「血液脳関門」の版間の差分

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 このように320年前に英国で始まった血液脳関門の研究は、当初、「血液と脳を隔てる単なる物理的障壁」と考えられてきた。 しかし近年では、分子生物学や、''in vitro''モデル細胞株の樹立など細胞生物的な手法の導入によって、BBBの機能は分子レベルでの解明が飛躍的に進んでいる。
 このように320年前に英国で始まった血液脳関門の研究は、当初、「血液と脳を隔てる単なる物理的障壁」と考えられてきた。 しかし近年では、分子生物学や、''in vitro''モデル細胞株の樹立など細胞生物的な手法の導入によって、BBBの機能は分子レベルでの解明が飛躍的に進んでいる。


 現在では、BBBは脳に必要な物質を血液中から選択して脳へ供給し、逆に脳内で産生された不要物質を血中に排出する「動的インターフェース」であるという新たな概念へと塗り替えられている<ref name="ref1"><pubmed> 17619998 </pubmed></ref>。このBBBの機能は、薬という異物の脳移行を制限することから、中枢作用薬の開発成功率を大幅に下げる一因と位置づけられている。特に、[[wikipedia:ja:がん細胞|がん細胞]]において[[wikipedia:ja:Multiple drug resistance#Neoplastic_resistance|抗がん剤耐性因子]]として同定された[[P-糖タンパク]]([[P-glycoprotein]]/[[P-gp]]/[[ABCB1]]/[[MDR1]]/[[mdr1a]])が、「脳血管内皮細胞でエネルギーを消費して薬物を排出するポンプとして働いていること」を見出し、それまでの「400Daの分子篩説」<ref><pubmed> 7392035 </pubmed></ref>あるいは600Daの分子篩説」<ref><pubmed> 7765071 </pubmed></ref>に対して「能動的排出輸送担体説」<ref><pubmed> 1357522 </pubmed></ref>を提唱したことは、血液脳関門研究の歴史において重要な意義がある。その後、P-糖タンパク(編集コメント:以下、MDR1、P-gpなどの表記がありましたが、P-糖タンパクに統一致しました)[[遺伝子欠損マウス]]を用いた研究によって<ref><pubmed> 7910522 </pubmed></ref>その排出輸送機能の生理的な重要性や薬物動態における重要性が明らかになった。
 現在では、BBBは脳に必要な物質を血液中から選択して脳へ供給し、逆に脳内で産生された不要物質を血中に排出する「動的インターフェース」であるという新たな概念へと塗り替えられている<ref name="ref1"><pubmed> 17619998 </pubmed></ref>。このBBBの機能は、薬という異物の脳移行を制限することから、中枢作用薬の開発成功率を大幅に下げる一因と位置づけられている。特に、[[wikipedia:ja:がん細胞|がん細胞]]において[[wikipedia:ja:Multiple drug resistance#Neoplastic_resistance|抗がん剤耐性因子]]として同定された[[P-糖タンパク]]([[P-glycoprotein]]/[[P-gp]]/[[ABCB1]]/[[MDR1]]/[[mdr1a]])が、「脳血管内皮細胞でエネルギーを消費して薬物を排出するポンプとして働いていること」を見出し、それまでの「400Daの分子篩説」<ref><pubmed> 7392035 </pubmed></ref>あるいは600Daの分子篩説」<ref><pubmed> 7765071 </pubmed></ref>に対して「能動的排出輸送担体説」<ref><pubmed> 1357522 </pubmed></ref>を提唱したことは、血液脳関門研究の歴史において重要な意義がある。その後、P-糖タンパク[[遺伝子欠損マウス]]を用いた研究によって<ref><pubmed> 7910522 </pubmed></ref>その排出輸送機能の生理的な重要性や薬物動態における重要性が明らかになった。


 その後、P-糖タンパク以外に[[乳癌耐性タンパク質]] (編集コメント:日本語と致しました)([[Breast Cancer Resistance Protein]], [[BCRP]]/[[ABCG2]]/[[MXR]]/[[ABCP]])<ref><pubmed> 15805252 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 12438926 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 15255930 </pubmed></ref> <ref name="ref112"><pubmed>16181433</pubmed></ref>や[[Multidrug Resistance-associated Protein 4]] ([[MRP4]]/[[ABCC4]])<ref><pubmed> 15218051 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 19029202 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 20194529 </pubmed></ref>が、薬物や内因性物質などの排出ポンプとして重要な働きを担っていることが明らかになった。その他にもBBBに発現して物質輸送を担う多様なトランスポーターや受容体の分子レベルでの同定が進み、脳機能を支援・防御する動的インターフェースの一躍を担っていることが明らかにされ<ref name="ref1" />、BBBの受容体を標的とした薬物送達システムの開発も進んだ<ref><pubmed> 22929442 </pubmed></ref>。
 その後、P-糖タンパク以外に[[乳癌耐性タンパク質]]([[Breast Cancer Resistance Protein]], [[BCRP]]/[[ABCG2]]/[[MXR]]/[[ABCP]])<ref><pubmed> 15805252 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 12438926 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 15255930 </pubmed></ref> <ref name="ref112"><pubmed>16181433</pubmed></ref>や[[Multidrug Resistance-associated Protein 4]] ([[MRP4]]/[[ABCC4]])<ref><pubmed> 15218051 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 19029202 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 20194529 </pubmed></ref>が、薬物や内因性物質などの排出ポンプとして重要な働きを担っていることが明らかになった。その他にもBBBに発現して物質輸送を担う多様なトランスポーターや受容体の分子レベルでの同定が進み、脳機能を支援・防御する動的インターフェースの一躍を担っていることが明らかにされ<ref name="ref1" />、BBBの受容体を標的とした薬物送達システムの開発も進んだ<ref><pubmed> 22929442 </pubmed></ref>。


 そして今、寺崎らが2008年に開発した機能性タンパク質の標的絶対定量法(Quantitative Targeted Absolute Proteomics (QTAP)<ref name="ref2"><pubmed> 18219561 </pubmed></ref> <ref name="ref7"><pubmed> 21560129 </pubmed></ref>によって、BBBに発現するトランスポーターの定量アトラスが、マウス<ref name="ref2" /> <ref name="ref4"><pubmed> 22401960 </pubmed></ref>、サル<ref name="ref5"><pubmed> 21254069 </pubmed></ref>、ヒト<ref name="ref6"><pubmed> 21291474 </pubmed></ref>で完成し、これらの定量情報を基にBBBのヒトと動物との種差が解明された。さらに、BBBにおけるトランスポーターの発現量と''in vitro''で計測可能な単分子活性を基にしたBBB物質輸送の再構築法<ref name="ref8"><pubmed> 21828264 </pubmed></ref>の開発が進んでおり、ヒトBBBにおける薬物を含めた物質輸送の予測系の基盤技術が構築されつつある。
 そして今、寺崎らが2008年に開発した機能性タンパク質の標的絶対定量法(Quantitative Targeted Absolute Proteomics (QTAP)<ref name="ref2"><pubmed> 18219561 </pubmed></ref> <ref name="ref7"><pubmed> 21560129 </pubmed></ref>によって、BBBに発現するトランスポーターの定量アトラスが、マウス<ref name="ref2" /> <ref name="ref4"><pubmed> 22401960 </pubmed></ref>、サル<ref name="ref5"><pubmed> 21254069 </pubmed></ref>、ヒト<ref name="ref6"><pubmed> 21291474 </pubmed></ref>で完成し、これらの定量情報を基にBBBのヒトと動物との種差が解明された。さらに、BBBにおけるトランスポーターの発現量と''in vitro''で計測可能な単分子活性を基にしたBBB物質輸送の再構築法<ref name="ref8"><pubmed> 21828264 </pubmed></ref>の開発が進んでおり、ヒトBBBにおける薬物を含めた物質輸送の予測系の基盤技術が構築されつつある。
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 脳は、高度な神経活動のためシナプス周辺の環境が、BBBによって厳密に制御されている。BBBの解剖学的実体は脳毛細血管であり、内皮細胞同士が密着結合(tight junction)で連結している (図1)。密着結合構成タンパク質には、[[クローディン]]、[[オクルディン]]などが知られている。一部の内皮細胞には、[[周皮細胞]](pericyte)が接着し、その大部分を[[星状膠細胞]]の足突起が覆っている (図1)。このようなBBBの構造的特徴によって、血液構成成分や投与薬物の内皮細胞間隙を介した非特異的な中枢神経への侵入や、脳内産生物質の流出を阻止している。
 脳は、高度な神経活動のためシナプス周辺の環境が、BBBによって厳密に制御されている。BBBの解剖学的実体は脳毛細血管であり、内皮細胞同士が密着結合(tight junction)で連結している (図1)。密着結合構成タンパク質には、[[クローディン]]、[[オクルディン]]などが知られている。一部の内皮細胞には、[[周皮細胞]](pericyte)が接着し、その大部分を[[星状膠細胞]]の足突起が覆っている (図1)。このようなBBBの構造的特徴によって、血液構成成分や投与薬物の内皮細胞間隙を介した非特異的な中枢神経への侵入や、脳内産生物質の流出を阻止している。


 ただし例外として、[[終校器官]](編集コメント:正しいかご確認下さい)、[[脳弓下器官]]、[[交連下器官]]、[[視床下部]][[正中隆起]]、[[松果体]]、[[下垂体後葉]]、[[最終野]]では、毛細血管内皮細胞が密着結合で連結していないため、末梢血管と同様に血液とこれらの組織間の物質の移動は比較的自由である。これは、Goldmanがトリパンブルーを血管内に投与した実験において、一部の脳内部位が染色された要因であった可能性が高い。
 ただし例外として、脳室周囲器官と呼ばれる、[[終板血管器官]][[脳弓下器官]]、[[交連下器官]]、[[視床下部]][[正中隆起]]、[[松果体]]、[[下垂体後葉]]、[[最終野]]などの領域では、毛細血管内皮細胞が密着結合で連結していないため、末梢血管と同様に血液とこれらの組織間の物質の移動は比較的自由である。これは、Goldmanがトリパンブルーを血管内に投与した実験において、一部の脳内部位が染色された要因であった可能性が高い。


 ヒトの脳毛細血管の全長は約650km、表面積は約9m<sup>2</sup>である一方、全脳に占める脳毛細血管内皮細胞の容積はわずか0.1%である。脳の毛細血管は平均40µmの間隔で網目状に張り巡らされていることから、分子量数百程度の物質は脳毛細血管を通過後、速やかに拡散して、脳実質細胞に到達可能である。
 ヒトの脳毛細血管の全長は約650km、表面積は約9m<sup>2</sup>である一方、全脳に占める脳毛細血管内皮細胞の容積はわずか0.1%である。脳の毛細血管は平均40µmの間隔で網目状に張り巡らされていることから、分子量数百程度の物質は脳毛細血管を通過後、速やかに拡散して、脳実質細胞に到達可能である。
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===供給輸送系===
===供給輸送系===


 BBB供給輸送系の最も重要な役割の一つは、エネルギー源となる[[wikipedia:ja:グルコース|グルコース]]や[[wikipedia:ja:乳酸|乳酸]]及びタンパク質や神経伝達物質の原料となる[[wikipedia:ja:アミノ酸|アミノ酸]]の循環血液から脳への供給である。[[グルコーストランスポーター 1]] ([[GLUT1]]/[[SLC2A1]])は、促進拡散型のトランスポーターで、脳毛細血管内皮細胞の両側の細胞膜に局在し、循環血液中から脳方向へのグルコースの供給輸送を担う。この他、[[モノカルボン酸トランスポーター]] ([[MCT1]]/[[SLC16A1]]) は、乳酸などの[[wikipedia:ja:ケトン体|ケトン体]]エネルギー源の供給に関与し、[[L型アミノ酸トランスポーター]]([[LAT1]]/[[SLC7A5]])は、[[4F2抗原重鎖]] ([[4F2hc]], [[CD98]]/[[SLC3A2]])とヘテロダイマーを形成して、主に[[wikipedia:ja:チロシン|チロシン]]や[[wikipedia:ja:フェニルアラニン|フェニルアラニン]]などの大型の中性アミノ酸を脳内に供給する役割を果たす。この他に、エネルギー貯蔵物質[[wikipedia:ja:クレアチン|クレアチン]]、浸透圧調節物質[[wikipedia:ja:タウリン|タウリン]]の輸送系などが知られている。
 BBB供給輸送系の最も重要な役割の一つは、エネルギー源となる[[wikipedia:ja:グルコース|グルコース]]や[[wikipedia:ja:乳酸|乳酸]]及びタンパク質や神経伝達物質の原料となる[[wikipedia:ja:アミノ酸|アミノ酸]]の循環血液から脳への供給である。[[グルコーストランスポーター 1]] ([[GLUT1]]/[[SLC2A1]])は、促進拡散型のトランスポーターで、脳毛細血管内皮細胞の両側の細胞膜に局在し、循環血液中から脳方向へのグルコースの供給輸送を担う。この他、[[モノカルボン酸トランスポーター]] ([[MCT1]]/[[SLC16A1]]) は、乳酸などの[[wikipedia:ja:ケトン体|ケトン体]]エネルギー源の供給に関与し、[[L型アミノ酸トランスポーター]]([[LAT1]]/[[SLC7A5]])は、[[4F2抗原重鎖]] ([[4F2hc]], [[CD98]]/[[SLC3A2]])とヘテロダイマーを形成して、主に[[wikipedia:ja:チロシン|チロシン]]や[[wikipedia:ja:フェニルアラニン|フェニルアラニン]]などの大型の中性アミノ酸を脳内に供給する役割を果たす。この他に、エネルギー貯蔵物質[[wikipedia:ja:クレアチン|クレアチン]]、浸透圧調節物質[[wikipedia:ja:タウリン|タウリン]]の輸送系などが知られている。インスリン受容体やトランスフェリン受容体は、受容体介在型トランスサイトーシス経路として、ぞれぞれインスリンやトランスフェリンを、循環血液から脳へ供給する役割を担う。近年では、これらの受容体介在型トランスサイトーシス経路を利用して、抗ヒト受容体モノクローナル抗体とタンパク質医薬品とのキメラタンパク質を脳へ効率的にデリバリーする研究が行われている。


===排出輸送系===
===排出輸送系===
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