「脂質ラフト」の版間の差分

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英語名:lipid raft  
英語名:lipid raft  


 [[細胞膜]]の[[wikipedia:ja:脂質|脂質]]分布は均質ではなく、一部の脂質は限局して存在しドメインを形成している。その形成要因の一つとして、ある種の脂質分子間には特異的な相互作用が働き、自発的なドメイン形成に至る可能性が想定されている。特に、[[コレステロール]]の存在下では[[wikipedia:ja:スフィンゴ脂質|スフィンゴ脂質]]が集合を形成する現象が人工膜を用いた解析により見出されており、細胞膜にも同様の集合が存在する可能性について議論がなされている。これを流動膜に浮かぶ筏になぞらえて脂質ラフトと呼ぶ。脂質ラフトはシグナル分子間の相互作用の場として働くことが示唆されている<ref><pubmed>15139814</pubmed></ref><ref><pubmed>20044567</pubmed></ref>。2006年に開催された脂質ラフトと細胞機能に関するキーストーンシンポジウムでは、脂質ラフトは次のようなものとして定義されている<ref><pubmed>16645198</pubmed></ref>。
 [[細胞膜]]の[[wikipedia:ja:脂質|脂質]]分布は均質ではなく、一部の脂質は限局して存在しドメインを形成している。その形成要因の一つとして、ある種の脂質分子間には特異的な相互作用が働き、自発的なドメイン形成に至る可能性が想定されている。特に、[[コレステロール]]の存在下では[[wikipedia:ja:スフィンゴ脂質|スフィンゴ脂質]]が集合を形成する現象が人工膜を用いた解析により見出されており、細胞膜にも同様の集合が存在する可能性について議論がなされている。これを流動膜に浮かぶ筏になぞらえて脂質ラフトと呼ぶ。脂質ラフトはシグナル分子間の相互作用の場として働くことが示唆されている<ref><pubmed>15139814</pubmed></ref><ref><pubmed>20044567</pubmed></ref>。'''2006年に開催された脂質ラフトと細胞機能に関するキーストーンシンポジウムでは、脂質ラフトは次のようなものとして定義されている<ref><pubmed>16645198</pubmed></ref>。'''


「脂質ラフトはステロールとスフィンゴ脂質に富んだ10-200 nmサイズの小さく不均一で非常に動的なドメインであり、細胞機能のコンパートメント化を担う。小さなラフトはタンパク質―タンパク質間またはタンパク質―脂質間の相互作用によって安定化し、大きなプラットフォームを形成することがある。」
'''「脂質ラフトはステロールとスフィンゴ脂質に富んだ10-200 nmサイズの小さく不均一で非常に動的なドメインであり、細胞機能のコンパートメント化を担う。小さなラフトはタンパク質―タンパク質間またはタンパク質―脂質間の相互作用によって安定化し、大きなプラットフォームを形成することがある。」'''


 なお本稿では、形成のメカニズムを問わず脂質の集合を「脂質ドメイン」と呼ぶのに対し、特に相分離の原理に基づいて細胞膜上で形成される脂質ドメインを「脂質ラフト」と呼んで区別する。従って、以下に詳しく述べるように、脂質ラフトの存在の可否そのものが未だ議論の分かれる点であることに注意されたい。以下では、まず人工膜において見出された脂質ドメインについて概説した後、細胞膜に同様のドメインが存在する可能性について論じる。ここでは特に、ラフト分子を直接可視化する試みと、それによりラフト仮説がどのように修正されつつあるかという点に重点を置いた。また最後に、ラフト局在分子と、関連する生命現象を取り上げ、脂質ラフトの機能的意義について論じる。
 '''なお本稿では、形成のメカニズムを問わず脂質の集合を「脂質ドメイン」と呼ぶのに対し、特に相分離の原理に基づいて細胞膜上で形成される脂質ドメインを「脂質ラフト」と呼んで区別する。従って、以下に詳しく述べるように、脂質ラフトの存在の可否そのものが未だ議論の分かれる点であることに注意されたい。'''以下では、まず人工膜において見出された脂質ドメインについて概説した後、細胞膜に同様のドメインが存在する可能性について論じる。ここでは特に、ラフト分子を直接可視化する試みと、それによりラフト仮説がどのように修正されつつあるかという点に重点を置いた。また最後に、ラフト局在分子と、関連する生命現象を取り上げ、脂質ラフトの機能的意義について論じる。


== 人工膜における脂質ドメイン ==
== 人工膜における脂質ドメイン ==
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[[Image:Raft2.PNG|thumb|350px|'''図2 (A)スフィンゴ脂質の構造と(B)スフィンゴ脂質―コレステロール間相互作用を説明するumbrella model'''<br>Aの図では水素結合可能な部位(水色)と飽和アルキル鎖(ピンク)が強調してある。]]
[[Image:Raft2.PNG|thumb|350px|'''図2 (A)スフィンゴ脂質の構造と(B)スフィンゴ脂質―コレステロール間相互作用を説明するumbrella model'''<br>Aの図では水素結合可能な部位(水色)と飽和アルキル鎖(ピンク)が強調してある。]]


 細胞膜は数千種の脂質を含む複雑な系である一方、現在までに個々の脂質を特異的に同定しまたその細胞内含量や分布を人為的に操作しうる一般的手法は確立されておらず、細胞膜における脂質の動態や機能を解析することは困難である。このため脂質ラフトの諸性質の多くは単純な組成から成る人工膜を用いて明らかにされてきた。特に2種以上の脂質を含む人工膜において脂質が自発的に集合する現象(相分離)が見出されたことが端緒となり、細胞膜においても同様の現象が起こる可能性が議論されるようになった。
 '''細胞膜は数千種の脂質を含む複雑な系である一方、現在までに個々の脂質を特異的に同定しまたその細胞内含量や分布を人為的に操作しうる一般的手法は確立されておらず、細胞膜における脂質の動態や機能を解析することは困難である。このため脂質ラフトの諸性質の多くは単純な組成から成る人工膜を用いて明らかにされてきた。特に2種以上の脂質を含む人工膜において脂質が自発的に集合する現象(相分離)が見出されたことが端緒となり、細胞膜においても同様の現象が起こる可能性が議論されるようになった。'''


 [[wikipedia:ja:リポソーム|リポソーム]]のような人工膜において、脂質の[[wikipedia:ja:アルカン|アルキル鎖]]は低温下では全て[[wikipedia:ja:トランス(化学)|トランス]]型の[[wikipedia:ja:立体配座|立体配座]]をとり伸びた状態にある(図1)。密なパッキングのため分子間には[[wikipedia:ja:ファンデルワールス力|ファンデルワールス力]]が強く働き、膜の流動性は妨げられている。一方、[[wikipedia:ja:相転移|相転移]]温度(Tm)以上ではアルキル鎖が融解し、一部がトランス型から[[wikipedia:ja:ゴーシュ|ゴーシュ]]型の立体配座へと変化する(液晶相)。この状態では、分子間相互作用が減弱するため脂質の運動性が高まる。ここにコレステロールが共存した場合、硬い平板構造をもつ[[ステロール骨格]]がアルキル鎖の間隙を埋め、トランス型の立体配座を安定化することによって秩序性が増す。一方、脂質の運動性はよく保たれており、拡散係数は液晶相に比較して2~3分の1程度減少するに過ぎない<ref><pubmed>15139814</pubmed></ref>。さらにコレステロールは飽和アルキル鎖のみから成る脂質と安定に相互作用するため、[[wikipedia:ja:飽和脂質|飽和脂質]]と[[wikipedia:ja:不飽和脂質|不飽和脂質]]、およびコレステロールの3者混合系では同一膜内で相分離を生じる。すなわち、飽和脂質とコレステロールから成る[[wikipedia:ja:液体秩序相|液体秩序相]](liquid-ordered; l<sub>o</sub>)と、不飽和脂質が分布する[[wikipedia:ja:液体非秩序相|液体非秩序相]](liquid-disordered; l<sub>d</sub>)とが共存した状態になる。l<sub>o</sub>には直鎖状の飽和脂肪酸をもつ脂質が集積するため、周囲のl<sub>d</sub>相よりも膜が厚い特徴がある。
 [[wikipedia:ja:リポソーム|リポソーム]]のような人工膜において、脂質の[[wikipedia:ja:アルカン|アルキル鎖]]は低温下では全て[[wikipedia:ja:トランス(化学)|トランス]]型の[[wikipedia:ja:立体配座|立体配座]]をとり伸びた状態にある(図1)。密なパッキングのため分子間には[[wikipedia:ja:ファンデルワールス力|ファンデルワールス力]]が強く働き、膜の流動性は妨げられている。一方、[[wikipedia:ja:相転移|相転移]]温度(Tm)以上ではアルキル鎖が融解し、一部がトランス型から[[wikipedia:ja:ゴーシュ|ゴーシュ]]型の立体配座へと変化する(液晶相)。この状態では、分子間相互作用が減弱するため脂質の運動性が高まる。ここにコレステロールが共存した場合、硬い平板構造をもつ[[ステロール骨格]]がアルキル鎖の間隙を埋め、トランス型の立体配座を安定化することによって秩序性が増す。一方、脂質の運動性はよく保たれており、拡散係数は液晶相に比較して2~3分の1程度減少するに過ぎない<ref><pubmed>15139814</pubmed></ref>。さらにコレステロールは飽和アルキル鎖のみから成る脂質と安定に相互作用するため、[[wikipedia:ja:飽和脂質|飽和脂質]]と[[wikipedia:ja:不飽和脂質|不飽和脂質]]、およびコレステロールの3者混合系では同一膜内で相分離を生じる。すなわち、飽和脂質とコレステロールから成る[[wikipedia:ja:液体秩序相|液体秩序相]](liquid-ordered; l<sub>o</sub>)と、不飽和脂質が分布する[[wikipedia:ja:液体非秩序相|液体非秩序相]](liquid-disordered; l<sub>d</sub>)とが共存した状態になる。l<sub>o</sub>には直鎖状の飽和脂肪酸をもつ脂質が集積するため、周囲のl<sub>d</sub>相よりも膜が厚い特徴がある。
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== 細胞膜における脂質ラフト ==
== 細胞膜における脂質ラフト ==


 このセクションでは、細胞膜にl<sub>o</sub>相の性質を持った脂質ラフトが存在する可能性について論じる。歴史的にはまずスフィンゴ脂質やコレステロールに富む生化学的画分が見出されたことにより、多くのラフト局在分子と局在の意義が明らかになってきた。さらにこれら分子を可視化するアプローチにより、脂質ラフトの性状や形成メカニズム、或いはl<sub>o</sub>相との相違についても新しい知見が得られつつある。
 '''このセクションでは、細胞膜にl<sub>o</sub>相の性質を持った脂質ラフトが存在する可能性について論じる。歴史的にはまずスフィンゴ脂質やコレステロールに富む生化学的画分が見出されたことにより、多くのラフト局在分子と局在の意義が明らかになってきた。さらにこれら分子を可視化するアプローチにより、脂質ラフトの性状や形成メカニズム、或いはl<sub>o</sub>相との相違についても新しい知見が得られつつある。'''


=== 界面活性剤不溶性に基づく分画 ===
=== 界面活性剤不溶性に基づく分画 ===
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