の症状として精神症状が現れる遺伝病も多くあり、それも対象とする。あるいはそれを手がかりに精神疾患の病態を追求する方法もある。罹患の有無だけでなく、罹患と関連する解剖学的、生理学的、生化学的所見などのいわゆるエンドフェノタイプも重要な研究対象である。パーソナリティや嗜好なども対象としている。向精神薬をはじめとする治療に対する反応性と副作用も重要な対象となっており、予防法に利用できる遺伝情報に関する研究も進められている。

 精神疾患やそれに関連する行動のほとんどは多くのゲノム多様性と稀な変異、環境要因が関わっている多因子遺伝に分類される。アルツハイマー病に対するAPOE遺伝子多型、アルコール依存症に対するADH, ALDH遺伝子多型の他は頻度の高い多型が疾患のリスクに強い影響力を持つことはないことは分かっているが、頻度の低い変異、とくに、新生(de novo)突然変異のなかには比較的大きくリスクを高めるものがあることが知られつつある。

主なアプローチとその結果

連鎖解析

 遺伝学的研究は連鎖解析が基本であるが、統合失調症とうつ病の大家系を用いた解析ではDISC1を除いて根拠のある原因遺伝子は同定されていない。そのDISC1に関しても、1家系のみでの所見であり、遺伝学的証拠としては十分ではない[3]

候補遺伝子解析

 1,000以上の遺伝子内やその近傍のゲノム多様性と精神疾患の関連解析が実施されている。疾患との関連の他にエンドフェノタイプ、治療反応性、副作用リスクとの関連解析もすすめられているが、日常臨床を変えるほどの所見には至っていない。

ゲノムワイド関連解析

 ゲノムワイド関連解析は比較的頻度の高い主にSNPを使ったゲノムワイド関連解析が実施されている。 米国のNational Human Genome Research InstituteのGWASに関するデータベースによれば、2013年1月現在、統合失調症、気分障害に関するGWASの論文が24にのぼっている。このなかで、一般的に有意な関連とされているP値を示しているSNP数は8論文である。一方、依存症に関しては1編の論文のみであり、有意なSNPは検出されていない。自閉症に関しては6編の論文があり、2編が有意で、アルツハイマー病では31編の論文があり、有意な関連を示しているのは6編の論文である。ただ、有意であってもいずれもオッズ比は小さく、比較的頻度の高い多型で大きな関連を示しているものはアルツハイマー病のApoE以外はない。

 稀な変異、とくにde novoの変異では、精神疾患の病因に大きく寄与している可能性のあるものが発見されつつある。その代表はCNVであり、11領域のCNVがとくに複数の精神疾患のリスクに関わっていることが知られている[4]

 精神疾患に対する効果量の大きい多型がほとんどないことから、遺伝疫学的解析により推定された比較的高い遺伝率を疑問視する見解もあるが、分子遺伝学的所見は以前推定されていた遺伝率を確認しつつあるとする見解もある[5]

精神科臨床に与えた影響

 診断基準に関しては、遺伝学的研究成果はDSM-Vの診断基準には大きな影響を与えていないが、今後は影響を与える可能性は残っている。診断中のSpecifiersのひとつとして遺伝性疾患の記述は増えていくと推測される。例えば、脆弱X症候群による自閉症スペクトラム障害などである。

 日常臨床では以前より遺伝負因は精神科診断の参考にされてきたものの、分子遺伝学的研究成果はこれまでのところ診断に大きな影響を与えていない。一方、薬理ゲノム学の所見は今後日常臨床に利用されていく可能性がある。

 ヒトゲノムプロジェクトにおいて期待されていた成果の一つに多因子疾患の画期的な治療法、予防法の開発がある。しかし、がんを除けば、現時点ではまだ期待通りになっておらず、精神疾患の研究も例外ではない。NIHの支出した精神科関係の研究費の中で分子遺伝学的研究に費やされた研究費は数%程度で多くはないものの、現時点では研究成果が日常臨床に影響をあたえるような影響を与えていないことから、費用対効果について批判的に見る目もある[6]

参考文献

  1. Wellcome Trust Case Control Consortium (2007).
    Genome-wide association study of 14,000 cases of seven common diseases and 3,000 shared controls. Nature, 447(7145), 661-78. [PubMed:17554300] [PMC] [WorldCat] [DOI]
  2. Takata, A., Iwayama, Y., Fukuo, Y., Ikeda, M., Okochi, T., Maekawa, M., ..., & Yoshikawa, T. (2013).
    A population-specific uncommon variant in GRIN3A associated with schizophrenia. Biological psychiatry, 73(6), 532-9. [PubMed:23237318] [WorldCat] [DOI]
  3. Millar, J.K., Wilson-Annan, J.C., Anderson, S., Christie, S., Taylor, M.S., Semple, C.A., ..., & Porteous, D.J. (2000).
    Disruption of two novel genes by a translocation co-segregating with schizophrenia. Human molecular genetics, 9(9), 1415-23. [PubMed:10814723] [WorldCat] [DOI]
  4. Malhotra, D., & Sebat, J. (2012).
    CNVs: harbingers of a rare variant revolution in psychiatric genetics. Cell, 148(6), 1223-41. [PubMed:22424231] [PMC] [WorldCat] [DOI]
  5. Kendler, K.S. (2013).
    What psychiatric genetics has taught us about the nature of psychiatric illness and what is left to learn. Molecular psychiatry, 18(10), 1058-66. [PubMed:23628988] [WorldCat] [DOI]
  6. Sadler, J.Z., & Foster, D.W. (2011).
    Psychiatric molecular genetics and the ethics of social promises. Journal of bioethical inquiry, 8(1), 27-34. [PubMed:21625325] [PMC] [WorldCat] [DOI]